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アメリカ経済の延命策の終わりとその後

2007年3月6日   田中 宇

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 先物取引の市場であるアメリカのシカゴ・オプション取引所が発表している株価の指標の一つに「ボラティリティ指数」(VIX)というのがある。「ボラティリティ」とは、株価が今後どのくらい上下しそうかという「変動性」「予想変動率」のことで、ボラティリティ指数は「S&P 500」(アメリカの主要500銘柄の株価指数)のオプションの変動をもとに算出される、市場が株価の今後の変動についてどう見ているかを示す数値である。この指数が大きいほど、オプションの変動率から考えて今後の株価の変動、特に下落方向への変動が激しくなりそうだということを示している。

 VIXの指数は、アメリカでハイテク株バブル崩壊によって株価が下落した時期にあたる1999年から2002までは、20から40の比較的高い水準だったが、その後低下し、特にここ数カ月は、10前後という史上最低の水準が続いていた。こうした動向は、アメリカの株価は変動しないだろうという予測が最近の市場を席巻していたことを物語っている。(関連記事

 ところが2月27日、VIXは、前日の10・52から、一気に70%も上昇して19・01にはね上がった。この日、中国の上海を皮切りに、アジアとアメリカなど全世界の株式市場が急落した。そのため、株価の先行きが急にあやしくなり、VIX指数も高騰した。70%の上昇は、VIXにとって史上最高である。2001年の911事件直後にも上昇したが、上昇率は30%だった。(関連記事

 2月27日は世界同時株安だったのだから、VIXが急上昇するのは当然だし、上昇したといっても数値はまだ20以下で、史上最高値である40以上の半分でしかない。今後、再び株価が安定すれば「株式市場のパニック度」ともいうべきVIXは再び低下する。

▼変動性と円キャリー取引

 しかし、私が特にVIXの数値に関心を持ったのは、これが株価だけでなく円高にも関係しているからである。これまでにVIXの指数が短期間に急上昇したことは何回かあるが、最大幅の高騰は1998年で、東南アジアからロシア、中南米など世界に金融危機が広がったときである。指数は、短期間に15から45にはね上がった。同じ時期に、円相場は1ドル150円前後から110円前後へと急激な円高になったが、両者は関係があった。

 当時すでに日本はバブル崩壊後の金利引き下げの後で、短期金利が0・5%だったのに対し、他方アメリカの短期金利は5%前後で、最近と同様、4%以上の金利差があった。(関連記事

 欧米の機関投資家、特にヘッジファンドの中には、ゼロ金利でコストの安い(利払いが少ない)円建ての借り入れを行い、その円資金を為替市場でドルに替え、高利回りの新興市場に投資して大儲けするところが多かった。いわゆる「円キャリー取引」といわれる手法である。この手法は円売りドル買いが必要なので、為替市場の円安を加速させる。

 98年の金融危機で世界的に株が急落し、新興市場諸国の為替も下落した。これにより、新興市場に投資していたヘッジファンドなど機関投資家は損失を出して投資を手じまい、円キャリー取引も終わりにしたため、円買いドル売りが大量に発生し、急激な円高になった。この時期、株価の下落が起きる直前から、株価の先行きへの懸念が急に強まり、VIX指数は急上昇した。

 その後、2000年にはアメリカでもハイテク株のバブル崩壊で急激な株安と不景気になった。米当局は、経済テコ入れ策として金利を大幅に下げ1%台にしたため、01年以降は日米の金利差が2%未満となり、円キャリー取引のうまみはなくなり、残高は急減した。

▼日本のゼロ金利延長はアメリカのため

 この状態は3年続き、アメリカでは低金利を受けて住宅ローンの貸し出しが増えて住宅建設が盛んになり、耐久消費財も売れ出して景気が好転した。だが、2004年後半から、石油価格の高騰によってインフレ懸念が強まったため、連邦準備銀行は金利を上げざるを得なくなり、短期金利は04年夏の1%からしだいに上がり、06年夏以降は5・25%になった。この間、日本はゼロ金利政策を続け、短期金利は0・1%のままだった。そのため再び、日米間の金利差を使って円キャリー取引が急増した。

 日本側は、1ドル120円前後の円安を維持する努力もおこなっていたため、日米間では、大きな金利差と、為替変動性の低さという、円キャリー取引には格好の2つの条件が維持された。金利ゼロの円キャリー取引で調達された資金がアメリカの株式市場などに投資され、アメリカの株は上昇し、金融市場の活況が続いた。日銀はゼロ金利政策を続けることで、アメリカの株価上昇と、ブッシュ政権の支持率の下支えに貢献したことになる。政治的に深読みするなら、米政府が日本政府に「ゼロ金利を続けてほしい」と要請し、日本政府が日銀に「ゼロ金利を解除するな」と圧力をかけていたと思われる。

 昨年以来、日本では、日銀が金利を上げるべきかどうかが議論され続けている。これは表向き、日本がデフレを脱したかどうかという純粋な「経済」の議論ということになっているが、実は「政治」が入っている。本質的には「デフレを脱したのだから金利を上げた方が良い」「円キャリー取引の増大は不健全なので、利上げをして解消した方が良い」という経済重視派と、「ブッシュ政権が日本のゼロ金利を望んでいるのだから、利上げはダメだ」という政治重視派の対立である。

 日銀の金利上昇の議論は「少しずつ利上げしていくのが良い」という結論になり、さる2月21日、日銀は0・25ポイント利上げして、短期金利は0・5%となった。まだ日米の金利差は5%近くあり、今後も日銀はゆっくりとしか利上げしないだろうから、今回の利上げだけで円キャリー取引が急減するとは考えにくい。だが、日銀の利上げの翌週、世界的な株安によってVIX指数が急上昇するなど、市場全体の変動性が上がる兆候が見え出した。

 円キャリー取引は、大きな金利差と、小さな変動性が条件だから、今後1年ぐらいの間に、円キャリー取引のうまみが失われ、残高が大幅に縮小する可能性が大きくなっている。金融界では、1998年と同規模で円キャリー取引が大幅縮小した場合、円買いドル売りが進み、1ドル85円前後まで円高が進むと予測されている。

▼住宅バブルという延命策の終わり

 今後、円キャリー取引が縮小するとしたら、その影響は、円高として表れるだけでなく、アメリカの株式相場の急落にもつながりかねない。円キャリー取引の終わりは、アメリカの機関投資家にとって、自国の金利上昇から逃れて低金利の資金を得る方法の消失になる。資金のコストが上がり、投資をやめざるを得なくなり、株価を押し下げる。

 アメリカ経済は、01年に低金利政策が導入されて以来、低金利という「お金のコストの安さ」をテコにして成長してきた。低金利の住宅ローンで家を買い、みんなが家を買うので住宅価格が上がり、住宅を担保にして金を借りることが流行し、米国民はその金で自動車や家具を買ったり、株式投資をしたりした。株価は上がり、米経済は成長した。

 しかし、04年からの利上げによって、住宅ローンのかなりの部分を占める「金利変動型ローン」を組んでいた人々がローンを支払えなくなり、アメリカでは昨年、住宅ローンを組んでいる92世帯に1世帯が破綻し、住宅ローンのノンバンクが2カ月間に22社倒産している。住宅着工は減り、自動車など耐久消費財の消費も急減している。住宅バブルの崩壊で、米経済は不況に陥りつつある。(関連記事その1その2その3

 自宅を担保に金を借りて株式投資していた人々は、代わりに証券会社から金を借りざるを得なくなり、株式の証拠金取引の残高が急増している。今後、米経済が不況の兆候をさらに強め、株価が下落傾向に入ったら、証拠金取引をしている人々は「追い証」の支払いを要求されて投げ売りせざるを得なくなり、株価の下落に追い打ちをかける。非常に危険な状態が始まっている。前回、アメリカで証拠金取引が急増したのは、2000年のハイテク株バブル崩壊の直前だった。(関連記事その1その2

 資金の流れを見ても、すでにアメリカは投資先として敬遠されている。昨年後半以来、世界からアメリカに流入する投資資金が先細っている半面、アメリカから世界に流出する資金が急増している。マスコミの論調に騙されている一般市民の投資家は、まだアメリカ市場に投資しているのだろうが、状況を冷徹に分析している大手の機関投資家は、すでにアメリカ市場に見切りをつけ、逃げ出している。(関連記事

「住宅ローンなどの借金の問題が解決するまで、アメリカの株は下落傾向を続けるだろう」と予測する分析者もいる。アメリカでは国民の個人預金の平均値がマイナスで、預金より借金の方が多い状態だ。連邦政府も大赤字で、減税を続けているので赤字は増える一方である。借金の問題が解決するまでには、大きな経済的な被害が出ること予測される。(関連記事

 低金利という米経済の延命策は、終わりになりつつある。まだ、米当局はほかの延命策を持っているので、まだこの先、しばらくは相場は持つかもしれないが、本質的な経済状況の好転にはならない。アメリカも、その他の世界も、経済的にこれから大変な時期に入りそうである。

(アメリカでは2002年前後にエンロン事件やワールドコム倒産など、企業会計の粉飾が明らかになる事件が相次いだ後、企業会計に対する監査の義務を強化する「サーベインズ・オックスレイ法」が作られたが、米財務省は昨年から「監査が厳しすぎて米企業が国際競争に勝てなくなっている」と主張し、この法律の緩和を検討している。緩和が実現すると、当局は粉飾決算を今より大目に見るようになり、企業は業績を良く見せることを以前より大胆にやれるので、株価のテコ入れ策として機能する。腐敗と交換に株高を得る延命策である)

 911以来の「テロ戦争」によって、アメリカのマスコミは政府のプロパガンダに乗らざるを得ない状況を作り出しているが、この状況は経済報道にも及んでいて「アメリカ経済は好調だ」という論調が目立つ状態が続いている。アメリカのマスコミの論調を「お手本」にする対米従属の傾向が強い日本のマスコミも、同様の論調を流しているが、これらの論調は、米政府の宣伝戦略に乗せられたもので、実際の状況を反映していない。実際には、ここ2年ほどの間に、米経済が抱えるリスクはどんどん大きくなっている。

▼G5が変動性を下げ、投資が国際化

 世界経済は、1980年代から変動性(ボラティリティ)を低下させる方向に動き、変動性の低さが、経済の国際化と成長性のカギになってきた。世界には多くの国があり、それぞれが金利や通貨、株式市場を持っている。自国で金を借りて他国に投資する場合、自国と相手国の金利や為替の先行きを予測しなければならないが、諸市場の変動性が高いと、予測が難しくなり、投資のリスクが大きくなる。金融の国際化には、変動性の低下が必須である。

 前回の記事にも書いたが、米英中心の欧米の経済は1970年代に成長のピークを迎えた。米英の投資家は、もっと利回り(成長率)の高い、他の国々への投資を増やしたいと考え、それが金融の国際化という、他の先進国を巻き込んだ米英の国家戦略を生んだ。最初は秘密会議としてG5(先進国首脳会議)が作られ、為替や金利を先進諸国の間で協調(談合)して変動性を下げるようにした。

 G5は、1985年のプラザ合意(日独の通貨切り上げ)で存在が暴露され、G5(G7)は秘密会議から公開会議に代わり、為替目標値などを発表するようになった。これによって、世界的な為替や金利の「目標値」が定められ、市場は目標値から逸脱しにくい傾向が強まり、さらに変動性が下がった。この変動性の低下を前提に、米英の資本が世界に投資され、貯蓄率の高いアジア人の資産も世界に投資されるようになった。この傾向は、1990年代に「経済グローバリゼーション」として喧伝され、投資の国際化が進んだ。

 G7は、世界的な投資を活性化するため、先進国の全体の金利が下がるように誘導した。インフレ率を勘案した先進7カ国の短期金利の平均は、1980年代には5%以上だったが、90年代には2%台に下がり、02年からはマイナスとなった(アメリカの利上げにより、05年以来再び上昇しているが)。

 90年代には、先物やオプションなど「デリバティブ」と呼ばれる金融派生商品が次々と新たに作られ、相場の上昇時だけでなく下落時にも儲けられたり、相場が動いても損失を回避(ヘッジ)できたりする便利なメカニズムも作られた。ヘッジ機能を多用する投資家が増えた結果、相場が変動すると逆方向の売買が自動的に入るようになり、世界的な相場の変動性の低下が進んだ。変動性の低下は、人々が安心して取り引きできる環境を生み出し、世界の投資の総額は増え続けた。

 デリバティブは、借金で投資する信用取引と並んで、少ない資金で大きな投資ができるので「レバレッジ」(てこ)と呼ばれるが、この仕組みの普及によって、投資の効率はいっそう上がった。

 このように金融市場は「進化」したように見える。だがその半面、円キャリー取引に象徴されるような、低金利と低変動性を前提にした投資が多く、デリバティブの複雑な手法を使い、レバレッジを使って少ない元手で巨額の投資をしている(つまり失敗した場合の余力がほとんどない)投資が多いため、予期せぬ展開によって市場の変動性が急に上がった場合、ひどい破綻の状況になる懸念が大きくなった。

 レバレッジやデリバティブの増加により、各国の金融当局も、破綻した場合の被害を事前に推定できなくなっている。為替、金利、株価などの指数のどれかが崩れると、金融市場全体が大きく崩れてしまうという連鎖反応の傾向が強まった。

 アメリカでは、すでに金利が上がっている。ドルに対する信用が低下し、為替も潜在的に危険である。不況に陥りそうなので、株価も危ない。これらのアメリカの危機によって、すでに世界の金融市場は、構造的な危険水域に入っている観がある。

▼多極化する世界経済

 前回、1998年から2000年にかけて、世界的な通貨危機、新興市場投資ブームの終焉、アメリカのハイテク株バブル崩壊による株安という混乱期があった。その混乱は、01年からのアメリカの低金利による住宅市況の上昇という新たな延命策によって収束し、05年までの米経済の活況につながった。しかしその延命策も、今起きている住宅バブルの崩壊によって終わりつつある。今後、世界経済の延命策もしくは新たなシステムの導入はあり得るのか。それを考えた場合、一つの答えとして浮上しそうなのが「多極化」である。

 2月27日以来、アジアなど世界の株価が下落しているが、下落の最大の要因は「米経済が不況に陥ると、対米輸出で儲かっていたアジアなどの製造業が赤字になり、アジア経済も不況に陥る」という懸念である。

 しかし、英エコノミスト誌によると、世界経済はすでに、アメリカの経済成長に頼らなくても、内需や各地域内の需要によって動いていける状態になりつつある。アメリカの経済成長は年2%以下に下がったが、ユーロ圏、日本など他の先進国は4−5%の成長率を維持し、中国やインド、中近東なども高成長を持続している。アメリカの経常赤字の増分は、世界経済の成長額の0・2%を占めるにすぎない。「アメリカの消費が世界経済を牽引している」という見方は、すでに非現実的な誇張だという。(関連記事

 同誌によると、中国経済は昨年11%成長したが、そのうち輸出から輸入を差し引いた純輸出の額は2・2%しか伸びておらず、しかもその伸び率は一昨年の2・7%から低下した。今年はさらに1・6%へと低下すると予測されている。中国経済は、以前は輸出に頼った成長をしていたが、しだいに内需を中心とした成長に転換しつつある。アメリカ自体、昨年は輸入の伸びより輸出の伸びの方が大きかった。アメリカ人が借金漬けで消費できなくなっている半面、中国や中近東などの世界の人々が、アメリカ製品を盛んに買っているからである。

 こうした傾向からうかがえるのは、世界経済が「世界が生産し、アメリカが消費する構造」から「世界が生産し、世界中で消費する構造」への、消費地の多極化を進めているという変化である。エコノミスト誌の記事は「来年にかけて米経済は住宅バブルの崩壊で消費力を減退するだろうが、その際にアメリカ以外の世界は、どの程度消費できるかという力を問われる。今の状況から判断すると、世界経済はアメリカの消費力が失われた後も、何とか回っていきそうな感じがある」と結んでいる。

 投資の面から見ても、世界は多極化しつつある。2000年には、世界の企業の株式上場額の50%は、アメリカの市場への上場だったが、その比率は05年にはわずか5%に減ってしまった。代わりに増えたのは、香港や上海における中国の国有企業の上場などである。(関連記事

 私から見ると、この「消費地の多極化」「投資先の多極化」は、アメリカがイラク戦争で自滅する一方で中国やロシアなどが台頭するという「政治の多極化」と、同一歩調で進んでいる点が非常に興味深い。G7による米英中心主義の崩壊によって、世界は政治的にも経済的にも多極化されつつある。

 アメリカの中枢で政治の多極化を進めているのは、ワシントンを隠然と牛耳るニューヨークの資本家たちだろうと前回の記事に書いたが、同時に彼らは、投資の多極化によって最も儲ける人々であり、アメリカの消費力が失われた後も消費地の多極化によって世界経済が回っていくことを強く望んでいるはずの人々でもある。



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