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中国の悪さの本質

2020年8月23日   田中 宇

習近平の中国政府(中共)が、香港の民主的な自治体制を破壊している。中共は6月末に、香港で認めてきた言論の自由を制限し、中共を批判する言動を犯罪として取り締まる香港国家安全維持法を制定した。8月10日には、中共を批判するリンゴ日報を香港で発刊してきたジミー・ライが同法違反の容疑逮捕されるなど、香港の著名な反中共人士が相次いで逮捕されている(多くは短期間で釈放)。香港の政界では、以前から中共に批判的な民主派が各種の抑圧を中共側から受けている。 (Hong Kong's Apple Daily vows to 'fight on' after Lai's arrest

1997年に英国が植民地だった香港を中国に返還する際に、中共は「これから50年間は香港に社会主義を施行せず、香港の資本主義や、高度な自治体制(港人治港)を守る」と約束した(1985年の香港基本法など)。米英とその仲間たちは「香港の民主や言論の自由の体制を抑圧している中共は約束を守っていない」と批判している。中共は、民主派への抑圧や安全維持法は約束の範囲内だと反論している。「中共は香港の民主体制を壊している悪い奴らだ」というのが、報じられている世界の「常識」だ。 (さよなら香港、その後

だが、この常識的な善悪の観点には、別の重要な善悪の観点がすっぽり抜け落ちている。それは、香港が英国の植民地だったことだ。香港は、英国が世界帝国になった時代に、清朝の中国が英国の麻薬取引を取り締まったことへの報復としてアヘン戦争を起こして清朝を打ち負かして戦利品として割譲させた植民地だ。当時の英国は、インド植民地で作った麻薬を中国に密輸出して中国人を麻薬中毒にしてボロ儲けする麻薬組織だった。アヘン戦争は不正な侵略戦争だった。香港は、英国が悪いやり方で中国から強奪した、不正な植民地だった。 (東アジアを再考する

中共(中華人民共和国)は1949年の建国当初から、香港を英国から回収、取り戻すことを国家目標にしてきた。中国が香港を回収するという場合、回収後の香港は中国の他の都市と同様の、中共一党独裁の社会主義体制下に組み込まれると考えるのが、中国にとっての正論だ。中共の一党独裁体制は「悪」だという考え方が米欧日のマスコミや言論界に存在するが、国際法的には、中共の独裁体制は全く合法な存在だ。中共は、国際法を策定・運営する国連の安保理の常任理事国(P5)の一つである。国連=国際法の価値観なのだから、中国やロシアは全く正しい存在だ。そして、香港が英国の不正な植民地だったことも、正史的な「事実」だ。となれば、中共が香港を回収して中国の一党独裁と社会主義の中に組み入れることは、国連的・国際法的に全く正当な行為である。 (トランプが捨てた国連を拾って乗っ取る中国

米欧諸国は、中国を独裁だ人権侵害と言って敵視・批判するくせに、もうひとつの中国(中華民国)である台湾が30年前から民主主義をやっているのにほとんど無視している。国際社会である程度以上の影響力を持っている国で台湾と外交を結んでいる国は一つもない。米英が中国を敵視するなら、中国と国交断絶して台湾と国交を結べば良いのだ。トランプは台湾をテコ入れする演技をしているが、閣僚派遣や兵器の販売など、演技以上のことをやらない。 (US finalizes sale of 66 F-16 fighters to Taiwan as China tensions escalate

トランプの中国敵視策は、中国を怒らせて米国への気兼ねを捨てさせて台頭させるのが目的だから、トランプは中国と国交断絶などしたくない。現時点で米国が中国と国交断絶したら、世界の大国のいくつかが追随して本当に世界が米国側と中国側に分断されかねないので、トランプは中国と国交断絶しない。トランプが中国と国交断絶するとしたら、米国の覇権が今よりはるかに低下し、ほとんどどこの国も米国に追随しなくなってからだ。米国が中国と国交断絶しても、日本や豪州は経済を中国に依存しているので追随しない。 (What’s Behind China’s Growing Military Activity Around Taiwan?

香港は今でこそ議会民主制が敷かれているが、この体制は英国が香港を中国に返還する直前の1995年に作ったものだ。英国は、香港の教育体制も中国への返還直前にリベラル化し、若い香港人たちが民主活動家になって中共の独裁や社会主義に強く反対するように仕向けた。英国は、それ以前の時代には、香港で民主主義を全くやらず、リベラル主義も奨励せず、香港人が英国に楯突かないようにしていた。英国は、香港を中国に返還するにあたり、香港人が中国に歯向かうように扇動した。この英国の手口は、インド植民地に独立を許す直前にヒンドゥ教徒とイスラム教徒の対立を扇動し、インドとパキスタンの分裂を起こして出て行ったのと同質の策略だ。

この問題は、さらに一歩深く分析すると別の興味深さも見えてくる。中国と英国は1984年に香港返還についての協議を開始した。このタイミングは、覇権国である米国が1979年に米中国交を正常化し、西側世界が冷戦的に中国を敵視するのでなく、中国に投資して経済発展を誘発して西側企業が儲ける新時代に入ったことを受けたものだ。中国は、米国と国交正常化すると同時に、経済発展を引き起こす改革開放政策・市場主義導入を開始した。中国で儲けることに出遅れるわけにいかない英国は、中国と仲良くするため、中国が望む香港の返還をやらざるを得なくなった。

ここまでの話は理解しやすい。理解しにくいのはこの先だ。すでに書いたように、中共の基本姿勢は「香港の回収」であり、それは香港を完全に中国の一部にして社会主義と中共独裁を敷くことであるはずだった。だが実際のところ、当時の中共の権力者だったトウ小平が採った政策は「香港の返還から50年間は、香港の資本主義体制を残す。政治的にも中共が香港を統治するのでなく、香港人(おそらく香港財界)が香港を統治する港人治港の体制を守る」という「一国二制度、港人治港」だった。これは1985年に中共が制定した香港基本法に盛り込まれた。中共は自ら、香港の完全回収を50年先延ばしした。なぜか。

それを考えるには、当時の中国の国内政治経済の状況を見る必要がある。当時の中国は、毛沢東の社会主義と独裁で、文化大革命や大躍進などの失敗が起こり、政治経済ともに破綻していた。毛沢東の独特な社会主義の政治経済の政策によって、中華人民共和国は建国後の4半世紀を無駄にした。トウ小平自身、市場主義的な経済政策をやろうとして毛沢東から非難され権力を剥奪される時期が長かった。

毛沢東の死後、権力者となったトウ小平は、米国から接近されて国交を正常化するとともに市場主義(資本主義)を取り入れて改革開放を始めたが、その際に中国の一部になる香港に返還後も資本主義を維持させる一国二制度を採ることで、香港の資本主義に触発されて中国大陸の市場主義化が進む態勢を作ろうとした。香港に隣接する深センの周辺をハイテク産業の集積地にしていったのは、その象徴だ。正史では、英国がトウ小平を説得して香港の資本主義を維持したという話になっているが、実際は多分違う。香港の政治を中共独裁にせず、香港人(財界人)による自治を維持することにしたのも、中共が政治的に香港に介入すると香港の市場経済が破壊され、香港が中国の市場経済化を触発・誘導する構想が崩れかねないからだろう。

香港の問題だけでなく、1980年代当時のトウ小平ら中共上層部の政策全体を考察すると、中共は、毛沢東の政策、それからソ連の政策の失敗を踏まえ、経済の市場化だけでなく、政治の独裁回避のためのリベラル化・民主化導入を検討・試行していた。当時の中共の人々の多くが、今よりはるかに赤裸々に、社会主義の失敗を認めていた。ソ連が導入した政治の自由化・ペレストロイカを中国もやろうという意見もふつうに出ていた。中共を2つに分けて米英型の2大政党制(2党独裁制)に移行する「民主化」をやれないかという試論もあった。党内には左派も残っていたので、試行は非公式に続けられていた。返還後の香港に自治を認めることに、経済だけでなく政治的にも中国の改革を触発する目的があったかどうかはわからないが、トウ小平ら当時の中共が、経済改革(市場経済化)とともに政治改革(独裁抑止のためのある程度の民主化)を必要と考えていたことは確かだ。

当時の中共がやりかけていた経済と政治の両方の自由化のうち、政治の自由化を決定的に休止させたのは、1989年の天安門事件とソ連崩壊だった。天安門事件とソ連崩壊でわかったことは、中国やソ連が政治を自由化すると、米英が諜報的に中ソの中で動き、中ソの政府そのものを転覆しようとする謀略をやる、ということだった。ソ連は実際に潰れ、その後のロシアは米英の諜報界(軍産複合体)のスパイである新興財界人オリガルヒたちが国有企業の民営化と称して経済を私物化し、約10年間にわたってロシア経済を破壊し続けた。ロシアがこの崩壊から脱したのは、2000年にプーチンが大統領になってオリガルヒを退治していったからだ。ゴルバチョフの政治改革は、米英(軍産)の謀略にはめられる結果になり、ソ連・ロシアに大損害を与えた。 (ロシア・ユダヤ人実業家の興亡

天安門事件とソ連崩壊を踏まえて、トウ小平は政治改革をすべてやめることにした。トウ小平が期待していたのは、米英が中国やソ連の政治経済の改革を祝福・協力してくれることだったが、実際の米英は中国やロシアを潰そうとし続けた。米国の上層部は、軍産と多極派の長い暗闘だ。多極派はトウ小平に期待させる存在であり、多極派が米中国交正常化を進め、冷戦を終わらせたが、そんな中でも軍産は生きていて、中ソの政治改革を悪用してソ連を崩壊させ、天安門事件をこじらせて米欧が中国を10年経済制裁する事態を誘発した。第2次大戦後に軍産が作った冷戦体制は1989年に終わったが、軍産は代わりに敵性諸国の人権侵害や独裁体制を誇張して非難し経済制裁や政権転覆につなげる「人権外交」の仕掛けを作った。天安門事件は、人権外交の典型だった。 (人権外交の終わり

天安門事件とソ連崩壊の後、トウ小平は、中国の政治経済改革のうち、経済の部分だけを積極的に進め、政治の部分はできるだけ変えないことにした。米英・軍産が中共の政権転覆を狙っているとわかった以上、政治改革は危なすぎてやれない。トウ小平はゴルバチョフになりたくなかった。トウ小平は政治改革をやらず社会主義を残しつつ経済発展を目指す方針を具現化して1992年に「社会主義市場経済」という概念を打ち出した。トウ小平は、政治改革をやらない代わりに自分の後継者たち(江沢民、胡錦涛ら)に集団指導体制を組ませ、独裁の出現を阻止することにした。また天安門事件で米国に経済制裁された教訓から、国際政治的に米国(軍産)に楯突かず、経済成長の実現を優先すること(韜光養晦)を、後継者たちへの教訓として残した。 (中国の権力構造

天安門事件と冷戦終結の後、香港の返還問題は、米英の軍産による冷戦に代わる中国敵視の人権外交の道具に使われる傾向が強まった。1997年の香港返還を前に、英国は軍産の策として香港に民主的な議会を作り、民主活動家が議員になって中共を非難する態勢が組まれた。香港基本法に盛り込んだ香港自治の原則でトウ小平が意図したのは、中共が香港を支配して資本主義体制をダメにしてしまうのを防ぐことだったが、トウ小平は軍産にしてやられた。中共は軍産にやられたが、トウ小平が残した教訓に従い、反撃・報復することを控えた。反撃すると経済制裁され、経済の面まで台無しにされてしまいかねないからだった。 (米国の多極側に引っ張り上げられた中共の70年

このように歴史を紐解くと、中国が自ら勝手に悪の道に入ったので米英が中国を悪者扱いするようになったのでなく、米英が中国を出し抜いて悪者に仕立てたことがわかる。英国自身はもともと中国と敵対するのでなく中国に投資して儲けたかったが、米国の軍産は英国を巻き込んで中国敵視をやりたがったので、英国はそれに付きあわざるを得なかった。

冷戦後の軍産の覇権は2001年の911事件によって劇的に強まったが、911は同時に、軍産と、ネオコンなど隠れ多極主義者との暗闘激化の始まりだった。03年のイラク戦争や08年のリーマン危機とその後の米連銀のQE、そして16年からのトランプ政権によって、米国の覇権が自滅していく流れが定着した。米国の覇権が自滅していくのなら、中国は「米国・軍産に濡れ衣を着せられて非難攻撃されても頭を低くして耐え、経済成長に専念しろ」というトウ小平の教訓を守る前提が崩れる。胡錦涛までは、トウ小平の教訓を守り、米国と対等な大国として振る舞うことを避けていたが、2012年に就任した習近平は、米国と対等な大国として振る舞う傾向を強めている。習近平は、米国のユーラシア覇権が縮小する分を中国が穴埋めしていく覇権拡大の戦略として2013年から一帯一路を展開し、米国から経済制裁されても非米的な一帯一路があるのでかまわない状況を作った。 (Are China's Naval Ambitions A Global Threat?

今年のコロナ危機開始後、トランプの米国は習近平の中国を敵視・経済制裁(制裁的な高関税を課税)する傾向を強めているが、これは習近平にトウ小平の教訓を離脱させる策になっている。習近平は、中共の集団指導体制を破壊して独裁を強めており、コロナ危機になって独裁強化の傾向が強まっている。コロナ危機は、中共の上層部の面々が直接に集まって秘密会議をする集団指導体制の実施を難しくしており、習近平にとって独裁を強化する格好の口実になっている。中国でもコロナの病原性は大幅に低下しているだろうが、米国が世界的なコロナ危機を長期化させるので、習近平は思う存分、自分の独裁を強化できる。 (中国が内需型に転換し世界経済を主導する?

中共の現役指導部が毎年8月に長老たちに政策を諮る非公開の北戴河会議も、今年は開催自体が報じられていない。習近平は長老たちに相談せず、経済を内需主導に転換する政策を決めて発表してしまった。習近平は江沢民ら長老たちと対立しているわけでなく、江沢民らは集団指導体制を解体して習近平の独裁体制に転換することを容認している。 (Has China’s annual Beidaihe leaders’ retreat already happened in secret?

毛沢東が中国を破壊したように、習近平の独裁体制も、最終的には中国を破壊する可能性がある。だが今のところ習近平の独裁強化は、中国がトウ小平の教訓を離脱して米国に露骨に対抗して覇権を拡大し、中東や東欧、アフリカなどで米欧が持っていた経済利権が次々と中国の手に渡り、中国が豊かで強大な国になっていくことにつながっている。習近平が中国を発展させている限り、独裁体制であることは中国国内で問題にならない。鼠をとる猫は、どんな色だろうが良い猫なのだ。 (China Has Quietly Cut Dollar Usage In Cross-Border Trade By 20%) (600年ぶりの中国の世界覇権

中国経済は、現時点ですでに、米欧日と肩を並べる先進性を持っている。中国が、香港を通じて米欧日の経済ノウハウを得て、社会主義の経済を市場主義に変えていくというトウ小平が香港返還前に構想した目標は、十分に達成されている。市場主義を十分に取り入れた中国は、かなり前から、香港を経由しなくても世界と経済交流していける状態になっている。香港は、中国の経済成長を触発する役割をすでに終えている。さよなら香港。私はすでに1年前にこの題名の記事を書いている。 (さよなら香港

トランプの米国は昨年来、香港の民主化運動を積極支援して扇動し、中共が香港を弾圧するように仕向けている。もしこの扇動が、香港が中国の経済発展にとって不可欠な存在だった時代に行われたのであれば、それは中国に対する軍産の有効な攻撃策であるといえる。しかし事態はまったくそうでない。香港は、中国にとって必要ないものになっている。そうなったことを見据えた上で、トランプは香港の民主化運動を扇動して中国に香港を弾圧させ、米欧軍産が香港問題で中国を強く非難する状況を作っている。中国側は、もう香港など重要でないのだから、米欧軍産に非難し返し、米中対立が激化し、中国の対米自立や覇権の多極化が加速する。一番困っているのは、お役御免のレッテルを貼られる香港自身である。 (世界資本家とコラボする習近平の中国

中共はこれまでトウ小平の策に沿って、香港とその背後にいる米英に配慮してきた。だがトランプが扇動した昨年来の香港をめぐる米中対立の激化を機に、トウ小平を卒業した習近平の中共は、香港と米英に配慮するのをやめた。中共は先日、英国が発行する香港旅券を無効にしていくと発表したが、この無効化は、香港と米英への配慮の終わりを象徴している。香港市民は中国人民なのだから、英国発行の旅券を捨てて中国の旅券を取りなさい、という意味だ。習近平は、香港をふつうの中国国内の都市として処遇していく「香港回収」に取りかかっている。 (Hong Kong: China says it will not recognise UK overseas passports

米欧日のマスコミでは「中共が香港をダメにした以上、アジアの他の都市が香港の役割を代替する必要がある。それはシンガポールか、東京か?」みたいな感じの記事が出ている。間抜けだ。これまでの香港の役割は、社会主義の中国と、市場主義の外部世界をつなぐものだった。中国が十分に市場主義を習得し、もう香港が不必要になったから、中共は香港に配慮しなくなった。中国は、香港など外部の都市を経由せず、直接に世界とやり取りできる。マスコミなど多くの人が、米国が発信する中国包囲網のプロパガンダにとりつかれているので、時代遅れな見方のままになっている。 (Hong Kong security law sparks race for Asia's next financial capital



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