現金廃止と近現代の終わり2015年4月22日 田中 宇1年ほど前に「世界の決済電子化と自由市場主義の衰退」という記事を書いた。イスラエルやフランスなどが、現金を廃止してすべての決済を電子化する計画を進めていると知ったのが、この記事を書いたきっかけだった。その後、イスラエルからは報道が出てこないが、フランスでは今年9月から、現金決済の法定上限額が3千ユーロから1千ユーロに引き下げられる。 (世界の決済電子化と自由市場主義の衰退) (They Are Slowly Making Cash Illegal) 外国人観光客の現金利用の上限も、1万5千ユーロから1万ユーロに下がる。銀行は、1カ月間に1万ユーロ以上の現金の預金化や預金の現金化について当局に通報する。イタリアやスペインも、現金決済の制限を強化しつつある。南欧では「多額の現金を使うのは悪い人」になりつつある。今年1月の、大騒ぎになったパリの「イスラム」テロ事件以来、フランスでは「テロ対策」の重要性が喧伝され「テロ対策のために現金を廃止しよう」という政策が人々に受容されるようになっている。 (The War On Cash Is Here And They're Slowly Making It Illegal) (テロ戦争を再燃させる) 米シティ銀行の分析者(Willem Buiter)は、最近の欧州のようなマイナス金利の時こそ現金を廃止する好機だと説いている。欧州ではQEなど金融緩和策によって金利がマイナスになり、銀行に多額の預金をおいておくと金利を取られて元本が減る。多くの投資家が、できるだけ資産を預金でなく、できるだけ現金にしようとする。当局が、投資家の資産現金化を放置すると、マイナス金利策の効果が薄れる。現金を廃止し、資金のやり取りを電子的な口座間取引だけにすれば、人々は資金をどこかの口座に入れておくしかなくなり、口座から金利または手数料の形で徴集することで、当局がマイナス金利策を確実に実行できる。 (Citi Economist Says It Might Be Time to Abolish Cash) EUが今の時期に現金廃止・決済総電子化を進める、これ以外のもっと大きな理由があると、私は考えている。それは、EU統合による国民国家制度の終了(縮小)との関係だ。今後EU統合が進むほど、EUにおける徴税は、各国家でなくEUが統括して行う傾向が強まる。フランス革命で国民国家が発足して以来「納税」は、兵役と並び、国民が国家の主権者であることに付随する、愛国心に基づいて喜んで行うべき義務だった。国民国家は、教育や世論形成(マスコミ)によって国民の主権者としての自覚(愛国心、ナショナリズム)を涵養し、喜んで納税や兵役を行うようにする。国民国家制度がうまく機能していると、国民は喜んで納税するので、国民の収入が現金という匿名性の高い資産の形で得られる状況でも、収入の現金を秘匿して脱税を試みる国民が少なく、高い徴税効率を維持できる(実際はそんなにうまくいかないが)。 (覇権の起源) 欧州諸国がEUに国家統合される際、同時に愛国心も統合し、従来の各国の愛国心の代わりにEU全体の愛国心「愛欧心」を人々に植えつけられれば(愛国心が統合可能なものか疑問だが)、人々が喜んで納税する状態を維持できる。しかし現実を見ると、EU当局は、国家統合をいくら進めても、新たなEUナショナリズム(愛欧心)の創造を試みていない。EU統合は、愛国心やナショナリズムの統合を含んでいない。 EU統合の目的の一つは「欧州諸国間の戦争抑止の恒久化」だ。戦争は、各国が自国を強化しようとして敵対的な愛国心を相互に扇動する時に起こりやすい。愛国心の涵養と扇動は、強い国民国家を作るための策であると同時に、せっかく作った国民国家を破壊する戦争を引き起こしやすい諸刃の剣だ。EU統合の際、欧州各国の愛国心を統合すると、欧州諸国間は戦争しにくくなるが、代わりにEUは、ロシア、イスラム世界、米国など外部勢力との間で相互のナショナリズムを扇動して戦争になりやすくなる。EU上層部の人々は、ナショナリズムなしでEUを統合し、各国の旧来のナショナリズムを長期的に弱めることを画策していると考えられる。 ナショナリズムや愛国心、民族意識の超越は、究極の戦争抑止策であり、人類史上、近現代(モダン)の終わり(まだ名前もついていない新たな時代の始まり)を意味する。これは人類の「進化」だが、同時に、人々に喜んで納税させてきた徴税制度はどうなるのかという問題を含んでいる。何も策をとらないと、愛国心の低下と反比例して脱税が増える。現金廃止と決済電子化を進めれば、国民が愛国心を発露して納税の手続きをわざわざとらなくても確実に徴税でき、とりあえずの対策ができる。 欧州内でも、ドイツや英国は、現金利用について規制を設けていない。EUを主導する独仏のなかで、現金利用について放任派のドイツと規制派のフランスが齟齬をきたしている。これが過渡期の役割分担なのか、フランスの試みに対してドイツが否定的であるのかはわからない。 米欧マスコミでは、現金廃止・決済総電子化が、テロ対策(犯罪防止)や、徴税効率の向上の観点から好意的に語られることが多いが、政治的な観点からは、与党や当局が、反政府的な野党や活動家の行動を監視してスキャンダルを起こしたり言論封殺に使うことが考えられるので、民主主義の阻害要因になる。与党や当局は、全国民がいつどこで何にお金を使ったかデータベースを検索し、野党や反政府派の行動を監視することが容易になる。与党は、台頭しそうな野党政治家を事前に潰し、政権交代を防げる。野党は、電子決済のデータベースを検索できないので与党のスキャンダルを暴けず、この点で民主主義が弱体化する。 (What happens to democracy in a cashless society?) 電子決済は、誰と誰の間でいついくら決済されたか政府当局が把握できるが、これは当局が決済システムを運営もしくは監督している場合だ。電子決済の中でもビットコインなど、決済当事者以外の人が決済の内容を知ることができないよう暗号化をほどこしてある場合は、むしろ現金よりも当局による決済の把握が困難だ。だから、ビットコインに対して人々が悪い印象を持つような策が、諜報機関やマスコミによって行われている。ウィキリークスが、正義感に基づく当局関係者の悪政暴露の匿名性を暗号化技術によって高め、米当局がウィキリークスを攻撃しているのと同じ構図だ。 業界別に見ると、すでにレンタカー代金やホテルの宿泊代といった人々の移動(旅行)に関する決済は世界的に、犯罪防止策としての個人特定を理由に現金払いが歓迎されずカード決済が奨励され、人々の移動が監視されている。インターネットや携帯電話など通信の分野も同様だ。現金廃止は、こうした監視をさらに強化する。米国ルイジアナ州では、中古品の売買を現金で決済することを禁止する州法が2011年から存在している。中古品は誰でも売れるので、徴税と治安維持(監視)の両面から、記名式決済が義務づけられてる。この傾向は今後広がるだろう。 (The Criminalization of Cash) グーグルなどが、全人類の電子メールやブラウザの閲覧履歴、スマホ保有者の今いる場所の位置情報などを盗み見することを、米当局(NSAなど)に許可している(もしくはグーグル自身が諜報機関として機能している)ことも含め、全人類の活動の全体が、米国や自国の当局によって監視される状況が強まっている。 (覇権過激派にとりつかれたグーグル) (米ネット著作権法の阻止とメディアの主役交代) (全人類の個人情報をネットで把握する米軍諜報部) 人類は、この状態に「慣れる」「がまんする」しかない。年寄りにとっては「とんでもない」ことだろうが、若い世代は生まれた時から監視されるのが当然なので違和感が少ない。「プライバシーは死んだ。二度と戻ってこない」と、情報工学のハーバード大教授(Margo Seltzer)が今年のダボス会議で語っている。人類は「進化」でなく「退化」している(進化、退化という二元論はインチキくさいが)。なぜこんな状況になっているのか。一つ考えられるのは「経済成長の鈍化」との関係だ。 (Privacy is dead and it's never coming back) 18世紀末以来、国民国家革命(諸国の独立)と産業革命(経済成長)という2つの革命が、欧州から世界に広がったのが人類史上の近現代だった。ナショナリズムで強化された民主主義の国民国家が、匿名決済の現金利用に象徴される自由市場経済を維持して経済成長するのが近現代の世界のモデルであり(自由市場経済の対照物として計画経済の社会主義も発案された)、これらが失敗して経済成長が鈍化するとナショナリズムの扇動が悪化して戦争が起きる仕掛けだった。しかし近年、先進諸国はもはや成熟して経済成長できない。米国や日本では、通貨を無制限に増刷して株価を吊り上げ、これを経済成長だと偽っている。 (QEやめたらバブル大崩壊) 近現代モデルの発祥の地である欧州では、国民国家やナショナリズムを捨てるEU統合が進められ、現金の廃止が試みられている。もう一つの先進国で、覇権国でもある米国は、世界の経済成長の主軸が中国などBRICS・新興諸国に移転することに合わせ、国際政治の構造を多極型に転換する隠れ多極主義を推進している(近現代は「米英覇権の時代」でもあった)。これらの転換はおそらく、近現代のモデルに基づく先進諸国の経済成長の時期が終わりつつあることと関係している。 BRICSや新興諸国の多くは一応、国民国家のモデルを使っているが、先進諸国よりモデルに対するこだわりが少ない。多民族なので国民国家モデルに適合しにくい国も多い。中国は民主主義でないし、自由市場主義だが社会主義を掲げている。BRICSが主導する今後の世界の経済成長には近現代のモデルが適用しにくく、長期的に別のモデルが形成されていく可能性がある。その意味で今後、近現代が終わりになるかもしれない。 (私は以前、ナショナリズムを統合しないのでEU統合は近現代の終わりを意味しないとか、BRICSの勃興は近現代の範疇を出ない「モダンの出戻り」だといった趣旨を書いた。しかし今考えると、EUがナショナリズムを放棄すると考えれば近現代の終わりだと言えるし、BRICSが今後もずっと近現代の規範を重視し続けるかどうかわからない。今は多極型世界への転換の初期であり、転換した後の状態はまったく見えてこない) (多極化とポストモダン) 現在、国民国家の重要性が低下するとともに、民主主義が重視される傾向も低くなっている。米国の2大政党制は911以来、両党が好戦策を競い合って違いが減り、無意味になっている。日本は鳩山政権が倒されて以来、自民党が官僚傀儡化を強めて政権に戻り、官僚独裁制が強化されている(311震災は官僚復権のまたとない好機となった。「がんばれ東北」が延々と喧伝されるのは、その本質が「がんばれ官僚」だからだ)。米国も日本も民主主義が形骸化しているが、これは民主主義の国民国家制を維持しても経済成長できなくなったことと関係している。 民主主義が必要ないなら、政府や与党が国民への監視を強め、政権交代を抑止してもかまわないことになる。経済成長が鈍化すると暴動や犯罪が増えるので、それを抑止する「防犯」のためにも国民への監視強化が必要だ。次の時代の経済成長を担う中国など新興諸国は全体的に、強い政府が国民を監視する体制が好きなので、監視強化は大歓迎だ。新興諸国は徴税体制が弱いので、現金の禁止で徴税効率を上げられるのも歓迎だ。民主主義や言論の自由、プライバシーの尊重は今後、近現代から次の時代への移行とともに、終わっていく可能性がある。 とはいえ、現金廃止・決済総電子化は、人々の「できるだけ実体がある、自立した価値を持つかたちの財産を好む」という経済行動原理に反しており、失敗するという指摘もある。現金廃止は、超モダンな電子マネーによる資産備蓄につながるのでなく、近代以前の金地金備蓄を煽りかねないという見方だ。次回はそれについて有料配信で分析する。
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