米国に相談せずイエメンを空爆したサウジ2015年3月31日 田中 宇3月26日、サウジアラビアが率いる「アラブ連名軍」がイエメンを空爆した。この空爆は、サウジが米国とも連携し、米サウジの仇敵であるイランに支援されて台頭するイエメンのシーア派武装勢力「フーシ派」が主導する政権がイエメンにできることを防ぐ、米国とサウジの連携した動きであると報じられている。 (US Confirms Involvement in Coordinating Saudi Attack on Yemen) しかし実のところ、今回の空爆の主役であるサウジは、空爆の直前まで、空爆計画の具体的内容について米政府(米軍)に何も伝えていなかった。米中央軍のオースチン司令官が、米議会上院の公聴会で、そのように証言している。米国が中東から軍事撤退する方向なので、サウジは米国に頼らず、周辺アラブ諸国にだけ頼り、独自に戦争を始めている。 (With Yemen strikes, Saudis show growing independence from U.S.) イエメンで起きていることを調べていくと、米国の親密な同盟国であるはずのサウジが、米国と協調せずにイエメンを空爆した理由が見えてくる。イエメンでは、長期政権を敷いていたサレハ大統領が2011年の「アラブの春」で失脚して以来、サレハの後継者のハディ大統領の政権と、北部を中心に台頭するフーシ派との対立がしだいに激化した。今回の空爆は、フーシ派がハディ政権を倒した後に起きている。 (Houthis From Wikipedia) ほぼ全国民がイスラム教徒のイエメンは、スンニ派が50-55%、シーア派が45%前後の人口比だ。スンニは南部に、シーアは北部に多く住んでいる。イエメンはもともと英国の植民地で、英国が1960年代に財政破綻してスエズ以東から撤退した時期に、イエメンも完全独立した。しかし、インド・パキスタンやキプロスに象徴される英国お得意の「撤退前に植民地内の民族・宗教対立を扇動して分裂・弱体化させてから出ていき、撤退後も内政干渉できるようにする」策によって、イエメンも、先に独立していた北部(イエメン王国、イエメン共和国)と、ソ連に食わせるかたちで68年に社会主義国として独立させた南部(南イエメン人民共和国)が恒久対立する構図を背負わされた。90年のソ連崩壊後、ソ連の支援を失った南部が北部に吸収されることに同意し、ようやく南北が統合した。 (Leave the Houthis Alone!) 統合後、北部の大統領サレハが統合後も大統領を続け、サレハは、北部と南部の両方が中央政府に反抗する傾向を抑えるため強権政治を敷いた。サレハは、米国がアラブ諸国の反政府民主化運動を容認(隠然支持)した2011年の「アラブの春」で、内外からの圧力に負けて下野した(サレハは下野の直前、渡米して自分が米国のテロ戦争にいかに協力してきたかを説いて延命をはかったが、米国は彼を助けなかった)。 (Opening Pandora's Box in Yemen) (Yemen president's ouster may deal U.S. huge setbacks) その後、サレハ政権の副大統領だった軍人出身のハディが大統領になったが、事態はしだいに不安定化し、北部と南部、中央政府の3分割状態がひどくなった。北部のシーアは人口で少数派だが、レバノンの強力なシーア派政党・武装組織であるヒズボラをモデルとしてフーシ派を作り、政府軍に対抗できる唯一の軍事勢力だ。南部にはアルカイダが入り込んでいるが、人々に支持されておらず、あまり強くない(米国ではイエメンに対するテロ戦争を正当化するため、イエメンに強力なアルカイダがいると喧伝されている)。 (Most Yemenis See al-Qaeda Presence as `Myth') フーシ派は、03年からの米軍イラク占領に反対するシーア派青年たちの政治運動(イラク国民の多数がシーア派だから)から始まり、反米反イスラエルを掲げている。モデルとしたレバノンのヒズボラと同様、イランの影響や支援を受けている。しかし、どの程度の影響・支援であるかは不透明だ。サウジやイスラエルなどは「フーシはイランの傀儡勢力」「イランの革命防衛隊やヒズボラがフーシを軍事訓練している」と断定し、最近は「イランが185トンの武器など物資を積んだ船をイエメンに送り込み、フーシを支援した」と報じられている。イランはフーシ派に経済援助することを決めたが、武器支援までしているかどうか不明だ。 (Iranian Ship Unloads 185 Tons of Weapons, Military Equipment for Houthis in Yemen) (U.S. officials: Iran's Revolutionary Guards is training and equipping Yemen's Houthis) 米政府の公式見解は「フーシとイランの関係はあまり強くない」というものだ。フーシなどイエメンのシーア派イスラム教徒は、シーア派の中でも「ザイド派」で、イランの「12イマーム派」と宗派が異なるので、両者はそれほど親しくないというのが米政府の見方だ。しかし私は、フーシ派がヒズボラをモデルとして結成されている以上、イランがフーシ派を重視しないことはあり得ないと考える。レバノンの政党兼武装勢力として成功しているヒズボラは、イランにとって、国外の親イラン勢力の模範であり、イラクのシーア派民兵団もヒズボラをモデルにしている。スンニ派からの信仰上の攻撃をかわすため、もともと隠然とした宗教であるシーア派の勢力は、政治活動も謀略的に行う傾向が強い。 (Yemen: Shiite Rebels Announce Takeover of Country) (No Proxy War: Saudi Invasion of Yemen Just Flat Out Aggression) 加えて、近年の米政府(オバマ政権、ブッシュ政権)は(隠れ多極化戦略の一つとして)「親イスラエルのふりをした反イスラエル戦略」をやっており、その一環で「イラン敵視策のふりをしたイラン強化策」もやっている。シーア派が国民の6割のイラクを民主化したらシーア派(親イラン)の国になることがわかっていて侵攻したイラク戦争がその最たるものだ。最近オバマがイスラエルの反対を押し切ってイランと核協定を結ぼうとしているが、これは米国の「親イスラエル・イラン敵視策のふりをした反イスラエル・イラン強化策」の最高潮である。この策の延長線上に「イエメンのフーシはイランと親しくない」「バーレーンのシーア派反政府勢力はイランに支援されていない」といった「見ないふり」の戦略があると私は疑っている。 (Why Yemen Constantly Appears To Be In The Middle Of A Coup) (反イスラエルの本性をあらわすアメリカ) フーシ派は結成から10年あまりで、政府軍に対抗できるイエメン最大の民兵団になった。2011年にサレハがやめ、後任のハディ大統領の掌握力も低下する中で、昨年9月、フーシ派は首都サナアに進軍してハディ大統領の官邸を包囲し、事実上政権をとった。この事件のきっかけは、IMFが昨年6月、ハディ政権に融資を行う見返りに、同政権が国民に対して行っていたガソリンなど燃料費の補助金を削減させたことだった。燃料費に高騰に怒った人々が反政府運動を開始し、フーシ派がそれに乗ってハディ政権を倒した。米国主導のIMFは、すでに弱体化していたハディ政権がフーシ派に倒されるかもしれないと気づいていたはずなのに、燃料補助金を削減させ、米国の仇敵であるはずのイランに支援されたフーシ派がハディを追い出して政権をとることに道を開いた。 (2014-15 Yemeni coup d'etat From Wikipedia) (Why Yemen Constantly Appears To Be In The Middle Of A Coup) フーシ派は首都サナアを乗っ取ったが、ハディ政権を潰さなかった。代わりにフーシ派はハディに対し、自分たちを入れた連立政権を新たに作ることを要求した。フーシ派は、米サウジに支援されたハディを倒さないことで、米サウジとの対立を避け、米サウジも容認できる新政権を作ろうとした。米軍のイラク占領に反対して作られたフーシ派は反米を党是にしているが、現実の策として反米でなかった。この対米協調策は、フーシ派の母体であるシーア派がイエメン国民の多数派でないことが一因だろうが、フーシの背後にいるイランが、中東でこれ以上米サウジと対立したくなかったこともありそうだ。 (U.S. Embassy Shuts in Yemen, Even as Militant Leader Reaches Out) (Yemen on high alert as rebels push to overthrow government) (Reports of Deal as Yemen's Houthi Rebels Call for Orderly Transfer of Power) (Why Yemen Constantly Appears To Be In The Middle Of A Coup) 米サウジ側は、フーシの柔軟で巧妙な策に乗らなかった。ハディはフーシを入れた新政権を作らず、フーシと敵対し続けた。今年2月、ハディは首都サナアでフーシに軟禁された状態から逃げて第2の都市アデンに移動し、そこから反抗を開始しようとした。ところが、ハディ大統領が反抗を開始した直後、ハディの後ろ盾だったはずの米国が、事態が危険になったといって、米軍と外交団(大使館)の全員をイエメンから撤退してしまった。 (Yemen's Rebels Hold US-Backed President "Captive" In His House. Seize Country's Largest Ballistic Missile Base) (Yemen Government in Chaos as Houthis Assert Power) フーシ派は、イエメン駐留の米国勢を敵視せず、むしろ交渉相手にしたいと考えていたのだから、フーシ派が首都サナアなどを占領したからといって、米国が危険を理由に大使館などを総撤退する必要はなかった。米国の総撤退は、米国を頼りにしていたハディ大統領の立場をさらに弱体化し、米国と交渉しようとしていたフーシ派は交渉をあきらめ、ハディを追い詰めてイエメンの政権を取る方策に転じた。米国はこれまでイエメン政府軍に5億ドル分の武器を支援していたが、それらの多くは手つかずで残され、フーシ派の手に渡った。 (How Will the Yemeni Civil War End?) (US "Loses" $500 Million In Weapons Given To Yemen, Now In Al-Qaeda Hands) ハディ大統領が立てこもる第2の都市アデンを攻略するため、フーシ派が南部に進軍すると、それに先だってアデン近郊の空軍基地にいた米軍が「近くの町をアルカイダに占領されて危険になった」という理由で、総撤退してイエメンから出ていってしまった。イエメンのアルカイダは弱く、米軍が撤退する理由になるほどの勢力でない。フーシ派は空軍基地を包囲し、米軍撤退後も残っていたイエメン軍を投降させ、イエメン空軍の多数の戦闘機を手に入れた。フーシの民兵団は戦闘機を操縦できなかったが、同じシーア派であるサレハ前大統領を支持してきた空軍の軍人たちが政府軍を裏切ってフーシに協力し、戦闘機に乗ってハディ大統領がいるアデン市内の拠点を空爆した。ハディ大統領はサウジ当局の手引きで、アデン港から船でサウジに亡命した。「空軍」を手に入れたフーシは、イエメンの全権を掌握するまであと一歩となった。 (U.S. forces evacuate Yemen air base) (Warplanes Bomb Presidential Palace In Yemen's Aden) (US-Armed Rebels Force Yemen President To Flee Country As Saudis Prepare For War) (Yemen Saudi intervention adds heat to regional cold war) 米国がイエメン駐留の軍と外交団を総撤退し、フーシが使えるように5億ドル分の武器や戦闘機などを残していき、アルカイダが近くにいるので怖いというたわけた理由で米軍までハディ大統領を見捨てて撤退したことは、まっとうな作戦として考えるにはあまりに馬鹿げた行為だ。米政府は、フーシ派に、ハディ政権を亡命に追い込んでイエメンの政権を取る動きをさせるために、タイミングを見計らって総撤退したと考えられる。米諜報機関は「イエメンの政権崩壊を事前に予測できなかった」と言っているが、まったくの茶番だ。イエメンの崩壊を誘発したのは米国の諜報機関自身だ。 (US-Armed Rebels Force Yemen President To Flee Country As Saudis Prepare For War) (Entire US staff from Yemen pulled out, State Department says) (Collapse of Yemen Took US by Surprise) 米国のイエメン撤退が隠れた意図を持っていたとしたら、その究極の意図は、フーシ派がイエメンの政権を取って内戦を終わらせて安定させることでない。米国のイエメン撤退は、サウジを標的にした戦略だろう。イランの影響下にあるフーシ派がイエメンを乗っ取ると、イランを敵視するイエメンの隣国サウジアラビアが、軍事介入せざるを得なくなる。サウジは、米国がイエメン総撤退によってフーシ派を強化した経緯を、隣国として詳細に見ている。だから、サウジはイエメンを空爆する際、米国に頼らず、直前まで米国に知らせずに挙行せざるを得なかった。 フーシが政府軍基地を接収して「空軍」を手に入れた直後、サウジは、エジプトなど親しいアラブ諸国の空軍を誘い、フーシが占拠するイエメンのいくつかの空軍基地を空爆し、戦闘機や滑走路を破壊し、フーシが獲得したばかりの空軍を無力化した。フーシは制空権を失い、サウジはイエメン上空を飛行禁止区域に指定した。 (Yemeni leader Hadi leaves country as Saudi Arabia keeps up air strikes) (Saudi-led coalition strikes Yemen, declares airspace a 'restricted zone') サウジはこれまで独自の軍事力をあまり持たず、米国の中東支配の一環として米軍がサウジを防衛してくれる構図に依存していた。サウジ王家は、自国の軍隊を強化すると王政に批判的な民意と結託して将軍がクーデターを起こしかねないので、自国軍をできるだけ強くしないようにして、その分軍事的に対米従属を維持してきた。しかし、イラク占領の失敗を受けてオバマが11年にイラクから米軍を総撤退し、米軍はリビアにもシリアにも地上軍をいれず、ここ数年、米国が中東から軍事撤退する傾向が強まった。米サウジの外交関係は、911後のテロ戦争でサウジが米国から敵視される傾向になって以来、ぎくしゃくしている。米国がサウジを突き放す策略の総仕上げとして、今回のイエメンの動きが起きた感じだ。 (Saudi Attack on Yemen - The New Normal?) (サウジアラビアとアメリカ) 強い国軍を持ちたがらないサウジ王政が頼みの綱とするのは、アラブ諸国で最大の軍隊を持つエジプトだ。サウジはかつてエジプトのムバラク大統領を支援していた。「アラブの春」が起こり、オバマ大統領がムバラクに辞任を要請した時、サウジ(とイスラエル)は驚いてオバマを止めようとして拒否された。その後できたムスリム同胞団の政権が(IMFのいやがらせもあって)経済運営に失敗して人気を失ったところで、サウジとイスラエルは、エジプト軍部にクーデターを起こさせ、シシ司令官がサウジから資金援助をもらって大統領になることに道を開いた。 (サウジとイスラエルの米国離れで起きたエジプト政変) 今のエジプトのシシ政権は、サウジ(とイスラエル)の言いなりだ。サウジ王政は、自国軍を育てる代わりに、エジプト軍を傭兵のように使っている。アラブ連盟はサミットを開き、サウジの提案で「アラブ連盟軍」を創設することになったが、その本質は、エジプト(や、同じくサウジから資金援助されているヨルダン)の軍隊がサウジの傭兵として動くことだ。 サウジは「ハディ大統領が政権に戻れるまでイエメンへの攻撃をやめない」と強硬姿勢の宣言をしている。イエメンでは、空爆を受けながらもフーシ派の優勢が続き、ハディが政権に戻れる見込みがない。サウジが強硬姿勢をとり続けてイエメンとの戦争を長引かせるのは、戦争が続く限り「アラブ連盟軍」を編成する理由(口実)があるからだろう。サウジが「アラブ連盟軍」を作る理由は、米国が中東を支配する力を弱めているからだ。イエメンの内戦は(米国が作った)きっかけにすぎない。 (Yemen's Houthis Advance Despite Continued Saudi-Led Strikes) サウジの駐米大使は先日、米国のCNNテレビに出演した際、必要になったら核兵器を作るかもしれないと発言した。こうした発言も、サウジが米国の核の傘の下から出て行く(行かざるを得ない)傾向を示している。サウジ大使の発言に対し、米政府は何もコメントせず、黙認している。イランが核保有の濡れ衣を解かれるのと対照的に、サウジが今後の核保有の可能性を示し、イスラエルは核保有を米国に暴かれている。 (Saudi Ambassador: We Won't Rule Out Making Nukes) (It's Official: The Pentagon Finally Admitted That Israel Has Nuclear Weapons, Too) 今回のイエメン空爆にイスラエルの戦闘機が参加していたと、イエメンの政治家が指摘している。オバマと仲たがいしてしまったネタニヤフ首相が、米国の代わりに、米国の傘下から離れていくサウジとの関係改善を希求し、サウジ主導の空爆に自国の戦闘機を参加させたのだという。この話が事実かどうか疑問だが、イスラエルのマスコミではここ数日、イエメンの戦争を機にイスラエルとサウジが接近し、協同でイランに対抗できるかもしれないという見方が報じられている。イスラエル戦闘機の空爆参加が事実だとしても不思議でない。 (Israeli Fighter Jets Join Saudi Arabia in War on Yemen) (Israeli Media Spot "Strategic Zionist-Saudi Partnership") ネタニヤフが3月初旬に自分の選挙運動のためにオバマの反対を押し切って米議会でイラン敵視の演説をした際、米欧ではネタニヤフを批判する声が多かったが、サウジのマスコミはネタニヤフを賞賛する記事を載せた。サウジ王政内に、イスラエルと組みたがっている勢力がそこそこいる感じだ。 (Netanyahu's Congress speech draws praise in Saudi Arabia, derision in West) イランを共通の敵としてサウジなどアラブ諸国とイスラエルが協調を強められれば、米国の後ろ盾を失って世界で孤立を深めるイスラエルにとって願ってもないことだ。うまくいけば、アラブ諸国はパレスチナ問題でイスラエルをあまり非難しなくなるかもしれない。パレスチナ人はアラブ人の一部であり、サウジなどアラブ連盟は従来、パレスチナを不当占領するイスラエルを非難する諸勢力の主役だった。サウジやアラブ連盟がイスラエルを非難したがらなくなると、これからイスラエルを制裁しようとしている欧州諸国などが肩すかしを食らい、イスラエルがほくそ笑むことになる。 (NATO allies Saudi Arabia and Israel edge closer to War with Iran) しかし、サウジがイランを敵視するあまりイスラエルと組むことは、アラブやイスラム世界の盟主としてのサウジの信頼性を揺るがしてしまう。シーア派とはいえ同じイスラム教徒の国であるイランを敵視し、イエメンのフーシ派を空爆で殺害する一方で、イスラム教徒にとって仇敵であるはずのイスラエルと組み、パレスチナ問題をないがしろにするサウジ王家は、盟主としてふさわしくないという見方が、アラブやイスラムの人々の間に広がる。サウジ王家がよっぽど間抜けでない限り、もし今後サウジがイランを敵視するあまり親イスラエルの姿勢をとるとしても、それが何十年も続くとは考えにくい。サウジは、軍事的な対米従属をやめると、米国の戦略である「イラン敵視」「イスラエル容認」を受け入れる必要もなくなる。 (Deteriorating Saudi image in Pakistan) (Saudi - Iran power struggle lays the region to waste) サウジは人口の10%強がシーア派で、油田地帯がある東部の住民の半数近くがシーア派だ。イエメンとの戦争が長引くと、サウジ国内のシーア派とサウジ王政の対立も再燃しかねない。サウジが国内のシーア派を安定させるには、弾圧するのでなく、中東全域のシーア派の総本山ともいうべきイランとの敵対を解いて和解するしかない。近年のサウジはそれと逆の方向に進んでいるが、いずれ方向転換せざるを得なくなる。米国の専門家の中にも、サウジはイランと早く和解すべきだと考えている人が何人もいる。 (Yemen Invasion Could Define Saudi Policy for Years to Come) (Saudi Salman should take new path on Iran Ahmed Rashid) 鉄壁の同盟だったはずの米イスラエル関係が悪化し、永久に続くと思われた米欧のイラン敵視が終わろうとしている。中東の国際政治が大転換している。サウジがイエメン空爆を機に軍事的に対米従属を脱することも、その一環だ。
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