人権問題を演出する抑圧された人々2001年2月26日 田中 宇2月17日、フランスのリゾート地リビエラ海岸に着岸した一隻の「黒船」が、フランスの社会や政界を揺るがすことになった。着岸した沈没寸前の貨物船には908人のクルド人が乗っており、その半分以上(480人)が子供だった。彼らは難民としてフランスをはじめとする西欧に住みたいと希望したが、フランスなど西欧諸国ではここ2ー3年、違法移民の増加が問題になっているため、彼らの扱いをどうするかが議論になった。 フランスやイタリア、スペインなどの海岸には、密入国者を満載した船が毎週のように到着するが、リビエラに着いた貨物船は、他のケースと違う問題を引き起こした。それは、この船に乗っていた大部分のクルド人たちの故郷がイラク北部で、彼らは「イラク軍によって弾圧されたため、フランスまで逃げてこなければならなかった」と主張したためだ。彼らがフランスに着いたのは奇しくも、アメリカ軍がイラクの首都バクダッドを爆撃した2日後だった。 アメリカはイラクに対する爆撃を「飛行禁止区域」を守るための正当防衛だと主張している(「飛行禁止区域」とクルド人との関係などについては、前回の記事「アメリカとイラク・対立の行方」で詳しく説明した)。フランスは、かつては「飛行禁止区域」の考え方に賛成して戦闘機を派遣していたが、今では飛行禁止区域やイラクへの経済制裁は「意味がない」として反対し、アメリカを批判する急先鋒の国の一つとなっている。 フランスが、ロシアや中国とならんで英米のイラク制裁に対する批判を強めたことに乗って、昨年後半からサダムフセイン大統領はアメリカやイスラエルに敵対する姿勢を強めた。それに対するブッシュ新大統領の反応が、2年ぶりのバクダッド空爆だったのだが、空爆の直後にフランスに900人のイラク系クルド人難民たちが現れ「サダムフセインに弾圧された」と訴えたことは、フランス社会に対して「サダムフセインに寛容なフランス政府の姿勢は良いことなのか?」という疑問を投げかけることになった。 ▼難民流入でフランスを牽制? 難民船が漂着した後、ロンドンにある亡命クルド人組織は「飛行禁止区域がなくなったら、北イラクのクルド人に対するイラク軍の弾圧が厳しくなり、もっと多くのクルド人がフランスやその他の西欧諸国に流れてこざるを得なくなるだろう」というコメントを発した。ロンドンのクルド人組織は、英米によるイラク制裁戦略に賛同し、アメリカから支援を受けている。彼らはフランス政府に対して「反米・親イラクの態度を続けるなら、クルド人がどんどんフランスに押し掛けてくるが、それでもいいのか」と圧力をかけているのである。 反イラクのクルド人組織は、フセイン政権がアメリカの制裁に挑戦する姿勢を明らかにし始めた昨年末には「フセイン死亡説」を流した。それは誤報となったのだが、その過程で、ニュースとしては忘れ去られた観があったフセインの存在に改めて世界の注目を集めさせた。これは、90年代前半にフセイン政権を倒すためにアメリカからお金をもらったものの失敗した彼らが、アメリカで共和党政権がカムバックすることを機に、再びアメリカからお金を引き出すための演出だったとも勘ぐれる。 その線で考えると、冬のリビエラ海岸に900人のクルド人が「難民」として現れたことも、単なる「人権問題」ではなく、中東と欧米との間の複雑な外交関係の一つであり、イラクをめぐる戦争の一部なのではないかと思えてくる。(貨物船の船長はイラク系クルド人だったとされるが、逃げてしまったので、事件がどのくらい政治的な意図に基づいていたかは、まだ明確ではない) 貨物船に乗っていたクルド人たちの多くは、政治的な意図を持った人々ではなく、単に北イラクでの苦しい生活から逃れたいと考え、無許可移民の運搬を専門に手がけている「運び屋」組織にお金を払い、連れてきてもらった人々だ。(クルド人は西欧への無許可移民の数が最も多い。「運び屋」の問題については「密入国移民を送り出す闇のシルクロード」参照) しかし、彼らがフランスに来て「フランスは自由と人権を重視する国だから、われわれを人権無視の国イラクに強制送還せず、自由にさせてくれると信じる」などと発言すれば、それは自然とフランス政府のイラクに対する政治問題に影響することになる。 冬のリビエラ海岸に現れたクルド人集団の中に子供が非常に多かったことも、政治的な意図を感じさせる。難民の中に子供たちが多いほど、西欧では人権問題になりやすいからである。180人いた女性の中には妊婦が何人かおり、フランスまで1週間の航海の途中で出産した人が3人いたという。また大人430人のうち200人が老人だった。「人権問題」を演出したいイラクのクルド人組織が、子供と妊婦と老人を選んで乗船させたのではないか、と思いたくなる。 ▼パレスチナでは子供を「盾」として使う このように、抑圧された側が「人権」を戦いの道具に使っていると思われる例は、コソボやパレスチナでもあった。 パレスチナで私が見た「人権を戦争の道具として使う」例は、子供たちがイスラエル兵に向かって石を投げて抗議する「インティファーダ」をめぐるものだった。昨年後半にインティファーダが激しくなったとき、投石する子供たちの背後のビルの窓や物陰から、パレスチナ人武装組織の大人たちが、イスラエル兵に向かって「援護射撃」するケースが出てきた。(インティファーダについては「パレスチナ見聞録:ガザ地区」) 1月にパレスチナを訪れたときに私は、エルサレムの郊外のベツレヘム市内にある投石現場近くの家の壁や窓に、イスラエル側からだけでなく、パレスチナ側からも発砲して貫通した銃弾の跡がいくつもあったことを確認している。(このケースは、パレスチナ側からの投石と発砲が同時に起きていた証拠にはならないが、パレスチナ側からイスラエル側に飛ぶものが石だけではないことは分かった) パレスチナ側が投石者の後ろから撃っているという報道をときどき目にしたことも合わせて考えると、インティファーダはすべてが純粋な投石行為ではなく、投石する子供たちを「盾」として使い、その背後から大人が銃で攻撃するという2段構えの戦いとなっている部分がある。インティファーダ全体をみると、純粋な投石行動が多いとも考えられるが、投石だけの場合と、銃撃も伴っている場合とをイスラエル軍が見分けることはできないため、イスラエルはしばしば実弾を使って対応することになった。 これに対してパレスチナ側は「石しか投げない無心な子供たちに向かい、イスラエルが実弾を発砲して殺している」と主張し、それと同じ論調を欧米のメディアが大きく報道した。イスラエルでは「相手が実弾を撃ってくるかもしれない以上、こちらが実弾で対応するのは当然だ」と考え「欧米のメディアは偏向している。盾に使って子供の人権を侵害しているのはアラブ人の方だ」と怒っている人に何人も会った。 ▼巨大な抑圧者と戦うためには対抗策が必要? もう一カ所、私が感じた同じような例は、一昨年以降の、コソボのアルバニア人をめぐる情勢である。アルバニア人の中には、中東からヨーロッパへ麻薬や無許可移民を運ぶ「運び屋」稼業を手がける組織があるが、彼らは稼いだ金で武器を買い、ユーゴスラビアからの自治や独立をめざすアルバニア人の戦いを支援した。 ユーゴ軍はコソボのアルバニア人を抹殺しようとしたので、アメリカが人権侵害だとして武力介入したが、アメリカが支援したKLA(コソボ解放軍)というアルバニア人の組織は、運び屋稼業のマフィア的な団体であった。(昨年秋のコソボの議会選挙で、KLAは人々に敬遠され敗北した) (コソボについては「バルカンを破滅に導くアメリカの誤算」) いずれの例も「巨大な抑圧者と戦うためには対抗策が必要だ」という考えもある。コソボの場合は「ユーゴの独裁者ミロシェビッチ(前大統領)を失脚させるためには、犯罪組織と指摘されるKLAを支援してもかまわない」、クルド人の場合は「独裁者サダムフセインを倒すためにはクルド人組織を応援するのが正しい」などという判断も成り立つ。 また、イスラエルでは宗教系の極右勢力が、和平交渉を壊すため、パレスチナ人に与えられるはずのヨルダン川西岸に武装して入り込み、入植地を拡大しているが、彼らは「アラファトを暗殺せよ」とまで言い出している。 彼らの狙いは、アラファトが殺されてもっと過激な反イスラエルの勢力がパレスチナを代表するようになり、戦争が起きてイスラエルが完勝し、パレスチナ人を「聖地」が点在する西岸から完全に追い出すことだと思われる。このような好戦的な人々に振り回されているイスラエルに対して、パレスチナ人が子供を盾に使って戦うぐらい、たいしたことではないとも思える。 しかし、実際にどんな戦いが展開されているのか考えてみることは、戦争に疎い私たち日本人には必要だろうとも思い、この記事を書いた。
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