イスラム化と3極化が進む中東政治2011年11月23日 田中 宇エジプトでは、今年2月に独裁のムバラク大統領が民衆運動で辞めさせられてから、軍による暫定政権が置かれている。エジプト最大の政治勢力であるムスリム同胞団は先週から、若手の先鋭勢力がムバラク打倒の際に結集したタハリル広場などに繰り出し、暫定軍政の権限を削ぐための政治集会を連日開いている。 暫定政権はこの政治運動を弾圧し、すでに30人以上のデモ参加者が死んでいるが、国際世論の非難を受けるので一定以上の弾圧をやれず、デモ隊の要求を飲まざるを得ない状況だ。軍政はデモ隊の要求を受け、ムバラク時代の高官たちが選挙に出ることを禁止する措置をとり、暫定政権のシャラフ首相も辞表を提出した。暫定政権は、13年半ばに予定していた大統領選挙を、来年6月に前倒しすることも約束した。 (Egypt's generals pledge quick handover) しかしデモ参加者は、これらの譲歩だけで満足せず、軍政にもっと譲歩を迫っている。現状では、暫定軍政は大統領選挙の後も13年半ばまで存在することになっているが、前倒しされた大統領選挙が来年半ばに行われるのと同時に軍政を廃止するという追加的な譲歩が行われるかもしれない。 (Egypt military council tries to calm protests) ムスリム同胞団が、今の時期に暫定軍政の権力を削ぐ政治運動を若手勢力にやらせたのは、おそらく、11月28日にエジプトの議会選挙が行われることと関係している。選挙では、同胞団の政党(自由正義党)が第一党になる可能性が高い。 (How Egypt's Muslim Brotherhood Is Already Winning) いつまで軍政が権力を持つか(いつ大統領選挙をやるか)という重要案件は、選挙後に民主主義の手続きが形成されてから議会と軍政が交渉するより、選挙前にタハリル広場に群集を集めて軍政に圧力をかける手法の方が、同胞団にとって有利な結果を生みやすい。それで、議会選挙まで数日という土壇場の時期に、同胞団の若手が決起して軍政を譲歩させたのだろう。 (Violent protests in Egypt prompt worry about election) 今回の件は、エジプトで同胞団が大きな力を持ちつつあることを示した。今春、ムバラクが辞めた直後には、その後のエジプトで世俗リベラル主義勢力が優勢になると、多くの人が予測していた。私は当時「やがてイスラム主義の国になるエジプト」という分析を書いたが、中東政治に詳しいとされる人々の中には、私の記事が間違いだと言う人もいた。 (やがてイスラム主義の国になるエジプト) エジプトで民主的な選挙が行われるのは60年ぶりなので、有権者がどんな投票行動をとるか、まだわからない部分が大きい。だが、フェイスブック利用者を対象にした世論調査によると、エジプト人の38%が同胞団を支持し、12%がより厳格なサラフィ系のイスラム主義政党を支持し、合計で50%になる半面、リベラルな世俗政党は、最も人気がある党でも2%しか支持されていない。フェイスブックを使うのは比較的教育水準の高い人々だろうが、貧困層はイスラム政党の支持率がもっと高い。エジプト人の過半数がイスラム主義政党を支持している。 (Muslim Brotherhood on the Rise in Egypt and Libya) ▼中東を結束させるイスラム主義政治 北アフリカではすべての国で、イスラム主義の政治勢力が勃興している。チュニジアでは、今年2月の民主化革命を受け、10月23日に史上初の民主的な議会選挙が行われ「イスラム穏健派」政党のアンナハダが、他の政党の議席数を3倍以上上回って最大勢力となった。 (Tunisia issues final election results) アンナハダの前身となったチュニジアのイスラム主義政治勢力は、エジプトのムスリム同胞団に感化されて作られた。とはいえ彼らは今回、第2政党となった世俗リベラル左派系の共和国評議会と連立政権を組む交渉をしている。飲酒に寛容で、ベールをしない女性党員もいる。世俗性を尊重する点で、トルコの与党AKPと共通点があって親しい。 (Huge turnout in Tunisia's Arab Spring election) (Turkey admires Tunisia's secular facelift) 11月25日にはモロッコで議会選挙がある。モロッコは王政だが、今春のアラブ諸国での連鎖的な民主化運動を受け、国王が部分的な民主化を進めざるを得なくなった。モロッコの選挙でも、勝ちそうなのは、穏健派のイスラム政党である公正発展党だ。同党も、チュニジアのアンナハダと同様、世俗性とイスラム主義とを混合した政治体制作りを、トルコのAKPから学んでいる。 (Morocco Islamists seek to follow Tunisia's example) 北アフリカ諸国は、宗主国フランスの影響を受けた政教分離の世俗政治の伝統があるが、その政治文化の上で、チュニジアやモロッコは、イスラム主義の方向に引っ張られている。チュニジアやモロッコのイスラム政党は、世俗政治を尊重する穏健派といわれるが、穏健な表面づらの下に、権力を取ったらしだいに政治のイスラム色を強くしようという隠れた意図があるに違いないと、欧米やリベラル派から批判されている。 (Towards a new order in the Arab world) NATOの軍事介入によって独裁のカダフィ政権が倒されたリビアでは、今後の政権を形成する暫定政権が樹立された。暫定政権は、今後のリビアの法体系をイスラム法にのっとったものにすると宣言するなど、イスラム主義の色彩を帯びている。リビアはエジプトの西隣にあり、カダフィ時代から、エジプトのムスリム同胞団がリビア東部の勢力をひそかに支援し、東部勢力が今回の反カダフィの決起を起こす流れに貢献した。 (In Benghazi, Libya's NTC Announces Islamic `Liberation') それだけにカダフィは同胞団を非合法化していたが、カダフィが倒れるとともに同胞団の活動が表面化し、先週、リビアで初めての同胞団の会議が開かれた。いずれリビアで行われるであろう議会選挙では、同胞団と世俗政党との戦いとなり、おそらく同胞団がしだいに優勢になる。NATOはカタールを通じてリビアの反政府勢力を支援したが、カタールはリビアのイスラム主義者に金や武器を渡して強化している。リビアに対する欧米の軍事介入は、リビアを反米イスラム主義の政権に転換して終わりそうだ。 (Libya's UN Envoy Accuses Qatar of Aiding Islamists) (リビアで反米イスラム主義を支援する欧米) 北アフリカでは、すべての国でイスラム主義が強くなっている。アルジェリアでもイスラム主義の反政府勢力が以前から武装蜂起を繰り返している。スーダンはすでにイスラム主義政権だ。アジア側の中東では、パレスチナで中東和平が頓挫した結果、これまで親米的だったファタハ(アッバース政権)が、ムスリム同胞団の子分であるガザのハマスに接近し、連立政権を組もうとしている。米国の後ろ盾が失われつつあるファタハは弱体化し、連立政権はハマスの力が強くなるだろう。 (The Islamic Winter is already here) (Prisoner swap reshapes Hamas-Egypt-Israel ties) エジプトの選挙で同胞団が勝つと、ハマスはさらに強気になる。この動きを懸念して、隣のヨルダンも、ハマスとファタハの連立交渉に参加させろと言っている。ヨルダンも最大野党はムスリム同胞団だ。 (Jordan Joins Bid to Talk to Hamas) シリアは独裁のアサド政権を倒そうとする反政府派の蜂起が続いているが、武装した反政府派の中には、ムスリム同胞団の支持者が多い。シリアでは1980年代に大きな蜂起があったが、それも同胞団によるもので、シリアの同胞団は非合法だが大きな力を持っている。NATOはシリアの反政府勢力を支援しているが、いずれアサド政権が崩壊したら、NATOが支援していたのは同胞団だったことが顕在化するだろう。 (IISS: Syria's Opposition Is Armed) これまでの中東の独裁政権は、国家ごとのナショナリズムを理念として自国を統治しており、欧米としては、中東諸国どうしを競わせてバラバラにして支配することが可能だった。だが今年、各国の独裁政権を倒して政権を奪取しつつあるムスリム同胞団の勢力は、国家を超えてイスラム主義で結束する方向を求めている。欧米は、これまでの分割支配ができなくなる。リベラル主義は欧米に付け込まれ、中東を弱くした。逆に、中東はイスラム化することで、欧米支配を打破し、広域的な力を増進できる。 ▼エジプト、トルコ、イランの3極体制 中東で台頭しつつあるイスラム主義勢力は、エジプト発祥のムスリム同胞団系の勢力だけでない。ほかに、イランを中心とするシーア派の勢力と、トルコの与党AKPの影響を受けた勢力がいる。 レバノンの与党となったヒズボラ、間もなく米軍が撤退して国家として自立していくイラクの多数派勢力、バーレーンで王政を転覆した後に出てくるであろう政権などが、イランの影響を受けるシーア派の勢力だ。米国政府は、バーレーンの人権問題を精査すると言っているが、これはイランを優勢にしてしまう。米政府は「バーレーンの反政府派はイランの支援を受けていない」と考えているが、それは意図的に見ない振りしているかのような、未必の故意的な間違いだ。 (Analysis: U.S. arms deal for Bahrain hinges on rights report) 中東におけるトルコの国際影響力は、エジプトの同胞団の影響力と重複している部分が多い。すでに述べたように、チュニジアやモロッコで与党になっていきそうなイスラム主義勢力は、同胞団と関係が深いのと同時に、トルコのAKPの影響を受けている。シリアの反政府勢力も、同胞団であると同時に、シリアの北隣のトルコから武器や資金を支援され、イスタンブールで「アサド後」に備える会議を開いている。 (Syria opposition council reveals post-Assad plan) シーア派のイランと、スンニ派の同胞団やトルコは仲が悪いはずだとか、同胞団などアラブ人は、かつてオスマントルコに支配されていたのでトルコを嫌っているとかいう構造的な決めつけが「専門家」の中からもしばしば出されている。だが、これらのステレオタイプは、もはや過去の事象だ。今の事態は、もっと流動的だ。米欧イスラエルの支配力を減退させ、空白を埋める形で自分たちの影響力を拡大するために、シーア派とスンニ派、トルコとアラブのイスラム主義があちこちで連携している。 エジプトとトルコ、イランのイスラム主義勢力が、今後の中東で政治力を持つ「勝ち組」の3極になっていきそうなのと対照的に、同じイスラム主義を建前とする勢力の中でも、サウジアラビアやペルシャ湾岸のアラブ産油国(GCC)は、対米従属に拘泥しているがゆえに、米国の影響力の低下に流されて「負け組」になりつつある。 潤沢な産油国であるサウジは経済的に巨大だが、中東国際政治的にはじり貧だ。サウジが反米に転じて自国の政治的な立場を強化し、エジプトやトルコと組むシナリオになるのでないかと、私は数年前から考えていたが、全くその方向に進んでいない。バーレーンの王政が倒れてシーア派の政権になると、隣接するサウジの油田地帯は、同じくシーア派が多いだけに不安定化する。 もうひとつ、中東の究極の負け組はイスラエルだ。05-08年あたりには、イスラエルが米国を巻き込んでイランを軍事的に壊滅させ、不利を挽回するシナリオもありえたが、イスラエルにとってリスクが大きすぎ、実行されなかった。それ以来、イスラエルは、イスラム主義をこっそり強化しているかのような米国の策略の犠牲になり、不利な状況がひどくなり、有効な反撃をできずに窮している。 今春のエジプト革命以後の同胞団系の台頭の中で、サウジやGCC、イスラエルは、挽回が困難になり、劣勢がしだいに確定的になっている。最終的に、これがどのような形で決着するのか、まだ見えない。中東大戦争が起き、イスラム側にも多大な被害を出しながら、イスラエル国家が消滅していくとか、サウジ王家の内部が親米派と反米派に分裂して内紛がひどくなって自滅するとか、悪い方向の決着が思いつくものの、それと逆の、良い方向の決着の可能性は低下している。
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