金融危機を悪化させる当局2007年12月25日 田中 宇11月末以来、アメリカの中央銀行にあたる連邦準備制度(FRB、連銀)、EUの欧州中央銀行(ECB)、イギリスの中央銀行(イングランド銀行)など欧米諸国の中央銀行が、相次いで巨額の短期融資資金を自国の金融機関に低利で貸し出している。(関連記事) これは、今夏以来のアメリカ発の国際金融危機の影響で、銀行どうしが資金の短期貸し借りに消極的になり、短期金融市場の切りが上がり、年末の決算期に資金不足の陥る金融機関が出てくるかもしれないという懸念に対応した救済策だ。巨額の資金注入の結果、年末危機は避けられそうだと予測され始めている。(関連記事) しかし同時に、欧米の中央銀行による巨額の資金注入は、今夏から続く金融危機の解決策としては不適当で、むしろ危機を悪化させてしまうだろうという指摘が、何人もの経済分析者から出されている。(関連記事) 指摘の内容は、どの分析者もほぼ同一だ。「金融危機の原因が短期的な資金不足なら、資金注入は有効な対策だ。しかし今回の金融危機は、金融機関が買ったり発行したりしたサブプライム債券の価値が急落し、多くの金融機関が、資産をすべて売り払っても債務を返せず、放置すれば潰れる債務超過に近くなっていることで起きている。金融機関が構造的に潰れる寸前なのだから、短期資金を貸しても根本的な解決策にはならない。問題銀行を国有化するか、倒産させるしかない」という指摘である。(関連記事) 銀行を倒産させると、金融界全体に信用不安が広がり、取り付け騒ぎが起きたりして、大変なことになる。また、すべての銀行を国有化するわけにもいかない。分析者の間で最近よく引き合いに出されているのは、1990年代の日本の例だ。 銀行を倒産させず、一定の利益を出せる塩漬け状態にして何年も置いておき、銀行はその間に利益を蓄積して不良債権を償却し、立ち直らせるやり方である。日本は、この銀行保護策のもとで「失われた10年」をすごした。 ▼容認されている世界的インフレ悪化 欧米の中央銀行による巨額の資金注入は、金融危機の根本的な解決策にならないだけでなく、通貨供給を過剰に増やし、インフレを悪化させる弊害を抱えている。望ましいインフレ率は2%程度だが、すでにEUでは3%台、アメリカでは4%台のインフレとなっている。中央銀行が間違った政策を展開し、金融危機とインフレの両方が悪化すると、欧米は1929年の「大恐慌」をはるかにしのぐひどい事態になるかもしれないと、イギリスの新聞テレグラフが指摘している。(関連記事) 私が見るところ、EUの中央銀行が米連銀と足並みをそろえて巨額の資金注入をやり出した裏には、欧州の金融界の危機もさることながら、ドルの信用不安が悪化してユーロの為替が高騰するのを防ぐ意図も隠されている。連銀だけが巨額の資金注入を続けると、ドルだけが刷りすぎで下落し、ユーロの対ドル為替が上がって欧州経済にマイナスなので、ユーロも刷りすぎにしてバランスさせている。その結果、ユーロ高は回避され、景気が依然として悪いという見方を当局が発して円安を維持している日本と合わせ、ドルは下落を免れている。(関連記事) しかし、この意図的な世界通貨安の結果、世界的なインフレの悪化に拍車がかかっている。ドルの基盤である米経済が悪化し、潜在的なドルの下落傾向は進む一方だが、同時にEUや日本の当局はユーロ高、円高をできる限り阻止し続けるだろうから、来年にかけて世界的なインフレがますますひどくなり、これが世界経済の破壊要因として出てくるだろう。 巨額の外貨を持っている中東産油国や中国は、従来のように外貨備蓄を米国債に投資し続けていると、米経済の行き詰まりとともに資産が目減りしてしまうので、それを防ぐため「政府投資基金」の機能を強化し、投資対象の多様化につとめている。 中東ではサウジアラビアが、世界最大の政府投資基金の設立を検討している。サウジ政府は、米メリルリンチに加え、シンガポールの政府投資基金であるテマセックと組んで新基金を作るが、テマセックは中国政府の投資技能の知恵袋でもある。これまで、欧米を中心に、別々に動いてきた中東と中国の政府系投資家が、直接の関係を強化する方向にある。(関連記事) ドバイの政府系投資会社であるドバイ・ワールドが、アメリカの賭博場運営会社MGMミラージ(MGM Mirage)に資本参加して、中国やマカオでの賭博場経営に乗り出すなど、中東、中国、欧米という3極をつなぐ国際ビジネスが活発化している。(関連記事) ビジネスの分野では世界は多極化しているが、通貨の分野では、まだドルの一極体制が続いている。日欧は、ドルの一極体制を崩したがらず、ドルを強化するために自国通貨を引き下げており、ブレトンウッズ体制を壊して自分たちが通貨の覇権の一部を担うつもりはない。中国や中東産油国も、対ドルペッグをできるだけ長く続けたいと考えている。アメリカ以外の国々がこのような意志である限り、ドル一極制に代わる通貨体制は出てこない。世界は弱くなるドルを中心に回り続けるしかなく、世界的インフレの悪化も続く。 ▼サブプライム危機は多極化の一環? 欧日などアメリカ以外の金融当局者は「いずれ米経済の危機が去るまでの辛抱だ」と思っているのだろうが、アメリカの側は、その期待を裏切ろうとするかのような行動を続けている。アメリカの著名な経済学者ポール・クルーグマンらよると、米連銀では2000年以降のサブプライム住宅ローンの貸し出しが増えた時期に、サブプライムは返済できなくなる人が増えて危険だと警告した理事がいたのに、連銀トップのグリーンスパン議長は、その警告を無視して、危険な融資の拡大を容認した。(関連記事) グリーンスパンは「サブプライムの融資の拡大を止めるは不可能だった」と言っているが、それは大ウソで、米議会は1994年に、連銀に危険な融資を規制する責任を賦与する法律を作っており、この法律を適用すればサブプライムの融資拡大は防げたとクルーグマンは書いている。(関連記事) その後、連銀が遅ればせながらサブプライム融資に対する規制を開始したのは、サブプライム問題が顕在化して金融危機に発展する直前の、今年6月末だった。(関連記事) 私が見るところ、連銀がサブプライム融資の拡大を黙認したのは、ローン拡大が米国民の消費の総量を増やし、米経済の景気維持に役立ち、大統領の人気を高められるという政治的な目的のためである。融資の拡大は、短期的には米経済を拡大したが、長期的には金融危機を招いた。金利が上がればローン破綻が増え、金融危機になることは、連銀には容易に推測できたはずだ。 もともとアメリカの2大政党制は、政党が2つしかないので、2党が談合すれば長期的な国家戦略を誤らずに実行することができる。大統領が自分の人気を上げるために近視眼的な政策を採ろうとしたら、2大政党が「それは長期的にアメリカの国力に損害を与えるので、ほどほどにしてください」と大統領を抑制できる制度だった(日本でこの機能を果たしてきたのは官僚制である)。 しかし実際には、アメリカの2大政党制はうまく機能していない。先週の記事に書いたように、ニクソン・レーガン・現ブッシュという流れを見ると、共和党の長期戦略は隠れ多極主義であり、共和党はこの戦略を実行するために、むしろ大統領に、アメリカを長期的には自滅させることになる近視眼的な政策を採らせている。近視眼的、腐敗的な(一部の業界だけを富ませる)、短期的利得のための政策は、同時に長期的な世界多極化戦略として機能している。サブプライムの融資拡大も、おそらくその一環である。 ▼大恐慌に近づくアメリカ アメリカはすでに、不況色が濃くなっている。1929年の大恐慌の再来を思わせる。ロサンゼルスの郊外には、鉄道線路と飛行場の間の荒れ地に、住宅ローン危機で自宅を失った人々のテント村ができており、テントの数は今年7月の20張から、年末には200張へと急増していると報じられている。 ロイター通信の記事は、この事態について「大恐慌で土地を奪われて流浪する人々を描いたジョン・スタインベックの小説『怒りの葡萄』の21世紀版ともいえる」と書いている。「怒りの葡萄」は、大恐慌でオクラホマ州の小作農地を追い出され、カリフォルニア州に流れていく流浪の苦しい農民たちを描いた、1939年の小説である。(関連記事) アメリカでは国民の1割以上にあたる3500万人がろくな食事にありつけない状態で、食事を与えてくれる貧困救済施設を利用する人が増えているが、米政府の財政難と食品価格の高騰などによって、今冬は配給できる食糧が不足する救済施設が増えている。世界一豊かなはずのアメリカで、飢餓に苦しむ人が増えそうである。(関連記事) アメリカでは貧富の差が拡大している。ニューヨークタイムスによると、2003年から05年にかけての、アメリカの上位1%の高所得者の所得増加分の総額(5248億ドル)は、05年のアメリカの下位20%の低所得者の所得総額(3834億ドル)より多いという事態になっている。(関連記事) 中産階級の間では、クレジットカード破産が増えている。全米で、カード債務の30日以上の支払い遅延の件数は、今年10月までの1年間で26%も増えている。(関連記事) この冬、米国民の5人に一人は、クレジットカードなどで借金をしないと、暖房費を捻出できないという家計の逼迫状況になっているとも報じられている。(関連記事) クレジットカードは、アメリカの中産階級を象徴する生活の道具である。クレジットカードを失った人は、中産階級から貧困層へと転落する。アメリカでは、国家発展の要だった中産階級が縮小している。これは国家的な危機である。金融危機、来年陥りそうな不況、イラク戦争による財政的な危機、年金や健康保険が破綻に近づいていることなど、アメリカは複合的な経済危機に陥っている。 ▼多極化とGCC通貨統合 アメリカは経済的に自滅しつつあるが、私の仮説では、共和党の「隠れ多極主義者」の目的は、世界を多極化して世界経済の全体的・長期的な成長を可能にすることであり、アメリカの自滅は米英中心の世界体制を多極的な世界体制に転換するための過程にすぎない。経済の多極化は、世界の通貨体制がドル一極から多極に転換しないと実現しない。 それには、昨春のG7とIMFの会議で構想された、ドル・ユーロ・中東産油国(GCC)共通通貨・東アジア共通通貨の4極体制の立ち上がりが必要である。すでに述べたように、中国と中東は、世界の新しいビジネスの極になりつつあるが、通貨の分野ではまだドルペッグである。「ドルペッグをやめることを決定するのではないか」との憶測を事前に呼んでいた12月初旬のGCCサミット会議では、通貨については何も新決議をしなかった。(関連記事) しかしこのサミットでは、以前からの予定どおり2010年にGCC通貨統合を行うことを再確認している。GCC内部では、クウェートがインフレ圧力に負けて今年5月にドルペッグをやめているし、オマーンは「2010年の通貨統合への参加は無理だ」と表明し、足並みが乱れている。しかし、GCCの構成は、サウジアラビアという経済的・地理的な大国と、他の小さな5カ国の組み合わせであり、サウジ王室(政府)さえその気になれば、オマーンやクウェートに何らかの経済援助を出すなどして足並みの乱れを修正するのは難しくない。 今の勢いで米経済の混乱が続くと、GCCが通貨統合する2010年には、アメリカの覇権やドルの破綻状態はもっとひどくなっているだろうから、GCCが通貨統合してドルペッグを外し、国際通貨の多極化に貢献することがタイムリーな動きになりうる。 GCCは先日のサミットで、来月(08年1月)から6カ国の市場統合を開始すると決めた。通貨統合の前に、労働市場や資本市場の統合を行うという、EUにならった統合の構想である。GCCは2002年から関税同盟を開始しており、それを発展させて経済統合していく。(関連記事) 関税同盟はうまくいっていない部分があり、来月からの市場統合も混乱しそうな部分がある。労働市場の統合は、給料の高い雇用が多いドバイなどにGCC諸国民が引っ越す流れを強め、ドバイの賃料や物価がますます上がりそうだ。GCCの労働市場は、GCC国民よりインドなどからの外国人労働者の方がはるかに多く、GCC国民の労働市場だけ自由化してもあまり意味がないという問題もある。(関連記事) しかし、GCCの歴史を見ると、これまでは6カ国が互いに反発し合う傾向が強かった。たとえば1996年にカタール王室(首長)が出資して設立された衛星テレビ放送「アルジャジーラ」は、最初はサウジ王家のスキャンダルを好んで放映し、サウジ国民に反王室感情を抱かせたいカタール王家のプロパガンダ放送として機能していた。こうした以前の状況と比べると、ここ数年のGCCの結束ぶりは大きな進展である。 ▼イスラム勢力の世界的復活 GCCはイランのイスラム革命の2年後の1981年に、アメリカの肝いりで結成された。ペルシャ湾岸における親米のアラブ諸国を束ね、対岸のイランに対抗させる意図があったが、同時に、アラブを結束させると反イスラエルの勢力になるので、GCC内の結束はほどほどにして、カタールとサウジを反目させたりする策略も採られた。 しかし昨今のGCCは、以前のようにアメリカやイスラエルに振り回される存在ではない。先々週の記事に書いたように、先日のGCCサミットには、米イスエラエルの仇敵であるイランのアハマディネジャド大統領が初めて招待された。アハマディネジャドは、イランとGCCがFTA(自由貿易協定)を結ぶことを提案し、両者はFTA交渉に入ることになった。(関連記事) GCCの経済統合と、イランとのFTA締結の両方が進展した場合、GCCとイランは大きな「ペルシャ湾経済圏」へと発展する。GCCとイランの間にはイラクがあるが、イラクもうまくやれば今後数年以内に米軍の撤退と内戦の和解を経て、有力な産油国に戻りうる。ペルシャ湾経済圏は、世界の原油の4割を産出する、世界経済の立派な「極」の一つになり得る。(関連記事) GCCのオイルマネーは、中東の地中海側のシリアやレバノン、ヨルダン、エジプト、トルコなどにも流れ、これらのイスラム諸国もGCCの外縁部として経済圏に入る。東の方向では、パキスタンやアフガニスタン、インド、それからマレーシア・インドネシアの東南アジアイスラム諸国との経済連携が強まる。北方では、イランの北側にある中央アジアやコーカサス諸国まで影響圏になり、さらに北方のロシアとの関係も強化されるだろう。 GCCは、インドネシアからモロッコまでの「イスラム世界」の中心に位置するようになる。イスラム世界は、かつては世界的な帝国だったが、近代に入って欧米キリスト教世界の植民地として分割支配され苦しんだ。イスラム世界の人々は、いつか再び世界的な勢力に戻りたいと夢見てきたが、それはGCCが開始するEU型の経済統合によって実現するかもしれない。 GCCが多極的な世界の極になるのなら、中国も触発されてASEANや日本、南北朝鮮などと通貨統合や経済圏を強化するかもしれない。アメリカの覇権衰退によって対米従属を維持できなくなり、中国との経済力バランスも逆転されていく今後の日本は、中国の台頭に恐れを抱きながらも、中国中心の東アジア経済圏の中で生きていくしか道はない。 ▼クルド独立阻止で安定が守られる中東 中東の安定には、イラクの国家的な統一が維持されることが不可欠で、そのためにはクルド人国家の独立が阻止される必要がある。以前の記事に書いたように、クルド人は北イラクの油田地帯の大都市キルクークを住民投票によってクルド人のものにしようと企て、イスラエルは以前からクルド独立を軍事諜報面などで支援し、逆にトルコは最近、クルド独立を阻止するために北イラクに侵攻する構えを見せ、一触即発の事態になっていた。 しかし最近、どうもアメリカがクルド人を見捨ててトルコの側についたようで、クルド人は年内に予定していたキルクークの住民投票を半年延期せざるを得なくなり、先日ライス国務長官がイラクを訪問した際には、クルド自治政府のバルザニ大統領らクルド人の要人がこぞってライスとの面会を拒否した。面会拒否の理由は、アメリカがトルコにクルド空爆を許可したことだった。(関連記事) シーア・スンニ・クルドという3大派閥から成るイラク政府内では、クルドの力が弱まり、クルドはもらえるはずだった石油利権を失い始めており、シーアとスンニがクルド抑制にかかっている。(関連記事) 同時期にイラク駐留米軍は「イランはイラクのゲリラを抑制し、イラクの安定に貢献している」と表明している。ブッシュ政権は11月には「実はイランは核兵器開発をやめていた」とする諜報報告書(NIE)も発表している。アメリカはイスラエルやクルド人と組んでイラクの混乱を永続化し、イランを潰すという従来の戦略を放棄し、イランとこっそり和解し、クルド人を見捨ててトルコと仲直りし、イスラエルの破滅を看過するという180度転換した新戦略を、目立たないように開始しているのではないかと感じられる。(関連記事) このような流れの中で、GCCとイランとの経済統合は黙認され、世界の多極化の一環として、中東が非米的な方向で団結することが誘発されている。
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