世界経済の多極化とクラッシュ2007年4月24日 田中 宇先週、IMF(国際通貨基金)は、半年ごとにまとめている世界経済の見通し報告書である「世界経済展望見通し」(World Economic Outlook)を発表した。報告書は、2003年から06年までに年平均で4・9%の成長をした世界経済は、今後2年間も同様の4・9%の成長率を維持すると予測している。アメリカの経済は減速し、成長率は06年の3・3%から07年には2・2%に下がるが、日本や欧州、中国、インドなどの経済成長がアメリカの落ち込みを補い、世界全体としては高成長が維持されるだろうと報告書は予測している。(関連記事) 世界経済は従来、アジアが生産し、それをアメリカが消費することで牽引されていた。アジアの製造業の儲けはアメリカの金融市場に投資され、アメリカはその金を使って金融やサービス業によって儲けを出し、それでアジアから輸入した製品を消費する金を得る仕掛けだった。加えて、この数年間のアメリカの住宅価格の上昇も、米国民が自宅を担保に金を借り、その金で消費するメカニズムを生み出した。だが、昨年からの住宅バブルの崩壊で、そのからくりは終わりつつある。 IMFは、米経済が減速し、アジアが生産した商品を消費できなくなっていることを指摘している。だが同時に、アジアは内需や、欧州や中近東、中南米などアメリカ以外の地域への輸出を増やせるので、米経済が減速しても、その悪影響は世界の他の地域にはほとんど波及しない、と分析している。アメリカは不況になるかもしれないが、世界経済はそこから隔離されているだろうという「隔離説」(global decoupling)を採用している。世界経済の消費の牽引役は、アメリカ一国から、EU、日本、中国、インドなどへと多極化されるという分析である。(関連記事その1、その2) ▼米経常赤字は良いこと?悪いこと? これに対し、アメリカの投資銀行であるモルガン・スタンレーの主席分析者(チーフ・エコノミスト)であるスティーブン・ローチは「IMFの見方は甘い」「アメリカは不況に陥り、それは世界中に波及して世界的な不況になるだろう」「隔離説は間違っている」と主張している。(関連記事) ローチによると、米の経済減速はまだ本格的なものではない。今はまだ、不動産バブル崩壊の影響が、米経済の他の分野に大して波及しておらず、消費の減退や、株価など金融市場の悪化が起きていない。だが今後、不動産バブルの崩壊はもっと深刻化すると予測され、それは消費の減退、金融市場の悪化に結びつく。 金融市場が悪化すれば、それはすぐに世界に波及し、世界経済に打撃を与える。すでにその兆候は、今年2月の世界株安によって見えている。IMFは、不動産バブル崩壊がまだ金融市場の悪化につながっていない現状までの分析を今後の見通しに直結させているが、それは過度に楽観的であるとローチは分析している。(関連記事) ローチは2004年に、増え続けるアメリカの財政赤字と貿易赤字(経常赤字)を見て、このまま行くとアメリカは経済的に破綻するという「経済ハルマゲドン」の予測を発表し「アメリカがハルマゲドンを回避できる可能性は10%だ」という非常に悲観的な主張をしている。(関連記事その1、その2) 一般に、ローチの分析は悲観的すぎると考えられている。たとえば4月19日のフィナンシャル・タイムスの記事「The dollar may be volatile but pessimists are wrong」は「アメリカが経常赤字を減らすにはドルが今より3−4割下落せねばならないと考える人も多い。だが、アメリカの金融市場は利回りが高いので世界から資金が流入し、ドルはみんなが欲しい通貨だ。世界の貯蓄の21%が米金融市場に投資されている。米金融市場が今のような魅力を保っている限り、ドルは下落しない」と主張している。ローチが破綻の原因と考えるアメリカの経常赤字増について、FTの記事は、投資先としてのアメリカの魅力を示す現象であり、悪いことではないと書いている。 私は、このFTの記事は楽観方向に歪曲されていると考える。FTは「投資先としてのアメリカが魅力的だからドルは急落しない」と書いているが、実際には、アメリカは昨年、数十年ぶりに、国際投資収支が赤字になった。外国人がアメリカに投資した利益より、アメリカ人が外国に投資した利益の方が大きくなった。もはや投資先としても、アメリカよりも中国やインドなどの方が魅力的になっていることを示している。FTの指摘は、もはや古い。(関連記事) ▼自滅的な保護主義の台頭 ブッシュ政権下のアメリカの経済成長は、3つの要素で持っている。一つは以前の記事に書いた住宅価格の高騰で、これはすでに終わりつつある。二つ目は、アジアなどからの投資の流入で、それも上に書いたように終わりつつある。三つ目は、前任のクリントン政権が8年間で貯め込んだ財政黒字を、ブッシュが6年間で大赤字にした財政の大盤振る舞いであるが、これもアメリカの財政赤字はすでに危険水域にある。これ以上増やし続けると、これまで財政赤字を米国債購入のかたちで引き受けてくれていた諸外国の中央銀行が不安を募らせ、米国債を買わなくなって行き詰まる。 米政府だけでなく米議会の民主党も愚かなのは、世界で最も大量に米国債を買ってくれて、昨年は米の財政赤字の47%を吸収してくれた中国に対し、製紙業などに対して不正な補助金を出しているとして、貿易紛争を仕掛け始めたことである。今後、米中間の貿易摩擦が激化した場合、中国は対抗策として、米国債を買わなくなるかもしれない。中国の高官が「もう米国債を買わないかも」と示唆しただけで、債券市場はパニックに陥り、アメリカの長期金利が高騰し、米経済に打撃を与える。3月末、米政府が、中国からの紙製品の輸入に制裁関税を課すと発表したとたん、一時的にドルが下落している。(関連記事その1、その2) 中国経済は、対米輸出で持っているのだから、中国政府が米国債を買わなくなるはずがない、という指摘が良くあるが、それはもはや古びた見方になりつつある。中国はアジア域内や欧州、中近東、アフリカ、中南米などへの輸出を急増させており、対米輸出に頼る割合は減っている。IMFの世界経済見通しに書いてあるとおりだ。(関連記事) ▼多極化の悲観論と楽観論 IMFは国連の機関だが、事実上、米政府が動かしている。IMFは昨年以来、ブッシュ政権が進めるアメリカの衰退に対する備えを世界に行わせようとしている。米経済が破綻しても、世界経済が長期のマイナス成長に陥らないよう、経済面でアメリカ以外の主要な国々(日本、中国、サウジアラビア、EUなど)に、内需の増強や、新規の地域通貨の創設などをさせて世界経済を多極化させようとする政策を、IMFは推進している。(関連記事) こうしたIMFの姿勢から考えると「米経済は減速するが、世界の他の地域の経済成長と相殺され、世界経済全体では高成長が続く」という予測が出るのは当然である。これは現実を冷徹に分析した上での予測というより、ブッシュ政権が望んでいるシナリオである。 ローチとIMFの分析は、同じシナリオの中の悲観論(ハードランディング、クラッシュ予測)と楽観論(ソフトランディング予測)である。このシナリオは、私がこれまでに何度も書いてきた「多極化」の筋書きでもある。私は「ブッシュ政権は、世界を多極化するため、意図的に自国を衰退させている」と分析しているが、ローチやIMFは、そのようには考えていない。 しかし、意図的かどうかを別にすると、私とローチとIMFはいずれも「アメリカの経済覇権は低下しつつあり、中国や日本やEU、インド、ペルシャ湾岸諸国などの経済重要性が上がるという経済多極化の過程にある」と分析している。 ▼スムーズではない経済多極化 アメリカの覇権は、経済・軍事・外交の3面に分けることができ、ドル下落や米経済破綻の予測は、経済覇権の衰退予測である。私が見るところ、アメリカの軍事・外交の覇権は、イラク戦争とテロ戦争の失敗によって大幅に浪費されており、今後起きるであろうイラクからの米軍の撤退によって、覇権の喪失が顕在化することは、ほぼ確実である。同様に、ブッシュ政権は、経済の面についても、財政支出の浪費や、減税と戦争を同時にやっており、メディケア(米政府の老人向け健康保険)の保険適用を拡大しすぎて2018年までに政府の保険財政の破綻が予測されている。(関連記事その1、その2) 私の仮説では、ブッシュ政権は、覇権を多極化することで長期的な世界全体としての経済成長を増大させようとしており、そのために意図的にアメリカの覇権を破綻させている。経常赤字・財政赤字の増大は、その一つの側面である。 私が見るところでは、IMFが予測するようなスムーズな多極化が進む可能性は低く、ローチが言う「経済ハルマゲドン」がいずれ起きる可能性の方が高い。日本も中国もサウジアラビアも、アメリカの覇権の一部を自国が肩代わりしたいとは考えておらず、そのため多極化はスムーズには進みそうもない。中国やサウジアラビアは、アメリカが自滅するから、仕方なく覇権の一部を肩代わりし始めている。(関連記事) 日本は、いまだに対米従属を続けたいと考えている。そのために円の金利を上げず、アメリカの金融市場に資金を流入させて崩壊を先延ばしにする円キャリー取引を誘発し続けている。これでは、世界経済は多極化の方向にソフトランディングしない。ハードランディングの可能性の方が大きくなる。 いったん米経済が落ち込んで、ドルが下落したら、ドルが世界の決済通貨として使えなくなり、代わりに中近東や東アジア、中南米などで、ドルに代わる地域の決済通貨を作ろうとする動きが今より活発化するだろう。アメリカは、経済覇権そのものであるドルの基軸性が失われると、従来のような金融市場だけを使った国富の蓄積ができなくなる。 その後のアメリカ経済の復活は製造業などの輸出に頼るしかなくなるが、ビッグスリー(自動車産業)の経営難に象徴されるように、すでに米の製造業は死んでいる。米経済は2010年代に低迷しても、アメリカ人はアイデアが豊かなので、2020年代には復活するだろうが、そのころには中国やインドが台頭し、世界はすっかり多極化している。アメリカはカナダ、メキシコや中南米を重視するようになるだろう。 ▼デリバティブで見えなくなっているリスク 2000年のアメリカのITバブル崩壊による金融危機の後、911直後の下落などはありつつも、金融市場は表向き、おおむね好調な時期を続けてきた。しかし、この間にアメリカは、03年のイラク侵攻を機に、潜在的な覇権衰退の過程に入った。そして、今年2月末の一時的な世界同時株安は、それまで潜在的にのみ存在していたアメリカの経済面での覇権衰退の危機が、実際の金融市場の危機として表面化した現象の始まりだった。(関連記事) 2月末の危機の根本にあったのは、アメリカの金融市場への資金流入の源泉となっている「円キャリー取引」の仕掛けが、日本の利上げによって崩れるのではないかという懸念だった。その後、日本の利上げは進まず、アメリカの金利も、景気後退とインフレ懸念がバランスしており下がりそうもないので、円キャリー取引の基本要件は崩れず、むしろその後円キャリー取引が再び活発化し、その影響で円安になっている。株価は再び上昇に転じ、「ボラティリティ指数」も、再び落ち着いた値動きになっている。 だが、2月末の一時的急落で露呈した危機の構図は、今も変わっていない。2月の急落の引き金は、中国当局が経済過熱を恐れて冷却化措置を採ったため中国の株価が下落したことだったが、中国では最近再び、当局が冷却化措置を採るのではないかという懸念が再燃し、4月19日に株価の急落が起きている。これを見て、同日付けの英エコノミスト誌は、近いうちに再び中国発の世界的な株価急落が起きるかもしれない、と指摘している。(関連記事) エコノミスト誌は、現在の危機について、リスク回避(ヘッジ)のための金融取引であるデリバティブ取引によって、投資家の多くはリスクが減ったと考え、リスクに対して無頓着になっているが、これは危険だと書いている。デリバティブはリスクの先送りでしかなく、市場全体としての潜在的なリスクは減っていない。 アナリストは、毎日膨大に流される経済情報の中から、都合の良いものだけを拾い集めて「米経済の先行きは明るい」という投資家向けレポートを書き、投資家はそれを軽信し、リスクを考えずに米金融市場に投資している。だが、米経済の状況を全体的に把握すると、楽観できる状態には見えない、とエコノミスト誌は指摘している。 ▼円高の悪影響は減っている 今後、2月末の危機よりもっと大きな金融市場の世界的な下落が起きる懸念がある。いずれ、円キャリー取引が終わり、円高ドル安になる。アメリカの消費力は落ちる。日本経済には大打撃だ、と多くの人は思うだろう。しかし日本は中国同様、アメリカ以外の国々への輸出が増えている。日本経済に占める対米輸出の割合は3%弱で、6%の中国、10%の東南アジア諸国などより、米市場縮小による悪影響は少なくなっている。(関連記事) 最近では、大手製造業の生産が世界化した結果、「為替高は輸出企業に不利」という見方自体、古いものになっている。ここ数年、ユーロは円やドルに対してかなり値上がりしたが、欧州の製造業は儲かっている。ドイツのフォルクスワーゲンは今年、過去最高の利益を上げると発表した。ドイツの経常黒字は、日本や中国より大きい。EUは、従来はユーロ高を嫌がっていたが、もはや気にしなくなった。大手製造業は、部品生産を世界に分散しており、ユーロ地域で売る自動車も、部品は北米やアジアで作っているので、為替の問題は、以前ほど大きな懸念ではなくなった。(関連記事) いずれドルが下落して国際決済通貨としての機能を失ったら、その後のアジアでは、日本、中国、韓国などの諸通貨を加重平均したアジア共通通貨を作る必要が高まる。その構想は、以前からIMFやアジア開銀が推進していたが、対米従属を続けたい日本が、小泉靖国参拝などで、中国との協調を拒否していたため、進まなかった。(関連記事その1、その2) しかし最近では、日本と中国の通貨当局が、外貨保有の一環として、相互に相手国の通貨を持ち合う協調関係を強めている。きたるべき国際金融のクラッシュと、ドル基軸の喪失の後、日中は、アジア共通通貨につながる協調を強めざるを得なくなるだろう。(関連記事)
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