世界をゆるがしたクルド人(上)

1999年3月9日  田中 宇


 2月16日、トルコ軍の特殊部隊が、ケニヤのナイロビで、クルド人ゲリラの指導者、アブドラ・オジャラン(Abdullah Ocalan)を逮捕したというニュースがトルコ国内に流れた時、トルコの人々の多くが、喜びの表情を見せたという。(現地発の報道による)

 オジャランは、クルド人地域の独立を目指して、非合法ゲリラ組織「クルド労働者党」(PKK)を率いて15年間、トルコの軍や警察と戦ってきた。この内戦で、軍人と民間人を合わせて3万人が死んだといわれている。オジャランは、相手が民間人の子どもや女性であっても、敵とみなせぱ容赦なく殺す残虐な人物として、トルコのマスコミでは描かれてきた。

 首都アンカラなどではこの日、クルド人ゲリラに肉親を殺された遺族が、憎きオジャランが逮捕されたお祝いに、道ゆく人々に手作りのお菓子を配っている光景が、テレビ放映された。

 新聞は「1974年にキプロス島に侵攻して以来の快挙だ」などと報じる号外を出した。(キプロス島は、島の南部のギリシャ系住民と、北部のトルコ系住民との間で対立が続いた後、74年にトルコ軍が北部に侵攻し、トルコ系だけで「北キプロス・トルコ共和国」として独立させた経緯がある)

 クルド人というと、日本や欧米では、「国を持たず、周辺国からいじめられているかわいそうな人々」といった同情的なイメージを持たれがちだが、トルコでは大きく違う。トルコの人々がオジャランの逮捕を喜び、それを「キプロス侵攻以来の快挙」とたたえるのは、戦前の日本人が満州国の建国を祝ったり、アジアへの侵略拡大を喜んだりしたのと似ている。

 もちろん、トルコ国内でも、1200万人住んでいるクルド人たちは、逮捕を喜んでなどいない。トルコ軍はオジャラン逮捕の直後から、PKKゲリラに対する攻撃を強めた。PKKはトルコの東隣、イラク北部の山岳地帯に拠点を持っているため、トルコ軍はイラク国内に国境侵犯して、攻撃している。

 トルコ当局は、反政府のクルド人たちの士気をくじくため、逮捕したオジャランが手錠をかけられてトルコ国旗の前にうなだれて立っている写真をビラにして、クルド人地域でばら撒いたりしている。

 またトルコのテレビは、オジャランが「トルコに忠誠を誓う」と述べている光景を放映した。テレビに映った彼の目がうつろだったため、獄中で薬を飲まされて、意図しない発言をさせられているのではないか、との憶測を呼んでいる。こうした映像も、クルド人ゲリラの士気をくじくためのものだろう。

●イスラエルのトルコ接近でシリアから追い出された

 クルド人の総人口は2500万人で、トルコ、イラン、イラク、シリアの4カ国が国境を接する山岳地帯に住んでいる。彼らは1920年代、第1次大戦でオスマントルコが崩壊した後、中東での支配力を強めたヨーロッパ諸国から、いずれ独立させてやると約束してもらったが、それは守られなかった。

 その後トルコでは、ケマル・アタチュルク将軍という英雄による国家再興運動が成功し、イスラム教の国でありながら、イスラム教による政治支配を排除して、ヨーロッパ型の政治体制を続けている。

 そこでは「トルコ人」としての民族意識が重要であり、その意識と相容れない「クルド人」の民族主義は強く弾圧されつづけた。トルコでは1991年まで、私語としてのクルド語も、話すことを禁じられていた。今でもクルド語による放送や学校での使用は禁止されている。

 そんな中でオジャランは、シリア北部のクルド人地域に拠点を置き、クルド独立に向けてゲリラ戦を指揮してきた。

 シリアも、国内のクルド人を冷遇し続けている点では、トルコと大差ない。1960年代には、クルド人の土地を奪って多数派のアラブ人に土地を再分配するという、仇敵イスラエルがアラブ人に対して行った非道と似たようなことをしている。

 だが、社会主義政権が続いてきたシリアと、アメリカ寄りの姿勢をとってきたトルコとは、相互の警戒心が強く、シリアは国内に反トルコのクルド人組織をかくまうことで、トルコに対する牽制としてきた。

 そんなトルコ・シリア間のパワーバランスに変化を与えたのが、昨年から目立って強くなった、トルコとイスラエルの軍事協力だった。イスラエルは仇敵シリアを挟み撃ちにするためトルコに接近し、トルコはイスラエルのアメリカ仕込みの諜報力や軍事技術をもらうことに満足した。

 アメリカに敵対してきたイランやイラクに接するトルコは、アメリカにとって軍事的に重要な国だ。サダムフセイン政権の転覆を目指すアメリカが頼みとしているクルド人反イラク勢力(同じクルド人ながらPKKとは敵対している)への補給路としても、トルコは大切だ。だからアメリカも、トルコとイスラエルの接近には歓迎だった。

 トルコとイスラエルの接近に危機感を覚えたシリアは、トルコとの融和姿勢を強めた。昨年10月、トルコがシリアに対して、オジャランを引き渡すよう求めて威嚇したとき、シリアはこれまでの対抗姿勢を改めて、オジャランをかくまうことをやめた。

 ただし、トルコに引き渡すと、すべてのクルド人から怒りをかうので、10月9日にオジャランをモスクワ行きの飛行機に乗せ、国外退去させた。ここから、4ヶ月間にわたる、世界を巻き込んだオジャランの逃避行が始まった。

●暴動が怖くてオジャランを裁けなかった西欧

 モスクワに着いたオジャランは、ロシア政府に亡命を申請した。だが、この情報は間もなく、イスラエルの情報機関にキャッチされ、トルコとアメリカに伝わった。トルコの依頼を受けたアメリカは、ロシア政府に対して、オジャランの亡命を認めないよう、圧力をかけた。アメリカからの巨額融資で国を維持してきたロシアの政治家は、服従せざるを得なかった。

 ロシアへの亡命を拒否されたオジャランは、イタリアの共産党員で国会議員をしている友人に電話をかけて、モスクワまで迎えに来てもらった。そして11月12日、その国会議員とローマの空港に降り立ったオジャランは、空港警察に出頭し、自ら申し出て逮捕してもらった。うろうろしているうちにトルコに捕まって死刑になるよりは、ヨーロッパで裁かれることを望んだのである。

 オジャランはドイツでテロリスト行為をしたPKKのリーダーとして、ドイツ政府から逮捕状が出されており、イタリアはドイツの代理として彼を逮捕した。だがこの逮捕は、ヨーロッパ中でクルド人の暴動を引き起こすことになった。

 オジャランはクルド人の過激派たちにとって、カリスマ的な存在だ。ヨーロッパには、移民やイラクからの難民として、85万人のクルド人が住んでいるが、このうち1割程度はオジャランを支持していると推定されている。それらの人々が、オジャランの釈放を求め、イタリアやドイツでデモ行進を行い、警官隊とぶつかった。

 その後、トルコがイタリアに、オジャランの引渡しを求めたが、イタリアは拒否した。すると、クルド人の怒りは鎮まったものの、今度はヨーロッパに住んでいる200万人以上のトルコ人の怒りに火をつけることになった。トルコでは広範囲なイタリア製品ボイコット運動が起きた。

 これには、イタリア・ドイツ両政府とも、困ってしまった。特にドイツには、トルコ人もクルド人も、全欧の居住者の大半が住んでいる。このままドイツでオジャランを裁判にかければ、どんな判決が出たとしても、各地でトルコ人とクルド人の殺し合いや焼き討ちが相次ぎ、大きな社会混乱に陥るだろう。

 ドイツではなく、オランダにある国際司法裁判所など、西欧のどこかで裁判を行うことも、EU内で検討された。だがEU統合によって、人々の国際移動が自由化されたヨーロッパでは、どこで裁判をやっても、クルド人やトルコ人の組織に押し掛けられ、大騒ぎを起こされかねない。

 ふだんは「人権重視」「クルド人を救え」などと言っている西欧諸国なのに、結局どこもオジャランを引き受けようとはしなかった。オジャランは、PKKの在欧組織を動かしてデモ行進を頻発させ、自分の釈放を勝ち取ろうと考えたのかもしれないが、結果は逆効果であった。

 「クルド人問題(下)オジャランの悲劇」に続く



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