他の記事を読む

日銀マイナス金利はドル救援策

2016年2月3日   田中 宇

 1月29日、日本銀行が新政策として「マイナス金利」を発表した。すでにマイナス金利策をやっている欧州のスウェーデンやスイスなどを真似た策で、銀行が日銀に資金を預ける当座預金の金利を、プラス金利、ゼロ金利、マイナス金利の3つに階層化する新政策を始める。銀行の任務は民間企業に資金を融資することであり、資金を融資に回さず日銀に預けすぎる銀行は「悪」だという理屈で、日銀に一定額以下の資金しか預けない銀行には金利をあげるが、一定以上の資金を預けると、その分の預金には金利がつかず(ゼロ金利)、さらに多くの資金を預ける銀行からは「罰金」的に日銀が金利をとる(マイナス金利)というのが3階層化の趣旨だ。 (Japan joins negative rates club) (BoJ Adopts Negative Interest Rates, Fails To Increase QE

 とはいえ、新政策が実施されても、マイナス金利を徴収される銀行は皆無だ。現状、銀行界が日銀に預けている当座預金総額のうち3分の2がプラス金利(+0・1%)で、残りはゼロ金利だ。マイナス金利を課される預金は存在しない。日銀はQE(株高・債券高・円安・米金融システム救援を実質的な目的とする、銀行などが持つ日本国債を買い上げる策)を続けており、QEをやるほど日銀保有の国債残高が増える一方、銀行界が保有する現金残高が増える。銀行界が、その現金のすべてを日銀の当座預金に預けたとしても、その多くはプラス金利の領域におさまり、新規の預金が全額ゼロ金利の領域に入るのは早くて2018年になる。銀行界が新たな融資先を探せず、余剰資金を日銀に預けっぱなしにしても、何年も先までマイナス金利の「罰」を受けることはない。 (QE in Japan Nears End: Daiwa Capital Markets

 QEは「中央銀行が国債を買い上げることで、民間銀行は国債投資でなく融資で設けざるを得なくなり、その融資が企業の設備投資を引き起こし、景気を良くする」という理屈で、景気テコ入れ策であると喧伝されてきた。しかし実際のところ、景気が悪いままなので企業は融資を受けたがらず、銀行は融資で儲けられない上、日銀に買い占められているので国債投資も増やせない。日銀の黒田総裁は、QEを続けても日本の経済成長率が0・5%以下のまま今後も上がらないことを認めている。日銀自身、QEが景気対策でないことを認知している。 (Did Japan Just Prove That Central Bankers Are Effectively Out of Ammo?

 三菱など最大手の3行はリスクをとって海外での融資や投資で何とか利益を出せるが、100行あまりの地方銀行は規模が小さくリスクをとれないのでジャンク債など高利回り投資に手を出すこともできず、窮地が続いている。14年11月に日銀がQEを拡大した後、銀行の運用利回りが低下し、窮地が増大した地方銀行群から「QEをやめてくれ」という悲鳴のような要請が日銀に寄せられた。 (◆加速する日本の経済難

 だが日銀は、QEの最大の目的が対米従属的な「ドル救援」であり、国内景気の回復や国内銀行の安定が実のところ二の次だったので、国内の銀行界や生保などからのQE縮小要請を、すべて無視してきた。日本ではマスコミも、QEが悪影響の多いものであることを報じようとしない。まさにマスゴミだ。 (◆出口なきQEで金融破綻に向かう日米) (米国と心中したい日本のQE拡大

 14年11月からの日銀の拡大QE策は、米連銀の利上げ策と連動している。08年のリーマン危機後の対策として、米連銀は、バブルを再膨張させ金融システムを延命するQEに頼ってしまい、いずれQEが限界に達し、リーマン以上の金融危機(バブル崩壊)を引き起こしかねない事態に陥った。米国に危機が再来すると、世界の金融システムの根幹に位置するドルや米国債への信用が失墜する「世界全崩壊」になりかねない。これを避けるため、米連銀は14年末から15年初にかけて、配下の日本や欧州の中央銀行にQEを肩代わりさせ、米連銀(ドルと米国債)自身は、信用失墜につながりかねないQEとゼロ金利策をやめて利上げ傾向に転じる新政策を開始した。 (◆QEやめたらバブル大崩壊) (◆中央銀行がふくらませた巨大バブル

 だが、昨年10月に米連銀がようやく利上げに踏み切れたのと同時期に、中国を皮切りに新興市場諸国の経済が大きく減速して世界不況の色彩が強まり、サウジアラビア主導の原油安の策と相まって、年末年始には世界的な株式と債券(石油ガスなどのジャンク債)の相場の急落が始まってしまった。これが放置されると、米連銀は、昨秋にせっかく上昇させ始めた金利を、再び引き下げてゼロにせざるを得なくなり、国際金融の根幹に位置するドルや米国債の危機が再び誘発されてしまう。 (◆日銀QE破綻への道) (◆日本と世界で悪化する不況とバブル) (◆構造転換としての中国の経済減速

 米連銀は、自国のGDPの75%に相当する国債を買い支えてきた日銀よりもはるかにQEの規模が小さい(GDPの25%)欧州中央銀行(ECB)に、QEを拡大しろと圧力をかけた。だがECBはすでに買い得る債券のほとんどを買い支えており、QE拡大が難しい。欧州の親玉であるドイツが不健全なQE拡大に反対したこともあり、ECBのドラギ総裁は「近いうちにQEを拡大するかも」といった腑抜けな口先介入しかできなかった。 (With Draghi On Deck, ECB Mulls Steps To Solve "Non-Existent" Bond Scarcity Problem) (The Beginning Of The End Of The Cult Of Draghi) (◆ユーロもQEで自滅への道?

 年が明けて、株や債券の世界的な下落傾向に拍車がかかる中、欧州に頼れない米連銀は、再び日銀の「忠臣クロダ」に圧力をかけた。日本は欧州と同様、民間の債券市場が小さい。日銀は、欧州中銀と同様、QEで買い得る債券が国債しかなく、買える国債をすでに全量買っているので、これ以上QEを拡大できない。日銀のQEは、円安ドル高、日本の金利安と米国の金利高の傾向の源泉だったので、日銀がQEを拡大できないことを受け、年明けから円高ドル安の傾向も始まり、ヘッジファンドが円高ドル安に賭ける傾向を急増した。JPモルガンは昨年末「来年は1ドル=100円以下の円高になる」と大胆な予測を発した。米国の金融再崩壊につながりうる、危険な傾向だった。 (Stronger yen casts shadow over equities) (JPMorgan Says Japan Inc. Must Prepare for Yen Below 100 a Dollar) (Dollar falls against yen after Japan stops short of extra QE

 日本は、米国との距離を置く傾向がある独仏と異なり、権力を握る官僚機構が対米従属を隠然独裁の原動力としており、米国の覇権を支える金融システムの再崩壊を何としても防ぎたかった。日銀はQEを拡大できないが、欧州のようにマイナス金利策を新たにとることが選択肢としてあり得た。しかしマイナス金利策は、まともにやると地方銀行をつぶしてしまう。マスコミは「景気回復」を喧伝するが、これは完全にプロパガンダであり、実際は不況だ。特に地方経済は死んでおり、地方銀行に融資を拡大せよというのは全く無理だ。また、規模が小さい地方銀行は、大手との競争上、顧客の預金をマイナス金利に下げることができず、不利益を顧客に転嫁できないので赤字が増す。銀行界を守るのが任務の日銀が、銀行をつぶす策をやるのはまずい。生命保険業界も、金利の低下で運用損になるとやっていけない。不況なので、一般の大企業も資金を設備投資に回さず金融資産で持つ傾向で、金利の低下を歓迎しない。 (Japan's regional banks to bear brunt of Bank of Japan bombshell

 米連銀が日銀に求めていることは「ドルと米国債(を筆頭とする金融システム、米金融覇権)へのテコ入れ」だ。日米間の金利差の拡大、ドル高円安、日本から米国への資金流入などが起きるなら「まともな」マイナス金利策でなくてもよい。日銀が実際にとった策は「マイナス金利」のイメージだけが喧伝され、銀行が日銀に預ける当座預金の金利はプラスのままという、銀行の経営に配慮する内容となった。 (Japan Follows Europe Into Negative Interest Rate Territory

 しかも日銀は、マイナス金利策を発表する数日前まで、周囲の人々に「日銀がマイナス金利をやるはずがない」と思わせておく「サプライズ」をやった。日銀の黒田総裁は、1月下旬の国会答弁で、マイナス金利策をやるつもりがないと明言していた。黒田はその後、スイスに飛んでダボス会議に出席し、そこで米欧の中央銀行首脳から説得され、マイナス金利策をやる気になったなどという、まことしやかな「解説」も出ている。私から見ると、これは日銀が発する目くらましに引っかかっており、間違いだ。 (The Disturbing Reasons Why The Bank Of Japan Stunned Everyone With Negative Rates

 日銀発表の3日前の1月26日には、日経新聞の配下に入ったFT紙が「日銀は今後、マイナス金利よりもQE拡大をやる可能性が強い」と、見事な誤報となる記事を出した。この記事は、QE拡大を喧伝するあまり、マイナス金利がいかに日本に悪影響を持つものであるかを、説得力のあるかたちで延々と描いてしまっており、非常に面白い。さすが、世界一流のプロパガンダ機関だけあって、筆が立つ。 (Japan rules out negative rates as it mulls expanding QE

 FTはマイナス金利の弊害について「日銀はQEで巨額の資産を抱えている。マイナス金利になると、日銀の資産もマイナス金利になってしまう」「マイナス金利にすると、金融機関が日本国債を日銀に売りたがらなくなり、QEが継続不能になる」「マイナス金利は、政治的に重要な存在である地方銀行を経営難にする(政治家が反対するのでマイナス金利にできない)」「90年代のゼロ金利時代、銀行間の短資市場が消失し、日銀はとても苦労した。それを繰り返したくないはず」などと列挙している。FTは「官僚独裁発リーク受け売り新聞」の日経に身売りしなければ、欧州あたりの関係者が発するもっと客観的な見方を交えつつ、誤報でない記事を出せたのだろうが、もう遅い。

 私がFTの「詳細な誤報」から得たヒントの一つは「地方銀行が政治的に重要だ」ということだ。これは、都会の有権者が浮動票なのと対照的に、地方の動かない有権者を票田にした国会議員が政界で強いことと関係があるのだろうが、今回のマイナス金利策に対し、自民党内で反対があったのでないかという点が気になる。QEやマイナス金利は、地方銀行だけでなく、経団連など一般企業からも不評だ。ちょうど、マイナス金利の発表の前日には、甘利経産大臣が政治資金スキャンダルで辞任している。安倍と親しい甘利は、マイナス金利に反対する勢力を代表していたのか?

 私は、黒田が最初からサプライズをやるつもりだったと考えている。黒田はマイナス金利を発表する際「必要なら、金利をもっとマイナスに引き下げる」と表明している。これは、今回のマイナス金利が0・1%でしかないので、投資家(投機筋)が「地方銀行の経営を考えると、日銀はこれ以上マイナスにできない」と考えて、正月以来の円高ドル安・株安の傾向に今後も賭けそうなことへの警告となっている。この警告からは、日銀の目的が、できるだけ劇的に、おどろおどろしく「日本はマイナス金利策だ」というイメージを世界に植えつけ、できるだけ長く円安ドル高、金利安を続けることにあると感じられる。 (Yen falls as central banks dominate FX markets

 米連銀は、QEの縮小や利上げといった新政策を実行する際に、何カ月もかけて意図的な右往左往や「やる、やらない」の発言を繰り返し、新政策の実施前に、衝撃を市場に時間をかけて事前に吸収させる策をとっている。黒田のサプライズは、それと正反対だ。中身が薄いことを市場に気づかせないためにも、衝撃をことさらに拡大する策がとられている。日銀がマイナス金利策を発表した日、為替相場は2%の円安ドル高になった。円高に賭けていたヘッジファンドなどは軒並み大損した。とりあえず「サプライズ黒田」の勝利になった。 ("The Need For A Kuroda Bazooka Is Growing"

 しかし、これが長続きするとは限らない。黒田の警告と裏腹に、日銀はマイナス金利を拡大していけそうもない。マイナス金利が拡大・長期化すると、一般の預金をマイナス金利にしていかざるを得ず、預金を引き出して現金で保有しようとする人々が増える。欧州では、その対策として「現金の廃止」を加速している。だが日本は現金社会だ。現金の流通を抑制し、当局が取引を簡単に監視できる電子マネーの比率が増えると、政治資金や大企業がインチキな資金の動きをやれなくなる。日本は、現金廃止が政治的にかなり難しい。 (現金廃止と近現代の終わり) (◆超金融緩和の長期化

 マイナス金利策を続けると、現金廃止論が出てこざる得ない。自民党系の政治家たちは、現金廃止に絶対反対だろう。安倍政権の政策立案者として知られる甘利がスキャンダルをぶつけられて辞任し、その翌日に日銀がマイナス金利策を発表するという展開は、現金廃止論と結び付けて見ると興味深い。

 マイナス金利策とその先にある現金廃止は、すでに米連銀でも話題になっている。米国は利上げの傾向にあり、マイナス金利と正反対の方向だ。しかし、世界は急速に不況になっている。もし不況がひどくなり、再び金融を緩和方向に転じなければならない場合、QEを再開するより、金利をマイナスまで引き下げていく方が、金融システムの延命できる確率が高いのでないか、という論議がある。連銀では、いずれ今のイエレンが辞めた後の次の議長と目されるフィッシャー副議長が最近「マイナス金利策は、思っていたより良いものだ」と発言し、注目されている。 (The Next Fed Chair All But Promised NIRP is Coming to the US



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ