対米協調を画策したのに対露協調させられるイラン2015年7月21日 田中 宇7月14日、イランと米欧露中(P5+1)が、イランの核兵器開発疑惑を解決する協約(Joint Comprehensive Plan of Action)を締結した。イランは、核爆弾を作りうる(本来は原発の燃料を作る)ウラン濃縮用の遠心分離器の台数を3分の1に減らし、濃縮ウランの在庫の上限を現在の96%減である300キログラムに制限する。濃縮ウランを取り出しやすいアラクの重水炉を、取り出しにくい軽水炉に作り替える。イランは、これらの規制を10年間以上行う代わりに、国連と米欧が現在行っている対イラン制裁をすべて解除する。米国が今後も対イラン武器輸出を停止し、国連の通常兵器の対イラン輸出禁止決議が5年後まで維持されることも協約に盛り込まれている。米欧や国連がイランに対する制裁を完全に解除するのは、1979年のイスラム革命以来36年ぶりだ。 (Joint Comprehensive Plan of Action) (Iran, World Powers Have Reached Nuclear Agreement) (World Powers Reach Landmark Nuclear Deal With Iran, Oil Slides - Full Deal Text) 今回のイラン協約について、米国の分析者ガレス・ポーター(Gareth Porter)が興味深い分析を書いている。イラン核開発疑惑は、米国が勝手にイランに濡れ衣をかけたものでなく、イランが米国を制裁解除の交渉に引っぱり込むため、わざと疑惑を引き起こすような核(の平和)利用を拡大したという分析だ。1979年のイスラム革命に絡んだテヘラン米大使館人質事件以来、米国はイランを制裁し続けた。イラン側は、何とか米国に制裁を解かせ、関係を改善したいと考えた。90年代のクリントン政権がイランとの関係改善を模索したが(米政界の親イスラエル派の反対により)実現しなかった。この失敗を受け、97−98年ごろにイラン側が考えたのが「ウラン濃縮を急拡大し、米国にイランが核兵器開発しているという疑念を抱かせ、米国を交渉の場に引っ張り出す」という策略だった。 (How a Weaker Iran Got the Hegemon To Lift Sanctions) イランは03−05年にウラン濃縮を拡大する計画を進め、EUはイランと交渉する気になったが、ブッシュ政権の米国はイランとの交渉を拒否した。米国は、代わりに軍事的にイランを政権転覆する「悪の枢軸」計画を掲げ、EUにもイランと交渉するなと命じ、交渉を潰した。イランがウラン濃縮の拡大計画を続行し、遠心分離器を9千台に増やし、さらに9千台を用意し、医療用の20%濃縮ウランの備蓄も増やしたところ、オバマ政権2期目の12−13年になって、ようやく米国は真剣にイランと交渉する気になり、今回の協約締結までこぎつけた。交渉で米国は、最後まで制裁の全面解除を嫌がったが、交渉にかけるイランの唯一最大の目的は制裁の全面解除だったので、イランは全面解除でなければ交渉を破談にすると強硬姿勢をとり、制裁の全面解除を実現した(米国の対イラン武器輸出停止は残っている)。 (With nuclear deal struck, US focus shifts to wider agenda with Iran) このポーターの分析は、私にとって興味深い点がいくつもあった。まず、なぜ米政界を牛耳るイスラエル右派勢力が、911後のブッシュ政権の中東戦略として外交交渉でなく武力による政権転覆を選んだ理由の一つが、核問題でイランと交渉すると、イランの策に乗ってしまうことになるからだった、と考えられる点だ。ブッシュ政権は911後、中東でイラクとイランを「悪の枢軸」に指定し、両国との交渉を拒否した。イラクは、湾岸戦争以来の経済制裁で国民が疲弊し、国連や欧州が「人道的な見地からイラクの経済制裁を解くべきだ」と米国に圧力をかけていた。「政権転覆」を強調しなければ、米国はイランやイラクと交渉せざるを得なくなり、両国に対する制裁が解除され、イスラエルに対する脅威が増していただろう。イラクは軍事的に潰されたが、イランは米国を核交渉に引っぱり込んで制裁解除を実現し、その結果イランとイスラエルの善悪が逆転し、イスラエルは困窮している。 (Israel wants permanent standoff with Iran: British foreign secretary) (善悪が逆転するイラン核問題) イランが巧妙だったのは、国内原発の燃料製造に必要だといって遠心分離器を大増強し、米欧が経済制裁の一環で医療用放射性同位体を売ってくれないので国内で作らざるを得ないと言ってアラクの原子炉で20%濃縮ウランを大量に製造するなど、NPTで許容された「核の平和利用」の範囲内で、その気になれば核兵器に転用できる核の設備や物質を増強したことだ(日本を含む多くの国々が、その気になれば核兵器転用できる設備や物質をたくさん持っている)。米国やイスラエルは、イランが核兵器を作っている「証拠」として多くの資料をIAEAに提出したが、それらは濡れ衣にしかならないものだった。イランは今回の協約で、遠心分離器を大幅に減らし、濃縮ウランもほとんどを手放すが、これらは最初から交渉の材料として増設・増産したもので、交渉が妥結すればイランにとって無用の長物だ。 (イラン制裁継続の裏側) 米国側は、ウラン濃縮をめぐるイランの策略に早くから気づいていながら、わざと濡れ衣の証拠を出したりして、意図的に下手くそに対応していた可能性がある。米国側の反イラン・親イスラエルの勢力として有名になったのが、ブッシュ政権のネオコンなど共和党のタカ派だが、彼らはイラクの大量破壊兵器について「ニジェールウラン問題」など、捏造が簡単にばれるお粗末な「証拠」を用意したり、イランのスパイだった亡命イラク人のアハマド・チャラビを重用したりといった、半ば意図的な失策を繰り返した。ネオコンは「反イラン・親イスラエル」のふりをした「親イラン・反イスラエル」だったといえる。 (諜報戦争の闇) (米軍撤退を前にイラク人を怒らせる) (ネオコンは中道派の別働隊だった?) ブッシュ政権の「悪の枢軸」にはもう一カ国、北朝鮮が入っていた。北朝鮮が核兵器を開発したのは、イランがウラン濃縮を拡大して米国を交渉の場に引っ張り出そうとした時期と重なっている。イランと同様、北朝鮮も、冷戦後ずっと、米国との関係正常化による政権維持を望んできた。イランはミサイル技術などで北朝鮮との関係を持っていた。北朝鮮の核武装は、イランの策略を真似た可能性が強い。イランは、イスラエルの強い監視力があるので実際の核兵器を作らなかったと考えられるが、北朝鮮に対する米韓の監視力は弱いので、北は実際の核兵器を作った。 (北朝鮮の核実験がもたらすもの) (北朝鮮・イランと世界の多極化) 北朝鮮はイランをまねて、米国を交渉の場に引っ張り出すために核武装したが、米国は北を政権転覆の対象として見るばかりで交渉を拒否し、03年以降、北の面倒を見る役目を中国に押しつけた。中国は最初いやいやながら、やがて本腰を入れて、北朝鮮の監督役になり、先代の金正日は中国と仲良くしたが、今の金正恩は中国を毛嫌いし、北をめぐる対立は解決されないままになっている。 (御しがたい北朝鮮) (張成沢の処刑をめぐる考察) イランは核兵器を隠し持っているに違いないと言う人がいるが、私はそう思わない。イランが、仇敵のイスラエルをへこますには、むしろ自国が核の平和利用に徹し、正義の側に立って「中東非核化」を主張し、30年前からこっそり核武装してNPTにも入っていないイスラエルを非難する方が得策だ。イランがこっそり核武装すると、強い諜報力を持つイスラエルに察知されてしまう。イスラエルは自国の国家的な生死がかかっているので本気で諜報活動するが、米国は元来が自立的な大陸国なので本気で諜報しないし、諜報で得た情報を政権中枢が上手に使わない。イスラエルは最近「イランがわが国の存在を認めるなら、核実験禁止条約に入ったり核査察に応じても良い」と言い出している。イランが和解してくれるなら、イスラエルは核兵器を廃棄する用意があるという意味だ。イランの優勢、イスラエルの劣勢が読みとれる(イスラエルこそ、廃棄宣言した後も核兵器を隠し持ちそうだが)。 (Israel Won't Ratify Nuclear Test Ban Treaty Unless Iran Recognizes Them) (US presses Israel on talks for Middle East nuclear-free zone) 7月20日、国連安保理が、米国の提案で、イランへの制裁を解除する決議を全会一致で可決した。可決の方法は、めったに採られない「アンダー・サイレンス」(under silence)だった。通常の、各国が賛成か反対かを表明する決議と異なり、この方法は、反対の国だけが意志表明し、反対表明がなければ可決、というものだ。イラン協約に対するイスラエルの強い反対の前に、政界をイスラエルに牛耳られている米国が賛成票を投じることが難しいため、この決議方法が採られた。反イスラエルであるオバマが、イラン協約に反対するのが世界中でイスラエルだけであることを示す意味もあった。 (UN to Adopt Iran Nuke Deal Monday) (Iran missiles outside scope of UNSC resolution, Foreign Ministry says) (UN Security Council, EU Both Endorse Iran Deal) オバマ政権は、イスラエルをなだめるため、巨額の軍事支援を約束し、国防長官がイスラエルを訪問して「まだイラン核問題を軍事解決(空爆)する可能性が失われたわけでない」と好戦的な発言を派手に発している。しかし、協約が確定した今、好戦的な発言は、茶番性の発露でしかなくなっている。 (Pentagon Chief Again Threatens to Attack Iran) (US Preparing `Unprecedented' New Arms Package to Israel for Iran Deal) 7月14日の核協約の合意後、国連とEUは、協約への同意を正式決定した。しかし米議会は、協約を拒否する可能性が高い。イラン問題で、イスラエル傀儡の米議会と対立するオバマは、イラン協約を、議会の批准が必要な条約でなく「行動計画」の合意文にした。それでも米議会は、議会としてイラン協約を拒否できる新法を作り、7月19日から60日間の審議に入った。米議会は、イラン協約を否決しそうだ。オバマが拒否権を発動できない3分の2以上の議員が否決に回るかもしれない。この場合、米国はイランと協約していないのと同様の状態になる。 (Iran Deal Sent to US Congress, Starting 60-Day Review) (What It Really Takes For a US-Iran Deal) (Obama reads Iran better than his critics) 私から見ると、オバマはまさにこの展開を望んでいる。米国がイラン協約に参加しなくても、国連やEUはすでに協約に同意しており、米国以外の世界はイラン制裁を解除する。イラン経済は、中露や欧州諸国との関係だけで十分発展できる。イスラエルや軍産複合体に牛耳られた米国が関与しない方が、イランは発展するし、中東は安定する。好戦的な米国が孤立した方が、世界は平和になる。米議会がイスラエル傀儡(を演じる者)としてイラン協約を拒否するほど、オバマは露中や、露中の力が強い国連安保理に頼る口実を得て、国連主導の国際社会が米国を無視してイランを強化することに道を開く。 (White House: Iran Sanctions Would Collapse if Congress Blocks Iran Deal) (Senators fear Obama may bypass congress to work with U.N. on Iranian deal) (Iran may soon be open for business, but not to US firms) (◆中露がインドを取り込みユーラシアを席巻) イランはもともと、米国との関係改善を目的としてウラン濃縮を増強し、米欧を交渉に引っぱり込んだ。イランは、米国の覇権を壊すことを目的とせず、逆に、米国の覇権下でうまく立ち回ることを望んだ。イランのロハニ大統領は、協約後「米国やNATOと一緒にISIS(イスラム国)と戦うことができる」と期待を表明した。しかし、それはたぶん実現しない。ISISは米国の創造物だ。米国の方が、自国の覇権下にぶら下がる国々を増やすのを拒否している。 (Historic Iran Nuke Deal Resets Eurasia's "Great Game") (わざとイスラム国に負ける米軍) 米国は、オバマが世界のイラン制裁を解除し、米議会が米国自身の対イラン関係の改善を拒否することで、イランが頼るべき国を、米国でなく、ロシアや中国の方にねじ曲げることをやっている。オバマだけでなく、米議会の中にも、米単独覇権主義者のふりをした多極主義者がかなりいて、好戦策のかたちをした覇権消失策を展開している。 (Would Congress killing Iran deal play into Putin's hands?) (◆負けるためにやる露中イランとの新冷戦) (◆イランとオバマとプーチンの勝利) この点で、イランは北朝鮮と似ている。イランは、米国との関係改善を望んだのに、協約が実現してみると米国は抜けていて、イランは経済面で中国、軍事外交面でロシアに頼って、自国の再建や中東での影響力の拡大をやる道に入っている。北朝鮮も、米国との関係改善のための交渉に入ることを目標として核武装やミサイル試射を繰り返したが、米国は北の面倒を見る役目を中国に押しつけ、北が好戦的な態度をとるほど中国が出てくる事態になっている。対米関係を最重視し、その裏返しとして中国を嫌う点で、北朝鮮は日本とそっくりだ。日本と北朝鮮は、世界一の隠然独裁と、世界一の顕然独裁という強烈な対照性があるが、特殊性を含めた鏡像的な似た者どうしだからこそ、日朝は近親憎悪でヒステリックにいがみ合っている。 (民主化するタイ、しない日本) 米国は、イランをロシアに押しつけ、北朝鮮を中国に押しつけるとともに、米国自身はロシアや中国への敵視を強め、中露が米国に頼らないで世界運営をするよう仕向けている。オバマはイラン協約後、ロシアの協力がなければイラン協約は実現しなかったと表明し、プーチンに電話して謝意を述べた。その一方で米国は、イランの核ミサイルを迎撃する口実でロシアの近くに配備した迎撃ミサイルを「イランと協約したのだから迎撃ミサイルはもう要らないはず。撤去せよ」とロシアに言われても無視して配備し続け、ロシアを怒らせている。 (Obama thanks Putin for Iran nuclear deal) (Russia urges end to NATO missile system after Iran talks) 米軍は最近、NATOを引き連れて、ウクライナで反露的な軍事演習を行った。米国は、ウクライナ軍がミンスク停戦合意を破ってドネツクの中心街を空爆しても黙認し、反露的で好戦的なウクライナ政府を支持し続けている。米国が、イランをロシアの参加に押しやる一方でロシア敵視をやめないので、ロシアはむしろ米国に気兼ねせず、イランを仲間に入れて中東での影響力拡大に励むようになっている。その典型が、イラン協約でアサド延命の可能性がぐんと強まったシリアだ。 (Russia says US-led military drills in Ukraine can have 'explosive' upshots) (Obama's Goals For Middle East Hinge On Putin) (Ukraine, Rebels Trade Blame as Central Donetsk Shelled) EUは6月、対露制裁を半年延長したが、実のところ、欧州企業は対露制裁を守っていない。ロシアの油田開発の合弁枠は、制裁を守る米国の石油大手が撤退した後、代わりに英国やオランダ、フランス、インドなどの企業が入り込む展開になっている。米国は単独覇権国であるはずなのに、米国企業が米国籍であるというだけの理由で損をするようになっている。対露制裁は、対イラン制裁以上の茶番劇と化している。 (EU's Russia sanctions fail to dent oil deals) (Are The EU And Asia Turning A Blind Eye To Russian Sanctions?) ロシアは今や、イランを好きなように自陣営に引っぱり込めるようになった。しかしロシア(露中)は、イランを上海協力機構に入れることを延期した。上海機構は、7月初めの年次サミットにサミットにイランのロハニ大統領を招待して演説させるなど、核協約の実現と同時にイランをオブザーバーから昇格して正式加盟国にする決定をしそうに見えた。しかしサミット時の記者会見でプーチン大統領は「イランの加盟は、印パの正式加盟の手続きがすんだ後になる」と明言した。印パの加盟手続きが終わるのは来年初めだから、今年中のイランの加盟はないことになる。 (Shanghai Cooperation Organization turns Pan Asian) (Rouhani due in Russia to attend BRICS, SCO summits) 上海機構(中露)がイランをすぐに入れない理由として考えられるのは、同機構への印パの加盟が印パの和解を前提としていたように、イランの加盟がイランと敵対諸国との(ある程度の)和解を前提としているのでないかということだ。イランの敵対国といえば、サウジアラビアとイスラエルだ。イスラエルがイランと和解できるものなのか、大きな疑問があるが、イランとサウジの和解は、入り口までなら今年中に進めるかもしれない。軍事外交のシステムが米国べったりのサウジが、米国勢(軍産イスラエル)から「足抜け」を許されるのかも疑問だが、サウジはすでに最近、米国のロシア敵視を無視して、ロシアに急接近している。今後の展開が注目される。 (◆多極側に寝返るサウジやインド)
田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |