通貨5極体制へのもくろみ2008年7月1日 田中 宇アメリカの連邦準備制度(連銀、FRB)と、EUの欧州中央銀行(ECB)、イングランド銀行(英中銀、BOE)という欧米の3つの主力の中央銀行の幹部が最近、相次いで「アジア諸国が自国通貨をドルにペッグ(為替連動)する仕掛けを公然・非公然に維持しているため、世界的なインフレがひどくなっている。アジアは早くドルペッグ制を離脱した方が良い」と表明した。 米連銀のデビッド・コーン副議長は6月26日、講演の中で「経済が過熱しているアジア諸国は、諸商品(commodity。石油や食糧など)の需要を急増させ、商品の(世界的な)需給逼迫(価格高騰)を引き起こしている。アジア諸国が(ドルペッグをやめて)独立した通貨政策を持ち、柔軟な為替制度を採れば、インフレを抑制できる」と発言した。(関連記事) コーンは、ドルペッグをやめるべきアジア諸国の国名を名指ししなかったが、FT紙では、中国(人民元の上昇速度を制限する半ペッグを続けている)と、中東諸国(サウジアラビアなどアラブ産油国)を指した発言だろうと報じられている。(関連記事) 英中銀のキング総裁も同じ6月26日、英議会の委員会に出席し「世界の中でも非常に重要な経済地域(アジア諸国)が、ドルというたった一つの通貨の為替にペッグしている。ペッグしているので、この地域(アジア)は(アメリカが金融危機の対策として通貨供給を急増させているのに連動して)通貨発行を増大させざるを得ず、世界的インフレと、諸商品の高騰を招いている」と発言した。(関連記事) 一方、欧州中銀の理事でもあるフランス中銀のノワイエ総裁は、6月25日の仏中銀の年次報告会の席上で「新興市場諸国は(経済が過熱しているので本来なら通貨供給の引き締めが必要なのに)為替をドルにペッグしているためアメリカの(供給急増の)通貨政策に合わせざるを得ないという、無理な政策を採っている。(ドルペッグをやめて)為替に柔軟さを持たせることは、新興諸国自身のために良いことだ。(ドル安になるので米企業の輸出が増え、新興諸国企業の対米輸出が抑制されて)世界の貿易不均衡も是正できる」と述べた。(関連記事) これらの3つの欧米中銀首脳の表明は、同時期に、ほぼ同じ内容で発せられている。米英欧の3者間で事前に打ち合わせを行い、欧米の総意として「中国やアラブ産油国はドルペッグをやめろ」と圧力をかけていくことを決定したと考えられる。 中国や中東などアジア諸国は従来、ドルペッグを維持するため、巨額のドル資産を抱えて米金融界を儲けさせ、米国債を買って米政府の財政を助けてきた。今回、欧米の中央銀行がアジア諸国のドルペッグをやめろと言い出したことは、これらの利点よりも、インフレ増大の悪影響の方が大きくなったことを意味している。 今回の表明はまた、米連銀によるドル通貨供給増大と利下げという金融危機対策が、世界的インフレの原因になっていることを、連銀自身が認めた点でも重要である。 ▼インフレで崩れる欧米金融協調 欧米が、中国やアラブ産油国にドルペッグを止めさせようとする圧力をかけたのは、今回が初めてではない。すでに2006年春、IMFとG7が、世界的な貿易不均衡(アメリカの赤字と、中国や産油国の黒字)を解消する目的で、中国やアラブ産油国(サウジアラビアなどGCC)にドルペッグをやめさせて対ドル為替を上昇させようとする提唱がなされている。 この時IMFは5極委員会(米、EU、日本、中国、サウジ)を作ったものの、日中サウジはペッグ廃止や為替の上昇に抵抗し、欧米の思惑を潰した。今回の米欧英の中銀による圧力は、IMFが作ろうとした「通貨5極体制」を再生するもくろみである。(関連記事) 今回、再び欧米が結束して中国やサウジにドルペッグの廃止を求めた背景には、アメリカが、住宅バブル崩壊の金融危機に起因する不況(利下げが必要)と、ドルの信用不安に起因するインフレ(利上げが必要)との板挟みになり、金利を上げることも下げることもできない状態になっていることがある。米連銀は先日の定例会議(FOMC)で金利を2%に据え置いたが、その一方で欧州中銀は、インフレの悪化を重視し、金利を4・25%へと上げていく方向にある。(関連記事) アメリカは不況色を強めているが、欧州経済はそれほど悪くないので、欧州中銀はインフレ対策を重視して利上げしたい。EUのインフレ率は目標値の2倍の4%となっている。欧州中銀は、主にドイツ連銀の思想を継承しているが、ドイツは第一次大戦後の超インフレが第二次大戦につながったという歴史的教訓から、インフレを何よりも敵視している。(関連記事) 欧州が利上げし、アメリカと欧州の金利格差が拡大すると、ドル売りユーロ買いが誘発され、ドルの信用不安と下落に拍車がかかる。アメリカの住宅バブル崩壊は、今年から来年にかけてさらに悪化することがほぼ確実で、米金融危機はおさまらず、金融救済のドル供給増も続くので、ドル不安とインフレは今後もひどくなる。ドル安ユーロ高の圧力は続く。欧米間の金利格差は90年代にもあり、当時は発足間もないユーロの方が危機になったが、今ではドルよりユーロの方が堅固だと投資家に見られており、今回の金利格差はドルに不利になる。(関連記事) しかしその一方で、アジアの諸通貨は、事実上100−110円に固定されている日本円も含め、公然・非公然にドルペッグしているため、ドル安ユーロ高はユーロの独歩高になり、欧州経済を悪化させる。このため欧州は、アジア勢にドルペッグを止めさせたいと考えている。(関連記事) ▼米中枢の暗闘としてのインフレ アメリカもアジア勢にドルペッグを止めさせたいが、その思惑は欧州と異なる。EUは、自分たちの経済力を維持するためにアジア勢にドルペッグをやめさせたいが、アメリカはもっと自滅的だ。第2次大戦後、アメリカだけが背負ってきた通貨覇権(ブレトンウッズ体制)を解体する多極化策の一環として、アジア勢にドルペッグをやめさせ、世界の通貨体制を多極化したいのではないかと感じられる。 多極化(覇権共有化)論は、私の世界分析が世間の常識と大きく食い違っている最大の独自点である。以前から私の記事を精読している人には良く知っている話かもしれないが、最近読み出した人には不可解であろう。以前からの精読者にとっては過剰な繰り返しになるが、今回も歴史的な話を以下に詳述する。 アメリカの自滅的な多極化戦略は1960年代に始まり、71年からニクソン政権で本格化した。ベトナム戦争での浪費、60年代の「偉大な社会」政策などに始まる財政の大盤振る舞いの結果、71年夏にドルの信用不安が悪化し、ドルを売って金を買う動きが国際的に拡大し、ニクソンは金ドル交換停止を宣言する「ニクソン・ショック」を起こした。ドル覇権(1944年以来のブレトンウッズ体制)の基盤だった金本位制が崩壊した。ニクソンは米議会にも同盟国(イギリス)にも相談せず、独断で金ドル交換停止を発表した。ニクソンは、多極的な世界体制を希求していた。(関連記事) その後、イギリスなどが主導し、ドルの外貨準備を蓄積していた日独を巻き込み、ドルは金本位制を廃止する代わりに先進国(今のG7)の協調介入によって為替を維持する新制度が作られた。だが、ドル自体の弱体化は続き、70年代を通じてインフレが激化し、世界各地で食糧暴動が起きた。1973年には中東戦争をきっかけに原油が高騰し、日本では同年、物価が年に30%上がる「狂乱物価」となった。 70年代の石油危機とその後の原油価格の高止まりは「アラブ対イスラエル」の政治対立が発端だが、私が見るところ、この対立構造には米英も絡んでいる。米中枢には、19世紀末以来の「大英帝国を解体して世界の覇権構造を多極化し、中国やロシア、アラブなど世界中の途上国を経済発展させ、そこに投資して儲ける」というニューヨークの資本家を中心とする多極主義者の勢力と、それに対抗する形で「大英帝国のノウハウをアメリカに移籍し、米英同盟を頂点とする世界覇権として維持する」という米英中心主義が対立的に併存する。 冷戦体制は米英中心主義だったが、ドル崩壊や米中関係改善を挙行したニクソン政権は「多極主義のクーデター」だった。これに対し、米英中心主義の側では、衰退するイギリスに代わって、イスラエル系の在米シオニスト右派が中心となって米政界の再乗っ取りが画策された。イスラエル系の台頭に対抗し、多極主義の側では、石油価格の操作方法を熟知しているロックフェラー家(スタンダード石油を起こして大成功した)などが、アラブの民族主義的な産油国を扇動し、1973年以来の原油高騰を引き起こし、イスラエル潰しと、米経済を破壊することによる世界経済の多極化を誘発した。(関連記事) 70年代の原油高騰が終わり、1バレル20ドル以下に戻ったのは80年代に入ってからだが、この背景にはおそらく、多極化を阻止していた冷戦を終結させる構想に、米英中心主義者の側が同意したことがあった。米英内で冷戦終結の合意ができた後、レーガンがゴルバチョフと話し合い、1989年に冷戦が終わった。多極主義者が好む、世界規模の自由市場化(経済グローバリゼーション)が実現し、米英中心主義のイギリスには、ロンドン金融市場の発展という「飴」が与えられた。 ▼多極主義者が繰り返す石油高騰作戦 その後の約10年、世界は比較的安定していたが、1998年のアジア通貨危機から2001年の911事件にかけて、冷戦後に冷遇されていた米英中心主義者の中の軍事産業とイスラエルが反乱を起こして米政界を乗っ取り、再び米英中心主義と多極主義の暗闘が激化した。自作自演的な911事件によって、米英中心主義者は、テロ戦争という「イスラム世界との100年冷戦」つまり「第2冷戦」を開始した。 これに対抗して多極主義者の側は、1970年代の繰り返しの作戦で、911直後から、国際原油価格の再高騰を誘発した。米英中心主義者が、イスラム世界やロシアなどの敵性諸国を威嚇するほど、イスラム世界やロシアなどの産油国は、反米感情を強め、ロックフェラー系などの石油価格つり上げ投機戦略と相まって、1970年代の石油危機と同様の石油高騰が始まった。 石油の高騰はアメリカにインフレをもたらした。2000年の軽度の不況以来、低金利政策を採っていた米連銀は、インフレ抑止のため2004年から金利上昇策に転じ、1%台だった短期金利は、06年には5%まで上がった。アメリカでは、米国民に借金させて消費を拡大したい米当局によって、02年ごろから住宅ローン(サブプライム)が急拡大していたが、その多くは金利変動型ローンで、04年からの金利上昇を受け、ローン返済ができなくなる人が06年以降に増えだした。(金利変動型ローンは、初期の3年ほどは低金利で、その後市中金利に連動する)。 米当局は、2001年からの石油価格上昇が、インフレ、利上げ、住宅ローン破綻につながることを十分予測できたはずだが、何も手を打たず、米経済の堅調さを誇張し続け、過度に楽観的な姿勢をとった。株高債券高を望む金融界も、喜んでこの誇張に乗った。住宅バブルの崩壊に対する懸念が早くから広範に発せられていたら、軟着陸が可能だったかもしれないが、事態はその逆だった(私は何度か警告記事を書いた)。(関連記事その1、その2、その3) 過度な楽観状態が続いていたため、米住宅バブルが崩壊して金融危機が07年夏に起きた時、市場の雰囲気は、一気に過度な悲観状態に転落した。社債市場全体に対する信用が失墜し、信用格付け機関も信頼されない状態になった。米連銀は、04年以来の金利上昇を止めて、07年9月から利下げに転じたが、今年初めにかけて、大して効果がないと事前に指摘されている大幅かつ緊急の利下げを繰り返し、市場の不安を煽った。(関連記事) 連銀は、短期金利を2%まで下げ、もう引き下げ余地がなくなったが、利下げの効果は少ない。住宅バブル崩壊や不況の本格化はまだこれからという状態だ。連銀は同時に、金融機関に対する救済融資を急拡大したので、インフレ傾向が強まった。米経済は、インフレと不況が併発して金利政策が不能になる「スタグフレーション」に陥った。これも1970年代の繰り返しである。 米財政は、イラクとアフガンの戦費、テロ対策や災害復興、景気対策、農業補助金、国民健康保険(メディケア)などの大盤振る舞いの結果、財政赤字が急増した。米財政の現況は、ニクソンの金ドル交換停止前の1971年と似た状況になっている。ゲリラ戦争の泥沼、原油急騰、インフレ、食糧暴動など、すべて1970年代の繰り返しとなっているが、これは米英の中枢で、世界の体制を冷戦型と多極型のどちらにするかをめぐる暗闘が繰り返されているためである。 米英中心主義者は、米英の単独覇権を維持するため、ロシアや中国、イスラム世界など、他の諸大国や、大国化しそうな勢力を、封じ込めたり侵攻・解体することを繰り返してきた。日独は惨敗させられ米英の傀儡となり、中国やロシアは封じ込められ、イスラム世界は分割されている。多極主義者は、市場の拡大や均一化を阻害するこれらの動きを止めようと考え、米英の覇権を自滅的に解体させ、米英が介入できない地域覇権国(中露など)を世界にいくつも作ろうとしている。 90年代末期のいわゆる「市場原理主義」は、市場の拡大化・単一化(グローバリゼーション)を希求する多極主義勢力の動きを過度に行うことで、汚名を着せている。半面、2002年からの「単独覇権主義」は、米英覇権の維持を希求する米英中心勢力の動きを過度に行うことで、汚名を着せている。相互に、相手がやりたいことを過度にやって失敗させることで、自陣営を有利にする複雑な戦略をとって暗闘している。 ▼70年代の日独、今の中国・GCC 中国は2005年から公然の対ドルペッグをやめて、人民元はドルではなく、ドル・ユーロ・円などの諸通貨を混合したバスケットに対するペッグに切り替えた。だが、毎日の人民元の対ドル為替の上昇幅は一定以下に規制されており、まだ事実上はドルペッグである。サウジアラビアなどGCC6カ国は、ドルペッグしたまま2010年に通貨統合する予定で、通貨統合後、ペッグする先を中国と同様に主要通貨バスケットに変えることになると予測されている。 中国もGCCも、以前からアメリカの圧力を受け、ドルペッグをやめる方向にあるが、転換の歩みはゆっくりである。中国もサウジも、ドルの覇権にぶら下がっていた方が楽だからだ。 しかし、ドルの信用不安に起因する世界的なインフレは悪化するばかりだ。1970年代の先例にしたがうなら、石油価格の高騰は政治的なものであり、今後もまだまだ続く。アメリカの不況、金融危機、ドルの信用不安、世界的インフレがひどくなる中で、中国もGCCも今後ドルペッグの維持は困難になり、どこかの時点でドルペッグからの離脱を加速せざるを得ない。今回のような米欧英当局からの圧力は、今後しだいに強まるだろう。 中国やGCCがドルペッグをやめると、その後の中国やサウジは、膨大なドルや米国債の外貨準備を持っておく必要がなくなり、長期的に、ドルや米国債の価値を下落させる。 イギリスなど米英中心主義の側では、中国とGCCがドルペッグをやめてもドルや米国債を売らないように仕向け、ドルの覇権が今後も維持されるようにしたいのだろう。欧米間の協調を基盤として、ユーロとドルの間に立って国際影響力を維持しているイギリスは、米とEUの両方の当局が、中国やGCCのドルペッグ離脱を求めている以上、英中銀も足並みをそろえないわけにはいかない。 だが1971年の先例を見ると、中国やGCCがドルペッグを離脱することが、必ずしも多極主義者の希望する通貨多極化につながるとは限らない。1971年にニクソンが金ドル交換停止によってドル覇権を自滅させた後、多極主義者の側は、経済大国として戦後の復興を遂げた日本や西ドイツが、アメリカの弱体化をテコに経済覇権の再獲得をすると考え、70年代には「日米独3極委員会」などが作られた。しかし、日本や西ドイツは、早急な国際影響力の拡大を望まず、イギリスなど米英中心主義の側は、この日独の姿勢を活用し、日独がドルの強さを維持するための市場介入に参加するG5の協調介入の体制を作り、ドルの覇権を守った。 (ドイツはその後、米多極主義者による冷戦終結の事業の一環として、1990年代に東西ドイツ再統合と、独仏を軸にしたEU統合を通じて、国際影響力の拡大を実現したが、日本は相変わらず対米従属だけを国是にし続けている) 現在、中国もGCCも、早急な国際影響力の拡大を望んでいない。そのため中国やGCCが経済的な理由からドルペッグを離脱したとしても、イギリスなど米英中心主義によって、70年代の日独のように、うまく取り込まれて米英中心の世界体制の枠内にとどまり、ドルの覇権は今後も守られるかもしれない。 ▼米経済は40年の長期低落傾向 1970年には、ニクソンがドルをクーデター的に自滅させた後、米英中心主義者が右往左往して何とかドル覇権を維持したが、今回は自滅策への対応が先制的に採られている。3月末のベアースターンズ破綻までは、米連銀が多極主義的な無茶苦茶を繰り返したが、その後は米英中心主義的な延命策が静かに発動され、6月にありそうだったリーマンブラザーズの破綻も回避された。ドルの破綻は先制的に防御されている。 とはいえ、1970年代と現在の状況は、かなり異なっているのも事実だ。その一つはアメリカの経済力である。アメリカの経済力は、1950−70年代がピークで、70年代の混乱は、米経済の低落傾向の初期にあたる。その後90年代には金融革命による米経済の一時的な復興があったが、それは98年のアジア通貨危機までで終わり、その後は金融的延命策が続いている。今の米経済は40年間の長期低落傾向の末の状態であり、今回の不況・金融危機・ドル不安・インフレの4重苦の後、米経済の状況はさらに悪化する。ドル覇権の維持は、70年代よりもずっと困難になっている。 70年代と今回の違いのもう一つは、70年代に台頭した日独は第2次大戦の敗戦国であり、米英の傀儡として戦後の再出発を強いられた存在だったのに対し、今台頭している中国は戦勝国であり、国連安保理での拒否権など、国際政治的影響力をすでに持っている点だ。しかも今の中国は、ロシアなどBRICやイランといった反米系の国々との協調関係を強化し、多極型の世界体制を望む傾向を強めている。 前回の記事で紹介したフレッド・バーグステンによる多極主義的な「米中で世界経済を運営する2Gサミット」の提唱は、おそらく今回の米欧英中銀の中国などに対するドルペッグ離脱要求と連動したものである。バーグステンは「米中を主軸とするなら、G2の代わりに、IMFが作ったG5の通貨5極体制(米中EU日サウジ)でも良い」と主張している。 ▼アラブ人に国際通貨の運営ができるか サウジアラビアなど中東産油国も、1970年に石油危機を起こしたころとは、かなり様相が違う。70年代には、中東産油国は原油高騰で儲けた資金のほとんどを浪費してしまったが、今回の高騰では、産油国は再投資やインフラ整備などに力を入れている。しかも今回の原油高騰は、911後のアメリカの過度なイスラム敵視によって中東で反米的なイスラム主義が強まっている中で起きている。今のところ、サウジなどGCCはまだ親米を貫いているが、今後、米イスラエルとイランとの戦争が起きる可能性が残っており、この戦争が起きると、状況が一変するかもしれない。 イスラエルは、近隣のシリアやヒズボラ、ハマスとの和解を進めているが、同時に米イスラエルとイランとの対立は深まり、米議会は近くイランを海上封鎖できる法律を成立させる。この法律は、イスラエル系のロビー団体AIPACの圧力によって提案されている。海上封鎖は戦争行為である。イスラエルは、来るべきイランとの戦争の際、近隣のシリア、ヒズボラ、ハマスがイランに味方してイスラエルを攻撃してくることを避けるため、3勢力との和解を進めているようにも見える。(関連記事) 米イスラエルとイランとの戦争が起きても、イスラエルの思惑どおりになれば、戦争は限定的になるが、昨今の中東全域のイスラム主義の高まりを勘案すると、イランが攻撃されたら、ヒズボラやハマスがイスラエルを攻撃して「中東大戦争」になるかもしれない。サウジなどGCCやエジプトといった親米アラブ諸国が、親米をやめてイランに同情せざるを得なくなる可能性も高まる。 イランのアハマディネジャドは昨年末から「GCCはドルペッグをやめて主要通貨バスケットへのペッグに切り替え、通貨統合すべきだ。OPECはドルではなく、GCCの統合通貨で原油の価格を表示するようにすべきだ」と主張し続けている。サウジが親米である限り、このイランの提案はOPECで採用されないが、今後、中東で戦争が拡大し、サウジがイスラム主義の世論に押され、親米色を薄めざるを得なくなると、OPECがドル建てをやめる可能性が出てくる。(関連記事) ドルの信用不安が拡大していきそうな以上、OPECが原油をドルではなくGCC通貨で表記して売ることは、しだいに経済的にも合理的な話になってくる。 GCCは、これまで一度も独自の通貨運営をしたことがない。1970年代にドルペッグする前は、英ポンドと連動するインドのルピーを通貨として使っていた。GCCには、通貨統合や独自の通貨運営をする能力がないという見方もある。しかし半面、今のGCCには、石油収入から来る巨額の富の裏づけがある。通貨運営の技能をどこからか調達できれば、ドルペッグ離脱と通貨統合を成し遂げ、強い独自通貨を作ることが可能だ。 中国政府もつい数年前まで通貨運営の能力は低かったが、ゴールドマンサックスなど米多極主義的な勢力からの技能伝授のおかげで、ここ数年で通貨のマクロ管理能力を大幅向上させた。中国人に劣らず利にさといアラブ人も、同様の技能向上ができるはずだ。 ▼極としての自覚がない日本 米英中心主義者と多極主義者の暗闘、米金融危機とドル不安の今後の展開、ドルペッグ離脱に対する中国やGCCの躊躇などの不確定要因があり、現状が延命される期間がどのくらいの長さになるかは不透明だが、長期的には、世界の通貨体制は今後、ドルの単独覇権から、多極的な体制へと転換していく方に進みそうだ。既存のドル・ユーロ・円に、中国人民元とGCC通貨を加えた5極体制のほか、豊富な石油ガス収入を備蓄するロシアのルーブルも、基軸通貨に立候補している。 このような5極や6極の体制の中で、他国に従属する展望しか持たない唯一の国は、日本である。IMFの通貨5極体制では、日本は「極」(大国)の一つに指定されているが、日本人自身には「世界の極の一つになる」という認識が全くない。マスコミや政界での議論にもならない。日本政府は、対米従属を1日でも長く続けることだけを考え、世界の多極化の流れを意図的に無視している。 2002年ごろには、日本と中国、韓国、ASEANの通貨を加重平均した「アジア通貨バスケット」を、ドルに代わる東アジアの共通通貨として活用する構想があった。だが、その後の日中対立(日本の対米従属固執)の中で立ち消えになり、今では中国は、単独での人民元の国際化を模索している。(関連記事) アメリカが今後もアジアに覇権を行使し続けてくれるなら、日本は対米従属でかまわない。だが、今回の通貨5極化への誘導や、北朝鮮核問題での中朝に対する近年の譲歩を見ると、アメリカは日本の願望を無視し、アジアの運営を中国に任せ、世界の覇権構造を多極化していきそうである。今後も世界の多極化が進むとしたら、日本はいずれ対米従属ができなくなる。 じり貧を避けるには、日本は早く「極」としての自覚を持たねばならない。中国やロシアといった近隣の他の大国(極)との協調関係を強化し、お蔵入りしている「アジア通貨バスケット」を日本主導で再生するなど、世界の多極化に対応する新たな国家戦略が必要になっている。
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