多極化に圧されるNATO2006年12月12日 田中 宇11月28−29日に東欧バルト三国のラトビアの首都リガで開かれたNATOの国防相によるサミット会議は、ブレア首相のイギリスにとって非常に重要なものだった。 米ソの冷戦が始まった直後の1949年に結成されたNATOは、アメリカと西欧諸国の軍事・安保面の結束を強化し、ソ連の脅威に対抗するための組織で、西側のNATOに対抗して東側はワルシャワ条約機構を作り、この2つの組織の存在そのものが、冷戦体制を固定化させた。 冷戦体制は、表向きは資本主義と共産主義の対立だったが、うがった見方をすると、イギリスにとって非常に好都合な体制だった。イギリスは、単独だと、フランスやドイツと大差ない欧州の有力国の一つにすぎないが、1920年代以来、アメリカと特別に親密な外交関係を持っており、アメリカと一体になっている限り、イギリスは独仏などよりずっと強く、世界最強の存在になれる。 イギリスは、欧州での二度の大戦にアメリカを巻き込み、仇敵ドイツを負かしたが、第二次大戦の終戦直前にアメリカが考えた戦後の世界体制は、米英仏と並んでソ連や中国を「大国」と認定して国連安保理の常任理事国にするという、多極的な世界体制だった。アメリカは欧州から離れていきそうで、そのままだとイギリスは米英同盟の神通力を失い、西欧の端の島国に戻ってしまいそうだった。 ところが戦後しばらくすると「ソ連は東欧を独裁的な共産主義体制にしようとしている」「ソ連は、西欧やその他の世界をも共産化するつもりだ」という疑念が米英の政界で出てきた。この懸念を前提に、イギリスのチャーチル首相は1946年のアメリカ訪問中に、ソ連を非難し、対抗措置を採るべきだと主張する「鉄のカーテン演説」を行った。米政界では「西欧をソ連の脅威から守れ」という主張が強まり、西欧を見捨てるのは「孤立主義だ」と非難され、米英同盟は再強化された。冷戦がなかったら、戦後数年で占領から脱して再統一されたであろうドイツは、その後45年間も分断され、イギリスは欧州での最大のライバルを分割・弱体化しておくことに成功した。 ▼冷戦を終わらせたくなかったイギリス NATOは、イギリスにとって、米英同盟を強化し、アメリカを欧州に引きつけて自国の利害に沿った動きをさせ、独仏など西欧大陸諸国をアメリカの従属国にしておける組織だった。冷戦前、独仏はロシアと必ずしも悪い関係ではなかったが、冷戦によって、独仏とロシアは決定的な敵対関係になり、独仏露が組んで英米に対抗するといった発想も、あり得ない話になった。 イギリスの巧妙なところは、自国が最も得をする体制作りを「共産主義の脅威から、民主主義と自由を防衛する」というアメリカの国家理念の表出に転換し、うまくアメリカ人に信じさせるとともに、冷戦体制が続いた方がアメリカ企業が欧州大陸の市場で儲けられるという経済的な仕掛けも作ることで、まんまとアメリカ人を何十年もイギリスのために動かせたことである。 しかし、イギリス好みの冷戦体制は1989年に終わった。冷戦終結は、その数年前、アメリカのレーガン大統領が、ソ連のゴルバチョフ書記長に呼びかけてトップ会談を繰り返したところから始まっている。レーガンが呼びかけなかったら、冷戦はもっと続いただろう。レーガン政権の中に、冷戦を終わらせようとした勢力がいたと考えられる。政権内で戦略を練っていたのは、今でいう「ネオコン」の人々だった。 アメリカは冷戦を終わらせただけでなく、ドイツに早急な東西統合を勧めた上、独仏を中心に西欧諸国がEUを作り、通貨統合へと誘導した。西欧諸国にとって、政治経済の連合体を作ることは以前からの悲願だったのは確かだが、アメリカが反対したら、もっとゆっくり進んでいたはずだ。しかし実際には、アメリカはヨーロッパ統合を推進した。 イギリスのサッチャー首相が「ドイツに統一を許したら、またヒットラーが出てくる」と反対したのに対し、アメリカでレーガン体制を引き継いだパパブッシュ大統領は「私は祖先がドイツからの移民なので、どうしても統一させたいんです」と応えた。アメリカ人は一般に、祖先がどこの出身かということに無頓着だ。ブッシュ家がドイツのどの地域の出身かという記事を、毎日アメリカの新聞記事を読み続けている私も見たことがない。サッチャーは、パパブッシュの反論を、ごまかしの詭弁として聞いただろう。 ▼冷戦後のNATOの自分探し 冷戦終結は、イギリスにとって衝撃的な出来事だったはずだが、英政府の側は、その気持ちを表に出さなかった。イギリスの国家戦略は「アメリカの政権が、イギリスの国益に反することをやり始めても、決して米政権に楯突いたりはしない。あくまでも友好的にふるまいつつ、米国内でイギリス好みの主張をしてくれる勢力を見つけ、彼らをひそかに加勢して、アメリカ内部の政治力学を変え、方針転換へと誘導する」ということである。 (イギリスのブレア首相が、ブッシュのイラク侵攻につき合ったのは、上記の戦略に基づいている。イラク侵攻につき合うことでアメリカの同盟国であり続け、時間をかけてブッシュの単独覇権を変えようとした。ベーカー委員会が最近発表した協調的な中東政策の提言は、イギリス好みの主張になっている。だが、提言に対し、はっきり支持を表明した政治家はブレアだけだった)(関連記事) 冷戦後の1990年代の米英では、冷戦体制を前提にした組織であるNATOを今後どうすべきかについて、議論が続いた。NATOを存続させたい人々は、世界の民主主義体制の中心である欧米が協力して国際軍を持つことの重要性を説き、冷戦時代には欧州だけを軍事行動の対象としていたのを拡大し、世界中の内戦地域に派兵して安定化したり、独裁者が少数派を弾圧するのを阻止する戦いを展開したりするという機能を、NATOの新たな役割とすべきだと主張した。独裁者が大量破壊兵器を開発するのを止めたり、国際テロ組織と戦うことを役目とすべきだという主張も出てきた。 しかし、パパブッシュ政権とその次のクリントン政権は、いずれも、口では欧米協調やNATOの重要性を説いたが、実質的にはNATOに冷淡だった。クリントンは、軍事ではなく経済による世界支配を重視し、この時代の西欧ではEU独自の軍隊を持つことが検討され始め、西欧がアメリカの傘下に入るNATO体制からの離脱が模索され出した。 1998年に東南アジアからロシアなどへと通貨危機が波及し、金融グローバリゼーションの動きが止まり、その後はアメリカでITバブルの崩壊によって株安と不況が起きると、クリントンの経済覇権策は行き詰まった。それと入れ替わるように、ユーゴスラビアでのコソボ紛争にNATOが出動したり、アメリカがアフガニスタンのタリバン政権による人権侵害への非難を強め、政権転覆の画策が始まるなど、クリントン政権の末期には、アメリカは軍事覇権重視に戻った。 1999年のNATOの50周年の前後には、ポーランド、チェコ、ハンガリーといった東欧諸国がNATOに加盟し、これらの国々を自国の影響圏と考えてきたロシアとの対立が起きた。NATOが欧州をロシアの脅威から守るという発想は、イギリス好みの冷戦時代の体制が戻ってくることを意味していた。 ▼超過激でイギリスを振り切るブッシュ 2001年からブッシュ政権になり、911事件が起きた後、アメリカは「世界中の独裁者を政権転覆する」「反米国家による大量破壊兵器の開発を軍事行動に阻止する」という戦略を明確に採った。これは、冷戦後のNATOが模索したものの従来のアメリカに軽視されていた方向性だった。911の後、ブレアはブッシュにぴったりとくっつき、一気にイギリス好みの「米英同盟を中心とした世界覇権体制」を復活しようとした。 ところがアメリカは今度は、冷淡だったクリントン時代とは逆方向の、過激すぎる姿勢になり、イギリス好みの戦略を採らなかった。ブッシュは「同盟国は要らない」「アメリカだけで世界を民主化できる」と考える「単独覇権主義」を採ったのである。911後、米軍がアフガニスタンに侵攻する際、ブレアは「米単独ではなく、米欧協調のNATO軍として侵攻してはどうか」と提案したが、ブッシュは拒否し、米軍単独で侵攻した。 2003年のイラク侵攻に際して独仏が反対すると、ラムズフェルド国防長官は独仏を「古い欧州」と呼び、アメリカのやり方に賛成してくれるポーランドなど「新しい欧州」は味方だが、独仏はもう仲間ではないと表明した。ワシントンの政界では「NATO」という名前が「もはや時代遅れの欧米協調」という響きを持って語られるようになった。レーガン政権で冷戦を終わらせたネオコンの多くは、ブッシュ政権にも一段ずつ昇進した役職をもらっていたが、ブッシュに単独覇権主義を採らせたのは彼らだった。 2004年後半からイラク占領の泥沼化がはっきりしてくると、捨てられたNATOに再びお呼びがかかった。NATOは、アメリカが重視しなくなったアフガニスタンの安定化作戦を米軍から委譲され、イラクではイラク人の警察官や軍人の訓練の一部を引き受けることになった。 ▼ロシア敵視で冷戦を再来させたい 英政府や、米国内の米英中心主義者は、イラクの失敗でブッシュは単独覇権主義を捨て、再びNATOを重視すると期待し、NATOを「グローバルNATO」にバージョンアップすることを検討した。NATOを「テロとの戦争」の主役にすること、ロシアや中国の覇権拡大を阻止すること、中露包囲網を作るため日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドをNATOの準加盟国にするとともに、西ではロシア近傍のウクライナ、グルジアを加盟させること、有事即応部隊を新設してNATOを国連軍に代わる存在にすること、EUは国民一人当たりの軍事費がアメリカの半分しかないので倍増させることなどが提案された。 これらの提案は、11月末のリガサミットの議題にされた。サミットがバルト3国という、冷戦終結までソ連の支配下にあった都市で開かれたこと自体に、これからのNATOをロシア包囲網として機能させようとする姿勢が感じられる。サミット直前、ロシア当局は、バルト支配に対する歴史的正統性を主張するかのように、第二次大戦の終戦時に米英がソ連に渡した、ソ連のバルト支配を認める外交文書を発表した。(関連記事) サミットに出席したアメリカの上院議員は、ロシアが欧州に送っている天然ガスを止めると脅すかもしれないという件を重視し「エネルギー防衛」をNATOの戦略として打ち出すことを提案した。イギリスでは、タイミングよく、ロシアのプーチン大統領を批判し続けていた亡命ロシア人の元スパイが、放射性物質を使って何者かに暗殺される事件も起きた。アメリカのネオコン系新聞ウォールストリート・ジャーナルは「ロシアは敵だ(Russia: The Enemy)」という、そのものずばりの題名の論文を載せた。(関連記事、その2、その3) ▼多極化容認に傾くEU しかし「NATOが中露を包囲する国際軍になる」というシナリオは、ネオコンが例によって「やりすぎ戦略」で喧伝しているだけで、実際にはうまくいきそうもない。 ブレアが主導する「中露包囲網計画」に対抗して、フランスのシラク大統領は「NATOはロシアや中国と敵対せず、仲良くして国際問題の解決に貢献すべき」「NATOは欧米間の組織であり、日本やオーストラリアを参加させるべきではない」「国際社会の意志決定機関は国連だけでよい。NATOが国連に取って代わろうとするのは間違いだ」「アメリカがNATOの方針を決めるのではなく、欧州がもっと発言権を得るべき」と提案した。(関連記事) アメリカの自滅的強硬姿勢を危険視する傾向が強い欧州では、ドイツなど多くの国がシラク提案に賛同している。シラク提案は、欧米の集団安保組織であるNATOと、中露の集団安保組織である「上海協力機構」などが、協力し合う体制を作ろうとしており、世界の多極化を容認するものだ。欧州は、国際的に危険な存在となったアメリカを抑えるため、中国やロシアの台頭を容認するようになっている。 現実的にも、欧州では、コソボがセルビアから独立しようとしているのに対し、セルビアと同じスラブ系のロシアにセルビア説得の労をとってもらう必要があり、EUがロシアと対立することはマイナスである。(関連記事) アメリカの方でも、イランや北朝鮮の核開発問題の解決にロシアの協力を得るためと称して、ブッシュ大統領は、ロシアをWTOに加盟させることに同意し、NATOサミットの直前に、米ロ間で調印している。アメリカは、口ではロシアは敵だと息巻いているが、実際にはロシアに譲歩している。(関連記事) 11月末の2日間のNATOサミットでは、アフガニスタンへの軍の増派をすべきかどうかをめぐる議論に終始せざるを得ず、イギリスが画策した「グローバルNATO」の構想については、ほとんど議論できず、結論も出せずに終わった。(関連記事) ▼米英の特別な関係は終わる ちょうどNATOサミットが始まった11月28日には、ワシントンのシンクタンクが開いた公開討論会で、アメリカ国務省のイギリス担当の高官ケンダル・マイヤーズ(Kendall Myers)が、ブッシュの方針を変えようとするブレアの作戦は失敗したという主旨の発言を行っている。(関連記事) マイヤーズは「米英関係は以前から特別な関係なんかじゃない。特別な関係という概念は神話にすぎない。イギリスは昔からアメリカの愛玩犬(プードル)だった」と述べ「アメリカとヨーロッパの架け橋になろうとするイギリスの国家的な役割は、失われつつある。イラク戦争が終わった後、イギリスはアメリカから離れ、もっとヨーロッパに近い立場に移るだろう。EUに近づいていかない限り、ロンドン橋は落ちる(イギリスは衰退する)だろう」と予測した。イギリスの新聞「タイムス」はこの発言を「ロンドン橋落ちた」という見出しの記事として1面で大きく報道した。(関連記事) イギリスが第一次世界大戦以来「米英は特別な関係だ」という概念(神話)を維持することで、イギリスが得をするような世界戦略をアメリカに採らせてきたことを考えると、マイヤーズの発言(暴露)が非常に重要なことが分かる。ブッシュが頑固に「単独覇権主義」を貫いていることで、イギリスの100年近い国家戦略が破綻し、ロンドン橋は落ちそうになっている。 現与党の共和党だけでなく、民主党の上層部にも単独覇権主義の傾向の人々が多い。それを考えると、マイヤーズは「ブッシュ政権が終わった後も、アメリカはイギリスの言うことを聞かずに単独覇権主義を続けるだろうから、もはやイギリスがアメリカとの特別な関係を取り戻すことは無理で、イギリスはアメリカとの関係改善をあきらめてEUに近づいていかない限り、衰退するよ」と指摘したと解釈できる。 マイヤーズは近く国務省を退官するつもりだと報じられ、最後に言いたいことを言い放ったようだ。この後、アメリカの駐英大使は、マイヤーズは個人の思いを勝手に言っただけで、国務省の立場とは関係なく「米英関係は、一人の個人による軽率(不用心、careless)な発言によって弱まるものではない」と表明した。タイムズは機敏にも、駐英大使のコメントの真意を発見した。マイヤーズの指摘を「軽率」だと言うことはつまり「真実だが言ってはいけないことなのに、うっかり言ってしまった」という含みが感じられるからだ。タイムズの記事の見出しは「careless」が括弧でくくられている。(関連記事) イギリスは、まずアメリカとの特別な関係を作り、その米英同盟をかさに、西欧の大陸諸国に言うことを聞かせるために冷戦を演出し、NATOを作った。こうしたイギリスの世界間接支配の戦略は、レーガン政権と、「新レーガン主義」を掲げるブッシュ政権によって繰り返されたネオコンの「やりすぎ」の策略によって、潰されつつある。そして、世界は、米英中心体制から多極体制に移りつつある。やはりネオコンは「隠れ多極主義者」なのだと感じられる。(関連記事) ▼日本も方向転換へ? 「日本も中国包囲網としてのNATOに入ってもらいたい」というブレアらの構想は、中露敵視で対米従属を強化したい日本政府にとって、大変ありがたい提案で、日本国内のプロパガンダ機能(マスコミ)に、大々的に報道させてもおかしくないのだが、現実には小さくしか報じられていない。 日本では最近、小泉前首相が北朝鮮訪問の構想を打ち上げ、拉致問題などの日朝の対立点を何とかしようとする動きがある。アメリカは、すでに韓国と秘密裏に合意しているふしがある在韓米軍の撤退を、北朝鮮に核廃棄させるためのカードとして使い、北が核廃棄したら韓国は在韓米軍を撤退させる、という交渉が成り立つ可能性がある。北朝鮮は「核廃棄」を宣言するだけで米側による厳しい査察は受けない代わりに、在韓米軍の撤退もすでに決まっていることなのでアメリカは痛くない、という出来レースがあり得る。(関連記事その1、その2) 小泉前首相が拉致問題の「解決」のために訪朝するとしたら、それは米朝が出来レースで問題を解決するに際し、日本だけ「北の敵」として取り残されるのを防ぐ方策となりそうだ。 東アジアの風向きは、アメリカの単独覇権から中国中心の多極化へと変わりつつあり、今年10月の安倍訪中以来、日本政府は、アジア無視の対米従属一辺倒を続けられなくなりつつあると感じているのかもしれない。せっかくのNATOからの招待を日本政府が半ば無視しているのは、この多極化の流れと関係しているように見える。
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