米中台・解かれたキッシンジャーの呪い2002年3月18日 田中 宇将来のいつの日か、1990年代のクリントン政権時代のアメリカは、第一次大戦後の豊かな時代だった1920年代と似た「絶頂期」と考えられているかもしれない・・・そんな風に分析した本がアメリカで話題になっている。ヘインズ・ジョンソン(Haynes Johnson)というジャーナリスト・歴史家が書いた「The Best of Times : America in the Clinton Years」という本だ。 1997年にIBMのコンピューターがチェスの大名人を打ち負かした話から始まるこの本は、1990年代を、インターネットやバイオテクノロジーといったハイテク過信の時代で、みんなが金融投資で大金持ちになることを夢見たバブル経済の時代だったととらえる一方、クリントン大統領のモニカ・ルインスキ事件など、マスコミがスキャンダル報道に明け暮れた醜聞の時代でもあったと書いている。(関連記事) この本は911事件の前に書かれたものだが、クリントンの時代がアメリカの歴史的な絶頂期であったのなら、その時代が終わり、下り坂の時代が始まったことを象徴するのが、911以降のテロ戦争であると考えることもできる。そして、アメリカの繁栄期がクリントンの任期とともに終わったから、その後を継いだブッシュは経済ではなく、テロ戦争という名の「力づく」で世界を支配する新体制に移行しなければならなかったのかもしれない。 (関連記事) ▼歴史のウソが暴露される昨今 世界の情勢は今、冷戦後の10年という一つの時代が終わり、新しい時代が来たことが次第にはっきりしてくる時期に当たっているように思われる。こうした時代の変わり目は、前の時代の体制を維持するために必要だったウソが用済みになって暴露され、今まで信じ込まされてきた歴史観が間違っていたことが判明する時期でもある。 この手の「ウソの歴史」の暴露として象徴的なものが、今年2月末日にあった。1970年代、アメリカが中国と国交を回復した理由は、一般には「ソ連に負けないよう中国と手を組むことにした」という「敵の敵は味方」の冷戦理論で説明されているが、実はそうではなく、アメリカはベトナム戦争の泥沼から脱するために中国との国交回復を必要としていたということが暴露された。 また、アメリカは中国との国交正常化に際し、最初から台湾の主権を侵害するつもりはなかったという歴史認識が一般的だが、実はそうではなく、「北京政府が中国の唯一の正統政府で、台湾は中国の一部としていずれ併合されるべきだ」という中国政府が以前から主張していた「一つの中国の原則」を容認することを、アメリカは国交正常化に向けた交渉の冒頭から、中国に対して表明していたことが明らかになった。 こうした事実は、アメリカの国務長官だったキッシンジャーが1971年7月、秘密裏に中国を訪問し、周恩来首相と会談したときの機密文書が、アメリカ政府がよって2月末に公開されたことで明らかになった。 (関連記事) ▼「台湾問題を話さなかった」というウソ 1972年のニクソン大統領の中国訪問の準備として行われたキッシンジャーと周恩来の会談は、冷戦が始まって以来初めて米中の指導者が会談したもので、米中双方にとって歴史の転換点となった会合だった。 これまでこの会談については、キッシンジャーは1979年に出版した回顧録で書いていることが歴史的な事実とされてきた。「周恩来との会談では、米中関係の基本となる認識論が話し合われた。米中間には、具体的に解決しなければならない問題がほとんどなかったため、相互信頼を醸成するための抽象的な話し合いだけで十分だったからだ。台湾問題についても、ほとんど話し合わなかった」というのが、これまで歴史的事実とされてきた。 ところが実際には、会談内容はまったく違っていた。7時間におよぶキッシンジャー・周恩来会談では、冒頭の2時間以上が「台湾問題」に費やされた。周恩来は「一つの中国の原則」を認めない限り、アメリカと外交関係を樹立することはできないと主張した。 これに対してキッシンジャーは、北京政府が中国の唯一の正統政権であることを認め、「台湾が中国の一部だということは認められない」としながらも、台湾が中国とは別の国として独立すること(二つの中国論)も認めないと明言し、いずれ中国と台湾が統合されることが望ましいと述べ「一つの中国原則」の主要部分を認めた。 キッシンジャーはまた、アメリカはベトナムから撤退した後、台湾に駐留している米軍の3分の2を撤収すると周恩来に伝えている。中国に北ベトナムへの支援を控えてもらい、アメリカのベトナム撤退を容易にするという策があったと思われる。 当時すでにベトナム戦争は泥沼化していた。ニクソン政権は、キッシンジャーを北京に派遣する前に、すでにベトナムからの撤退する方針を決定しており、その際に「アメリカの敗戦」という色彩を薄めることが肝心だった。それには中国がアメリカに敵対している状況を変える必要で、中国との関係を好転させるための譲歩として、アメリカは台湾を見捨てる決断をしたのだった。 キッシンジャーはニクソン訪中後の1973年11月にも訪中して再び周恩来と会い、翌年までに台湾にある米軍の核兵器とU2偵察機、F4戦闘機をすべて撤去する、と表明している。しかも、アメリカがこの撤去を台湾政府に伝えたのは、中国に教えてから半年も経った後だった。 (関連記事) 今年2月末に公開された機密文書の中には、キッシンジャー国務長官が北京に秘密訪問する3カ月前の1971年4月にニクソン大統領と打ち合わせを行ったときの議事録もあった。それによると、キッシンジャーはニクソンに「中国との国交が正常化したら、数カ月以内にベトナムから撤退して戦争を終わらせることができる」という非常に楽観的な予測を主張している。 ▼台湾の巻き返し キッシンジャー訪中の翌年、ニクソン大統領が訪中し、米中関係は正常化した。だがその一方で、台湾側は見捨てられないようアメリカの政界に対して政治献金やロビー活動を強めた。 また台湾側は、アメリカ政界内部でベトナム戦争終結に反対する勢力に働きかけ、CIAがベトナム戦争をラオスに広げ、それを台湾の特務部隊が支援する体勢を作ろうとした。ラオスは中国のすぐ南にある国で、国民党政権は台湾に逃げてくる前の抗日戦争期、中国南西部を拠点としていたから、この地域の情勢に詳しかった。 アメリカが中国のすぐ南のラオスで戦争を拡大すれば、米中関係が再び悪化して戦争になるかもしれず、そうなると国民党政権が大陸に返り咲ける可能性が増えるという作戦だったが、ラオスで社会主義政権が力をつけたため失敗した。 (関連記事) また、建国以来独裁体制を続けてきた台湾の国民党政権は、1970年代後半から民主化を開始し、その後20年かけて民主主義を台湾に浸透させ、2000年の大統領(総統)選挙で、国民党自身が敗退し、民主化勢力だった民主進歩党の陳水扁政権ができるという状態まで移行させた。 これもまた、アメリカが理想の政治形態として世界中に押しつけてきた民主主義を率先して台湾に定着させることにより、民主主義の「模範生」である台湾をアメリカが見捨てられないようにする戦略だったと思われる。 こうした巻き返しが功を奏し、1979年にはアメリカ議会で台湾を見捨てないという「台湾関係法」が通った。アメリカ政府は、中国には「台湾を見捨てる」と約束する一方で、台湾に対しては「見捨てない」と約束するという、二枚舌の状態になった。 (関連記事) その結果、アメリカの高官が中国政府と会談するたびに、実は台湾の問題について話し合っているにもかかわらず「台湾問題については話し合っていない」とウソを言わねばならない状態になった。2月末に機密文書が公開されてから、こうしたアメリカ外交の難しさは「キッシンジャーの呪い」と呼ばれるようになっている。 ▼国交正常化30周年を利用する 今後、この「呪い」はどうなるのだろうか。「呪い」の存在が暴露されたこと自体が、その答えを示唆している。 キッシンジャー・周恩来会談についての機密文書は、作成されてから30年経ったため、機密を解かれることになった、というのが公開の表向きの理由である。しかし昨年の911事件以降、アメリカ政府は機密解除したくない文書は何十年経っても公開しないという姿勢を強めており、キッシンジャー文書も公開されなくても不思議はなかった。 それでは、この文書はなぜ公開されたのか。ブッシュ大統領が2月23日に1泊2日という超短期間で中国を訪問したが、この日付は1972年2月23日にニクソン大統領が訪中してから、ちょうど30周年の記念日にあたる。そして、ブッシュ訪中の前後にアメリカのマスコミに出た訪中関連の記事のいくつかは「ブッシュ政権は今回の訪中を機に、中国との関係を過去30年間の束縛から解放し、新しい米中関係を構築していく」と分析している。 つまりブッシュ政権は、これまでのアメリカの対中外交が「キッシンジャーの呪い」に束縛されていたことを機密文書の公開によって明らかにし、ニクソン訪中30周年の日にブッシュが訪中することで「アメリカは中国との関係を大きく変える」というメッセージを発しているのだと思われる。 昨年の911事件以来、ブッシュ政権は「アメリカを敵視する国は、どこであってもテロ支援国家とみなす。そういった国には、アフガニスタン並みの軍事制裁をするかもしれない」と言い続けている。 キッシンジャー以来の米中関係は、中国と良好な関係を維持することにより、13億人という巨大な中国の消費市場、格安な労働市場から、アメリカが経済的な恩恵を受けることを目的としてきた。 だが911以降のアメリカは、そういった考えのほかに「中国が悪の枢軸に入りたいなら、いつでも空爆をお見舞いするぜ」といった考え方が出てきた。軍事産業が外交をリードした冷戦時代の対ソ戦略の復活である。 アメリカは、中国が「親米」を維持しようが「反米」に転じようが、どちらでも対応できる状態になった。だから、ブッシュ政権は「アメリカは台湾を守る」と明言しつつ、中国に対して「仲良くしよう」と言えるのだろう。 ▼米中台関係から暴力の要素が減った? 中国を敵に仕立てる「第二冷戦」の考え方は数年前から存在しており、アメリカの政界では親中国と反中国の両方の主張が入り乱れていた。だが、経済を重視したクリントン政権下では、中国経済の大きさを無視できなかったため、反中国の考え方は脇に追いやられる傾向が強かった。 クリントンが1998年に訪中した際は、上海で「台湾の独立を認めず、中国と台湾は別々だという発想も認めず、台湾が国家として国際機関に加盟することも認めない」という「3つのノー」を発表した。これは事前の予定になかったことで、クリントン政権は後から特使を台北に派遣したが、台湾政府を大いに落胆させた。 これに対し、ブッシュ大統領は訪中前に特使を台北に派遣し「大統領は中国に行くが、それで台湾が見捨てられることはない」とクギをさしておいた。 ブッシュが訪中した日、台湾独立派の闘士として中国政府から嫌悪されている台湾の呂秀蓮副総統は「クリントンに比べ、ブッシュはすばらしい」と賞賛し「今後は台湾が一つの中国の原則に拘束される必要はなくなるだろう」と表明した。 (関連記事) 以前は高官が演説するたびに「台湾が独立傾向を強めたら軍事攻撃する」と言い続けてきた中国政府も、今年に入って高官の演説で台湾問題に言及する際でも「軍事攻撃」を意味する言葉は発せられないようになった。 911を機に世界は暴力的な様相を強めたが、アメリカ・中国・台湾の三角関係に限っていうなら、逆に暴力の要素は減ったようにも見える。米中関係はしばしば激変するので、いつまで続くかは分からないのだが。
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