北朝鮮・張成沢の処刑をめぐる考察2013年12月18日 田中 宇12月12日、北朝鮮のナンバー2で、若い独裁者金正恩の摂政役をつとめていた張成沢が、特別軍事法廷で死刑を言い渡され、即日処刑された。張は、2011年12月に死去した金正恩の父親、金正日の姉・金敬姫(慶姫)の夫で、金正日政権の末期から、妻とともに、外資導入や軽工業振興など、経済再建政策の最高責任者をしていた。金正日は08年に病気で倒れた後、後継者として息子たちの中から金正恩を選び、その際に張成沢を正恩の摂政役として置くことを決めた。張は国防委員会の副委員長など3つの要職を兼務し、職位的にもナンバー2だった。 (What does Jang Song-thaek's ousting mean for North Korea? - Q&A) 1994年(金日成の死)から2011年まで権力の座にいた金正日は、前半期に中国を「修正主義」と呼んで嫌っていたが、01年ごろから親中国に転向し、自ら繰り返し中国を訪問して経済を視察し、中国流の経済改革(市場化の容認)を進めることで北の経済を立て直そうとした。張成沢はその政策の担当であり、中国を何度も訪問し、北朝鮮で最も中国とつながっていた高官だった。 (中国の傘下で生き残る北朝鮮) (金正日の死去めぐる考察) 正日の死後、権力の座を引き継いだ金正恩は当初、父の遺言を守り、張成沢に経済政策を任せ、張は中国国境沿いや北の国内各所に経済特区を作る政策などを進めていた。しかし、正日の死から1年半がすぎた今年の春ごろから、張は外されるようになった。今年5月の中国訪問は、張でなく、軍人出身の崔龍海が、正恩の特使として派遣された。崔はもともと張と親しく、過去には張と一緒に失脚させられたこともあるが、正恩は権力者になった後、崔を、張と対抗させるかたちで要職に就かせた。中国側は、朝鮮側が勝手に張を崔と入れ替えたことに不満で、崔は訪中したものの成果が少なかった。 (習近平會晤金正恩特使崔龍海) (新韓国紀行(8)張成沢失脚の深層に核を巡る確執? 河信基の深読み) 今春から11月にかけて、張成沢の権限が削がれ、得意な経済政策の担当を外され、スポーツや教育関係の担当にさせられていた。11月には張の側近2人が汚職の罪で処刑され、12月17日の正日の2周忌を前に、張自らも解任され処刑された。12月の初めに韓国の諜報部が張の失脚を指摘し、当初は「北が経済的に依存している中国とのパイプ役で、正恩の叔父でもある張が失脚するはずがない」という見方もあったが、その後、北のテレビがそれまで何度も流していた正恩と張の視察時の映像から張の姿を削除して流し、数日後には、張が政治局会議の席上で逮捕される映像がテレビ放映され、労働新聞が1面で張成沢を非難する記事を載せ、有罪判決と処刑がおこなわれ、翌13日の金曜日に発表された。 (Jang's Political Clout on the Wane) (N Korea film 'edits out dismissed uncle Chang Song-thaek') 張は2度失脚し、2度復権した。1回目は、1970年代の大学時代に、金正日と親しくしてもらうとともに金敬姫の恋人になった時、敬姫の父親である金日成(初代独裁者、正恩の祖父)からうとんぜられ、地方の大学に転校させられたが、その後平壌に戻って敬姫と結婚することを許された。2回目は、金正日のもとで経済政策を担当していた03年、正日が冷戦後の経済難を乗り切るための軍部優先策をやめて労働党重視に転じていく際の権力闘争の一環で失脚させられたが、2年後には復権し始め、北のナンバー2まで昇格した。何度失脚しても復権し、最後は権力を持って経済改革を進める張は「北朝鮮のトウ小平」と期待された。同様に失脚と復権を繰り返した後で経済改革をやって中国を経済大国に押し上げたトウ小平に似ているからだった。しかし、北と中国は全く違う国だった。トウ小平を期待されたからこそ、張は、復権しないよう、即日処刑されたと考えられる。 (Jang's luck runs out after third purge) (Last shoe yet to fall in North Korea) 張成沢が処刑されたことの意味は、張が北朝鮮で果たしていたいくつもの役割のうち、どの面を見るかによって変わってくる。金正恩と張の関係性で見ると、正恩は、張に摂政をしてもらえという父親の命令に反して、叔父の張を殺してしまった。正恩は父の死後、2年かけて張を外していったが、いきなり最高権力者として出てきた正恩としては、自分が就任したときにすでにナンバー2だった張を失脚させるために、それだけ時間をかけた根回しが必要だったことを意味している。 (Public Ouster in North Korea Unsettles China) 正恩はこの2年間に、張だけでなく、労働党と軍の幹部218人のうち100人以上を更迭した。代わりに、1964年以降に生まれた若い世代が、幹部に登用されている。2年前の正日の葬儀で、霊柩車の脇につきしたがっていた正恩を含む8人、つまり正日死去の時点で北朝鮮の権力中枢にいた8人のうち、霊柩車の左側にいた李英鎬、金英春、金正覚、禹東則という軍人4人は、全員がその後の2年間で失脚した。右側にいたのは金正恩、張成沢のほか、金基南(党書記)、崔泰福(議会議長)という労働党の2人だったが、張が今回失脚し、金と崔は80歳代の高齢で、いずれ引退する。正恩は、正日時代に中枢にいた年上の高官たちを次々と辞めさせ、最後の仕上げが張の処刑だった観がある。 (Dissent in North Korea) (金正日の霊柩車7人のうち軍人は全員姿消す…党員2人だけ残る) 「正恩は馬鹿だから、自分の叔父まで殺してしまった」「これから北は権力闘争で不安定になる」といった、よくある見方と対照的に、正恩が2年間で、自分を子供扱いしかねない父親の側近たちを全員外し、代わりに自分に忠誠を誓う若手を登用し、その仕上げが張の処刑だったと見ると、今後の北は政治的に意外と安定するかもしれない。張が政治局会議の席上で逮捕される場面をテレビで放映し、即日処刑にしたのは、正恩が、自分に忠誠を誓わない者はナンバー2だろうが叔父だろうが処刑することを北の全員に思い知らせる「ショック戦法」だったと考えられる。 (Grasping for Clues in North Korean Execution) (Ouster Of Kim Jong Un's Uncle Sends Chilling Message To North Korea's Elite) 1950−60年代、ソ連派、中国派、南朝鮮労働党系など、いくつもの派閥にはさまれていた祖父の金日成は、派閥争いを巧みに使い、野蛮で無法な粛清によって、自分の独裁権力を確立した。後継者として登場する前、祖父に似せるため顔の整形手術までさせられたといわれる金正恩は、当然ながら、政治のやり方も祖父を真似ただろう。張成沢の処刑は、それを象徴するものだ。 張の処刑は、金正恩が自ら考えたことでなく、金正日政権の末期以来、労働党の復権に押されて権力を削がれている軍部が、正恩をそそのかし、党人派のトップである張を粛清させたという見方もできる。この見方に立つと「正恩は馬鹿」「北の政治はこれから混乱する」という分析になる。 冷戦時代にソ連の支援で経済を回していた北朝鮮は、90年前後の冷戦終結とともに、ソ連から支援を絶たれて飢餓に陥った。混乱の中、94年に金日成が過労で死に、正日が権力の座に就いたが、経済難による混乱が加速し、国家が崩壊しそうだった。正日は、武力で国家体制を保持できる軍を重視し、軍が労働党の傘下にあったそれまでの体制をやめて、軍を最優先して党を無視する「先軍政治」の体制に転換した。しかし2000年以降、となりの中国が経済を自由化して高度経済成長するのを見て、正日はしだいに先軍政治体制を脱却し、経済政策を担当する労働党に権力を戻す動きに転じた。張成沢の2度目の失脚と復権は、この動きの中で起きた。 (代替わり劇を使って国策を転換する北朝鮮) 正日は、自分が死んで正恩が権力を継承する過程で、党の復権をさらに進めようとして、張を摂政役につけた。もし今回、軍部が正恩をそそのかして張を殺したのだとすれば、それは先軍政治の復活をめざす軍部のクーデターだったといえる。とはいえ、私自身はこの見方に懐疑的だ。北の当局が朝鮮中央通信を通じて発表した張の罪は「反党、反革命の分派活動をした」ことである。「反党」は、複数ある罪状の最初に書かれ、繰り返し挙げられている。張の処刑が、軍の再台頭と党の軽視の再来につなげるための謀略だったとしたら、党を重視する方向の罪状が真っ先に掲げられているのはおかしい。 (Full text of KCNA announcement on execution of Jang) 張が「反党活動」の罪をなすりつけられたことは、北の権力中枢が今後も党を最重視していくことを示している。先軍政治の復活はない。軍が正恩をそそのかして張を殺したのでもない。張の失脚は、軍のクーデターでなく、正恩自身の権力掌握のための謀略と考えられる。引き続き軍より党が重視されることは、北が今後も経済政策に力を入れていきそうなことを示している。 国際政治の面で見ると、張は北における中国とのパイプ役だった。張の処刑は、正恩ら北の中枢が、中国との親しい関係を切ることにしたと読める。北の当局が発表した張の罪状の中には、張が、石炭など北の貴重な地下資源を格安で「外国」に売って賄賂をもらったり、中国国境に接する羅先の経済特区の50年間の土地使用権を「外国」に格安で売ってしまったことが掲げられている。これらの「外国」は中国を指している。 北朝鮮に近い中国の瀋陽や丹東には、北の国営企業が経済取引のために派遣した北朝鮮の担当者が多く駐在しており、その中には張につながる人脈の人も多いと考えられる。張の処刑後、北の政府は、それらの中国駐在者の全員に対し、帰国を命じた。この件も、正恩が中国を嫌って、北が対中関係を縮小するという推測につながっている。 (North Korea 'summons business people from China') 父の正日が晩年、頻繁に中国を訪問したのと対照的に、正恩は就任早々、中国が嫌う核実験やミサイル試射をやり、中国を怒らせたため招待されず、まだ中国を訪問していない。正恩は、自国に対する中国の影響力の大きさを嫌がり、中国と疎遠にして、中国包囲網を強化している米国にすり寄るつもりだとの見方も出ている。 これらの見方はあるものの、中国当局自身は、今回の張の処刑について「内政問題だ」として静観し、何もコメントしていない。これだけなら、社交辞令であり、今後しだいに北に対する締め付け、制裁をしずかに強めるという予測も成り立つ。しかし加えて、中国社会科学院の学者が「張の処刑は、北の権力が金正恩に集中したことを意味するので、今後、北の政治は安定するだろう」と楽観的に語っているのをふまえると、中国が、張の処刑によって中朝関係が必ずしも悪化するわけでないと考え、北の次の動きを待って静観している可能性も大きいと思われる。 (North Korea: Execution breaks key link with China) 晩年は中国の経済成長を礼賛する親中国ぶりを示した金正日も、00年ごろまでは、社会主義を「堅持」する自国を自賛するため、市場経済という名の資本主義に転じた中国を「修正主義」と批判する中国嫌いだった。それ以前には、初代の独裁者である金日成も、自分がソ連によって選ばれて北朝鮮の指導者にしてもらい、その後の国家運営もソ連からの食糧やエネルギー支援が必須だったのに、ソ連のスターリン主義の導入を拒否し、代わりにソ連など外国に頼らない自力更正と、自らの個人独裁を正当化する「主体思想」を唯一の思想にするという、一筋縄でない策略を展開した。 中国、ロシア(ソ連)、米国、日本などの強国に囲まれ、しかも半島が南北に分断されて敵対している北朝鮮では、まわりの強国のうちの一つに依存しつつも、独裁者がそれを認めると国内での権威が落ちるので、強国の言うことを聞かなかったり、対抗して見せたりする必要がある。就任後、まず中国の言うことを聞かない姿勢をとってみせている正恩は、初期の父親や、ソ連の言うことを聞かなかった祖父のやり方を継承している。 北の中枢としては、中国の経済成長がうらやましいが、中国のように経済の市場化を公式に認めてしまうと「社会主義堅持」の国是に反し、独裁者の権威が落ちる。だから北の当局は「現実としての経済の市場化は起きているが、政策として市場化をやっているのではない。政策は、あくまで国家がすべての物資を配給する社会主義だ。わが国は中国と違う」と言い続けている。 (北朝鮮で考えた) しかし同時に、金正恩は権力の座に就いた後、人民の生活を向上させるのが自分の任務だと何度も言っている。北朝鮮の市民生活は近年、市場化が黙認されているがゆえに、しだいに良くなっている。社会主義を貫徹しようとして市場化を認めずに破壊すると、市民の生活が悪化する。金正恩は、父の時代からの、市場化黙認の政策をやめないだろう。市場化を黙認する限り、北に投資や技術を持ってくるほとんど唯一の国である中国との関係を、一定以上悪化させるのも得策でない。張成沢の処刑によって権力掌握を終えた正恩が今後、かつての父親のように、親中国に転じていく可能性もある。 (Little Kim does Pulp Fiction) (North Korean execution 'will not alter trade goals') 今後、北朝鮮が核実験を再開したら、それは中国を怒らせることになり、米国が北朝鮮への制裁強化に動き、中国がそれに同調するだろう。それは、北の経済と人々の生活を悪化させる。北朝鮮が核兵器を手放すことはないだろうし、北に核を強制的に廃絶させるのは、朝鮮戦争の再発を覚悟しない限り無理だ。北が核実験を再開せず、静かに核を持っている限り、中国は北の核保有を黙認せざるを得ない。しかし、もし北朝鮮が核実験を再開するのなら、中朝の関係が悪化し、別の展開になる。 ここで終わりにしようと思ったが、もう一つ書き忘れていることがあった。それは多極化との関係だ。張成沢の権威低下が指摘され出したのと同時期の11月中旬、ロシアのプーチン大統領が韓国を訪問し、韓国から北朝鮮を通ってロシアに至る鉄道と石油ガスパイプラインの稼働の構想をぶちあげている。イランやシリアの解決役として米国の役目が弱まり、ロシアや中国が出てきたのと同期して、次は北朝鮮核問題の6カ国協議の再開を中露が画策し、その絡みでプーチンが訪韓したと推測された。 (Putin in Seoul to push new `Silk Road' via North Korea) 北の当局が張の罪状として発表したものの一つに「北朝鮮経済をいったん崩壊させ、建て直しのために自分が首相に就任できるよう仕向け、正恩から権力を奪うつもりだった」というのがある。これは無根拠なウソかもしれない。しかし、もし部分的にでも本当であるなら、張のこのような画策の背後に中国がいた可能性がある。 金正恩は自らの権威を高めるため、就任直後の昨年2月に核実験を挙行した。張成沢が中国の対北政策の代理人であるとしたら、張は核実験の再開に反対だったと考えられる。中国の意を受けた張が、正恩を象徴的存在にまつりあげて権力を掌握したら、その後の北朝鮮は、中国が望む核廃絶や南北対話に応じる可能性が増す。中国やロシアが、米国の覇権衰退に合わせ、中露主導での6カ国協議の再開を構想したなら、北朝鮮で張が正恩を押しのけて権力をとることを望むはずだ。正恩の側が、こうした張と中国の画策に感づき、先制的に張を処刑したのかもしれない。まったく推測の域を出ないが、そのようなことも考えられる。
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