トランプがイラン核協定を離脱する意味2018年5月8日 田中 宇米トランプ大統領が5月12日、イランと「国際社会」(米英仏露中独、安保理P5+1)が結んできた核開発をめぐる協定(JCPOA)から米国を離脱させるかどうかについて決めて発表する。この決定は、欧州から中東、中央アジアにかけての広域の今後の状況を左右する。これはトランプの大統領就任以来の最重要な決定になると、米国の権威ある外交専門家(Graham Allison)が言っている。最近、マクロンやメルケルら、仏独英の首脳や外相が次々に訪米し、トランプに、イラン協定から離脱しないよう説得・懇願した。だがトランプは、おそらく協定からの離脱を表明する。マクロンは訪米の最後に、トランプの説得に失敗したとの認識を表明した。 (On Iran: Don’t Let Bibi Sell Us Another War) (Macron Says His ‘Bet’ Is That Trump Will Withdraw From Iran Nuclear Pact) イラン核協定(JCPOA)が重要である理由は、核協定がイランの核兵器保有を防いでいるからでない。イランの核が問題になった03年以降、イランは核兵器の開発を進めていない。IAEAが認めている。「イランが核兵器開発している」「米欧が監視しなければ、イランは核保有する」というのは、イランを敵視する軍産イスラエル傘下の米欧マスコミが歪曲している濡れ衣だ。米国が核協定を離脱しても、イランは離脱しないと言っている(イランは以前、米国が抜けたらイランも抜けると言っていたが、これは米国の離脱を防ぐための脅し文句だった)。核協定にとどまる限り、イランはIAEAから監視され、核兵器開発を進められない。イランは、核兵器を開発するつもりがない。 (歪曲続くイラン核問題) (Nuclear deal exit will prove US isolation: Iran's FM) イランが核兵器を開発する気がないので、イランの核開発を防止するための協定も無意味だ。核協定の重要性は、違うところにある。15年にオバマ政権がJCPOAを締結する前、米国の世界戦略の決定に強い影響力を持つ軍産イスラエルは、イランの核兵器開発を止めるためにイランを軍事攻撃して政権転覆すべきだと主張していた。01年の911テロ事件によって米国の世界戦略の決定権を握った軍産イスラエルは、中東でイスラエルの脅威になる大国を次々と政権転覆・破壊するのが隠れた目的の一つである「テロ戦争」を開始し、03年にイラクに侵攻して潰した後、イランに核兵器開発の濡れ衣をかけて潰そうとした。 (イランとオバマとプーチンの勝利) (Russia sees closer Iran ties if U.S. exits nuclear deal - official) 米国の上層部には、軍産イスラエルに支配される体制を崩したいと考えた勢力もいたはずだ。911後、米上層部は全員が軍産イスラエルの支持者になった観があったが、その中には、軍産イスラエルの支持者(好戦派)のふりをしつつ、軍産イスラエル支配を崩す策略を展開した人々がいた。その一つは、イラク戦争の開戦の大義(イラクの大量破壊兵器の保有)を、意図的に、濡れ衣であることがすぐバレるような稚拙なもの(ニジェールウラン文書など)にして、軍産イスラエル支配下の米国の威信を引き下げる策をやった人々(ネオコン)だ。オバマは、ネオコンのような裏技でなく、正攻法で、軍産イスラエルのイラン敵視策を終わらせようとした。それがJCPOAの核協定だった。 (UN Nuclear Agency: No Credible Indications of Iran Nuclear Activity After 2009) 核協定は、イランが核兵器開発していないことを証明するIAEA査察を受け続ける見返りとして、イランが米国から軍事攻撃されず、経済制裁を解かれて世界との貿易を許される内容だった。協定の最重要点は「イランの核兵器開発を防ぐこと」でなく「軍産イスラエル支配下の米国がイランを攻撃・制裁して政権転覆するのを防ぐこと」だった。JCPOAは、核協定と銘打った、安保協定だった。 オバマは大統領権限を駆使してJCPOAを締結したが、軍産イスラエルに牛耳られた米議会は協定に反対で、90日ごとに協定の妥当性を見直す条項をつけた(これが今回のトランプの離脱検討の根拠)。核協定の枠外で、米国はイラン制裁を続けた。米政界を牛耳る軍産イスラエルは、オバマの次の大統領はJCPOAを潰してくれる人物でなければならないという運動を展開し、トランプはこれに乗って、立候補当初から「大統領になったらJCPOAを離脱する」と言い続けて当選した(オバマの後継者の色彩が強いクリントンは「協定を見直す」としか言えなかった)。トランプは選挙公約に沿って、JCPOAからの離脱を目指している。 (Trump Will Announce Iran Deal Decision At 2 PM Tuesday) ▼米国のイラン協定離脱はイスラエルの国益にもマイナスなのに・・・ 軍産イスラエルは、米国を核協定から離脱させ、イランの国家安全を保障している核協定の体制を壊し、米国がイランに核兵器開発の濡れ衣を再びかけて、軍事攻撃(もしくは市民蜂起の扇動)によってイランを政権転覆して潰したい。このシナリオに沿って考えると、トランプが核協定からの離脱を決めると、米イスラエルがイランを潰す戦争を起こすことにつながる。トランプが核協定を離脱するかどうかは、中東の戦争が拡大するかどうかであり、世界の今後を大きく左右する・・・・、という解説記事が流布しているが、私が見るところ、これもお門違いだ。 (US Is Playing With Fire if It Walks Away From the Iran Nuclear Deal on May 12) (Trump Is Setting America on an Unpredictable Course in the Middle East) イラク戦争のころは、米国がイラクを敵視したら、つられて世界がイラクを敵視したが、今は状況が大きく違う。米国がイラン核協定を離脱しても、他の諸国は離脱せず、協定を堅持する。米国が抜けた後も協定は維持され、米国抜きの国際社会が、イランが核兵器を開発していないことを確認し、イランの安全を保障し続ける。米国が協定を抜けたら英独仏も抜けるのでないかと以前に言われていたが、ここ数日で、英独仏とも、米国の決定にかかわらず協定を抜けないと表明した。トランプ政権になって、米国は覇権喪失を加速している。稚拙な濡れ衣戦争の構図が次々と露呈し、米国の国際信用が大きく下落し、米国についていく国が急減している。米国が離脱しても核協定は壊れず、国際社会がイランを潰す構図が戻ることも起こらない。 (Iran: We will stay in nuclear deal, even if US withdraws) 国際社会がついてこなくても、米イスラエルだけでイランを軍事攻撃して潰すのでないか。以前はその道筋があった。だが今や、それも存在しない。イラク戦争のとき、ロシアや中国は米軍の侵攻を傍観・黙認し、フセイン政権を見殺しにした。当時の米国は、中露より軍事力と国際政治力がはるかに強かった。だが今は違う。米国がイランに戦争を仕掛けるなら、ロシアや中国はイランに味方する。ロシアはs300やs400といった、かなりの性能を持つ迎撃ミサイルを、イランに輸出し始めている。そもそも、イランはイラクよりも人口が3倍以上の多さで防衛力も強い。米国がイランに戦争を仕掛けると、泥沼にはまって戦勝できない。トランプは、核協定を離脱しても、イランに戦争を仕掛けない。 (Trump Is About to Provoke an Unnecessary Crisis With Iran) (Iran official rules out possibility of US-Israel war against Tehran) 話をまとめると、米国がイラン核協定を抜けた場合の問題点は、イランが核兵器開発を再開することでもなければ、米国がイランに戦争を仕掛けることでもない。米国がイラン核協定を抜けた場合の問題点は、米国の覇権喪失と世界の多極化に拍車がかかることだ。イラン核協定の体制が米国抜きで維持され、欧州や露中が、米国を外した多極型の国際社会を運営する「新世界秩序」の傾向が強まる。イラン核協定の国連P5+1の体制は、米国が抜けると上海機構+欧州という多極型になってしまう。イラン自身、米国から制裁され、米国抜きの多極型の世界体制を以前から望み、中国やロシアと親しくしてきた。多極型の新世界秩序が何とか回っていくにつれ、好戦的な米国が単独支配する以前の世界秩序に戻りたいと思う国々や人々が減る。トランプのイラン核協定からの離脱は、覇権放棄・多極化の策である点で、TPPやNAFTA、NATOからの米国の離脱と同種の流れだ。 (TPP11:トランプに押されて非米化する日本) トランプは、エルサレムに米大使館を移したり、米国の軍事費を急増したりして、軍産イスラエルの支持者のように振舞ってきた。トランプは、濡れ衣のロシアゲートを引き起こして戦いを挑んできた軍産と激しい戦いになっているが、イスラエルとは仲が良いように見える。だが、これにも暗闘的な裏表がある。イスラエルでは最近、ネタニヤフ首相が「イランが核兵器開発している」「イランを政権転覆すべきだ」などと、さかんにイランを攻撃している。これは、イラン核協定を離脱しようとするトランプへの援護射撃だ。ネタニヤフがトランプをイラン協定離脱という間違った策に引っ張り込んでいると分析する記事も見かけた。 (Benjamin Netanyahu is bending Donald Trump’s ear on Iran) (Netanyahu Calls for War to ‘Stop’ Iran, Says ‘Better Now Than Later’) しかし、この構図を詳細に見ていくと、違う話が見えてくる。ネタニヤフは、米国のイラン核協定離脱がイスラエルの国益になると主張しているが、イスラエルの軍事・諜報界の上層部の人の多くは、米国の協定離脱はイスラエルの国益にならないと考え、米国はイラン核協定を離脱すべきでないとする連名の公開書簡まで発表している。私が見るところ、正しいのは軍事諜報界の人々の方だ。すでに書いたとおり、米国の協定離脱は、イランの国家安全を保障する協定体制から米国が抜けて孤立する結果にしかならず、イスラエルの唯一の後ろ盾である米国の退潮と、イスラエルの仇敵であるイランの台頭を招き、イスラエルの国益にとって大きなマイナスだ。 (...it is in Israel’s best interest that the United States maintains the nuclear agreement with Iran) (Netanyahu Tries but Fails to Bury Iran Deal Before Trump Kills It) 米国のイラン核協定離脱がイスラエルの国益にプラスだと言うネタニヤフは間違っている。勘違いして間違っているのでなく、間違いと知りながら主張している。ネタニヤフはスキャンダルに追われ、捜査されている。この構図の黒幕は、おそらく米国のユダヤ人だ。彼らは、キッシンジャーからネオコンまで脈々と続く「イスラエル支持のふりをした反イスラエル」「米国覇権強化のふりをした多極化推進」の、隠れ多極主義的なユダヤ人の流れの中にいる。トランプを擁立し、入れ知恵しているのも、ネタニヤフをスキャンダルで縛り、あやつっているのも彼らだろう。 (The Latest Act in Israel's Iran Nuclear Disinformation Campaign : Gareth Porter) (Netanyahoo To Again Cry Wolf - But Something Bigger Is Up) トランプは、イラン核協定からの離脱を目指すと同時に、駐イスラエル米国大使館をテルアビブからエルサレムに移転する動きも進めている。加えて、シリアから米軍を撤退させる動きも続けている。トランプは、米軍に代わってエジプトやサウジアラビアの軍隊(もしくは軍資金)をシリアに駐留させ、交代要員が来たと言って米軍を撤退させようとしている(トランプにおされ、シリアへの軍事進出を検討しているとエジプト外務省が正式に認めた)。シリアからの米軍撤退は、イスラエルの国益にとって、米国のイラン核協定離脱を上回る大きなマイナスだ。トランプは、米大使館のエルサレム移転というイスラエルが喜ぶ案件を目くらましに使うとともに、ネタニヤフを操って米国のイラン核協定離脱がイスラエルにとって良いのか悪いのかわからない状態にしつつ、シリアからの米軍撤退を、イスラエルからの大きな反対なしに進めようとしている。 (Egypt, Saudi Arabia Consider Sending Force to Replace US Troops in Syria) (Why Is Israel Desperate To Escalate Syrian Conflict?) これらが全部うまくいくと、米国の中東覇権は大幅に減少する。中露はイランを取り込み、上海協力機構の正式加盟国に格上げするだろう。多極化するほどイランが台頭する。対照的イスラエルは、ロシアに頼ってイランとの間を仲裁してもらうしか、国家存続できる方法がなくなる。サウジも似たような状況だ。 (Ahead of Iran’s entry, the SCO begs the Gulf’s attention) (Netanyahu to meet Putin in Moscow ahead of Iran deal deadline)
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