激化するアメリカ権力中枢の戦い2002年12月2日 田中 宇アメリカの重要人物の中で、ヘンリー・キッシンジャーぐらい評価が賛否両論に分かれる人は、あまりいないだろう。キッシンジャーは、1969年に大統領となったニクソンの外交担当補佐官となり、ベトナム戦争の終結や中国との和解など、第二次大戦後アメリカが続けていた冷戦型の敵対外交を止めさせようとする新しい戦略をとった。 当時、冷戦を維持したい軍事産業などから巨額の政治献金がアメリカ中枢に流れ込んでいたため、米当局関係者の大部分は冷戦型の外交に固執しており、キッシンジャーが政府内の合意を取り付けて中国との和解を進めることは無理だった。そのため政府官僚に全く知らせず、秘密裏に中国側との交渉を進め、1972年2月にニクソン訪中を実現させた。その3ヶ月後にはニクソンのソ連訪問を実現、73年にはベトナム和平協定を成立させた。 ニクソン大統領は、冷戦派からの反撃と思われる「ウォーターゲート事件」で1974年に失脚したが、キッシンジャーだけはその後のフォード政権でも政府中枢に居残って国務長官をつとめ、中東でアラブ諸国とイスラエルの対立を緩和するために「シャトル外交」を展開し、エジプトとイスラエルを和解させた。 キッシンジャーは、日本や中国などアジア諸国の外交関係者には「平和主義の巧みな外交官」として高く評価されている。だがその一方で、ベトナム戦争における激しい空爆(北爆)を実行した責任や、中東和平交渉においてイスラエルの肩を持ちすぎたとして、人権を重視する人々の多くがキッシンジャーを嫌っているのも事実である。 世の中の勢力を「支配する側に立つ人」(右派)と「支配される側に立つ人」(左派)に分けるとしたら、右派はキッシンジャーを礼賛し、左派はキッシンジャーを嫌う、という傾向がある。キッシンジャーがユダヤ系の人であることから、アラブ諸国などにはキッシンジャーを「ユダヤの陰謀」と結びつけて批判する人も多い。 ▼新手の賛否両論が出現 ところがブッシュ政権が始まってから、このような分け方とは異なるキッシンジャーに対する新手の賛否両論が、アメリカのマスコミや政界に出現するようになった。 その一つは、以前の記事「解かれたキッシンジャーの呪い」で紹介したように、ブッシュ大統領が、キッシンジャーの訪中以来30年間続いたアメリカの対中政策を転換する、という動きである。この30年間の米中関係は「中国は(日本をしのぐような)『世界の工場』になるために改革を行って経済発展を成し遂げ、アメリカの資本家は急成長する中国に投資・支援して大儲けする」という「経済」を中心としたつながりだった。こうした米中関係を締結したキッシンジャーを「ロックフェラー家などアメリカのユダヤ系金融資本の番頭」などと呼ぶ人もいる。 これに対してブッシュ政権は、ソ連亡き後の仇敵を中国に定め、アメリカが「巨大な敵」と戦わねばならない状況を続けることで、軍事を通じて世界を支配し続ける戦略に転換しようとしたふしがある。アメリカの中枢では「経済」を重視する「中道派」が弱くなる一方で「軍事」を重視する「新保守主義派(ネオコン)」が強くなった。昨年の911事件後は、巨大な敵を「中国」から「イスラム世界」に切り替えて同じ戦略が展開されている。(ネオコンについては「米イラク攻撃の謎を解く」参照) 「中道派」の重鎮と目されるキッシンジャーは、ネオコンが牛耳るマスコミなどから非難されるようになった。1973年に南米のチリで社会主義系のアジェンデ政権が軍事クーデターで倒されたことに、当時アメリカの外交を握っていたキッシンジャーが手を貸したとして、問題になったりした。(関連記事) 以前の記事「イスラエルの大逆転」などで触れたように、ネオコンはイスラエルの右派(軍事主義)勢力と親密な関係にある。このため911事件後のアメリカ中枢における中道派とネオコンの対立は「金融系ユダヤ勢力」と「軍事系ユダヤ勢力」の対立ではないか、とも考えられる。 (すべてのユダヤ系の人々が、どちらかに属しているということではない。対立は、大金持ちの勢力どうしの間で起きている。イスラエルの一般市民や、ユダヤ系アメリカ人の多くは、ユダヤ社会の上層部の対立に巻き込まれ、テロや差別に怯えねばならなくなっているのだから、被害者である。上層部が仕組んだ洗脳教育を受け、パスレチナ人と殺し合いを展開するイスラエルの極右の入植者たちも、テロを行う新興宗教の信者と同様、洗脳の被害者である) ▼真相究明委員会への意外な指名はネオコンへの牽制? このような経緯から、軍事系のネオコンが牛耳るブッシュ政権は、経済系のキッシンジャーを嫌っているのかと思ったら、最近になって意外な展開が起きた。11月末になってブッシュ大統領が、911事件の真相究明委員会の委員長にキッシンジャーを指名したのである。 事件から1年以上も経ってから真相究明委員会が設立されたのは、これまで政権中枢のネオコンの人々がこの手の委員会の設立に反対していたからだ。 以前の記事「テロの進行を防がなかった米軍」などで述べたように、アメリカ国防総省は911事件の発生を故意に防がなかった可能性がある。しかも事件後、テロ戦争がアメリカの国家至上命題となったため、国防予算が急増した、国防総省の権力はアメリカの政権中枢で圧倒的なパワーを持つようになった。確たる証拠はないものの、米政権内のネオコンが911事件を誘発した可能性がある。 こうした疑いは「真相究明より次のテロを防止する方が重要だ」などという理由で、ネオコンが911事件の真相究明が進むのを抑えてきたという事実を見ると、いっそう大きくなる。ネオコンは「テロ防止」を名目にアメリカの国防予算を増やし、連邦政府に新しく巨大な役所「本土安全保障省」を作ったが、もしテロ事件を誘発したのがネオコン自身だとしたら、これはどう考えればいいのか。 下手をすると、また米国民が大勢殺されてしまう次のテロを準備するために、米国民の税金が使われるという事態になっているかもしれない。テロ防止策は「テロリストに情報が漏れないよう」多くの部分が米国民の目から秘密になっている点がポイントである。 ところが、ネオコンの自作自演かもしれない911事件の真相を究明する委員長に、ネオコンが敵視するキッシンジャーが指名されるというのは、どういう意味なのか。考えられることは、ネオコンに押されていた中道派が、勢いを盛り返したのではないか、ということだ。 キッシンジャーを嫌う左翼の中には「これで911事件の真相は、ますます闇に葬られることになった」と考える人もいるようだが、私は「キッシンジャーは人権侵害の外交を行った犯罪者だ」という主張自体、ネオコンが得意とする中傷作戦の一環で、左翼はそれに踊らされているのではないか、と感じている。(関連記事) ▼国連イラク査察団に対する中傷作戦 アメリカの中枢で、ネオコンの力が衰え、中道派が盛り返す傾向は、11月11日に配信した「肥大化する米軍の秘密部隊」で、すでに指摘したが、その後1ヶ月近く経ち、この傾向はより多くの局面で見られるようになった。 たとえば、国連によるイラクに対する大量破壊兵器の査察団(UNMOVIC)に対するネオコンからの中傷が激しくなっていることがその一つだ。 ネオコン勢力の中心である米国防総省のリチャード・パール軍事政策委員長や、パールの影響を強く受けているポール・ウォルフォウィッツ国防副長官らは、査察団のハンス・ブリックス団長(スウェーデン人)に対し「イラクに甘すぎて、1980−90年代に国際原子力機関(IAEA)の査察団長としてイラクを査察した際、イラクが核兵器を開発しているという証拠をつかめなかった」などと批判している。 査察団について「48カ国から270人が参加しているが、そのうち75%はイラクを訪れるのは初めてだ」などとして「未経験」を強調する記事も出た。(それを報じたアメリカの新聞「クリスチャンサイエンス・モニター」は、かつては質の高い報道をする新聞として知られていたが、911以降はネオコンが発するプロパガンダをそのまま報道するようになっている) これに対し、イギリスの「ガーディアン」は「以前のIAEA査察のとき、ブリックスに与えられていた権限は、今回よりずっと小さかった。昔の話と比較するのは適当でない」などと反論し、米政権のタカ派がブリックスを批判するのは、米軍が単独でイラクを攻撃することを主張してきたタカ派が、パウエル国務長官などブッシュ政権内の中道派との戦いに敗れたため、中傷作戦を展開して査察団の信頼を失墜させ、巻き返しを画策しているからだ、と指摘している。(関連記事) 最近では、査察団のアメリカ人団員の一人がサドマゾクラブのメンバーであることが暴露されたが、こうした記事もまた、国連査察団を弱体化させるための、ネオコンによる中傷作戦の一つと思われる。(関連記事) 一方、ネオコンが画策する秘密のプロジェクトを批判する論調も再登場している。ロサンゼルス・タイムスは、役所や金融機関、交通機関、病院など、さまざまな機関から個人情報を吸い上げ、あらゆる米国民の預金残高やクレジットカード利用、交通機関の乗客名簿、病院のカルテ情報まで、政府のネオコン系の部署が把握できるような巨大データベースを構築中であることをすっぱ抜いた。(関連記事) 個人情報を集める目的は、表向きは「テロ捜査に使う」ということになっている。だが、実はネオコン勢力が、自分たちに都合の悪い人々を陥れるために使おうとしている可能性が強い。たとえば、対イラク国連査察団員にサドマゾクラブの会員が含まれていることも、米国民の個人情報を自由に覗ける態勢があれば、比較的簡単に知ることができる。 ▼何度も変わった権力闘争の流れ この話は、今年3月に書いた記事「アメリカで秘密裏に稼動する影の政府」で紹介したアメリカの「影の政府」の機能と同じである。前回は、ワシントンポストが「影の政府」の存在を暴露する記事を出したことがきっかけだった。その後9カ月たって、再び同種の暴露記事が出てきたわけだが、このことは米政府中枢における権力闘争の流れを象徴していると思われる。 昨秋911事件が起きた後、米政権内ではネオコンの力が急速に強まったが、アフガニスタンにおける戦争が一段落した後、今年1月にチェイニー副大統領に対する疑惑を中心とするエンロン事件が持ち上がり、3月には「影の政府」の存在が暴露されるなど、膨張したネオコンの権力を抑える方向の問題が噴出し、ネオコンより中道派が有利となった。 これに対してネオコン側は、4月に「アメリカはテロ支援国家に対して先制攻撃する権限を持つ」とブッシュ大統領に宣言させ、6月にはイラク攻撃に向けた流れを作り出すことで、騒ぎをそちらに反らせ、再び中道派を封じ込め、ネオコンの天下となった。 ところが9月12日に、それまで国連を軽視してきたブッシュが、国連を礼賛する演説を行ったあたりから再び流れが変わり、サダム・フセイン政権を潰すことを目的に米軍が単独でイラク攻撃する計画は遠のいた。11月8日には、国連が査察団を派遣することが決まり、イラク問題の解決は、軍事ではなく外交が先に行われることになった。 米政権の上層部が、日本の上層部に伝えてきたところによると、イラク大攻撃の時期は「来年2月以前に行う確率が3割、来年2−10月あたりに行う確率が3割、それ以降が4割」だという。近くイラク大攻撃が行われる可能性は低いということになる。 こうした流れに沿うかたちで、ネオコンが画策する「影の政府」作りに対する暴露記事が再び出た。エンロン事件についても、最近めっきり報道が少ないと思っていたら、11月末になって、アメリカの連邦裁判所がチェイニー副大統領に対し、エンロンに有利な取り計らいをしたのではないかと指摘されているエネルギー政策案を決定した際の資料一式を裁判所に提出せよ、という命令(決定)を再び行ったという報道が出てきた。 同じ命令は今春にも出されていたが、チェイニーは無視していた。今回、命令が繰り返されたということは、それだけチェイニー側の権力が弱まっていることを示唆している。(関連記事) ▼「ビンラディンの声」はニセモノ ネオコン側は、米権力内での劣勢を挽回するため、イラクの代わりにオサマ・ビンラディンをめぐる騒ぎを持ち出そうとしているようだ。11月12日には、中東のアルジャジーラ・テレビで、ビンラディンの肉声と称する録音テープが放送され、米当局者もビンラディンの声である可能性が強いと述べた。ところが、スイスの研究所がこのテープを過去のビンラディンのものとされる録音と比べたところ「95%の確率でビンラディンの声ではない」という結果が出たという。(関連記事) ビンラディンの消息やアルカイダの動向についてウソの情報が流れ、メディアがそれに引っかかるケースは、最近続出している。11月14日にはアジアタイムスが「アルカイダの幹部のインタビュー」と称するものを流した後、実はそんな幹部は実在していなかったことを認める記事を出した。(関連記事) この手のウソ情報を誰が流しているたのか不明だが、ネオコン勢力は、ウソの情報を流す専門機関も保持していることが、すでに確認されており、そこではレーガン政権時代の「イラン・コントラ事件」で「活躍」したウソ情報の専門家がうごめいていることも報じられている。(「復権する秘密戦争の司令官たち」参照) もし再びアメリカ本土で大規模なテロ事件が起きれば、ネオコンは一気に権力を取り戻すだろう。そのためネオコンは、以前の記事「肥大化する米軍の秘密部隊」で紹介した秘密部隊を使い、米国内で何年もかけて「養成」してきた中東系のテロリスト予備軍たちを動かし、また大規模テロを誘発しているかもしれない。 だがおそらく、そういう事態になっているとしたら、FBIやCIAなどの捜査機関内の中道派系の勢力は、そうしたネオコン系の動きを封じ込めようと動いているとも思われる(FBIやCIAの内部も、ネオコン派と中道派に分かれていると思われる)。 スパイ小説の物語のような突拍子もない話と思われるかもしれないが、アメリカに「影の政府」や「ウソを流す戦略機関」「軍の秘密部隊」などが存在し、それらを使ってアメリカの政権を握ろうとするネオコンと、それに対抗する中道派の間の暗闘が見えている以上、アメリカの深層で何が起きていても不思議ではない。
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