英国に波及した欧州新革命2015年9月17日 田中 宇9月12日、英国の2大政党の一つである労働党で、党首選挙の結果が発表され、左翼の国会議員であるジェレミー・コルビン(Jeremy Corbyn)が当選した。コルビンは、党内投票で59・5%を得票した。他の3候補はそれぞれ19%、17%、4・5%しか得票できず、コルビンの圧勝だった。 (Labour Party (UK) leadership election, 2015 From Wikipedia) この選挙結果が驚きなのは、コルビンが、英マスコミがいうところの「極左」だからだ。右派の新聞であるテレグラフ紙は、コルビンを「頭のおかしな変人(nutjob)」と形容する記事を出した。コルビンについてテレグラフが最も酷評した点は、彼が「緊縮財政政策の中止」「削減した社会福祉の復活」「金持ちや企業への増税」「鉄道や電力ガス会社の再国有化」「大学の授業料無償化」「貧困層のため家賃水準を統制する」「中央銀行の政府からの自立の剥奪」など、サッチャー政権以来30年以上、英政府が超党派で進めてきた市場主義の経済政策を否定して元に戻す政策を掲げていることだった。 (Corbyn has just appointed a man from cloud cuckoo land as shadow Chancellor) (Telegraph Calls UK's New Shadow Chancellor "Nutjob", Promptly Retracts) コルビンは、英中銀に造幣させて作った資金で、金融界を救済するのでなく、インフラ投資など実体経済をてこ入れする事業を行う「人々のためのQE(people's quantitative easing)」も提唱している。米日欧の中銀がやってきたQEは、金融界を救済することだけが目的で、実体経済をてこ入れしていないが、コルビンはそれを見抜いている。国際政治面で、コルビンは「英国のNATO離脱」「核兵器(トライデントミサイル)の放棄」「パレスチナ人を虐待し続けるイスラエルへの経済制裁」「シリア空爆の停止」「ロシアはウクライナ問題で米欧から濡れ衣的に不当に非難されている」など、反米的であり、既存の英国のエリート政治と正反対な方向をめざしている。 (Jeremy Corbyn, the UK Labour Party's radical new leader, explained) (Labour Names Opponent of BOE Independence as Finance Spokesman) 緊縮財政政策への強い反対は、ギリシャの政権党シリザや、スペインで急拡大した野党ポデモス、イタリアの五つ星運動など、私が以前の記事で「欧州新革命」と呼んだ、欧州の従来のエリート層がやってきた市場主義経済政策を拒否する草の根からの政治運動と同じものだ。親露的・反米的である点も、コルビンとシリザなどはよく似ている。 (ギリシャから欧州新革命が始まる?) (革命に向かうEU) 英労働党は、1994年にトニー・ブレア(元首相)が「新しい労働党(New Labour)」の標語を掲げて党首になって以来、市場主義(金融優先、金融主義)の経済政策を党の基本方針としてきた。2007年に米国でサブプライム危機が起こり、翌年のリーマン危機につながる米英の金融主義の経済体制の崩壊が始まるとともにブレアは首相をやめ、2010年に労働党は選挙に負けて野党になった。 (Tony Blair From Wikipedia) その後、米国はQEなどバブル膨張策(金融の超緩和策)で金融システムの延命をはかってきたが、この延命策の不健全性は明らかで、米連銀は日欧にQEを肩代わりさせて自分だけ利上げして健全性を回復しようとしている。こんな状態なのに、英労働党の上層部は、その後も金融主義を信奉するブレア一派が席巻してきた。ブレア一派は、今回の党首選でコルビンが優勢とみるや、ブレア自身やブラウン元首相、ストロー元外相らが「コルビンが党首になったら労働党は次の総選挙で惨敗する」と、さかんに圧力をかけた。 (Corbyn taps into rising mood of populism on the left) 草の根の労働党員たちの多くは、ブレア派が大嫌いだった。リーマン危機後、英国の一般市民の生活は悪化する傾向だが、その中で現在の保守党政権は、政府の財政難を支出の切りつめによって乗り切ろうとしており、社会保障や福祉、教育の分野で行政サービスを削減している。草の根の労働党支持者たちは、労働党が保守党の財政緊縮策に強く反対すべきだと思っているが、労働党の国会議員の多くは市場主義を信奉するブレア派で、財政難になったら福祉などの削減をせざるを得ないと考え、保守党の緊縮策にたいして反対していない。 (Jeremy Corbyn's Victory and the Demise of New Labour) (Corbyn win shakes up UK Labour as Blair's shadow fades) 2010年の選挙に負けて野党になった後、労働党はブレア派のエド・ミリバンドが党首になり、草の根党員の不満をすくい上げる意味で、ある程度左傾化した政策をとった。ミリバンドは「赤いエド」とまで呼ばれていたが、左傾化は中途半端で、党内の不満は解消されず、党を離れる者が多く、世論一般からの受けも悪く、労働党は今年5月の総選挙で惨敗、ミリバンドは引責辞任し、今回の党首選挙となった。 (Champion of Palestinian rights wins leadership of UK Labour Party) 労働党は左傾化して今年の総選挙に惨敗したのだから、もっと左に寄って極左のコルビンが党首になっても惨敗を重ねるだけだ、というのがブレア派の主張だ。しかし今回の党首選は、従来の党内選挙と異なり、3ポンド(約600円)を払って支持者登録すれば英国民の誰でも投票できる新制度を採用していた。2010年から今年までに党員や党支持者になった人の多くがコルビン支持で、今年新たに党員や支持者になった人のほぼ全員がコルビン支持だった。 (Jeremy Corbyn, the UK Labour Party's radical new leader, explained) 党首選後、コルビンの人気はむしろ加速した。コルビンが党首に決まった後の5日間(9月12-16日)に、3万人が党員や支持者として新規登録した。このような人気の高まりは、コルビンの圧勝が、労働党内だけでなく、一般の英国民(中産階級、労働者層)の多くが、英国の現在の緊縮財政や、対米従属的な外交政策(シリアやリビア、アフガニスタンを空爆して難民が欧州に押し寄せる事態を作ったことなど)に反対していることを示している。コルビンが59・5%を得票したのと対照的に、ブレア派の党首候補だったケンダル(Liz Kendall)は、4・5%しか得票できなかった。 (Jeremy Corbyn Says Labour Will Win Next Election As Membership Soars) (Thousands join UK Labour after Corbyn victory) 草の根に支持されて極左のコルビンが労働党首から首相になった場合、彼の政策は成功するのか。コルビンが強く拒否している英国の国営企業の民営化や市場主義の経済政策は、1970年代の労働党政権時代に英国が財政破綻に瀕した後、79年に労働党から政権を奪ったサッチャーの保守党政権が導入した。サッチャーが進めた市場主義の経済政策(民営化、市場化、自由化、規制緩和、ビッグバン)は、公共サービスの効率を上げ、民営化して株式を上場することで税金でなく内外の投資家から資金を集めて公共サービスを運営した。株価の上昇で、政府も投資家も儲かった。これは、その後40年続いた金融拡大、バブル膨張の始まりだった。金融界と政府が合体し、ロンドンは世界的な金融センターになった。英国と同様の手法もレーガン政権の米国も採用し、90年代を通じて米英は金融の力で経済を再建し、71年のニクソンショック(金ドル交換停止)以来へこんでいた覇権を再構築した。 (激化する金融世界大戦) (世界多極化:ニクソン戦略の完成) 米英の2大政党制は、右派(米共和党、英保守党)と左派(米民主党、英労働党)の対立関係だ。80年代に市場主義の経済政策を導入したのはサッチャーとレーガンという米英の右派政権だった。しかし特に米国の右派は、覇権を金融主導に転換することで、それまでのソ連との敵対関係を扇動維持することで成り立っていた軍事主導の覇権体制からの脱却をもくろみ、米ソ冷戦を終結した。しかし、金融化によって覇権戦略から外されることになった共和党内の軍産イスラエル複合体が反逆し、サダム・フセインをクウェート侵攻に誘導して湾岸戦争(米国が中東を長期に軍事支配せざるを得なくなることを目的とした戦略)を引き起こすなど、右派の内部で暗闘になった。 (多極化の本質を考える) この右派の混乱で漁夫の利を得て政権をとったのが、92年の米大統領選挙で「(重要なのは軍事外交、軍産、軍事覇権でなく)経済(市場主義、金融覇権)だよバーカ(It's the economy, stupid)」の名言をはいて当選した民主党のクリントンだった。クリントンの登場は、覇権の金融化によって外された軍産イスラエルの反逆を防ぐため、金融覇権を運営する米国の政権を共和党から民主党に移してしまう策だった。英国もこの転換を真似て、出てきたのが94年からの「新しい労働党」のブレア、ブラウンのコンビだった。外された軍産イスラエルは、しばらく冷や飯を食わさた後、01年に米国が共和党政権に戻った後に911テロ事件を引き起こし、クーデター的に復権したが、ネオコンなど過激にやって自滅させる隠れ多極主義者たちが権力中枢に取り付いて失敗させた。 (It's the economy, stupid From Wikipedia,) サッチャー・レーガン時代から拡大し続けた金融システムは、00年のIT株バブル崩壊あたりから限界が見え始め、08年のリーマン危機で崩壊期に入った。その後、米日欧の中央銀行のQEなど金融緩和策によって金融は延命し、株価が高騰してあたかも景気が回復しているかのような演出がなされている。だが、米国からQEを肩代わりさせられた日欧は、もうQEを拡大できない状態で、延命策は行き詰まっている。米英日とも、金融の延命を優先し、実体経済の回復を統計粉飾でごまかした。一般市民の生活は悪化し、貧富格差の拡大や、中産階級から貧困層への転落、正社員(年収500万円)が減って派遣社員(年収200万円)が増える貧困化が広範に起きている。世界は、大恐慌以来のひどい不況入りが目前だ。 (行き詰る米日欧の金融政策) 英労働党首になったコルビンは、サッチャーが市場主義の政策を始めたときから、市場主義に反対していた。35年経って、市場主義がバブル崩壊して失敗し、世界が大不況になるからといって、ずっと反対していた者が首相になって元に戻せば良いというものではない。しかし、貧富格差が拡大し、貧困層が増えて困窮しているなら、金持ちに対する税金を引き上げて貧困救済や社会福祉に回すのが自然な政策だ。英国では、民営化された公共サービスが、利益を重視して値上げや不採算部門の縮小など、サービスの低下を引き起こしている。これまで経済の全分野が底上げ的に金融バブル膨張の恩恵を受けてきたが、リーマン危機後それが減り、今後はさらに悪化する。経済の全分野で採算が悪化するなら、国民生活にとって重要な電力ガスや鉄道などのサービス維持のため、再国有化が必要になる。 (As French are taking our power away from us Jeremy Corbyn vows to take it back) 英国で次の総選挙が行われるのは早くても2020年だ。コルビンの労働党が与党になるとしても、それは早くて5年後だ。しかし、この5年の歳月は、コルビンにとってむしろ好都合だ。今はまだ、中央銀行のQEなどのトリックによって、金融危機が再燃しておらず、株価が上昇し続け、市場主義に基づく経済体制や金融システムが健全に機能していると多くの人が勘違いしている。現状では、コルビンは時代遅れで頭のおかしな変人だ。金融が崩壊せず延命し続ければ、コルビンは変人のまま、次の総選挙で負けるだろう。しかし、今後5年間ぐらいの間に金融が再崩壊し、世の中の方がコルビンに近づいていく可能性が増す。今すでに保守党のキャメロン政権への支持率は20%台しかない。 (Britain's Unsettling Omen) (Corbyn election shows Britons no longer want war: Activist) 今回の労働党党首選挙をよく見ると「世の中」だけでなく、労働党の上層部も、コルビンを必要としていた感じだ。労働党は昨年、党内選挙のやり方を根本的に変えた。この変更がなければ、コルビンは勝てず、いまだにブレア派が党を席巻していただろう。従来の党内選挙制度は、選挙権を3分割し、3分の1を国会議員、3分の1を労組など支持組織、そして残りの3分の1を党員個人による投票に与えていた。既存の選挙制度だと、コルビンが個人投票で60%をとっても、それは60%の3分の1の20%の得票しか意味しなかった。 (Labour Party (UK) leadership election, 2015 From Wikipedia) 草の根の党員は親コルビン・反ブレアだが、党の上層部は逆に反コルビン・親ブレアだ。労働党の国会議員232人のうち、党首選前にコルビンを支持していたのは15人しかいない。国会議員票のほとんどはコルビン以外に行く。労組も、上層部はブレア派がおさえてきた。既存の選挙制度だと、コルビンは勝てなかった。ところが、一昨年から昨年にかけて、党内選挙を改革する動きがあり、党のコリンズ総書記(Ray Collins、終身の貴族院議員)が昨年、一人一票の個人投票だけの選挙制度に変えるべきとする報告書を出し、それが具現化されるかたちで今回の党首選が実施された。 (Ray Collins, Baron Collins of Highbury From Wikipedia) 労働党の上層部は、草の根の支持者たちが反ブレアでコルビン支持で、一人一票の選挙制度にしたらコルビンが勝つと知っていたはずだ。ブレア派は、この選挙制度改革に反対したはずだが、それを乗り越えて一人一票の制度が導入されている。ブレア派のさらに上部にいる英国の最上層部に、金融システムと米国覇権の崩壊、市場主義やブレア派の破綻を見越して、次の英国に必要なのはコルビンが主張するような政策だと考えた人々がいた感じだ。コルビンを勝たせたのが、党内選挙制度を変更した労働党(英国)の上層部であることは間違いない。 (Can Jeremy Corbyn Free Labour From the Dead Hand of Tony Blair?) 英国の対岸にあるフランスは、社会党のオランド大統領が政権をとっているが、従来からの市場主義や緊縮策へのこだわりを捨てておらず、国際政治面でも米国との協調を重視して対露制裁への参加を続けている。このままだと17年の次期大統領選で、人気が急上昇した極右のマリー・ルペンに政権を奪われかねない。そんな中、左派の新聞リベラシオンは、1面から3面までを全部使い、英労働党でコルビンが党首選で勝ったことを大歓迎して報じた。今後、フランスでも、与党の社会党内で、緊縮財政政策の放棄や、ロシアやシリアに対する敵視をやめて反米方向に左旋回することを求める動きが強まるかもしれない。 (Le Corbynmania! Paris media hail the socialist hardliner) (Jeremy Corbyn: Now Corbynmania spreads to France) 今年初め、ギリシャで極左政党シリザが政権をとって始まった「欧州新革命」は、スペインやイタリアなど南欧を席巻し、今回英国に上陸し、フランスなども影響を受けている。新革命は欧州を、経済面の市場主義(新自由主義)と、政治面の軍事偏重戦略という、対米従属がゆえの基本政策から離脱させようとする動きだ。この革命が進展するとEUは、対米従属をやめて自立し、NATOがすたれ、対露協調が進み、多極的な新世界秩序における極の一つになる。EUはすでに、イタリアの共産党(社会民主党に改名)の国会議員だったモゲリーニを外相(外務・安全保障政策上級代表)にするなど、対米自立的な新体制を採り始めている。欧州新革命は今後さらに進み、ロシア革命以来の欧州の大きな政治転換になりそうだ。 (イスラエルとの闘いの熾烈化) ドイツ(独仏)主導のEUが国家統合を進める中で、昔から欧州大陸諸国からの距離感を重視する沖合島国の英国では最近、EUに取り込まれることを是認するか、それとも離脱するかをめぐる議論が再燃している。英国がEUから離れるなら、スコットランドは英国から独立してEUに直接加盟する道を選びたがるだろう。コルビン主導の労働党が政権をとった場合、英国は、このジレンマを乗り越える。英国は、EU内の他の左翼政権の諸国と協力してEUを対米従属から引き剥がして乗っ取る動きに参加するからだ。 (スコットランド独立投票の意味) 今回の労働党首選で、コルビン陣営がスコットランドで支持者集会を開こうとしたところ、集会参加の整理券が、配布開始から数時間で売り切れてしまい、急いで会場を広い場所に変える事態になった。労働党は5月の選挙で、スコットランドで持っていた約40の議席のほとんどを失い、その分がスコットランド独立党(SNP)の躍進になったが、コルビンの登場で労働党はスコットランドで巻き返し始めた。英国から独立してEUに直接加盟するのでなく、英国の一員として欧州新革命に参加する道を選びたいスコットランド人が出てきたことを意味している。コルビンの登場に、SNPは危機感を持っている。SNPは、スコットランドの独立を問う再度の住民投票を前倒ししようとするかもしれない。 (Can Jeremy Corbyn Free Labour From the Dead Hand of Tony Blair?) (British election results produce seismic political shift in Scotland) コルビンの登場は、英国が、米国覇権の黒幕として世界を(金融から)支配して繁栄を維持する従来の(すでに機能不全に陥って何年も経っている)国家戦略を放棄し、米英同盟を重視しなくなり、代わりに新革命に参加して欧州で大きな力を持つことで、今後の米国覇権崩壊後の多極型世界を生き抜く道を模索し始めたことを意味している。この動きはすでに今春、英国が米国の反対を押し切って中国の地域覇権的な国際金融機関AIIBに参加したことにも表れている。 (日本から中国に交代するアジアの盟主) コルビンの登場は、米国覇権の崩壊と多極化への英国の対応として、必要不可欠なものに思える。コルビンの登場は、英国の国家戦略であるといえる。それを実現する方法として、英国の上層部は、労働党内の選挙制度を目立たないように変え、国民の民意がコルビンを首相に押し上げていく民主主義のかたちをとって実現している。この点は、民主主義制度を創設した英国のすばらしさだ。民主主義を所与のものとして、深く理解せず形式だけ導入し、権力中枢も国民も民主主義をうまく使いこなせていない(中国やベトナムなどは、形式的な導入すらできない)アジアなどの後発諸国(当然、日本も含まれる)には真似できない高度な政治芸能を、英国は持っている。
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