金正日の死去めぐる考察2011年12月21日 田中 宇12月17日の金正日の死去は、北朝鮮の上層部にとって、来るべきものが来た感じだろう。金正日は、08年に心筋梗塞で倒れる経験をして以来、自分が間もなく死ぬかもしれないことを前提に、急いで後継者に三男の金正恩を決定した。昨年には正恩を、国権の最高機関である国防委員会の副委員長に昇格させた。まだ20歳代で未経験な正恩のために、金正日の妹である金敬姫と、その夫である張成沢を摂政役の後見人として付けた。 昨年には、張成沢を金正恩とともに国防副委員長に昇格させた。同時期に、張成沢のライバルだった李済剛を交通事故で死なせ(たぶん暗殺)、金正日の死後に張成沢を引きずりおろす軍内の権力闘争が起こらないようにした。張成沢ら夫婦は経済改革の担当で、彼らは、北朝鮮を中国型の「社会主義市場経済」に仕立てたい中国共産党に支持されている。中国は、金正恩の後見人である張成沢の後見人である。 (代替わり劇を使って国策を転換する北朝鮮) 金正日の死因は「執務中の心筋梗塞」とされているが、この死因は1994年に死んだ父親の金日成と同じだ。金正日の実際の死因は心筋梗塞でないのに、国父で絶対の権威である父親と同じ死因にすることが政治的に好まれたのかもしれないが、08年に倒れて以来、後継体制を急いで作ったことから考えて、金正日の死が病死である可能性が高い。 外交的なタイミングの絶妙さから考えると、金正日の死が自然死だったかどうか、若干の疑問も湧く。金正日が死んだ12月17日は、米国と北朝鮮との外務次官級協議が北京で12月15日に行われ、米国が北朝鮮に24万トンの食料を支援する見返りに、北朝鮮が核兵器開発(ウラン濃縮)やミサイル試射をやめることで合意し、6カ国協議を再開できる前提が3年ぶりに整った直後だった。 (U.S. will trade food for uranium agreement from North Korea) 米朝交渉は今夏から繰り返されていた。12月15日の北京での米朝合意を受け、オバマ政権は12月19日に北朝鮮への食料支援再開を正式決定し、12月22日に北京で再度の米朝協議を行って6カ国協議の再開を決める予定だったと報じられている。米朝がようやく歩み寄って合意し、6カ国協議の再開にこぎつけようとした矢先に、北の最高責任者である金正日が突然に死んでしまった。 (Officials: US weighs NKorea policy after Kim death) 歴史的に見ると、父親の金日成も、北朝鮮が核(原子力)開発をやめる見返りに米国が軽水炉や重油を供給する米朝枠組み合意の交渉を本格化しようとした矢先に、突然に死んでいる。これらの繰り返しは、単に金親子が、米国との協議を成功させようと頑張りすぎた挙げ句、執務中に心筋梗塞になったということを示しているのかもしれない。だが、そうでないとしたら、北朝鮮や中国と米国との敵対を永続化し、東アジアに冷戦型の軍事構造を残したい「軍産複合体」の系統(米英や韓国の諜報機関など)が、何らかの方法で、長期にわたり北朝鮮の中枢に入り込み、最高指導者を暗殺できる状況にあったという仮説を考えてみる必要がある。 もちろん、米英系の諜報機関が北朝鮮の中枢に入り込めるはずがないという見方は有力だ。だが同時に、1950年の朝鮮戦争の開戦時、米英諜報機関の系統が、金日成に間違った分析を吹き込んで「南侵すれば韓国を軍事併合できる」と思わせることに成功し、米ソの冷戦構造を米中間に拡大するという軍産複合体の目標が見事に達成されたことを考えれば、北朝鮮の中枢が米英系に入り込まれている可能性を一蹴できない。 シリアのアサド父子も、北朝鮮の金父子と同様、何十年も孤立的な独裁政権を維持してきたが、イスラエルの諜報機関は何十年にもわたってアサドの政権中枢の様子をつかんでいたとされる。父アサドは、いったん信用した側近や使用人を長く使い続けたので、いったんイスラエルのスパイがアサド家の奥深くの使用人として採用されると、長期にわたるスパイ活動が可能になる。同様のことが北朝鮮でも起きていたと考えることを、荒唐無稽と言い切れるものでない。 とはいえ、こうした件の真相が後からわかることはまずない。アサド家の件も、イスラエルからそのような情報が出されたというだけで、事実かどうかわからない。金正日の死の真相をしつこく追究するのは大して意味がない。 ▼韓国の政界再編開始の矢先に金正日の死 タイミング的な絶妙さからいうと、金正日の死は、韓国政界の転換とも同期している。韓国では来年4月に国会選挙、来年12月に大統領選挙が行われる。2つの選挙を前に韓国では、与野党ともに、大規模な政党再編が、金正日の死の直前のタイミングで始まっていた。与党ハンナラ党では、金正日死去の5日前の12月12日、党の事実上のトップに、朴正煕元大統領の娘で「選挙の女王」と呼ばれ、04年から07年まで党首をしていた朴槿恵(パク・クネ)が返り咲いた。 (GNP revises charter to pave way for Park to take over) 対抗して野党では、民主党と市民統合党など中道左派勢力が合体して「民主統合党」を結成すると12月16日に発表された。左派勢力も、民主労働党など3つの党が合体して「統合進歩党」を作ることが12月5日に決まった。民主統合党は、米韓FTAの見直しを主張しており、中道左派や左派が政権に就いた場合、韓国は米国との協調関係が薄れ、北朝鮮との融和関係を強めると予測される。 (The United Democratic Party officially launched) ハンナラ党から出た現在の大統領である李明博は、北朝鮮を敵視して一触即発の対立状況に持ち込み、米国の軍事強硬派(国防総省など軍産複合体)と組んで米韓軍事同盟を強化する対米従属策をとってきた。だが、米国が韓国に不平等条約的なFTAを承認させた上、韓国の製造業にとって不況続きの米国市場の魅力が低下している。韓国では、対米従属に失望する声が強まり、李明博政権への支持率が下がり、10月のソウル市長選挙ではハンナラ党の候補が破れ、民主党の市長が生まれた。 (◆貿易協定で日韓を蹂躙する米国) 李明博は北朝鮮敵視だが、朴槿恵は北朝鮮融和派で、02年に北朝鮮を訪問して金正日に会った。韓国の大統領は1期5年で再選が禁じられている。ハンナラ党内では、このまま次の大統領選挙でも北朝鮮敵視策を貫くより、国内世論に従って対北融和策に転換した方が良いという意見が強まり、07年まで党首をしていた朴槿恵が再登板することになった。 世論調査では、朴槿恵が、来年の大統領選挙で最も有力な候補とされている。ハンナラ党が対北強硬路線を貫いていたら、朴槿恵は離党して新党を作り、そこから大統領選に出る見通しだった。そうなるとハンナラ党が分裂し、今は野党の左派諸政党の勝算が上がった。だが、ハンナラ党が党是を転換して朴槿恵を擁立することにしたため、中道左派と左派も対抗して、結束を強めている。中道左派と左派との大連合も模索されたが、まだ実現していない。ハンナラ党が北朝鮮敵視策を放棄した結果、韓国は今後、南北対話を重視する方向に戻っていくだろう。米朝会談の進展と合わせ、北朝鮮をめぐる情勢が敵対から融和に転換していきそうな矢先に、金正日が死んだ。 (◆北朝鮮6カ国協議再開に向けた動き) ▼中国が金正日の後見人の後見人 北朝鮮では、権力の世襲など、内政が不安定になりそうな時ほど、韓国との武力衝突などを通じて敵対を扇動し、国外との緊張関係によって国内の結束を高め、政権を維持する政策をとる傾向がある。今回、新しい権力者となった金正恩は28歳で政治経験が少ないため、これから政権が安定するまで、韓国との敵対を強めるとの予測がマスコミで出ている。金正日の死の直後、北朝鮮が日本海に短距離ミサイルの発射実験をし、日本のマスコミは「それきたぞ」と騒いだ。年功序列的な儒教の精神が強い北朝鮮で28歳の金正恩が尊敬を勝ち取ることは難しいなどという、したり顔的な説明も、米国のシンクタンクCFRが流している。 (North Korea's Uncertain Succession) だが、ここ数年の北朝鮮の事態の変化から考えると、金正日の死にともなう権力継承は、意外と早く安定的に進むのでないかというのが私の見方だ。金正日が、08年に倒れた後に作った自分の死後の後継体制の要点は、金正恩の後見人として張成沢・金敬姫夫妻に実質的な権力を持たせて経済改革を進めさせ、北に経済改革をやらせたい中国が夫妻の後見人になる仕掛けだ。 (Dear Leader, departed) 中国は、朝鮮半島の安定を非常に重視している。金正日の死後、金正恩の政権が不安定だからといって、北が内政を安定させるために米韓と一触即発の事態を誘発することを、中国は好まない。金正日が、自分が死んだ後の金正恩・張成沢・金敬姫の新体制に反対しそうな勢力を、事前にどれだけ排除粛清できたか、確定的に語ることは難しいが、反対派の排除はかなり進んでいたという見方が、韓国政府系の研究者から出ている。 (Cunning Kim confounds to the last) 1994年に金日成が死んだ後、後継者の金正日は3年も服喪期間を設け、その間に権力を掌握した。金正日は、その前に14年間も金日成の後継者として指名されていたが、それでも権力の掌握に3年もかかった。後継者に指名されて2年しか経っていない金正恩はが権力を継承するには何年もかかるだろう、といった見方がマスコミで出ている。 (North Korea faces tough survival battle) だが、94年と今回を並列して見ることは間違っている。94年はソ連東欧の社会主義政権が崩壊した余波が強く残り、北朝鮮の社会主義独裁政権が崩壊するのも時間の問題だと、中露を含む世界が考え、北朝鮮は今よりずっと孤立していた。北朝鮮国内でも社会主義政権に対する潜在的な閉塞感が強かった当時の状況下で、金正日が社会主義の独裁政権を世襲するのは簡単でなかった。 (Will North Korea Stay Crazy?) 対照的に現在の北朝鮮は、経済的に中国の傘下に入っている。北朝鮮が輸入する燃料の9割、食料の7割は、中国から入っている。中国は北朝鮮の安定を最重視している。北朝鮮は、中国の言ったとおりにやれば、失敗しても中国から燃料と食料をもらえる。今の北朝鮮の政治状況は、ソ連からの経済支援を絶たれて飢餓状態に向かっていた94年に比べると、格段に良い。 (Pyongyang's Succession Drama) 中国共産党は自国で権力世襲を禁じているので、北朝鮮の権力の世襲も好まないだろう。だが、朝鮮労働党が中国式の集団指導体制に簡単に移行できないなら仕方がない。金正恩・張成沢・金敬姫の新体制の安定を、中国は全力で支援するだろう。だから北朝鮮は今後も崩壊しにくいし、新体制は意外と早く安定する可能性が高い。金正日の死で6カ国協議の再開が大幅に遅れるというのが大方の見方だが、中国は協議の早期再開を強く望んでいる。ひょっとすると、来春までに6カ国協議が再開されるかもしれない。 (Kim Jong-un, 'great successor' poised to lead North Korea) ▼韓国も米国も北朝鮮に融和姿勢 昨年までの韓国政府は、北との敵対を扇動する好戦策だったが、朴槿恵がハンナラ党の主導権を握る今後は、李明博政権も好戦性を引っ込め、朴槿恵が次期大統領になって自党の政権が維持されるよう努力するだろう。金正日の死に際して韓国政府は、政府を代表する弔問団の訪朝を見送ったものの、金大中元大統領や現代財閥の元総裁らが、なかば韓国を代表するかたちで訪朝して弔問することを認めた。 (S. Korea expresses sympathy to N. Korean people over Kim's death) 韓国側は昨年から、38度線のすぐ南に巨大なクリスマスツリーを置いてイルミネーションを点灯し、信仰の自由がない北朝鮮に対する宣伝行為にしている(南北対話の影響で、しばらく点灯していなかったが、南北対立が激しくなった昨年から再開した)。北朝鮮側は金正日が死ぬ前、今年も点灯したら敵対行為と見なして報復すると怒りの宣言をしていた。それでも韓国側は点灯する構えだったが、金正日の死後、北を挑発する行為を控えることにして、点灯しない姿勢に転じた。この件からも、韓国政府が金正日の死後の北朝鮮に対し、腫れ物にさわるような対応をし始めていることがうかがえる。 (Seoul adopts Christmas tree diplomacy) 米国には、北朝鮮との敵対を好む軍産複合体的な姿勢も存在する(米国では往々にして、中国や北朝鮮と融和しようとする政府主流派の裏をかいて、軍産複合体がクーデター的に中朝との敵対を劇的に高めようとする構図が発生する)。だがオバマ政権としては、財政難の中で在韓米軍の軍事費を削減したいこともあり、米朝交渉をやって6カ国協議の再開につなげようとする対北融和の態度をとっており、金正恩の新政権を挑発したくない。 (North Korea: Kim dread spirit) つまり中国も韓国も米国も、北朝鮮の不安定化や南北対立の激化を望んでおらず、逆に、北朝鮮が核兵器開発をやめて、6カ国協議が進展し、米朝や南北の対立が緩和することを望んでいる。そして、周辺事態の安定を好む中国は、北朝鮮の新政権に、米韓との対立を激化させるなと命じているだろう。このような状況なので、今後の北朝鮮情勢は、意外に安定した状態が続き、6カ国協議の再開に向けた動きも、早期にまた始まるのではないかと考えられる。 (With Kim Jong Il's death, some see window for change in North Korea) 米国では、ネオコン(好戦策を過剰にやって失敗させる隠れ多極主義者)のジョン・ボルトンが、北朝鮮は新政権の内部で権力闘争が激化して間もなく崩壊すると、いつもの調子で書いている。日本のマスコミの主流な論調も「間もなく北朝鮮は崩壊する」というもので、それは米国のタカ派(ネオコン)のプロパガンダの影響を受けているのだろう。しかしそれは、隠れ多極主義的な意図的な間違いに乗せられてしまっている。北朝鮮は崩壊しない。「間もなく崩壊する」と高をくくっているうちに、中国主導の新たな国際秩序が極東にできてしまうのだろう。 ('The Great Successor' By JOHN BOLTON)
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