解体していく中東の敵対関係2021年10月15日 田中 宇
この記事は「許されていくアサドのシリア」(田中宇プラス)の続きです 今年8月の米国NATOのアフガニスタン撤退は、単にユーラシアの小さな内陸国から米欧の軍勢が稚拙に撤退したというだけの話でなく、中東などユーラシアの全体に対する米国の覇権が失われ、ユーラシアの覇権勢力が米国から中国ロシアに交代していく大きな地政学的な転換、多極化の流れを加速している。 (アフガニスタンを中露側に押しやる米国) (Strategic shifts in the Middle East after the US withdrawal from Afghanistan) 英国が考えた覇権理論である「地政学」では、ユーラシア中央部を取った勢力が世界を支配することになっている。中央アジア諸国や新疆ウイグル地区といったユーラシア中央部は中国やロシア(ソ連)の支配下だが、これまでは米英が欧日などを従えて海側から中露を封じ込めて弱体化させておく冷戦体制によって米英の覇権が維持されてきた。アフガニスタンとイランは、ユーラシア中央部に南側から達する通路だが、これらも濡れ衣の核開発疑惑を口実にした米欧によるイラン制裁や、アフガニスタンを無期限の内戦に陥れることで経路が封鎖され、米英の覇権が維持されてきた。 (米覇権ゆらぎの加速) 今回、米欧軍の撤退によってアフガニスタンの支配者が米欧から中露に転換した。9月中旬には、中露が主導するユーラシア安保の枠組みである上海協力機構にイランが正式に加盟した(オブザーバーから昇格)。これらにより、アフガニスタンとイランというユーラシア中央部への経路が中露側に入り、ユーラシア中央部を中露が取った。今後、中露が、インドやブラジルなど他の非米側の諸大国の協力を得られるようになれば、米英覇権が崩れて多極型の覇権体制に転換する。中国は、非効率な単独覇権を希求せず、ロシアなど他の諸大国と地域的な住み分けをして多極型の世界体制にしたい。中露の関係をみるとわかるように、中国は、他の諸大国より少し優勢を保つことで多極体制を隠然支配したい。いずれ米欧もこの体制の一部になるが、その時に中国と米欧のどちらが優勢になるのかが見ものだ。欧州が米国からどう自立していくか、英国がどうなるかも注目点だ。 (豪州に原潜もたせ中国と敵対させる) イランが上海機構への正式加盟を認められたことは、中露が「米国はもうイランを軍事攻撃してこない」と結論づけたことを示している。米国がイランを軍事攻撃してくる可能性が一定以上残っている限り、中露はイランを上海機構に入れなかった。上海機構は、NATOと異なり明示的・拘束的な同盟でないものの、中小の加盟諸国が米欧などから攻撃されたら中露が助ける構図ではある。イランが上海機構に正式加盟した後、米国がイランを軍事攻撃したら、中露はイランの味方をせねばならず、最悪の場合、米国と中露で人類滅亡の核戦争になる。米国はアフガン撤退によってユーラシア覇権を大幅に失い、米軍がイランを攻撃する可能性がかなり減ったので、中露はイランを上海機構に正式加盟させた。イランは中露から安全を保障される後ろ盾を得て、国際的な政治力が増大した。 (非米同盟がイランを救う?) (Will the Afghanistan Withdrawal Lead to Middle East Peace?) こうしたイランの台頭と米国の退潮を受けて、これまで米国の庇護のもと、米国にけしかけられてイランを敵視してきたサウジアラビアなどアラブ諸国が、次々に敵視をやめてイランとの和解を試みる流れが加速している。サウジとイランは2015年から国交断絶状態だったが、間もなく相互の大使館を再開する見通しと報じられている。サウジだけでなく、UAEやエジプト、ヨルダンなどアラブ諸国の多くが、イランとの和解を進めている。公用語がアラビア語でアラブ諸国の一つだが多数派の宗教がシーア派イスラム教でイランと同じという両義的な存在であるイラクが、サウジなどアラブ諸国とイランとの和解を仲裁している。 (Iran, Saudi Arabia Close To Reopening Consulates) サウジとイランは今年4月から本格的な和解交渉を進めていた。8月の米国のアフガン撤退だけが転機ではない。サウジは今年1月までのトランプ政権時代に、トランプに引っ張られてイランを敵視していた(もともと米諜報界が2015年にサウジをイエメンのシーア派勢力との戦争に陥れ、サウジがイランを敵視するように仕向け、それ以来サウジとイランは国交断絶している)。米国の政権がバイデンになり、サウジに対して疎遠になったため、イエメン戦争の泥沼から抜けたいサウジはイランとの和解を模索し始め、8月の米軍アフガン撤退で和解の流れが加速した。 (Iran-Saudi Diplomacy Intensifies as Nuclear Talks See Momentum) (米国に相談せずイエメンを空爆したサウジ) イスラム教の世界において、サウジはスンニ派の盟主であり、イランはシーア派の盟主だ。スンニとシーアの対立はイスラム世界の内部の自発的な自業自得の対立のように言われてきたが、実はそれだけではなく、20世紀初頭から中東を支配してきた英国が、イスラム側の団結を防ぎ、狡猾に分割支配するために、諜報界の力を駆使して対立を扇動してきた。英国の後継覇権である米国が中東の覇権を喪失したので、今後はスンニとシーアの対立もしだいに下火になっていく。 (扇動されるスンニとシーアの対立) イランは、シリア内戦でのアサド政権の勝利によって、自国からイラクを通ってシリアやレバノンに至る、アラブ諸国の北半分を傘下に入れた。アラブの南半分(サウジなどペルシャ湾岸諸国=GCC、ヨルダン、エジプトなど)はサウジアラビアが支配している。これまでイランは反米で米欧から封じ込められ、サウジ側は親米というか米国傀儡であり、親米と反米の対立だった。これがシーア対スンニの対立も形成していた。しかし今回のアフガン撤退で米国の覇権が低下するので、サウジ側は米国に頼れなくなり、サウジ側が希望してイラン側と和解している。前回の記事で書いたアサド政権のシリアと他のアラブ諸国との和解も、この流れの一環だ。 (許されていくアサドのシリア) 中東ではもうひとつ、スンニのイスラム主義と世俗主義の対立もある。スンニ派のイスラム主義には、政治的な「ムスリム同胞団」(エジプト発祥)と、武力やテロに頼るアルカイダやISIS(サラフィー主義、サウジ発祥)がある。このうちISカイダは911前から、米諜報界からこっそり支援されてちからを維持してきた。とくにISISは創設から米諜報界が手がけている。米諜報界は、ISカイダを世界的な「敵」として育てることで世界的な「テロ戦争」の支配体制を作る大戦略を展開してきた。この構図も今後、米国が中東覇権を失うとともに崩壊し、ISカイダは弱くなり、ムスリム同胞団と再融合していく。 (露呈するISISのインチキさ) ISカイダは表向き米国敵視だが実のところ米国傀儡だ。だからISカイダは、サウジやヨルダンなどの米国傀儡のアラブ諸国の王政と本質的な敵対をしていない(表向きだけ王政を敵視する演技をしている)。対照的に、ムスリム同胞団は20世紀初めに世界的な民族自決運動の一つとして、イスラム世界を米英植民地体制から独立させる運動体として作られており、一貫して英米の世界支配に反対する反米勢力だ。サウジなどの王政や、エジプトの軍事政権(米サウジが支援)は、ムスリム同胞団を敵視・弾圧している。シリアのアサド親子の政権や、イラクのフセイン政権など元左翼のバース党系の世俗政権も同胞団の仇敵だ(シリアの反政府勢力は内戦開始後、同胞団の勢力が米諜報界からの支援を受けてISカイダに変身した)。ムスリム同胞団(スンニ派イスラム主義)vs左右の世俗政権(王政、軍事政権、左翼政権)という対立が、従来の中東にあった。 (イスラム化と3極化が進む中東政治) この対立構造も、米国の中東覇権の喪失によって変化しそうだ。米諜報界の支援を失ったISカイダが解体して同胞団に合流するので同胞団は強くなる。トルコとカタールは同胞団を支援してきたが、近年はそこにイランが接近しており、これらの勢力は米国の退潮と反比例して優勢になる。エジプトは2011年に「アラブの春」でムバラクの軍事政権が潰れて同胞団の政権ができたが、サウジに支援された軍部がクーデターで権力を奪還してシシ政権になっている。今後、米国の退潮でサウジの力が弱まり、エジプトで再び政権が転覆されて同胞団の政府に戻るかもしれない。ヨルダンやパレスチナ(とくにガザ)では同胞団であるハマスが強く、これからの米国の退潮で、ヨルダンやパレスチナ自治政府がハマスに乗っ取られるかもしれない。 (UAE official says time to manage rivalry with Iran and Turkey) 中東において英国(大英帝国)が植えつけた敵対構造は「スンニ対シーア」「世俗主義対イスラム主義」というイスラムどうしの対立だけでない。パレスチナ問題に象徴されるユダヤ対イスラム、イスラエル対アラブの対立も、大英帝国が意図的に植えつけた敵対構造だ。イスラエルという国家自体、英国が中東を分割支配するために、英国がユダヤ人の要求に屈した形を取りつつ建国を誘導したものだ。アラブやイスラムの側から見るとイスラエルは英米覇権の尖兵だ。イスラエルは安全保障を米国に依存してきた。米国の退潮は、イスラエルの滅亡につながりうる。 (イスラエルとロスチャイルドの百年戦争) しかし、もしイスラエルが滅亡させられるなら、道連れに中東全体を破壊しようとするだろう。中東で米国が退潮し、イスラエルが滅びるほどの激動が起きると、サウジGCCエジプトヨルダンなどアラブの米国傀儡諸国の政権も転覆されかねない。サウジなどアラブ諸国の支配者たちは、それならイスラエルの存在を受け入れて中東の安定を保ち、今のアラブ諸国の政権を守った方がましだと考えている。アラブとイスラエルが和解して団結すれば、イランの台頭にも対抗できる。アラブとイスラエルが和解するには、パレスチナ問題を形だけでも解決せねばならない。 (Israel may accept Iran as nuclear-threshold power on condition of US-Russian guarantees) (覇権転換とパレスチナ問題) こうした考えのもとでトランプ政権時代に、イラン敵視の枠組みでサウジ主導のアラブとイスラエルが和解し、形だけパレスチナ問題を解決したことにする「アブラハム協定」が作られた。あの協定はトランプの奇妙な思いつきのように扱われ、トランプ政権が終わるとともに軽視されている。だが、アフガン撤退で米国の中東覇権の低下が加速してイランが台頭する中で、アラブとイスラエルの親米政権が生き残っていくにはアブラハム協定のような新たな枠組みが不可欠だ。 (Tehran-Riyadh detente could mark the end for Israel’s anti-Iran coalition) 今年4月以来、アラブの盟主であるサウジがイランとの和解交渉を進め、和解の枠組みはほぼ完成している。「サウジがイランと和解してしまったので、イラン敵視のためにサウジとイスラエルが和解するアブラハム協定は無効になった」という見方が米マスコミで出ているが、それは本質を見ていない。アブラハム協定の本質は「イラン敵視」でなく「米国の退潮後のサウジ王政とイスラエルの延命」である。サウジがイランと和解したのは、米国退潮後の中東の対立構造をできるだけ減らして安定させた方がサウジ王政の延命のために良いからだ。 (Iran says Saudi talks on ‘right track’ but more dialogue needed) イランは同胞団を支援している。米国退潮後の弱体化したサウジ王政がイラン敵視を続けていると、イランが同胞団を動かしてサウジ王政を潰そうとする動きを強めかねない。サウジ王政は、早めにイランと和解すればイランに同胞団を抑えておいてもらえる。サウジはイランだけでなく、同胞団のもうひとつの支援者であるトルコとも和解している(カショギ殺害後、トルコとサウジは悪化していた)。サウジだけでなく、米国退潮後に同胞団に政権を奪われかねないエジプトやヨルダンの為政者たちもイランと和解したがっている。 (カタールを制裁する馬鹿なサウジ) (カショギ殺害:サウジ失墜、トルコ台頭を誘発した罠) サウジだけでなくイスラエルにとっても、今後の米国退潮後の中東で台頭が必至なイランを敵視し続けるのは自滅的な愚策だ。イラン敵視をひそかに外した上でサウジとイスラエルが和解し、パレスチナ人に最低限の納得を与えてパレスチナ問題を「なんちゃって2国式」で解決してアブラハム協定を達成してしまった方が、イランがイスラエルを敵視する根拠を失わせる点でも有効だ。 (Egypt, U.S. Advance Palestinian Unity Government, but Fatah and Hamas Leery) パレスチナ問題の解決にとって、国連決議に盛り込まれているエルサレム分割の実施、東エルサレムをパレスチナ国家の首都にしてやることは必須だ。しかし、東エルサレムや西岸の内部に作られてしまっているユダヤ人の入植地は、イスラエルが代替地をパレスチナ国家に与えるやり方で、ある程度そのまま残すことができる。これらは、かつての「オルメルト案」を踏襲した「トランプ案」の中東和平計画に盛り込まれている。トランプ案はイスラエルの譲歩を少なくしてあるだけに最低限の2国式だが現実的だ。 (Year of changes place Abraham Accords supporters on rockier ground) 冒頭に書いたように、米国はもうイランを軍事攻撃しない。米欧がイランを経済制裁を強化しても、イランをますます経済安保の両面で中露の傘下に押しやるだけで逆効果だ。軍事攻撃も経済制裁も、もう効かない。イランは中露の傘下で有利になる半面、イスラエルは米国の退潮で不利になる一方だ。イスラエルにとって、今ほどイランとの外交的な和解が必要な時はない。早くしないとイスラエルが不利になるばかりだ。それなのにイスラエルのベネット首相は「イランは(信用できないので)外交での問題解決は不可能だ(経済制裁や軍事攻撃に頼るしかない)」と発言している。実際は、経済制裁や軍事攻撃の方が不可能であり、ベネットは頓珍漢なことを言っている。 (Israel’s Bennet Warns There are Non-Peaceful Ways to Deal With Iran) (Former Mossad chief says Iran ‘no closer than before’ to obtaining nukes) ベネットはなぜ頓珍漢なことを言うのか。その理由は、今のベネット政権が多党連立で、連立与党内にイラン敵視の右派がいるので強硬なことを言わざるを得ないからだ。野党のネタニヤフのリクードは「親イスラエルのふりをした反イスラエル」で自滅的に強硬なことばかり言っており、そちらへの対抗の意味もある。実のところ、ベネットは口で強硬姿勢の頓珍漢を言いつつ、裏で現実的な戦略を進めている。イランとの敵対関係はそのままにして、先にサウジなどアラブ諸国との和解を進め、同時に前任のネタニヤフが悪化させたパレスチナ自治政府との関係を改善し、実質的なアブラハム協定の路線を先に進めている。イスラエルがアラブとの関係を改善し、パレスチナ問題を解決の方に進めている限り、イランはイスラエルとの敵対を強めにくい。そのうちに米国の退潮が進んでイスラエル政界の右派が弱くなり、ベネット(やその後継政権)は国内政治上もイランとの和解がやりやすくなる。 (Israel hampered in its Iran policy by bitter top-level wrangling) (Israel is OK with Biden efforts to reenter Iran deal, but wants to see a ‘Plan B’) バイデン政権の米政府も頓珍漢だ。バイデン政権は、イランに核兵器開発をやめさせる核協定JCPOAの交渉を再開しようとしている。イランはもともと核兵器を開発していないので、イランに核兵器開発をやめさせるJCPOAの交渉自体が不要だ。2015年にJCPOAを開始したオバマ政権は、米欧から経済制裁されたイランが中露の傘下に入って米欧の制裁力が無効になり、米覇権の低下と多極化が進みかねないので、それを防ぐためにイランが核開発を減らしたら制裁を緩和する米覇権維持策として始めた。だがトランプが2018年に離脱してJCPOAは崩壊し、イランは中露の傘下に入って多極化が進んだ。さらに今夏、バイデンのアフガン撤退によって米覇権が低下し、イランの上海機構への加盟もあり、中露イランの覇権が増した。 (Iran Drawing Conclusion on Resumption of JCPOA Talks: FM) それらの全てが起きた今になって米国はJCPOAの再開を手がけている。イランは中露の傘下で台頭しており、いまさらJCPOAなど不要だ。イランは米国に各種の譲歩を求め、それが受け入れられたらしくJCPOAの交渉が再開されることになった。今やJCPOAは米国の覇権を守るのでなく、イランの覇権を強化する隠れ多極主義的なものになっている。米覇権を喪失させる稚拙なアフガン撤退、中国を台頭させるだけの中国敵視など、バイデン政権は全体的に隠れ多極主義であり、JCPOA再開はその一環と言える。米政界では、バイデンやオバマといった民主党がイスラエルに冷たく、トランプら共和党がイスラエルに親身な傾向だ。 (We should not resume the Vienna talks on JCPOA from scratch: Russia) (Israel still fears US approach to Iran) イスラエルは、イランの台頭を加速させるだけのJCPOAの再開につきあいたくない。しかしバイデンの米国は、イスラエルが反対してもJCPOAを再開する。それならということで、イスラエルは10月13日、JCPOAについて協議すると言って外相を訪米させ、同時にサウジの子分であるUAEの外相もホワイトハウスに呼んで米イスラエルUAEの3か国の外相会談として実施し、JCPOAの話をするふりをしてイスラエルとサウジUAEなどアラブ諸国が和解するアブラハム協定の話にすり替えた。イスラエルは、アラブと和解してパレスチナ問題もある程度解決できたら、それから先がイランとの交渉になる。ベネットは近くロシアを訪問する。米国よりロシアの方が頼りになる。 (Israel's Lapid discusses Iran, Abraham Accords, US-Israel ties in Washington) (Bennett to travel to Russia next week to meet Putin, with Iran on agenda) 米国は最近、トランプが閉めた東エルサレムのパレスチナ向けの米領事館を再開しようとしている。ベネット政権は再開に反対しているが、これも連立政権内に右派を抱えていることによる演技っぽい。ベネットは実のところアラブ諸国と和解するためパレスチナ問題の解決への道を再開したい。米領事館の再開はそれと連動しており、むしろベネット政権からの依頼を受けた再開かもしれない。 (Israel warns US over plan to reopen Jerusalem consulate) (Israel Blasts Biden Plan To Open US Consulate For Palestinians In Jerusalem: "No Way We'd Agree")
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