中東インド洋の覇権を失う米国2019年6月7日 田中 宇米軍がインド洋の支配権を失うかもしれない事態が起きている。非米的な傾向を強める国連総会が最近、インド洋最大の米空軍基地があるディエゴ・ガルシア島から米軍を追い出そうとする決議を行った。ディエゴガルシア島はインド洋の真ん中にあり、米軍がアジア太平洋地域とインド洋中東地域を行き来する際、補給や空爆などの拠点として非常に重要だった。ここの基地は、アフガニスタン侵攻やイラク戦争などでフル活用されてきた。この島を使えなくなると、米軍はインド洋の最重要拠点を失い、世界的な軍事覇権の低下に拍車がかかる。 (Diego Garcia: Why This Base Is About To Get Much More Important to the U.S. Military) ディエゴガルシア島は「チャゴス諸島」の最大の島だ。チャゴス諸島は1814年に英国の植民地になり、モーリシャスの一部として統治されていた。だが第2次大戦後の英国の国際影響力の低下・米(=軍産)単独覇権体制への移行と、植民地独立の流れの中、英米(軍産)は、チャゴス諸島をモーリシャスから分離した上でディエゴガルシアにインド洋を睥睨する米軍基地を新たに作ることを計画した。 (Diego Garcia - Wikipedia) 独立前のモーリシャスは、一部を分離された状態で独立することに反対したが聞き入れられず、1965年に英国はチャゴス諸島を独立前のモーリシャスから分離して別の英国領(インド洋領域)として新設し、68年にチャゴス諸島以外のモーリシャスが独立を認められ、71年から米軍がディエゴガルシア島で基地建設を開始した。ディエゴガルシア島には約1500人の住民がいたが、全員が他の島々に強制移住させられた。この間、英国は68年に「スエズ以東」(インド洋、太平洋地域)からの軍事撤退を発表し、71年に撤退完了を宣言している。ディエゴガルシアの米軍基地建設は、インド太平洋地域における覇権が英国から米国に譲渡されたことを意味していた。 (East of Suez - Wikipedia) (Is Diego Garcia at Risk of Slipping from Washington's Grasp?) 米国は、1966年末に英国からディエゴガルシア島の50年間の軍事使用を認められ、米軍基地を建設・運営してきた。英米間の貸借協定では、米軍がディエゴガルシア島の基地を使わなくなったら、ディエゴガルシアを含むチャゴス諸島をモーリシャスに返すことが盛り込まれていた(当時の米国は、まだ植民地の独立を積極推進する「正義の国」だった)。英米間の貸借協定は自動更新になっていたが、50年後の2016年末に自動更新された後、モーリシャスが英米協定の更新に反対し、チャゴス諸島をモーリシャスに返せと言って国連に問題提起した。米軍基地を作る前に英国が島の住民を強制移住させたことも違法な措置だったと批判され、90年代末に島民が訴訟を起こしていた。イラク侵攻後に国際社会が米国への批判を強める流れの中で、国連総会は反米非米諸国の影響力が強まっていたためモーリシャスの提案を聞き入れ、17年6月、モーリシャスと英国との紛争について国際司法裁判所(ICJ)に審議(法的意見の検討)を要請すると決議した。 (In humiliating blow for Britain, UN asks international court to advise on sovereignty of Chagos Islands) (国連を乗っ取る反米諸国) 今年2月末、国際司法裁判所が「英国はチャゴス諸島をモーリシャスに返還(引渡し)すべきだ。英国はチャゴス諸島に対し、不当な植民地支配を続けている」とする、モーリシャス勝訴の勧告(判決的なもの)を出した。国際司法裁判所の勧告には拘束力がないので英国に無視されたが、ディエゴガルシア島の米軍基地の存立基盤である「英国によるチャゴス諸島の領有」が、国際法的に違法なことであると確定した。米軍基地は「違法な存在」になった。 (Diego Garcia: ICJ advises Britain to return Diego Garcia to Mauritius) (Diego Garcia: UN Court Calls on Britain to ‘Decolonize’ Chagos Islands) 国際司法裁判所の勧告から3か月の審議を経て、国連総会は5月22日、英国に対し、チャゴス諸島を半年以内にモーリシャスに返還するよう求める英国非難決議を、賛成116、反対6、棄権56の圧倒的多数で可決した。国連総会が2017年6月にチャゴス諸島の帰属問題を国際司法裁判所に判定させることを決議した時は、賛成94、反対15、棄権65だった。この2年間に、英国はEU離脱騒動で国際影響力が低下し、米国もトランプになって覇権放棄が進んだ。ディエゴガルシアの米軍基地などなくなった方が良いと考える国が増えていることを、賛成の増加と反対棄権の減少が物語っている。 (UK suffers crushing defeat in UN vote on Chagos Islands) (EU members abstain as Britain defeated in UN vote on Chagos Islands) モーリシャス政府は「英国からチャゴス諸島を返還された後も、ディエゴガルシアの米軍基地の存続を認める」と言っている。だが、モーリシャス政府が米国に基地存続の見返りをいろいろ要求することは確実で、外国政府に寛容でないトランプの米国が要求を突っぱねる可能性が高くなる。またモーリシャス政府は、米軍基地の建設前にディエゴガルシアから追い出された旧島民の権利主張を代弁して米英に補償などを求める可能性も高い。現実論として、チャゴス諸島がモーリシャスに返還されると、ディエゴガルシアの米軍基地存続がかなり難しくなる。 (UN Fires a Shot at America's ‘Unsinkable Aircraft Carrier’) (Decolonising the Chagos archipelago) 国連総会の決議も実効力がないので、英米は決議を無視している。だが「国際法的な正しさ」は、米国(米英・軍産)の世界支配・覇権の根幹をなすものだ。「米英は常に正しく、敵国(日独からソ連中国、イランイラクまで)は常に不正だ」という構図が、効率的な覇権運用に必要だった。英米は、自分たちを違法だとする判決を無視するほど覇権(=国際信用)を失う。インド洋は、日中韓などアジア諸国が使う航路であり、米国は経済的にインド洋と関係が薄い。トランプ的に言うなら「米軍が高い金をかけてインド洋を守る必要などない。インド洋の防衛は、航路を使うアジア諸国がやるべきだ。ディエゴガルシアの基地など閉鎖すれば良い」という話になる。 (シーレーン自衛に向かう日本) 日本や中国は、インド洋の西端のジブチに海賊退治の名目ですでに基地を設けており、インド洋を自衛する傾向だ。中国海軍は、スリランカやパキスタン、ミャンマーなどインド洋の諸国の港を租借して首飾りのようにつないで影響圏にする「真珠の首飾り戦略」(インド包囲網)を以前からやっている。米国がインド洋から出て行く流れの中にいるのと対照的だ。 (インド洋を隠然と制する中国) ディエゴガルシアの米軍基地だけでなく、インド洋から中東にかけての地域の全体で、米国の覇権が失われつつある。01年の911事件後、ディエゴガルシアから飛んできた米軍機でさんざん空爆されたアフガニスタンのタリバンは、18年後のいまや力をかなり回復し、逆に米軍がアフガニスタン占領に失敗して撤退しようとしている。米軍やNATO軍が占領を放棄して撤退したら、その後のアフガニスタンは、中国やロシア、パキスタン、イラン、中央アジア諸国、インドといった中国主導の「上海協力機構」の国々によって安定化が試みられる。 (Taliban to hold talks with Russian officials, Afghan politicians in Moscow) (立ち上がる上海協力機構) 米国はタリバンとの交渉を続けているが、今のところ妥結していない。覇権放棄屋のトランプはおそらく、上海機構の諸国の準備が整うのを待っている。トランプは、中国に挑発的な貿易戦争をふっかけて怒らせているが、これは中国に「早く米国と協調しようとする方針を捨てろ。米国の影響力をユーラシア大陸から追い出す動きをしろ。アフガニスタンを中国主導で再建することに本腰を入れ、米軍を撤退に追い込め。かつて米国の傘下にあったパキスタンを中国の側に完全に入れろ」と言っているようなものだ。中国がその気になり、上海機構がアフガニスタンやパキスタンを影響圏に完全に組み入れ、米国に敵視されているイランの肩を中国が今よりさらに持つようになると、米軍はアフガニスタンの撤退を決める。今は、そこに向かう十数年間の過渡期にある。 (中国がアフガニスタンを安定させる) (Energy dealings with Iran lawful, must be respected: China to US) イランも、インド洋から米軍が攻撃を仕掛ける領域にある。トランプは最近、好戦的な側近のボルトン安保担当補佐官らをけしかけ、今にもイランを空爆しそうな勢いの演技をしている。だがこれも「思い切り引っ張った後、反対方向に飛ばす」ためのトランプの策略だ。トランプは、側近に好戦的なイラン敵視をやらせる一方で、自分自身はイランと話し合いをしたいと言い続けている。イランは「トランプのウソには乗らないぞ」と拒否しているが、トランプが「イランと戦争しない。交渉したい」と言っている限り戦争にはならない。米国は03年のイラク侵攻前、イラクのフセイン政権が交渉したいと懇願してきたのを拒否して侵攻した。当時と状況が正反対だ。 (戦争するふりを続けるトランプとイラン) (Facing War-Weary Base, Trump Shifting to a More Diplomatic Approach) (中国の一帯一路と中東) トランプがイランに対して戦争と交渉の両方の印象を混乱的に発信し続けていると、サウジやイスラエルからEUまでの同盟諸国が、トランプに付き合い続けられなくなり、個別にイランと冷たい和平状態や不可侵協定を結んでいくようになる。イランは、サウジなどアラブ側に対し、不可侵協定を結んで中東を安定させようと提案し続けている。サウジは今のところ拒否しているが、米国では議会がイエメン戦争やカショギ殺害を理由にサウジ敵視を強め、トランプの親サウジ戦略を上書きしようとしている。いずれトランプが折れて米国がサウジ敵視を強めると、サウジは武力の後ろ盾を失い、イランと不可侵協定を結ばざるを得なくなる。イスラエルは、ロシアの仲裁を受け、イランとこっそり和解(冷たい和平)し始めている。これらの状態が進むほど、トランプはイラン敵視を棚上げし、イランは好き放題にやれるようになる。 (Republicans rebuke Trump over Gulf arms sales) (Non-aggression pact can boost confidence in Mideast: Iran) また米議会は5月以来、米政府の軍事費の法案の中に、大統領が議会に相談なく勝手に戦争を始められる911以来の有事立法(AUMF)を無効にする条項を盛り込んでいる。03年のイラク戦争も、シリアへの空爆も、イランや北朝鮮を空爆するぞというトランプの脅しも、すべてこの有事立法に立脚している。米国憲法は開戦権を議会下院に与えているが、911の有事立法は、大統領府を牛耳った軍産の閣僚らが好き放題に戦争できるようにしていた。トランプが、軍産をビビらせるほど過激な好戦性を発揮するので、軍産の影響下にある議会が、軍産好みの911有事立法を無効化しようとしているという皮肉な(隠れ多極主義的な)事態だ。このまま米議会が軍事費法案を可決し、有事立法が無効になると、米国はぐんと戦争しにくくなる。 (Worried by Iran tensions, U.S. lawmakers seek end to law of 'endless war') (Authorization for Use of Military Force Against Terrorists) このようにトランプの米国は、アフガニスタン占領をやめていくとともに、イラン敵視もやめていく方向だ。911有事立法の無効化で戦争自体がやりにくくなる。これらの事態が進むほど、ディエゴガルシアの米軍基地は要らなくなる。以前のように米国覇権が隆々として国際社会が米国傀儡の状態のままだったら、米軍基地は不要になっても存続し続けただろうが、ブッシュからトランプまでの米国の意図的な無茶苦茶な好戦策(隠れ多極主義策)の「おかげ」で、今や国際社会は、米国にディエゴガルシアの基地を早く閉鎖してほしいと考えている。米国は、中東やインド洋の覇権を喪失しつつある。 (House Panel’s Assent Gives Life to Effort to End 9/11 Military Authorization) そんな中、日本の安倍首相は、日本の首相として40年ぶりにイランを訪問しようとしている。安倍は「対トランプ従属」のはずだが、その安倍が、「イランとつきあう奴はオレの敵だ」と息巻く演技をしているトランプを無視するかのように、日本との国交樹立90周年を記念してイランを訪問する。安倍は最近「トランプとイランとの仲直りを自分が仲裁したい」と言って、ロシアから「いいね」をもらったりしている。トランプが本気でイランを空爆する気なら、安倍はイランを訪問しない。トランプがいずれイラン敵視を棚上げし、イランが露中と結託しつつ反米非米的に台頭し、そのぶん米国の覇権が低下して、日本も対米従属一本槍ではやっていけなくなるので、安倍はロシアからいいねをもらいつつ早めにイランを訪問することにしたのだろう。 (Tokyo says Japan’s Abe due in Iran next week amid US provocations) (Japan says Russia supports its plan to help ease U.S.-Iran tensions) 安倍はまた、米国の中国包囲網(のふりをした)戦略である「インド太平洋」の発起人の一人でもある。米国と日豪印の4極で中国包囲網をやるのだという構図だったが、いずれディエゴガルシアの米軍基地がなくなってインド洋から米軍が撤退していく中で、インド太平洋戦略の軍事的な威力も大幅に低下することが必至だ。しかし、もう一枚めくってみると、安倍は一昨年から「インド太平洋の戦略は中国敵視でなく、中国と仲良くするためのものですよ。中国の一帯一路と、日本のインド太平洋戦略は、相互乗り入れするためのものです」と言って中国に媚を売り続けてきた。 (中国と和解して日豪亜を進める安倍の日本) (従属先を軍産からトランプに替えた日本) ディエゴガルシアの米軍基地に象徴される米国覇権や、米軍のアフガン占領・イラン敵視がすべて消失していきそうな今、あらためて安倍的な対中媚売り型のインド太平洋戦略を眺めてみると、いつの間にか現実的な戦略になっている。この間、安倍以外の人が日本の政権を握っていたとしても、同じような展開になっていたかもしれないのではあるが。 (米国の中国敵視に追随せず対中和解した安倍の日本) (安倍に中国包囲網を主導させ対米自立に導くトランプ) 本題から外れるが、もう一点だけ。最近ロシアのプーチンが「北方領土問題はまだまだ解決しそうもない」と発言した。プーチンは同時に、沖縄の辺野古の米軍基地建設も批判した。これらは一見、トランプの米国が覇権を低下させていくなかで、対米従属一本槍でやってきた日本のちからも低下する半面、反米非米的なロシアの台頭が加速し、プーチンが弱体化する日米に加圧して譲歩を迫る発言に見える。ロシアは日米が弱体化したすきに北方領土のロシア軍を増強している。 (Putin says Japan's military cooperation with U.S. is getting in the way of peace talks with Russia) (Russia rebuffs Japan's military buildup warning - RIA) (China's Xi visits 'best friend' Putin, vows new era of ties) だが、さらに考えると、米国の覇権低下とロシア台頭の傾向が明白になる中で、多極化への対応が必要と思っている安倍の日本政府は、早く北方領土問題を解決してロシアと協調的な関係を持ちたいと切望しているはずだ。北方領土問題は、2島返還(に少し着色したもの)以外の妥結方法がないので、あとは日米関係を勘案したタイミングの問題だけだ。プーチンの「まだまだ解決しない」は「もしかすると、もうすぐ解決する」という意味なのでないか、と私は勘ぐっている。 (多極化と日本:北方領土と対米従属) (スパイゲートで軍産を潰すトランプ) トランプ自身、ロシアゲートの濡れ衣が晴らされ、来年の大統領選挙に本格突入する前に、ロシアと劇的な和解を画策する可能性がある。INFの再交渉と称する、米露中の核軍縮交渉もありうる。その前に日露の関係が好転しても不思議でない。EUや英国も、トランプの対露戦略を探っているはずだ。ロシアとEU、ロシアと英国(新首相になるジョンソンはロシア好き)が、いつ和解へと転換して進んでいくかという、西方の情勢の好転と、日露の和解が連動していくかもしれない。 (New START Must Be Extended, With or Without China) (Russia’s Putin urges next UK PM to forget spy row and improve ties)
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