大均衡に向かう世界2010年3月8日 田中 宇3月3日、これまで投資家から受けていた不信感をぬぐうべく、ギリシャ政府が改めて緊縮財政政策を発表し、3月4日のギリシャ国債の入札は、発行額の3倍の応札が来るという成功に結びついた。3月5日には、欧州中央銀行の幹部が「ギリシャ問題は一国の問題であり、ユーロ全体が弱体化することはない」と宣言した。3月6日には米大統領の経済顧問であるポール・ボルカーも「ユーロは壊れないだろう。ギリシャ問題で強い対策をとれば、危機が他のユーロ圏諸国に波及しない」と指摘した。 (ECB's Weber:Greek problems are not euro zone problem) (Volcker Says Euro to Survive as Greek Budget Crisis Manageable) どうやらユーロの危機は山を越えつつあるようだ。次に問題になっていくのは、英ポンドとドルの危なさだろう。4月に米連銀が金融緩和策をやめる方向に動き出すと、米経済は支えを失って不況に戻りそうだという話が以前から根強い。 (Fed Might Have to Continue Supporting Economy: Gross) 英国は、冷戦後に米国が独仏をけしかけて通貨統合を急がせて以来、陰に陽に統合に反対し、EUの主導役である欧州理事会議長を6カ月ごとという超短期の持ち回り制にしたり、全会一致の原則を持たせたるといった誘導をして、EUが統合的な強い意志決定力を持てないようにしてきた。英国の戦略は、米国が欧州を傘下に入れる体制を持続すること(そして米国が英国好みの世界戦略を採り続けること)で、EUやユーロが強くなって米国やドルと並び立つことを、英国は何とか阻止しようとしてきた。 英国自身が財政難を加速してポンドが潰れかけている今、ポンドより先にユーロを潰すことが英国の戦略であり、英米マスコミを動員してギリシャやユーロの危なさを喧伝した。英国にとって独仏は、露中よりはましな(組める、使える)存在だが、英国が財政破綻して独仏が生き残ると、その後の英国はポンドを捨てて独仏より弱い立場でユーロに参画せねばならず、200年続けてきた直接・間接の世界支配ができなくなる。だから英国はユーロを潰そうとしたのだと考えられる。 中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁は3月6日の全人代(議会)での演説で、08年から続けている人民元の対ドル固定為替制(ペッグ)は、国際金融危機に対応するための「特別な政策」であり、いずれ変更すると表明した。中国の当局者は従来「外国からの圧力を受けて為替を変えることはしない」と言い続け、ペッグが一時的な特別な政策であると明言したことはなかった。周小川の発言は、いよいよ中国が人民元を切り上げる兆候と受け取られている。 (China ready to end dollar peg) 08年以前のように、少しずつ人民元を上げていくと、今後の上昇を期待する投機資金を世界から集めて金融バブルを膨張させてしまうので、一度に切り上げるのではないかとか、一度にやると輸出産業に打撃を与えるのでゆっくりやるだろうとか、分析者の議論は、中国がいつどのように切り上げを実施するかという話に移っている。 (Zhou Signals Yuan Policy Shift) 周小川の言い方は、いずれ人民元のドルペッグ制度をやめていくという、遠い将来の計画のような感じで発せられている。だが、これを本当に遠い将来の話と考えるのはたぶん間違いだ。周の発言は、世界の市場関係者を懸念させたが、今日明日の相場に関係ない遠い将来の話なら、懸念の必要はない。 当局に近い人々が為替をめぐる発言をする時は、市場への悪影響を軽減するため、できる限り曖昧なかたちで発せられる。米当局筋が自国の財政赤字の急増に警告を発するときも「このままではいずれ財政破綻する」といった、遠い将来の警告として提起される。だが市場関係者は、今日明日の問題として、米財政破綻の兆候としてのインフレと米国債の金利上昇を心配している。グリーンスパン前連銀議長は先日、インフレが心配だという指摘の中で「私は毎日、朝と午後、必ず10年もの米国債の金利を確認していますよ」と言っている。これを、彼は前連銀議長なのだから金利の確認は日課だと考えてしまうのは間抜けである。 (Greenspan: U.S. recovery "extremely unbalanced") ▼英国主導のウィーン体制 私たちは今、第二次大戦以来65年間(英国にとっては1815年以来の200年間)続いてきた米英覇権体制が終わっていく状況に立ち会っている。これから世界体制はどうなっていくのか、この体制転換の意味は何か、といったことを考えねばならない。 それを考える際に参考になりそうな興味深いことを最近、米イェール大学のポール・ケネディ教授が言っていた。彼は、米公共テレビ(PBS)の番組で「今後の世界は、単独覇権とか(米ソ対立的な)2極体制には戻らず、多極体制(multipolar world)になる。おそらく今後25年ほどの間に、米国、ブラジル、中国、インド、そしておそらく(うまく政治統合できれば)EUといった、諸大国が調和する体制(a concert of big powers)になる」と言っている。 (Is the U.S. the Latest World Power in Decline?) 「何だ、また多極化の話か。もう飽きたぜ」と思った方も多いかもしれないが、私がこのケネディの発言で注目したのは、この新たな多極体制について「1815年に作られたウィーン体制に似た体制であり、そう考えると、この新世界体制は、そんなに悪いものではない」と述べた点だ。 ケネディはウィーン体制を、会議を主催したオーストリアのメッテルニヒが作った体制と呼んでいるが、一般的に流布しているこの見方は、当時の英国が作った説明で、おそらく意図的に本質を外している。1815年のウィーン会議は、フランス革命によって世界最初の国民国家となって強大化したナポレオンのフランスが企てた全欧州征服の試みを、英国がロシアやオーストリア、プロイセンなどと組んで潰し、その後第一次大戦まで100年間の欧州の秩序となるウィーン体制を決めた国際会議だ。 ウィーン体制は、欧州の諸大国が拮抗した状態で並び立つことで安定した国際体制となったが、それをうまく制御したのは、新興諸国ではなく、古株の英国だった。英国は、欧州内でダントツの最強ではなかったものの、ロスチャイルド家などユダヤ人の手を借りて、全欧州に張りめぐらせた諜報網を使い、各国の政治経済を操作し、ウィーン体制を100年維持した。この均衡戦略によって、英国は覇権(パクス・ブリタニカ)を維持したが、最後は新興国ドイツの経済力が、先進国の英国を上回って均衡が崩れ、第一次大戦が起きた。ウィーン体制の100年間は、産業革命が英国から全欧州に拡大していく時期であり、英国が隠然と主導した均衡戦略がなければ、各国が競って工業化と軍事大国化を行って、欧州は戦争で早々と自滅しただろう(実際、その後2度の大戦で自滅した)。その点で、英国は非常に有能だった。 ウィーン体制の当初、まだ世界は一体的でなく、複数の小世界が併存していた。アジアの中国(清朝)は欧州より豊かだったし、中東はオスマントルコ帝国の支配下にあった。ウィーン体制は、欧州人にとっての「世界」である欧州地域だけを対象にしていた。産業革命と国民革命の結果として、その後の欧州が強くなるにつれ、欧州はアジアやアフリカ、中東を植民地化したが、その過程では、隠然とした英国主導下で欧州諸国間のアフリカ分割や中東分割、アジア分割が行われ、ウィーン体制の均衡戦略は植民地支配にも適用された(英国は一番ほしい地域を取るが、残りはフランスやドイツ、ロシアなどに取らせ、英国が少し優位な均衡体制を作り、英国は優位を利用してこの体制を維持した)。 ▼大均衡化をめぐる米英100年の暗闘 ウィーン体制に対する上記の分析を加味すると、ポール・ケネディの発言は「今後25年ほどかけて、世界は、英国の覇権戦略の基本だったウィーン体制に似た体制になっていく」という予測になる。しかしケネディの予測には、英国が登場しない。欧州(EU)すら将来の大国群の中に入るかどうかわからない(今後の政治統合の行方しだい)。ウィーン体制は、英国を筆頭として、英国と似た規模(国力)の国家群が並び立つ均衡体制だったが、ケネディが言うところの25年後の世界体制は、米国を筆頭として、米国と似た規模の国家群が並び立つ均衡体制になっている。EUは、各国単位ではなく、統合すればその国家群の中に入る。 ここまで書いて、以前から私の記事を精読している読者なら「ケネディが言っていることは要するに、英国主導の小均衡から米国主導の大均衡への、世界体制の転換のことだ」と思うだろう。まさにその通りで、前者は「英米中心の世界体制」で、後者は「多極型の世界体制」だ。前者は「(大英)帝国の論理」で、後者は「資本の論理」である。 (覇権の起源(3)ロシアと英米) (ビルダーバーグと中国) ケネディは、あと25年かけて『自然に』世界が多極型に転換していく感じで予測している。しかし、キッシンジャー元国務長官をはじめとする米中枢の関係者の多くが、何年も前から「いずれ世界は(自然に)多極型に転換する」と予測し、その一方で米政府はブッシュもオバマも、中国やインドやイスラム世界など新興諸国の台頭を誘発するかのような行動を繰り返してきた。私がうまく説明しきれていないこともあり、国際情勢を詳細に見ていない人には理解不能で飽き飽きするだろうが、私には、多極型への転換は、自然なものではなく、自然に見せかけた米中枢による意図的な転換であると思える。 「米国は最強の覇権国なのだから、世界を多極型に転換したければ、自由にやれるはず。今のように自国を自滅させて世界を多極化する必要などない」と言う人がときどきいる。この見方は、米英関係の本質を見落としている。米国が、小均衡の世界を大均衡に転換させようとしたのは、今回が初めてではない。約100年前に第一次大戦に参戦したとき、米国は、英国を対独敗戦の瀬戸際から救ってやる交換条件として、国際連盟を作り、世界を大均衡型に転換させる了解を、英国から得た。しかし、実際に国際連盟ができてみると、英国がフランスなど他の欧州諸国を使った巧妙な外交術によって、国際連盟を英仏主導の組織に変えてしまっていた。外交の本場である欧州から遠く離れた米国は、外交技能がまだ素人で、英国に一杯食わされた。そのため米国自身が加盟せず、国際連盟は不完全に終わった。 その後、米国の資本家はドイツに投資して再台頭させ、第二次大戦を誘発して英国を潰しにかかったが、英国は再び米政界にとりついて、対独敗戦の直前に、今度は本当に多極型の世界を作ってやるからと持ちかけて、また米国の参戦を勝ち取り、戦後は米国を本拠に国際連合が作られた。事前にスターリンや蒋介石とも談合し、米国を筆頭に5つの安保理常任理事国が立ち並ぶ、立派な多極型の組織ができた。しかし、2度目も英国は巧妙に立ち回り、英チャーチル首相の「鉄のカーテン」演説を皮切りに、米ソ対立が扇動され、常任理事国は米英仏の西側と、中ソの東側に分断されて、多極型の国連は麻痺した。米国は2度目も英国に一杯食わされた。 戦後、米国に作られた諜報機関CIAは、英国の諜報機関MI6の分家であり、おそらく今に至るまで、米国の機密は英国に筒抜けだ。英国筋は、米国の軍事産業を取り込んで、冷戦構造を維持した。冷戦が続く限り、軍事産業の儲けは減らず、有事体制が続くのでマスコミや言論界も潜在的に軍事部門の一部として機能し続け、米国の世論は英国好みの範囲であり続けた。米国は最強の覇権国だったが、英国好みの戦略しか採れない仕掛けになっていた。 1960年代のケネディ大統領は、ソ連と和解し、英国との同盟関係を隠然と切っていこうとしたが、暗殺された。70年代のニクソン大統領は、初めて自滅による多極化を模索し、ベトナム戦争を過剰にやって財政難からドルを破綻させるニクソンショックをやり、中国との国交正常化をめざしたが、ウォーターゲート事件で潰された。 英国のウィーン体制の「小均衡」が第一次大戦で崩れて以来、米国は100年近く、世界体制の「大均衡化」を試みているが、まだ成功していない。この10年の稚拙な「テロ戦争」のやりすぎと、金融バブル大崩壊の過程での(意図的な)失敗の連続によって、ようやく25年後の大均衡体制が見えてきたところだというのが、ポール・ケネディ発言を読んだ私が感じたところだ。 ▼米国はリブートする 隠れ多極主義者のネオコンは911後、軍事産業の中枢である国防総省に入り込み、米軍をイラクとアフガンという2つの泥沼の消耗戦に引っ張り込み、軍産複合体の自滅を引き起こした。またネオコンら隠れ多極主義者たちは、諜報機能を国防総省に集中させてCIAの機能を縮小し、ホワイトハウスに新たな諜報監督官を設置して、CIAが大統領に不要な入れ知恵をしないようにした。インターネットの普及と大不況の影響で、軍産複合体の一部である米マスコミも潰れかけている。これらは、米国を英国のくびきから解放するために必須の作業だったといえる。 (つぶされるCIA) 米国が25年後の多極型世界の筆頭役になるというケネディの予測が正しいとすれば、米国が今、財政破綻に向かっていることは、永久の米国の衰退ではなく、米国が英国のくびきから解かれるための「再起動」の過程であることを示している。米国は今後、数年から10数年のどん底の時期を経験した後、再起していくのだろう。もともと米国は蘇生力があるので、再起し始めたら意外と早いかもしれない。 再起動によって別のシステム(OS)が立ち上がるコンピューターの仕掛けのように、米国の自滅と再起によって『世界システム』も小均衡から大均衡に移行していきそうだ。小均衡に依存してきた英国は世界覇権延命の野望を捨ててユーロ圏の一員になり、日本は対米従属をあきらめて中国中心の東アジア圏に入るのだろう。 世界システムにリセットがかかっているからこそ、そのプロセスを詳細に見ていると、これまでシステムの後ろで隠然と動いていて見えなかったデーモン的な各種の機能(軍産複合体とかマスコミのプロパガンダ機能とか隠れ多極主義とか)の本質や停止の瞬間がちらりと見えるのかもしれない。システムがいったん完全に停止するまで、起きていることがリブートなのかシャットダウンなのかわからない点も重要だ。うかうかしていると、米国だけリブートして、英国や日本はシャットダウンで再起不能の貧困に陥るなどという結末があり得る。 世界の覇権体制が小均衡から大均衡に拡大することは、世界経済の発展を解放する。小均衡の時代には、覇権体制の都合で発展を阻害される国が多かったが、大均衡に転換しつつある今、そうした阻害が消え、中国、インド、中近東や中南米、アフリカの経済成長が可能になっている。 もう一つ思うことは、英国中枢の人々の有能さについてである。英国は表向き、かなり前からボロボロの国であるが、世界戦略を立案して実行する諜報的な能力だけは米国以上だ。たとえば英国は、1980年代に米国が対ソ冷戦を終わらせることが不可避と見るや、英米が同時に債券化などの金融革命をやる計画を85年から実行し、英米中心の金融覇権を強化して、金融立国として英国を再活性化するとともに、英米中心体制を維持した。 今後も、もしかするとまだユーロ圏の危機は終わりではなく、英国より先にユーロ圏が崩壊し、中国もバブル崩壊して、世界の資金は行き場を失ってドルに戻らざるを得ず、英米中心の小均衡体制が延命するといった、どんでん返しがあり得る。英国はしぶとい。(それでも25年以内には、中国などBRICが経済成長を回復し、長期的に世界は大均衡に移行するだろうが) ポール・ケネディは、覇権国の心得として「米国の為政者は、繁栄をできるだけ長く持続するため、衰退ができるだけゆっくり進むように管理し、優位な立場をできるだけ長く持続し、自国好みの世界体制をできるだけ長く維持するのがよい」と言っている。だが、実際にこの心得をやって100年成功してきたのは英国だ。米国がこの60年間やってきたのは、全く逆の「自国の繁栄をできるだけ他国に大盤振る舞いし、優位を維持しようとする行為をやりすぎて衰退を早め、ベトナムやイラクなど無意味な戦争の泥沼を繰り返す」ということだった。 だが、米国が破天荒ですごいのは、こうした自滅策を通して、実は世界を自国好みの大均衡に転換し、その上で再起して、英国に牛耳られた従来のニセモノではない、真の「パックス・アメリカナ」を実現しようとしているところである。戦後の日本人なら「生活が豊かなら、英国に牛耳られていても良いじゃないか」と対英従属を喜んで容認しただろうが、米国人は、そんなうつわの小さな人々ではないということだ。
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