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さよなら香港

2019年9月11日   田中 宇

1997年に英国の植民地から中国に返還された香港では、英国が中国(中共)への嫌がらせとして、返還直前(95年)にそれまで全くやっていなかった民主的な政治体制(民選議会)を新設し、中共が返還後の民主体制の換骨奪胎を試みると、米英が「中国は香港の民主や人権を弾圧している」と非難することが繰り返されてきた。香港は、米英の中国敵視策の道具として使われてきた。2014年に中共が香港の選挙制度を改悪したときは「雨傘運動」の大規模デモが起きた。今年、香港で逮捕された容疑者を中国に送致できるようにする「1国2制度」の換骨奪胎としての刑事手続きの改悪が試みられたのを受け、再び大規模なデモが起きている。

英国は、自分が香港を支配していた時には民主体制など全くやっていなかった。冷戦後(隠れ多極主義・隠れ親中国である)米国からの要請で、香港を中国に返還せねばならなくなったので、中共を苦しめるために、維持が困難な(英国自身でさえ宗主国だった時には断固拒否していた)民主体制を「(負の)置き土産」「最後っ屁」として残した。

英国は、インド植民地の独立に際してはインドとパキスタンが永久に対立する構図を最後っ屁として残し、印パを永遠に苦しめている。日独は戦後、永遠の対米従属(米国覇権の黒幕である英国への従属)を強いられている。人類のほとんどは、これらの英国による極悪な策略・善悪歪曲・歴史捏造の存在にすら気づかず、英国は良いイメージを維持している。そもそも英国は、悪名高き阿片戦争で香港を中国から奪って植民地した(当時はまだ英国が人類の善悪観を不正に操作できる洗脳技術を持つ前だった)が、それは香港問題を考える欧米日の人々の頭の中にない。

米英覇権を運営する上層部(米英諜報界)が、冷戦構造・中国敵視を好む英国・軍産複合体と、親中国・覇権放棄的な隠れ多極主義との長い暗闘の構造であるというのが私の見立てだが、米英の対中国政策もこの暗闘の構図の中にある。50年代に中国を朝鮮戦争に巻き込んで米国の敵に仕立てたり、89年に天安門事件を引き起こして冷戦後の「人権外交」の構図の中で中国を制裁対象の「極悪」に仕立てたのは、軍産英側の策略だ。英国から中国に香港を返還させたのは多極側の策略だが、返還前に香港を付け焼き刃の民主体制に転換して中共に「1国2制度」を約束させたのは軍産英側の策だ。 (人権外交の終わり

英国で世界支配を担当しているのは、スパイ操作に長けた諜報界(MI6)だ。英国は香港返還時、返還後の香港で中共を困らせる民主化要求の反政府運動を扇動・先導するスパイ網を設置したはずだ。雨傘運動や、今年の大規模デモなど、返還後の香港での民主化運動の指導層の中に英国系のスパイがいて先導している可能性はある。だが英国はそうした介入を隠然とやっているので「証拠」がない。 (米国が英国を無力化する必要性

隠然系の英国と対照的に、香港(など世界中の民主化運動)に対して露骨で目立つ介入をやっているのが米国の諜報界だ。米国は、世界中の反米諸国の民主化運動をテコ入れするため、冷戦末期の80年代から「民主主義基金」(NED)を国務省傘下に作り、NEDがテコ入れする各国の民主化運動組織に、ジョージ・ソロスら資本家が作ったNGOが活動資金を出してきた。NEDは2014年にウクライナで親ロシア政権を倒す民主化要求の反政府運動をテコ入れして政権転覆に成功して以来、世界各国で反政府運動を支援して政権転覆につなげる「カラー革命」を展開している。 (The Anglo-American Origins Of Color Revolutions) (ウクライナ民主主義の戦いのウソ

2014年の雨傘運動で指導者となり、今年の大規模デモでも指導者をしている若手活動家の黄之鋒(ヨシュア・ウォン)や羅冠聡(ネイサン・ロー)らは、NEDやその仲間のNGO(フリーダムハウスなど)から支援を受けたり、表彰されたりしている。今年のデモに際し、在香港の米国の領事が、黄之鋒ら運動側の指導層と何度も会っている。米議会では、中共が香港の運動を弾圧したら中国を経済制裁する法案が提出され、中国敵視の軍産系議員たちが超党派でこの法案を支持している。香港の運動はすっかり米国の中国敵視策にされている。黄之鋒ら自身にその気がなくても「中共を政権転覆するための米国(軍産)の策略に協力している傀儡」と見なされてしまう。「香港の反政府運動は、中共の政権転覆を狙った米国のカラー革命の策動だ」という見方が「陰謀論」でなく「正しい」ことになってしまう。 (HK "What The Hell Is Happening In Hong Kong?"

米英諜報界に、イラク戦争を強行したブッシュ政権中枢のネオコンなど、軍産英のふりをして敵視戦略を過激に稚拙にやって意図的に失敗させて、米英覇権を浪費して多極化に結びつける隠れ多極主義の策略があることを、私はよく指摘してきたが、カラー革命はこの構図の中に入っている。香港の民主化要求運動が、米国に支援扇動されたものであるという色彩がなければ、中共は危機感をあまり持たず、香港の運動にある程度譲歩して宥和する余地があった。だが香港の運動が、中国の政権転覆を目的とした米国によるカラー革命の一つなのだということになると、中共は警戒感を強める。中国大陸の世論は「香港の運動は米国のスパイがやっている売国運動だ」と思う傾向を強め、中共が香港の運動を弾圧することを歓迎する。米国が香港の運動を支援してカラー革命に仕立ててしまうことは、香港側にとって自滅的であり、とても迷惑なことである。 (Hong Kong a priority for U.S. Senate Democrats, leader says

▼トランプが香港運動の自滅を扇動している?

今年6月から続いてきた香港の反政府(反中国)デモは、運動開始のきっかけとなった「逃亡犯条例」を香港政府が9月4日に正式撤回した後、デモの参加者が減って下火になりつつある。反政府デモの指導者たちは、送致法の撤回以外にも警察改革などいくつかの要求を掲げており、このまま反政府運動が下火になるのをいやがり、米欧諸国の政府に頼んで中国を「人権侵害」「民主主義無視」などと非難してもらい、それをテコに香港の運動を再燃しようとしている。これがまた、香港の運動が「米英の傀儡」とみなされる傾向に拍車をかけてしまっている。 (HK Hong Kong Protesters Flood Streets to Call for U.S. Support) (Hong Kong Protesters Urge Trump To "Liberate" City In March On US Consulate

日々のデモ行進では「中国をやっつけて香港を『解放』してほしい」とトランプ米大統領に頼むスローガンやプラカードを掲げ、米国旗を振り、米国歌を歌いながら香港の米国領事館前を通ったりしている。米国でトランプ支持者がかぶっている「米国を再び偉大にしよう(MAGA)!」と書いた赤い野球帽とそっくりな、「香港を再び偉大にしよう」と書いた赤帽をデモ参加者たちがかぶっている。少し前には、旧宗主国である英国の国旗も振られていた。 (Protesters wear ‘Make Hong Kong Great Again’ hats to ask Donald Trump for help) (Hong Kong Riot Police Fire Tear Gas After Thousands Beg Trump For Help

香港人たちのこの行為は、中国に対して厳しい態度をとるトランプや英国に助けてもらいたい、ということだろうが、政治運動として自滅的だ。香港の反政府運動の成功には、香港だけでなく隣接する中国大陸の人々の広範な支持を得ることが必要だ。中国大陸の人々は、トランプに困らされている。トランプが中国の対米輸出品に懲罰的な高関税をかけて米中貿易戦争を引き起こし、中国は経済難だ。大陸はトランプと戦っているのに、香港はトランプに頼んで中国に圧力をかけてもらおうとしている。香港人は、阿片戦争以来中国を苦しめ、香港を植民地支配してきた英国にまで「中国を非難してくれ」と頼んでいる。大陸から見ると、香港は売国奴そのものだ。大陸の世論は、香港人を支持するどころか逆に怒っている。 (What Is the US Role in the Hong Kong Protests?) (Hong Kong risks catastrophe in China-US proxy battle, Global Times chief warns

中共としては、大陸の人々が香港の反政府運動を支持し始めると脅威だが、今のように香港人が売国奴な言動をしてくれている限り怖くない。香港人の売国奴な行動は、中共が「懲罰」として、香港に付与してきた経済特権を剥奪する口実を与えてしまう。すでに中共は8月「広東省の深センに(これまで香港が持っていた)経済面の特権を与えることにした(香港はもう見捨てる)」と発表している。これを聞いて焦ったのは香港人だけだ。大陸人たちは「ざまあみろ」と思っている。 (Beijing unveils detailed reform plan to make Shenzhen model city for China and the world) (Beijing's Secret Plan B: Converting Shenzhen Into The New Hong Kong

180年前阿片戦争から1994年の返還まで英国の植民地だった香港は、社会主義の中国大陸と、資本主義の外界をつなぐ「仲買人」「中国貿易の玄関」であり、返還後も中国政府は、返還前の英国との協定に基づき、政治経済の両面で、香港に特別な地位を与えてきた。国際社会で中国の優勢と英国の劣勢が加速するなか、香港人が中共に報復されるような売国奴な言動をとり、中共が香港の特別な地位を奪っていくと、深セン、上海など中国大陸のライバル諸都市に経済権益が流出し、香港は経済的に没落してしまう。香港人は全く馬鹿なことをしている。

香港人がトランプに助けを求めたのも間抜けだ。トランプは「中国政府は香港に関してうまくやっている」とツイートしており、香港の反政府運動を支持していない。米国で今年の香港の反政府運動を支持しているのは、トランプを敵視する民主党と、共和党内でトランプと対立するミット・ロムニーらである。香港人がトランプに頼んでも無視されるだけだ。 (Romney: ‘Critical for us to stand with the people of Hong Kong’

もともとトランプは覇権放棄・隠れ多極主義の一環として「隠れ親中国」だ。トランプは、貿易戦争を仕掛けて中国を経済面の対米依存から強制的に脱却させ、今後いずれ米国側(米欧日)が金融バブルの大崩壊を引き起こして米国覇権が崩れても、中国とその関連の非米諸国(ロシアやBRICS、一帯一路の諸国など)の側が連鎖崩壊せず、米国崩壊後の世界経済を中国が率いていける多極型の「新世界秩序」を作ろうとしている。香港の運動は、こうした多極化の流れを逆流させようとする動きの一つだ。その意味で、英国や軍産が香港の運動をテコ入れするのは自然だ。中共が香港の運動を弾圧しやすい状況をトランプが作るのも自然だ。

大統領就任から3年近くがすぎ、トランプは軍産の母体である米諜報界をかなり牛耳っている。トランプが米諜報界を動かして、香港の運動を支援するふりをして潰すことは十分に可能だ。もしかするとトランプは、香港のデモ参加者たちが米英の国旗を振り回したり「香港版MAGA帽」をかぶるように仕向けることで、中国が香港の運動を弾圧しやすい状況を作ってやっているのかもしれない。特にデモ隊にMAGA帽をかぶせるあたり、諧謔味にあふれるトランプらしいやり方で面白い。(軍産うっかり傀儡のくそまじめで小役人な今の日本人には面白さが理解できないだろうが)

可能性は減っているものの、今後、香港の運動が暴徒化して手がつけられなくなり、中国軍が香港に越境(侵攻)して運動を弾圧し「第2天安門事件」が誘発されるかもしれない。運動家は、それを誘発することで、米欧が中国を非難制裁し、中国包囲網が強化されることを望んでいるのかもしれない。しかし、もし「第2天安門事件」が誘発されても、世界から中国に対する非難は、89年の天安門事件時に比べ、はるかに弱いものになる。最近の2ー3年で中国は大きく国際台頭しており、日本など多くの国々が中国と対立したくないと思っている。

今回の香港の運動は「中共の勝ち・香港と軍産英の負け」で終わるだろう。この決着は、台湾やウイグルやチベットなど、中国の周縁部で米英軍産に支援されつつ中共に楯突いてきた諸地域の運動にマイナスの影響を与える。中共に楯突いても米欧からの支援を得られない新事態が表出しつつある。すでに、台湾(中華民国)を支持する国々は減り続けているし、「同じトルコ系民族」としてウイグル人の分離独立運動を支援してきたトルコは近年、米欧から距離を置き中露に接近するのと同時に、ウイグル運動を支援しなくなっている。

トランプの台頭によって米英諜報界の「軍産つぶし」が進み、カラー革命やテロ戦争の構図自体が消失していく傾向にある。軍産の親玉である英国は、トランプの盟友であるボリス・ジョンソンによって破壊されつつある。「さよなら香港、さよならカラー革命」。軍産のプロパガンダを軽信している人々には理解できないだろうが、それは人類にとって、歓迎すべき「良いこと」である。戦争や、政権転覆による国家破壊が行われなくなっていく。



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