基軸通貨の多極化を提案した英中銀の意図2019年8月25日 田中 宇8月23日、米連銀(FRB)と各国の中央銀行群との定例年次会合「ジャクソンホール会議」で、英国中央銀行のマーク・カーニー総裁が「世界の基軸通貨体制と金融システムは米ドルに依存しすぎており、低金利などシステムが不安定化する弊害が増えている。従来のドル単独覇権の通貨金融システムをやめて、電子決済(リブラ的な仮想通貨)化された複数の有力通貨のネットワークが『人工的な覇権通貨』とも言うべき仮想通貨を構成する『多極型』の通貨金融システム(事務局はIMF)に移行するのが良い」と提案する演説を展開した。英国という、米国の覇権を裏で牛耳ってきた黒幕が、米国覇権の基盤であるドルの基軸通貨としての地位を凋落させる提案を放った。これは画期的だ。 (World needs to end risky reliance on U.S. dollar: BoE's Carney) (The Growing Challenges for Monetary Policy in the current International Monetary and Financial System) カーニーの提案は、08年のリーマン危機でドルの崩壊感が強まり、その対策としてG20サミットが初めて開かれた際に、G20の事務局として機能し始めたIMFが提案した、IMFのSDR(有力な諸通貨を加重平均した通貨指標)を使った多極型の基軸通貨体制を作って既存のドル覇権体制に取って代わる案と、ほとんど同じものだ。G20は当時、IMFが提案したSDRの多極型通貨体制を、ドルの代替として採用していくことを決めた。だがその後、ドルの側(米日欧の中央銀行)がQEやゼロ金利といったドルの延命策を積極的に導入してドルの覇権を延命させたため、SDRの新通貨体制は出番がないまま棚上げされている。 (G20は世界政府になる) (IMFが誘導するドルの軟着陸) カーニーは今回の演説で、SDRの名前を出さなかったが「ドルに代わる多極型の基軸通貨体制の運営はIMFに任せるのが良い」と述べており、これはどう見ても「08年にG20サミットとIMFが決めたSDRの新通貨体制を今こそ導入すべき」という提案だ。カーニーは来年1月に英中銀総裁の任期が終わり、そのあとIMFの専務理事(欧州中銀総裁になるラガルド現専務理事の後任)になることを狙っている。「カーニーはIMF専務理事になりたいので、基軸通貨としてドルを捨ててIMF提案のSDR多極通貨に代えるのが良いと言ってIMFに媚びを売る陰謀論的な発言をしているのだ」と言わんばかりの「エスタブ系ニセニュース」の典型みたいな記事をFTが出している。 (Mark Carney calls for global monetary system to replace the dollar) (Unprecedented, Shocking Proposal, BOE's Mark Carney Urges Replacing Dollar With Libra-Like Reserve Currency) 「ドルはもう基軸通貨として持たないので、IMFが事務局となって通貨制度を多極化するのが良い」というカーニーの主張は新しいものでなく、リーマン危機以来、エスタブ系の人々の間で何度か言われてきた。カーニーは「新たな多極型の通貨制度はフェイスブックのリブラが構想しているような仮想通貨・電子決済の機能を使うのが良い」とも提案したが、これもすでに今年6月にフェイスブックがリブラをそのような存在としての創設すると発表している。フェイスブックもカーニーも「SDR」という言葉を使わずに実質的にSDR利用を意味する提案をしている点までが合致している。カーニー提案は、陰謀論でも野心的詭弁でもなく、エスタブ系の人々の間の合意事項だ。 (フェイスブックの通貨リブラ:ドル崩壊への道筋の解禁) (ブレトンウッズ、一帯一路、金本位制) カーニーの演説が、これまでのエスタブ系からの指摘を超えている点は「ドル単独基軸をこれからも維持し続けると、ドル(米国)だけでなく全世界に、超低金利による経済の不安定化などの害悪が及ぶ。だから早くドル単独覇権をやめて通貨制度を多極化した方が良い」と主張した点だ。これまでの同種の指摘は「ドルと債券のバブル崩壊がいずれ起きる」といった警告に基づいていたが、カーニーは「歴史的に見て、今のような広範な超低金利は、戦争時か、大きな金融危機の時か、銀行制度が激変する時にしか起こらない」と指摘し、(経済の指標や報道が歪曲されているため)株や債券の暴落、経済指標の大幅な悪化といった金融危機の顕在化が起きないまま、すでに実質的に大きな金融危機が発生していることを半ば認めている(経済が多極化し、世界経済に占める米国の割合が低下しているのだから、基軸通貨もドル単独のままでなく多極型にするのが良い、といった危機的でない理由もくっつけているが)。カーニーは、ドル崩壊の危機を、従来の他の警告よりも差し迫ったもの、これから起きそうなものでなく、すでに起き始めているものとして警告している。 (Why Mark Carney Thinks The Dollar Can No Longer Be The World's Reserve Currency) 英国は戦後ずっと米国覇権の黒幕であり、ドルの基軸性は米国覇権の大黒柱だ。その英国の中銀総裁が今回「ドルに単独の基軸性を持たせておくと危険だから多極化した方が良い」と言い出した。その意図を考えると、すでにドルと米国中心の債券金融システムが救済不能な非常に危険な状態にあるのでないかと思えてくる。米連銀(FRB)は、トランプからの緩和圧力もあり、これまでの「日欧にQEとマイナス金利の緩和策をやらせ、米国自身はドル延命策としてQT(QEの巻き戻し)と利上げを続ける」という姿勢から、利下げ傾向に転換し、米連銀を含めて世界中がQEや金利低下、為替引き下げの緩和策をやる新事態が始まっている。 (トランプのドル潰し) (ドルを破壊するトランプたち) この新事態は、カーニーが示唆しているドルの危険な状態がひどくなったことへの対応なのだろう。しかし、すでにリーマン危機後の10年あまりの延命策を経て、世界の中銀群の余力は大して残っていないので、新たな延命策も長くて数年しか続かない。そのため「もうドルの単独基軸制にこだわるのをやめて多極型に転換するしかない」「ドルにこだわると、世界中が金融崩壊してしまうよ」というカーニーの提案と警告が出てくる。 (万策尽き始めた中央銀行) (中央銀行とトランプのバブル延命、その後出てくる仮想通貨) 英国の国益を考えると、米国やドルにつき従って共倒れになるより、覇権構造を多極化して多極型の新世界秩序の黒幕になった方が良い、ということもある。これまで私は、多極型の世界体制が、英国の覇権黒幕戦略を破壊するものと考えてきたが、歴史的にみると英国は、1944年のブレトンウッズ会議で、ドルを単独の基軸通貨にする「ホワイト案」でなく、多極型の人工的な基軸通貨「バンコール」を新設する「ケインズ案」を推していた。米国の強い主張により、ケインズ案は退けられ、「ブレトンウッズ体制」はドル単独の基軸通貨体制になった。もしケインズ案が採用されていたら、英国はバンコール事務局の議事を隠然と牛耳り、戦後の世界経済は英国の黒幕支配体制になっていただろう。今回のカーニー提案など、リーマン危機以来、エスタブ系の勢力が折に触れて「ドルはもうダメだから、基軸通貨を多極型に転換しよう」と言っているのは、実のところ75年前のリベンジ的な、英国の世界再支配の謀略かもしれない。中国がAIIBを創設したとき英国は真っ先に加盟申請したし、英国は太平洋の地域覇権構想になりうるTPP11にも加盟したがっている。 (「世界通貨」で復権狙うイギリス) (米国覇権が崩れ、多極型の世界体制ができる) 私の見立てによると、トランプは「隠れ多極主義者」だが、英国などが提案する多極型の基軸通貨体制への軟着陸の移行を拒否し続けるだろう。トランプと彼の背後にいる人々はおそらく、米国(と世界)が諜報界を通じて英国やイスラエルといった外国勢力に支配され続ける「軍産複合体」の体制を潰し、そこから米国と人類を解放したい。英国が黒幕の多極型の世界体制は、従来の軍産の世界支配の延長でしかない。かつて米国は、国際連合を作って覇権を多極化・機関化しようとしたが、国際会議の運営がうまい英国に牛耳られたあげく、英国に冷戦を起こされて多極型の世界体制を潰され、米国は中ソとの永遠の対立である冷戦構造の中にはめ込まれた。米国はもう、この失敗を繰り返したくない。 (米国が英国を無力化する必要性) (金融を破綻させ世界システムを入れ替える) トランプは、ドルと債券のバブル膨張を崩壊するまで続けて劇的な金融崩壊を誘発し、英国が牛耳る対象となる政治経済の既存の世界体制を壊そうとしているようだ。既存の世界体制が壊れると世界は無秩序になってしまう。それを防ぐためにトランプは中国やロシアなど非米反米諸国を思い切り敵視し、英国や欧州などにも敵視を強要して、非米反米諸国が米国(米英欧)とは別の新たな世界体制を作りたくなるように、もしくは国連など既存の国際体制を非米反米諸国が乗っ取りたくなるように仕向け、英国が牛耳れないような新たな国際体制を中露BRICSなどに作らせた上で、米国(米英欧)側を金融破綻させ、75年前の終戦時に作りたかった「真の多極型」の世界秩序に人類を移行させようとしているように見える。 (米国の覇権を抑止し始める中露) (世界経済を米中に2分し中国側を勝たせる) 世界の経済体制は、ドル単独覇権から多極型へと軟着陸するのでなく、いったんドルや債券の既存システムが大破綻し、既存システムとは別のものとして、中国の一帯一路やBRICSなど、非米反米型の経済システムが立ち上がり、そこにきたるべき危機から立ち直った後の米欧日なども合流していく。ドル基軸(近代的な金融システム)が破綻した後、次の新世界秩序が立ち上がって安定するまで、世界経済の価値の備蓄体制は、いったん前近代的なものへと先祖帰りせざるを得ない。2020年代の10年間がその過程になるのか?。 (「ドル後」の金本位制を意識し始めた米国と世界) (The Real Reasons Why The Media Is Suddenly Admitting To The Recession Threat) ../1908/0824cz2.txt 不換紙幣や債券、株など近代的な価値装置が「紙切れ」になるリスクが拡大するほど、投資家や中央銀行群は、前近代的な物質的な価値の象徴である「金地金」を保有したがる。すでに人民元やSDR、リブラといった「ドル破綻後」を見据えた通貨群は、金本位制的な、金地金との価値の連動を意識して動いている。金地金市場は最近、中国政府が隠然と事務局として機能しているようで、急落しにくくなっている。下値が厳格に守られている。この状態が続くなら、金相場は、現物でなく、昨年までハイリスクだった先物取引でも儲けられそうな状態だ(先物の利益は「紙切れ」建てだが)。カーニーも警告するように、これから金地金を敵視していたドルや債券(紙切れ)側の行き詰まりが露呈していく。この過程は今後何年か続く。金相場の上昇傾向は始まったばかりだと指摘されている。 (金相場抑圧の終わり) (JPMorgan Spoofer Pleads Guilty To Gold Manipulation, Faces 11 Years In Jail) もう一つ気になるのが、最近のビットコインなど仮想通貨側の相場の意外な安定だ。これも、仮想通貨を敵視してきた「既存紙幣」側の行き詰まりがひどくなり、仮想通貨の相場を乱高下させて使い物にならない状態にする策略を続けられなくなったことの現れなのかもしれない。為替が安定すると、ビットコインは投機の対象でなく、決済通貨として使い物になる。 (米覇権延命と多極化の両極で戦う暗号通貨) それで、金融大崩壊はいつ起きるのか?。政治的にみると、トランプが悪者になりたくなければ2025年の任期末以降ということになるが、逆にもしトランプが金融大崩壊後の多極化の過程まで自分が手掛けた方が確実もしくは楽しいと考えたなら、来年の大統領選挙後、もしくは米民主党にろくな大統領候補が出てこずトランプの再選が確定的になるなら大統領選前の崩壊開始もあり得る。トランプの政治技能は非常に高く、レーガン以上であることがわかったので、彼が覇権転換のできるだけ先の工程まで手掛けた方が良い感じになっている。米連銀がQE4を開始しても、すでに手の内がバレているので従来の3回のQEのような効果を出せず、早々と金融危機が加速する可能性がある。 (Bombshell Announcement: Mark Carney!)
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