英国がEUに残る意味2016年1月27日 田中 宇英国政府は、来年末までに実施すると発表してきた「EUに残るべきかどうか」を問う国民投票を、今年の夏に前倒しして実施することにした。英キャメロン政権は、今年6月23日に国民投票を行うことを検討している。キャメロンは、国民投票の前に、ドイツなどEUの中枢と、英国に有利な条件でEUに加盟し続けられるようにする再交渉を2月18日のEUサミットまでに行い、法律で定められた4カ月間の国民投票の準備期間(賛否双方の勢力の選挙運動期間)を経て、最短の6月に国民投票を実施する計画だ。投票は可決されるだろうという予測が報じられている。 (Five months to save Britain - Cameron pushes for June EU referendum) (Brexit 'would trigger economic and financial shock' for UK) (Cameron and Merkel agree more work needed for February deal on EU reforms: spokesman) これより遅い7-8月の真夏になると、昨年の繰り返しで、中東方面から難民が大挙してEUに押し寄せると予測されている。難民危機が再発すると、英国がEU統合に参加し続けることに抵抗を感じる英国民が増え、国民投票が否決される確率が強まる。英国をEUに残留させたいキャメロン政権は、難民が押し寄せる前の6月に国民投票をやってしまいたい。しかし6月ですら、すでに難民流入の危機の渦中に入っている可能性がある。「あわてて国民投票をやって失敗するより、当初の計画とおり来年まで投票を延期した方が良い」という忠告が、英国内や欧州大陸から出ている。春から夏にかけて、スコットランドやウェールズなどで地方選挙があり、それらと重なる時期に重要な国民投票をやることについて、地元の政治家たちからの反対も出ている。しかし英政府は、それらの反対論を無視している。 (Holding EU vote during migration crisis would be terrible, UK told) (Nicola Sturgeon says EU referendum in June would be a mistake) キャメロンは昨年11月、英国の得になる4点の改革をEUに提案した。そして、その提案が受け入れられたら、EUに残る方が、離脱するよりも英国の利益になるという主張を展開し、きたるべき国民投票でEU残留に賛成する英国民を増やそうとしている。2月下旬までに4点の改革についてEUとの交渉をまとめ、6月の国民投票に望むのが英政府のシナリオだ。しかし、英国が出した4点の改革要求の中には、EU側が簡単に応じられないものが多い。 (David Cameron sets out EU reform goals) 4点は以下のとおりだ。(1)英国はユーロに加盟せずポンドを使い続けるが、それでもEUの統合市場で英国企業が損をしない態勢をEU側で作ってくれ。(2)EUは政治統合を進める構想だが、英国はそれに参加したくない。政治統合不参加の国々が損をしない制度を作れ。英国の利益にならないEUの新法を、英議会が拒否できるようにしてくれ。(3)EUの官僚主義的な煩雑さを減らしてくれ。(4)今後4年間、EUから英国への移民の数を制限させてくれ。移民に払う社会保障費の総額を制限したい。 (David Cameron to seek changes in migration and the single market) EUはこれまで、経済と政治の統合に参加したくない国々に対する規定を作らないようにしてきた。EUは、統合を拒むことを許さない強圧体制を隠然と敷いている。ギリシャ危機で露呈したように、EUには離脱規定がない。いったん入ったら足抜けを許さない「蟻地獄」だ。暴力団(=警察)やスパイ(諜報機関)の業界と似ている。キャメロンの4点のうち1番と2番は、きちんと実施されたら、EUの通貨と政治の統合の強圧体制に風穴を開ける。4番も、認めたら、難民受け入れに関するEUの統率力を弱めてしまう。EUが4点を受け入れるとしたら、それは「口だけ」つまり英国をEUに引き留めておくための茶番劇だ。 (ギリシャはユーロを離脱しない) 4点をめぐるEUと英国の交渉は、すでに大詰めだ。昨年11月以来のたった3か月の交渉で、EUが自分たちの存在基盤の根幹に位置する国家統合の蟻地獄的な不可逆態勢を、英国のために放棄することはあり得ない。キャメロンは、EUの譲歩を少ししか勝ち取れなくても「大成功」「EUは改革を決めた」とマスコミに喧伝させるだろう。茶番劇の連続によって、国民投票を可決に持ち込もうとしている。 (Juncker Says EU Will Stick to Red Lines U.K. Can't Cross) (Juncker confident of deal to keep Britain in Europe) 欧州に対する英国の国家戦略は、伝統的に「栄誉ある孤立」だ。欧州大陸の沖合の島国という地理的に孤立した状況を生かし、どこの国とも組まず、ロスチャイルド家など金融ユダヤ人勢力が欧州大陸に張り巡らせた諜報網を活用し、欧州諸国の内政や国際政治を動かしてきた(英国は、王室と金融ユダヤ人との「連合王国」である)。第二次大戦後、英国は米国との同盟関係を国家戦略の根幹に置いたが、これは英国が米国の皮をかぶり(米覇権の黒幕として)欧州大陸諸国やその他の世界を支配する策で、これは「栄誉ある孤立」がバージョンアップした戦略だった。 (覇権の起源:ユダヤ・ネットワーク) (Why do JP Morgan and Goldman Sachs want desperately to keep the UK in the European Union?) 英国が今回、国民投票をできるだけ早く行い、EU残留を全力で決める姿勢をとっていることは「栄誉ある孤立」の伝統戦略から乖離している。英国の金融界は、昨年から、早く国民投票を行えと、キャメロンに何度も強い圧力をかけている。英国だけでなく、米国の金融機関であるはずのゴールドマンサックス(GS)やJPモルガンが、英国をEUに残留させておくためのロビーや宣伝の活動をしている英国の団体「Britain Stronger in Europe」に資金提供している。「連合王国」の片割れであるユダヤ金融界(その一部が、第一次大戦前にロンドンからニューヨークに移り、米政界を牛耳る米金融界になった)は、英国がEUに残留することを強く望んでいる。 (JP Morgan Hands Cash To Pro-EU Campaign) (Brexit: Goldman Sachs Lines Pro-EU Establishment's Pockets With Gold) 昨年5月には、英国の中央銀行の総裁が、金融界の意を受けて、できるだけ早く国民投票をやれとキャメロンに要請した。同時期にJPモルガンは「17年になるとフランスの大統領選挙があり、フランスが英国に譲歩したがらなくなるので、投票は16年の後半に行われるだろう」との予測を発していた。 (EU referendum should take place `as soon as necessary' - Bank of England chief) (JPM Warns UK Referendum More Likely In 2016 Than 2017 - The Pros & Cons Of Brexit) なぜ米英金融界は、英国の伝統的な孤立戦略を全く無視して、是が非でも英国をEUに残留させたいのか。考えられる理由はいくつかある。急ぐ理由の一つは、米国の金融システムの崩壊が近いことだ。これまで英国には「米英同盟の維持か、EUへの統合参加か」という選択肢があった。米英同盟が強い限り、本格的にEUに入る必要などなかった。英国がEUに加盟してきたのは、むしろEU統合を邪魔するためだった観すらある。 (Bankers sound alarm bells over Brexit consequences) しかし、サウジアラビアが米国のシェール石油産業を潰すために一昨年から続けている原油安の策によって、最近いよいよ米国のジャンク債市場の崩壊が加速している。今年中に、これがもっと格の高い社債市場への危機につながり、米国の覇権の根幹に位置する金融債券システムが壊れていく可能性が増している。金融危機は、早ければ夏までに起きる。 (米サウジ戦争としての原油安の長期化) (Half of US Shale drillers may go bankrupt: Oppenheimer's Gheit) (US junk-rated energy debt hits two-decade low) きたるべき米国の金融システムの崩壊は、世界的な金融危機や不況を引き起こすが、長期的に最も国力が低下するのは米国自身だ。英国は、米英同盟を国家戦略にすることができなくなり、EUに残るしかなくなる。こうなってから英国がEUと交渉しても、ほとんど何も引き出せず、EU内で今よりずっと低い地位しか与えられない状態でEUに吸収されていくことになる。だから英国は、米国が金融危機を再発する前に、早くEUと交渉し、できるだけ有利なかたちでEU残留を決めておきたい。 (British business pressing Cameron to step up preparations for EU referendum - media) (The U.S. Is At The Center Of The Global Economic Meltdown) 米国の覇権が低下するほど、EUは政治経済の統合を進めていく。今ならまだ英政府が「国権を放棄せずEU加盟を続けられる」と国民をだましてEU加盟存続を国民投票で決められるが、米覇権が低下し、EUが本格的に統合を進めてしまうと、英国が明確に国権を放棄しない限りEUに加盟し続けることができなくなり、国民の支持を得られない。EUから離脱する「不名誉で貧しい孤立」しか選択肢がなくなる。 (David Cameron takes hit as France and Germany agree closer EU ties) 英国はEUなど相手にせず、世界が多極化してもどこの極にも入らず、中国など新興市場諸国と直接わたりをつけ、全世界的なオフショア市場として生き残る「スーパー・シンガポール構想」と呼ばれる「栄誉ある孤立」をやるべきだという意見もある。しかしおそらく、多極型に転換した後の世界において、どこの極にも入らない国は、どこの極からも相手にされない。シンガポールは、地理的に、中国とインドと日本(日豪亜)という3つの極に片足ずつ突っ込むことが可能なので、3つの極のオフショア市場として生き残る道があり得る。しかし英国は、地理的に見て、EU以外の極への距離がかなり遠く、EUと疎遠にしたまま他の極とつき合うことができそうもない。 (Why do JP Morgan and Goldman Sachs want desperately to keep the UK in the European Union?) (見えてきた日本の新たな姿) 米国の政府筋や金融界は「英国がEUを離脱した場合、米国は、TTIPと別に米英自由貿易圏を結ぶつもりがない。米英間は自由貿易協定がなくなり、経済関係が疎遠になる。英国はEUに残留するしかない」と分析している。きたるべき多極型世界において、英国は、EUに属す以外の選択肢がない。 (Threatens UK2 over Brexit Vote) (Britain's credit rating will be downgraded if it quits EU says top agency, as trade chief warns exports to US would be hit by tariffs) 英国だけでなく米国の金融界までもが、英国のEU残留を強く望んでいる理由について、私が考えたもう一つのことは、米英金融界が1980年代に開発し、それ以来、米国の覇権の力の源泉となってきた債券金融システムをめぐるものだ。このシステムは多分もともと米国でなく英国勢の発明物だ(そうでなければ米英が同じシステムを共有しないはず。米国勢の発明物なら、明示的に米国だけの主導になる。たとえばインターネットのように)。英国は、このシステムを、米国の覇権維持策として作り、英国が米覇権の黒幕として世界を隠然支配する体制を延命させた。 (崩れ出す中央銀行ネットワーク) (大均衡に向かう世界) 英国は、自国の隠然覇権維持が目的なので、このシステムを、うまく運営すれば百年以上持つものとして開発したはずだ(英国は第一次大戦で自国の覇権が崩れてから、すでに百年以上、隠然覇権を維持してきた。あと百年、と考えて当然だ)。だが米国は、せっかく英国からもらった国力増進策を(隠れ多極主義的に)非常に近視眼的に、粗末に扱った。長持ちさせるためのバブル膨張の抑止策を骨抜きにして「市場原理主義」や「強欲資本主義」で金融界が近視眼的にぼろ儲けする態勢が作られ、その結果、しだいに脆弱になったシステムは、創設から約25年後の08年のリーマン危機とその後のバブル再膨張にのみ依存した対策(QEなど)によって完全に壊れ、あとは再膨張させたバブルがいつ最終的な崩壊を始めるかという時期的な問題だけになっている。 債券金融システムは、システム自体にバブル膨張の機能を内包しているのでない。主たる運営者の米国が、短命になるような運用手法を(隠れ多極主義的に、目立たないようにわざと)採ったので「たったの」25年でつぶれただけだ。欠陥は、システムでなく運用にある。英国は、このシステムを再生し、次は百年続くように運用し、英経済の百年の繁栄につなげたいはずだ。英国自身は、次の世界体制の「極」の一つでない。ドイツ主導のEUという極の有力な一員になることが、英国の運命として予定されている。せっかくEUの一員に残るなら、英国は、EUに(それから中国など他の極にも)失敗しにくい(バブル膨張の抑止策がついた改良型の)債券金融システムを採用し続けてほしいはずだ。 米国の金融危機が再発してしまうと、債券金融システムのイメージが非常に悪いものになり、再生不能になるので、英国は、できるだけ早くEUの一員であり続けることを決定したいのだと考えられる。 キャメロン首相は先日のダボス会議で「急いで国民投票をやるのはやめた。まだ来年まで時間がある。あわてる必要はない」と表明した。もう2月の交渉妥結は無理だという見方が強まっている。 (Cameron changes stance on EU deal, saying he is `not in a hurry') しかし、上に述べたような状況を考えると、キャメロンが悠長に構えているのは、交渉術としての目くらまし、茶番劇だ。本当は、2月末のEUサミットまでに交渉を妥結すべく、全力をかけているはずだ。最近キャメロンと話をしたアイルランドのケニー首相は「英国とEUは、交渉妥結まであと一歩のところまできている」と語っている。2月中に交渉がまとまり、6月に国民投票が実施される可能性が高い。 (Enda Kenny: Cameron close to EU deal) 英国の金融マスコミであるFTは、今年の元旦に、英国はEUに入る以外の道がないという論説を掲載した。年が明けて、FTやBBCなど英国のマスコミは「英国はEUに残るべきだ」と主張する宣伝活動を、一気に強めた。このことからも、2月に交渉妥結、6月に国民投票で可決という日程が内定していると感じられる。 (The hard-headed case for the UK to stay in the EU) 英国が本格的なEUの一員になることが決まると、米英同盟は一気に希薄になる。米国側(議会と大統領府)は、英金融界がEU残留を強く呼びかけ始める直前の昨年5月、すでに「もう英国とは特別な関係にない」「これからは英国でなくG20(=多極型世界体制)だ」とする非公開の戦略を決めている。 (White House no longer sees anything special in UK relations) (Secret US memo for Congress seen by Mail On Sunday says Britain's 'special relationship' with America is over) 米英関係が希薄化すると、NATOも有名無実化する(リーマン危機後、G20に取って代わられたG7が、その後も地位低下しつつ存続していることから見て、NATOも廃止でなく地位低下によって有名無実化する)。米英が組んでロシアを敵視し、その間にある欧州大陸諸国を米英に隷属させてきた体制も終わる。おそらく、今後のある時期から、米国は、大胆に親露姿勢に転換する。プーチンを礼賛する共和党のトランプ候補が来年から大統領になったら、確実にそうなる。 (A Dream Come True: Europe Is Turning Away From U.S) (Russia's envoy to EU: "Critical mass" against anti-Russian sanctions is being formed in EU) (多極化に圧されるNATO) そのあたりのことを、英国はとっくに予測しているはずだ。すでにオバマは1月14日、プーチンに電話し、これまでの敵視姿勢を突如としてやめて、親しげに話をしたという。英国が残留を決めた後のEUは、ロシア敵視をやめて親露姿勢に転換していくだろう。ウクライナ危機は、米国がロシアに濡れ衣をかけるために起こした嘘まみれのものであるから、仕掛けた側(米英)が、嘘や濡れ衣がばれていくように仕向ければ、米欧のロシア敵視策は雲散霧消する。 (NATO延命策としてのウクライナ危機) (Obama Changes Tack on Russia, Calls up Putin)
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