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許されていくアサドのシリア

2021年10月13日  田中 宇 

米欧は2011年以来、シリアのアサド政権に虐殺や化学兵器使用の濡れ衣をかけて潰そうとしてシリア内戦を展開してきた。アサドはロシアやイランの支援を受けて持ちこたえ、米英トルコから支援された反政府勢力(アルカイダISISなどのテロ組織)の方が負けていき、シリア内戦は昨年あたりの段階でアサドや露イランの勝利で終わっている。往生際が悪い米欧側は負けを認めず、マスコミも歪曲報道を続けており、シリア内戦は正式な終結が宣言されていない。米国はアサドを敵視したままだが、シリア内戦はすでに終わっている。欧州ではNATO中核の英独仏がアサド敵視を保っているが、オーストリアやハンガリー、ギリシャなどはアサドと関係改善している。 (シリア政府は内戦で化学兵器を全く使っていない?) (シリア内戦終結でISアルカイダの捨て場に困る

ISカイダを支援し、アサド政権に濡れ衣をかけてシリアを潰そうとした米英は「極悪」であるが、マスコミの歪曲報道によって善悪が逆転され、世界の人々は米英の極悪さに気づかないままだ。もしISカイダがアサド政権を倒していたら、その後のシリアは今のリビアのように、ずっと無政府状態の混乱が続き、米国の責任が大きくなっていただろう(米国はリビアを潰し、何の責任もとっていないが)。2003年の米軍侵攻後のイラクも大混乱して国民の1割に当たる200万人が死に、米国が非難された。シリアやリビア、イラクの内戦や無政府状態を作ったのは米政府の表の勢力でなく、裏の米英諜報界(深奥国家、軍産複合体)である。 (軍産複合体と闘うオバマ

シリアやリビアの内戦開始時の米国の表の勢力だったオバマ政権は、軍産諜報界に盾突き、シリアやリビアの政権が潰れるのを防ごうとした。リビアは潰れてしまったが、シリアでは米国がロシアに頼んで空軍でアサド政権をテコ入れしてもらったためアサド政権が潰れなかった。それ以来、シリアはロシアとイランの覇権下に移転している。オバマがシリアをロシア側に譲ったのは、シリアの泥沼化を防ぐことで米国の覇権を守るためだったが、それは結果的に多極化を進めることになった。次のトランプ政権も諜報界と対立しており、はめられぬようシリアに手を付けないようにしていた。そして今、コロナ危機によって諜報界の世界支配力が落ちた状況下で、バイデン政権の米国が、今夏の崩壊的なアフガニスタン撤退を皮切りに、中東で隠れ多極主義的な覇権放棄や撤退をこっそりかつ大胆に次々と展開しており、シリアでも興味深い動きになっている。 (シリアをロシアに任せる米国

バイデン政権は、米国自体のアサド敵視を保持したまま、アラブの対米従属諸国やイスラエルがアサドのシリアと和解していくように仕向けている。最大のものは、アラブの親米国の一つであるレバノンが経済破綻の激化でひどい停電状態になっているのを他のアラブ諸国が助けるプロセスを利用して、アラブ諸国がシリアと和解していくよう誘導している動きだ。レバノン政府は昨年、通貨下落から債務不履行(デフォルト)して国家破産しており、高騰する石油やガスを買えず最近は全国的な停電に陥っている。レバノンの最強勢力である親イランのヒズボラ(シーア派イスラム教の武装政党)は、イランからタンカーで石油を運び込んでおり、イランがレバノンを傘下に入れる傾向が増している。 (Lebanon power deal: Beginning of the end of Syria's isolation?) (非米化するイラクとレバノン

この状況を使って米政府(駐レバノン米大使)は8月から「仇敵のイランがレバノンを完全に牛耳る前に、アラブ諸国がレバノンにエネルギー支援すべきだ」と表明しており、アラブ諸国がエジプトの天然ガスをヨルダン、シリア経由でレバノンに運ぶパイプラインを再開する動きを後押ししている。このパイプラインは2009年に完成し、エジプトの天然ガスをレバノンに運んでいたが、2011年のシリア内戦の勃発とともに、シリア国内のパイプラインが不通になり、それ以来パイプラインは機能していない。パイプラインが通っているシリア南部は昨年まで、向かいのイスラエルや南のヨルダン駐留米軍に支援されたISカイダに占領されていたが、今ではシリア政府軍が奪回し、アサド政権下に組み込まれている。外交的な合意さえあれば、数週間から数か月の間にパイプラインが修復でき、エジプトの天然ガスをレバノンに運べ、レバノンの停電が解消される。 (Can Arab Gas Pipeline plan enable Lebanon to keep the lights on?

パイプライン沿いのエジプト、ヨルダン、シリア、レバノンの4カ国は、すでに9月8日にパイプラインの再開とガスの送付契約について調印している。早ければ今年中にエジプトからレバノンへの天然ガスの輸送が開始される。これはレバノンの停電解消に役立つはずだ。米国はパイプライン再稼働に協力するため、対シリア経済制裁を一部解除する見通しだ。レバノン政府は財政破綻しておりカネがない。世界銀行がレバノンにカネを貸し、エジプトに払うガス代にあてる。 (How will Lebanon pay for Egyptian natural gas?

この事業は、米国や、米傘下の世銀が後押ししている。その目的は「仇敵イランのレバノンへの影響増加を防ぐため」だ。しかし、少し考えるとこの目的は達成できないことが最初から明らかだ。その理由は、レバノンの停電や経済破綻が解消されても、レバノン政府を握っているのはイラン傘下のシーア派の武装政党ヒズボラであり、レバノンが親イランの国であることは変わらないからだ。シリア内戦以前、レバノンはシリア(アサド政権)の影響下にあり、当時のシリアはイラン(シーア派イスラム主義)やムスリム同胞団(スンニ派イスラム主義)と親しくない世俗派政権であり、レバノンにおけるヒズボラの力は今よりずっと弱かった。しかし今、シリアのアサド政権自体が内戦を生き抜くためにイランやヒズボラから軍事支援を受けるようになり、アサドとイランとヒズボラは一体の存在になった。この状況下で米国が天然ガスなどでレバノン経済をテコ入れしても、レバノンがイランから距離を置くことはない。レバノンはイランからの石油などの支援も受け続ける。 (Syria after the fall of Kabul: A European perspective

シリアの防空体制は2015年以来ロシアの傘下にある。ロシアが空軍力でシリアを支援しなかったら、シリアは内戦でもっと多くの市民が死んでいただろう。アサドだけでなくシリア人の全体にとってプーチンのロシアは恩人だ。アサドは9月13日、モスクワを3年ぶりに訪問してプーチンに会った。内戦の終わり、他のアラブ諸国との和解、戦後復興の本格化、米国の退潮。シリアをめぐる状況が節目を迎え、アサドが訪露した。中東にとって重要なのは米国より露中になっていく。 (Putin meets Assad, takes swipe at US and Turkish forces in Syria

米国はこれまで、ヨルダンやサウジアラビアなど親米のアラブ諸国やアラブ連盟がシリアのアサド政権と和解することを許さなかった。シリア内戦でアサドが負けそうになっていた時はそれで良かった。だが昨年以降、シリア内戦がアサドの勝利、ISカイダ(米国側)の敗北で終わることが確定し、アラブ諸国の間でアサドと和解すべきだという主張が広がった後も、米国はアサド敵視を続け、親米諸国にもアサド敵視を強要した(サウジの弟分であるUAEは米国に従わず、昨年からシリアとの国交を回復している)。アラブ連盟では、2011年に追放したアサドのシリアの再加盟が何度も検討されたが、米国の横やりで実現しなかった。 (Syria–United Arab Emirates relations - Wikipedia

だが今夏、エジプトの天然ガスをシリア経由で再びレバノンに送る構想が持ち上がり、それをバイデンの米国が支持した後、ヨルダンやエジプトがシリアとの関係を改善している。すでにヨルダンとシリアの国境はほぼ平常に戻り、国境を両国で管理する内戦前の態勢に戻っている。シリア内戦時、ヨルダンには米諜報界(軍産)に支援されたシリア反政府勢力(ISカイダなど)の拠点や宣伝機関があったが、ヨルダン政府は最近、それらの組織を閉鎖に追い込み、シリア反政府勢力の幹部を拘束している。 (Assad comes in from the cold

ヨルダンは米国の傀儡国であり、米諜報界がテロ組織を操って中東を支配するための重要な場所だった。ヨルダンにいるシリア反政府勢力は、表の米政府もしくは裏の米諜報界から見捨てられない限り、ヨルダン政府から潰されることはない。ヨルダン政府が国内のシリア反政府勢力を潰しつつアサド政権との関係を正常化したことは、米諜報界(裏の米国)ひいては(表の)米国による中東支配が大幅に弱まっていることを示している。米国の表側(政治家)は、裏側(諜報界・軍産・深奥国家)に引っ張られて中東と世界の支配を続けてきた。ネオコンやトランプやコロナによって裏側の力が弱まり、バイデンの表側が自国の覇権衰退を容認して覇権放棄や多極化の流れを進め、レバノンを救う天然ガスパイプラインを通すためアラブ諸国がアサドのシリアと仲直りするのを米国が認めざるを得ないという「現実路線」っぽい(屁)理屈が出てきた。 (Middle East cooperation appears to be breaking out — the untold story

アラブ諸国は米国の許可を受けてアサドのシリアと仲直りしていくが、米国自身は今後もアサドを許さない。米国自身がアサドと和解してしまうと、アサドと他のアラブの両方が米国の傘下に入るという、旧来の米国覇権の体制に近いものに戻ってしまう。2003年のイラク侵攻以来、米国は自滅的な戦略によって覇権放棄と多極化の流れを作ってきた。この流れを逆行させることを米国はやらない。米国がアサドと和解するとしたら、それは米国が今よりさらに弱くなり、中東諸国が米国抜きで中東を運営していく傾向がもっと強くなって、米国がどう動こうと大勢に影響しなくなってからだろう。 (The US has given the green light to normalisation with Syria

バイデンの米国は、アフガニスタンやイランに関しても似たような自滅行為や反米勢力の強化をやっている。アフガニスタンで米国は、タリバン政権を敵視しつつ米欧の軍隊や外交団を撤退させ、タリバンのアフガニスタンが中国やロシアの傘下に入るよう誘導し、それが一段落して非米的な新体制が確立した今になって、表向きタリバン敵視を続けつつ目立たないようにタリバン経由でアフガニスタンへの人道支援を開始している。米国は今後もタリバンとの国交を結ばないまま支援を続けそうだ。 (Taliban Hails Reception Of US Humanitarian Aid, But No Formal Political Recognition Yet

イランに関しては核協定(JCPOA)の交渉再開だ。JCPOAはもともと、米国に経済制裁されたイランが中国やロシアの傘下に入っていくのを防いで米国側に引き戻す「米中東覇権の維持策」として2015年にオバマ政権が作った。その後、トランプ政権が覇権放棄・多極化策の一つとしてJCPOAを離脱して機能不全に陥らせ、イランが中露の傘下に入っていく流れが加速した。イランが十分に中露の傘下に入って上海協力機構への正式加盟も許され、今夏にイランと中国の間にあるアフガニスタンも米軍撤退で米国側から中露イラン側に転換した後の最近になって、バイデンの米国はJCPOAへの復帰に動き出した。すでにイランは中露の傘下に完全に入った状態で米欧からの経済制裁を乗り越え、イラクやシリア、レバノン、イエメンを傘下に入れて中東で影響力の拡大を加速している。もうイランはJCPOAを必要としておらず、米国から敵視されたままでやっていける。 (Israel still fears US approach to Iran @BenCaspit) (トランプがイラン核協定を離脱する意味

そんな状況なのに、バイデンの米国は「JCPOAでイランを従わせる」というオバマの戦略を踏襲したがっている。イランは、米国が大きな譲歩をするなら交渉を再開しても良いという態度で、米国はイランに対して非公式にいろいろ譲歩し、それを受けてイランが米国との交渉に応じることになった。イランを対米従属させて米覇権を守るはずのJCPOAは今や、中露の傘下に入ったままのイランを米国が譲歩して強化する隠れ多極主義の策に変質している。イランは昔も今も原子力は民生用だけで核兵器を開発していない。「イランの核兵器開発」の話は米国側が捏造した濡れ衣だ。核問題は、イランを潰すためのものから、イランをこっそり強化するものに変質している。 (Iran: Removing all 800 Trump-era sanctions ticket for US to return to JCPOA talks

シリア、アフガニスタン、イランという中東の各地で、米国は自らの覇権を縮小し、多極化を進めている。対米従属してきたサウジやエジプトやヨルダンといった親米アラブ諸国は、米国の退潮によって取り残され、シリアやイランとの和解を迫られている。レバノンへのガスパイプラインの再開は、親米アラブ諸国がシリアと和解するための格好の隠れ蓑になっている。 (Arabs ease Assad's isolation as U.S. looks elsewhere

中東からの米国の退潮によって取り残されているのはアラブだけでない。イスラエルも同様だ。イスラエルは表向き、シリアを空爆し、イランとの戦争も辞さずという好戦的な態度をとっている。だが、中東からの退却を加速している米国はもうイスラエルのために戦ってくれない。イスラエルの唯一の軍事的な後ろ盾である米国が今よりさらに中東から撤退すると、今はまだイスラエルにやられっぱなしになっているシリアやレバノンのイラン系の武装勢力(ヒズボラなどシーア派民兵団)がイスラエルに反撃する傾向を強め、今は勝っているイスラエルが負けていく傾向が強まる。そうなる前に、イスラエルはシリアやレバノンを含むイラン側と和解する必要がある。 (IDF Chief Says Israel Will Continue to Attack Iran

イスラエルでは、イラン側との和解を拒否して戦争をしたがる過激な極右の入植者たちが強い政治力を持っている。彼らの主力は米国からの移住者で、米政界を牛耳って親イスラエルな政策をとらせることで、米イスラエルの両方で強い政治力を保ってきた。今春までイスラエルの政権を16年も握ってきたネタニヤフ前首相は入植者の政治力を基盤に権力を保持してきたので、イランやパレスチナの側を敵視し和解を拒否する策しかとれなかった。米国が中東から去っていくなか、敵対戦略をとり続けているとイスラエルは滅びる。連立の組み方を工夫してネタニヤフをようやく追い出して政権をとった今のベネット政権は、イランやシリアと和解したいと考えている(はずだ)。しかしまず入植者の猛反対を乗り越えねばならない。 (イスラエルが対立構造から解放される日

イスラエルが敵方と和解していくなら、まずはイランよりシリアの方がやりやすい。イスラエルは1967年の中東戦争でシリアからゴラン高原を奪って占領しており、ゴラン高原をシリアに返還することでシリアと和解できる。イスラエルの歴代政権のいくつかが、実現まで至らなかったものの、ゴラン高原を返還してシリアと和解することを模索してきた。イスラエルでは、イランとの和解が公式に試みられたことがないが、シリアとの和解は試みられてきた。 (イスラエルとシリアの和平交渉

今回、アラブ諸国がレバノンへの天然ガス送付の話を口実にシリアと和解しようとしている動きを、イスラエルはまったく無視してきた。気がつかないふりをしてきた。イスラエル側が気づかなかったはずはない。レバノンに送られる天然ガスを産出しているのはエジプトだけでなく、イスラエルも入っているからだ。エジプトもイスラエルも地中海に海底ガス田を持ち、両国のガスはエジプトで混合されている。今後レバノンに送られるガスの中に、イスラエル産も入っている。イスラエルは周辺国や米国に対する諜報力も高く、今回のガス送付計画を早期に把握したはずだ。しかし計画が公然化する直前まで、イスラエルでは気づかないふりが続けられた。不可解だ。 (Why Israeli gas and Syrian sanctions relief may turn on Lebanon’s lights) (Lebanon Won't Care Its Energy Has Israeli Fingerprints on It

私から見るとこれは、ベネット政権とそれに連なる諜報界が、アラブがシリアと和解してしまったのでやむなくイスラエルもシリアと和解せざるを得なくなったという話の展開にして、シリアとの和解に猛反対する国内の右派・入植者集団を黙らせるための演技・策略だ。イスラエルの諜報界には右派の人々もたくさんいるが、彼らですら、もうシリアなどイラン側と敵対し続けるのは限界だと考えているのだろう。シリア側も、ゴラン高原を返してくれるなら喜んでイスラエルと和解できる。イランも反対できない。イスラエルは従来、エジプトとヨルダンを手なづけてきたが、これらの諸国がシリアと和解したので、イスラエルもシリアと和解しやすくなった。レバノンに送られる天然ガスには、イスラエル産が勝手に入ってしまっている。 (US shifts towards accepting Assad regime. Israel is caught unawares

イスラエルの右派はゴラン高原にも入植地を作っており、彼らはゴラン高原の返還には絶対反対だ。ベネット政権はとりあえず「ゴラン高原の入植地を倍増させる」という歴代政権の目標を踏襲している。しかし今後、米国の中東覇権がさらに低下すると、連動してイスラエル政界で右派入植者の影響力が低下しそうだ。米国の退潮と反比例してイラン側が台頭していき、エジプトなどアラブ諸国がシリアとの和解を進めていく。イスラエルが米国の後ろ盾なしでイラン側と戦争することは全く非現実的な話になる。どこかの時点で、ゴラン高原を返還してシリアと和解するのが現実的だということになり、その先の話としてイランとの和解も出てくる。 (Israel may accept Iran as nuclear-threshold power on condition of US-Russian guarantees



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