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「世界通貨」で復権狙うイギリス

2008年11月13日   田中 宇

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 米国の経済崩壊、ドル覇権体制の崩壊に備えた、英国の新たな世界戦略の一つが、かいま見えてきた。それは、1944年のブレトンウッズ会議で英国代表のケインズが提案したが、米国の反対によって実現しなかった世界共通通貨(国際決済通貨)「バンコール」(bancor)の構想を復活させることである。

 11月15日に米ワシントンDCで「第2ブレトンウッズ会議」の通称を冠されたG20サミット会議が開かれる。この会議の発表されている主なテーマは、国際金融危機を繰り返さないための体制作りである。この会議に対し、英ブラウン首相は10月初めから「ブレトンウッズ2が必要だ」と言い続けてきたが、1944年のブレトンウッズ会議の主なテーマは、第二次大戦後の国際通貨体制の確立であり、金融制度ではない。

 なぜ金融制度の会議に、通貨制度の会議の名前をつけるのかと私は疑問に思っていたが、どうやらブラウンは、ブレトンウッズ2会議(11月15日のG20会議、もしくはその後繰り返されるであろう同種の会議)で、IMFがドルに代わる新しい国際決済通貨を発行する「世界政府」的な「新世界秩序」を提案するつもりらしい。(関連記事

 ブラウンは、明確な表明はしていないが「本物の国際社会(truly global society)を作らねばならない」といった、世界政府や世界通貨を想起させる発言を放っている。この発言を報じた英ガーディアン紙の記事は「ブラウンは新世界秩序(new world order)を目指している」という見出しがついている。「新世界秩序」とは、欧米の上層部が以前から目指していると、世界の陰謀論者たちから疑われている「世界政府」の別名である。(関連記事

 世界政府を目指す米中枢の動きに敏感な「孤立主義者(米国優先主義者)」である米共和党下院議員ロン・ポールは最近「新たな通貨体制と世界的な中央銀行が作られ、世界の全天然資源をも管理下に置くような世界政府が、しだいに作られていくのではないか。11月15日の会議は(米国など世界各国の)国家主権が奪われていく流れの始まりとなりうる」と述べている。(関連記事

▼英国200年の世界操作

 1944年のブレトンウッズ会議は、ナチスドイツ軍に潰されそうになっていた英国を救うために米国が第二次大戦に参戦した見返りに、英国が覇権国の座を正式に米国に委譲する手続きの一つとして開かれた。連合国の44カ国が参加し、会議の結論は、米ドルのみを戦後の国際基軸通貨とし、他のあらゆる通貨の為替をドルとの固定相場とし、ドルは金と1オンス35ドルで固定することで、同時に国際通貨体制を守るための国際機関として、IMFと世界銀行を作った。(関連記事その1その2

 この会議の結論は、ドルを基軸通貨とすることだったが、そこに至るまでに、米英間で長い論争があった。英国代表のケインズ(経済学者、外交官)は、世界的な貿易不均衡を是正するため、新機関IMFが世界中の貿易黒字国から黒字額の1%ずつを徴集し、その基金で国際決済通貨「バンコール」を発行し、それを世界の基軸通貨にすることを主張した。これに対し、米国代表のホワイト(経済学者)は、米国の主権が及ばないIMFに国際通貨発行権を明け渡すことに反対し、米国のドルを基軸通貨とすることを主張した。戦争中の2年間のやり取りを経て、国力が優位だった米国の案が通った。(関連記事その1その2

 英国は19世紀の100年間、諜報力を駆使した外交的策略によって、欧州大陸諸国どうしを拮抗させ、大陸諸国が結束して英国を攻めてこないようにする「均衡戦略」を展開し、英国の覇権(パックス・ブリタニカ)を維持した。英国は、国際会議や国際機関、国際社会を隠然と操作することを得意とするようになった。第一次大戦をもって英国の覇権は崩壊し、代わって米国が有力になり、国際連盟を作ったが、設立前から主導権は英国に奪われ、うんざりした米国は加盟しなかった。(関連記事

 第二次大戦でも、似たようなことが繰り返され、今度は本当に米国に覇権が委譲されることになったが、それでも英国は策略をやめなかった。その一つが「バンコール」だった。IMFという国際機関が世界共通通貨を発行する体制は、英国がお得意の謀略技能を駆使することで、IMFを英国が隠然と支配し、世界通貨の運営を英国に都合のいいように変えていける。米国は、国際連盟設立時にすでに英国に出し抜かれていたので、英国の狡猾さを知っており、バンコールを拒否してドルを基軸通貨にすることにこだわった。

 当時の米国は、世界最大の貿易黒字国だった。そして英国は、戦費を使い果たして財政破綻し、貿易赤字にも悩んでいた。ケインズ案は、黒字国から赤字国への経済支援も義務づけており、米国から英国に金を出させる策略でもあった。米国がケインズ案を拒否したのは当然だった。

 その後、1960年代後半に米国の財政赤字が急拡大し、71年のニクソンショック(金ドル交換停止)に向けてドルが崩壊していく中、英国が主導して、危機対策の名目でIMFがバンコールと似た原理の「特別引出権」の制度を1969年に作った。だが、その後ドルが変動相場制で復活したため、あまり使われなかった。

▼BRICに世界通貨を売り込む

 ドルは現在、日々の為替としては、まだ他の諸通貨に対して優勢だが、基軸通貨としての潜在的な力は、大幅に落ちている。米政府は、金融危機対策と景気対策のために巨額の財政支出をしており、財政赤字は急速に増えている。来年以降、米国債が売れなくなって長期金利が高騰する事態になりかねない。米国債はもはや最優良の投資先ではなくなりつつあるという指摘が、米マスコミに載るようになっている。英国が「ドル崩壊後」の世界戦略を考えるのは当然だ。(関連記事その1その2

 世界では、米国の覇権衰退と同時に、中国やロシアといったBRICや途上国の発言力が増し、覇権の多極化が起こり始めている。金融危機対策会議がG7ではなくG20(G7+BRICなど)の枠組みで開かれるのが、その象徴である。英国の新戦略は、多極化を横目で見ながら展開されている。英国は、G20で発言力を持っているBRICと協調する姿勢を強め、特にこれまで敵対してきたロシアとの対立緩和を模索し始めている。

 英国も加盟するEUは、8月にロシアとグルジアが戦争して以来、ロシアとの欧露戦略対話を棚上げしていた。東欧と英国が「ロシアが南オセチアとアブハジアから撤退するまで、欧露戦略対話の再開には反対だ」と表明し続けていた。しかし英国は11月10日、欧露戦略対話の再開に賛成する姿勢に転換し、対露対話再開に積極的だった独仏伊に同調した。EU内ではリトアニアなど東欧勢がまだ対露対話に反対しているが、小国の反対を無視して、EUは再び対露協調路線に動き出しそうだ。(関連記事

 中国やロシア、ブラジルなどは、すでにドルを敬遠する姿勢を見せている。しかしその一方で、中国は、人民元をドルから切り離して自由に変動する為替相場体制に移行し、人民元を国際基軸通貨の一つにすることを拒否している。ロシアは、ルーブルを国際通貨にしたいが、自国の金融市場は悪化したままで、意志はあるが実力がない(英国などの意を受けた資金がロシア市場を崩壊させた)。ドルは崩壊しつつあるが、BRICは代わりの通貨制度を作れていない。だから、英国が提案する世界通貨案は、受け入れられる素地があるが、BRICが「世界通貨を裏で操るのは英国になる」という謀略に気づいているなら、英国案は受け入れられないだろう。

 BRICなどの新興諸国は、英国に比べて、国連やIMFなどでの議論を自国好みの方向に展開させる謀略的な外交技能が低い(米国ですら、正攻法では英国にかなわず、変則的な自滅戦略をとった)。だから、いったんバンコールの焼き直し的な世界通貨が導入されると、その後の世界の財布のひもは、いつの間にか英国に握られてしまう。

 英国自体は、製造業も衰退し、ほとんど財政破綻している国だが、世界通貨のひもを握ることで、今後世界が多極化しても、何十年も世界の黒幕的な覇権国であり続け、金融的な儲けも得られる。米国が衰退しても、英国は繁栄し続ける。中立的な中国は発展を許されるが、反英的なロシアはいずれ制裁される。日本は、対米従属を対英従属に切り替えるだけである。というか、そもそも日本政府はロッキード事件以来、米国の諸勢力の中の軍産英複合体の家来であり、すでに対英従属である。

(しかし英国は、従来の米国のような国力の余裕がなく、世界を牛耳って搾取することで国力を維持しているので、米覇権衰退後、多極的な世界の中で英国の隠然覇権体制が出現したら、日本など従属国に対する搾取はひどくなる)

 英国は通貨とともに、金融の分野でも「アメリカ以後」の戦略を練っている。それは「金融ビッグバン2」(Big Bang II)などと呼ばれている。英国の今の金融システムは、デリバティブやレバレッジで儲けるやり方で、1980年代中期(1回目の金融ビッグバン)に、米国の金融システムをコピーして作られた。だから、米国の金融界を崩壊させている昨夏以来の金融危機は早晩、英国の金融界をも崩壊させる。

 ビッグバン2は、崩壊しつつある英の金融界を立て直す新戦略で、アラブや中国などアジアの金持ち諸国の資金をロンドンで運用させようとする、多極化に沿った戦略だ。イスラム金融のノウハウを蓄積したり、リーマンブラザーズの一部をもらった野村証券の海外センターをニューヨークからロンドンに誘致したことなどが含まれている。(関連記事その1その2

▼スティグリッツは「国連のロレンス」?

 世界共通通貨を作る案は、英国による新たな世界支配戦略であるという前提で現状を見直すと、すでに意外なところに英国の代理人(スパイ)が入り込んでいることが見えてくる。

 最近の記事で、ニカラグアのデスコソ元外相ら反米勢力に乗っ取られた国連総会が、米経済学者のスティグリッツに専門家組織を作らせて、先進国主導の国連を、途上国主導へと改革しようとしていることを書いた。私の記事ではスティグリッツを、既存の米英中心の国連の体制を壊し、途上国やBRICが主導する多極型の体制に移行させようとする、途上国にとっての「正義の味方」のように描いた。

 しかし、本当はスティグリッツは英国の代理人かもしれない。彼は「米国は世界に、毒入り不動産債券を輸出した。今ごろになって大間違いとわかった自由市場原理を輸出した。無責任な企業経営体質を輸出した。そして最後に、米は不況を世界に輸出した」「ポールソン財務長官は、米経済を救うふりをして、自分の出身母体である金融界だけを救っている」と書いており、ここまでは途上国など世界の人々に喝采される内容だ。(関連記事

 しかし彼は「ドルは基軸通貨の地位を失う」と分析した後、ドル破綻後の通貨体制として「基軸通貨が複数になると不安定になる」という理由で「世界的な単一の基軸通貨制度が必要だ」「ケインズのバンコールや、IMFの特別引出権の制度を蘇生拡大させるべきだ」「ブレトンウッズを再来させる時がきた」と述べている。彼の主張は、英国の新戦略と合致している。(関連記事

 英国のスパイは、アラブ人の味方を演じたアラビアのロレンス以来、反英勢力の中に入り込み、反英的な主張を巧みに放ち、反英勢力の指導者になって、いつの間にか英国の利益に合致するように全体的な事態を動かす人々である。スティグリッツは、反米英的な今の国連に巧みに入り込んだ「国連のロレンス」なのかもしれない。彼はノーベル経済学賞の受賞者であるが、ノーベル賞は設立以来、特に人権、環境などの分野で、英国の世界支配に協力する人々を権威づけしてきたふしがある。(先日、ノーベル経済学賞をもらったMIT教授のクルーグマンも「オバマ支持のロレンス」にならないかと勧誘されているのかもしれない)(関連記事

▼世界大恐慌の中で覇権の暗闘

 米国衰退後に備えた英国の新戦略は、見えてきたものの、このまま成功していくとは限らない。ブレトンウッズ2会議は、英ブラウンだけでなく仏サルコジ大統領も主導者であり、英と仏ではおそらく戦略が異なっている。仏独は、自分たちこそがEUの中心であると考え、英が謀略によってEUを隠然と動かそうとすることを嫌っている。英は本質的に反ロシアだが、逆に仏独はロシアや中国と組み、英による黒幕的な世界支配を阻止したいはずだ。従来の英国(米英)の金融支配戦略の一つは、ヘッジファンドやタックスヘイブンの資金を使って相場を乱高下させることだが、サルコジはこれらの構造を破壊しようとしている。(関連記事

 またブッシュ政権の米国も、英国の黒幕覇権を嫌っている。ブッシュ政権のポールソン財務長官が、金融危機対策を未必の故意的に失敗させ、金融危機を激化させて、米国を財政破綻に導いているのは、おそらく、英国による黒幕支配より、英国抜きのBRICなどによる多極型世界の方が、世界経済の長期的な成長が加速するという理由からの「隠れ多極主義」の策略である。世界が多極化した後も、依然として英国が黒幕支配している状態では、英国は繁栄しても、世界全体は繁栄しない。ブッシュ政権は、世界通貨を新設する英国の戦略を潰したいはずだ。

 ブッシュは反英的だが、次期大統領のオバマはどうか。オバマは11月15日のブレトンウッズ2のG20会議には出席せず、会議が開かれるワシントンDCにも来ない(G20出席の各国首脳と一切会わない)ことを表明した。G20では、アングロサクソン的な自由市場原理にこだわる米国(米英)と、欧州大陸型金融にこだわる欧州とが対立し、そこにBRICなどの独自の思惑も絡んで、全く議論がまとまらないだろうと予測されている。オバマは、そんな混乱した会議に出席して就任前に言質を取られてしまうより、会議場に近づかない方が賢明だと思ったのだろう。(関連記事その1その2

 このようなオバマの姿勢からは、英国と組んで米英中心の世界体制を再建する方針はとっていないことがうかがえる。民主党には英国の代理人がけっこういる(ジョセフ・ナイなど)が、オバマは今のところ、英の傀儡政権になるつもりはなさそうだ。民主党内では、ネオコンに近い「ネオリベラル」も強く、オバマ政権は、ブッシュと似た反イスラム・反ロシア的な過激戦略の方向に引きずられる可能性もある。これも英国にとって歓迎ではない。(オバマ政権の予測は、もう少し動向を見てから分析する)(関連記事

 11月15日のG20会議は、おそらく何もまとまらない。ブラジルもEUも、そう予測している。今後(つまりドル崩壊後)の世界体制を決める会議の枠組みを作るだけで、今回は十分だという見方もある。今後、ドルの下落が起きてから改めて話し合った方が、現実的な議論になる。(関連記事

 しかし今後時間が経つほど、米国は衰退し、金融界が米のコピーである英国の衰退も進み、米英の弱体化を見て強気になる途上国の主張が声高になり、多極型の世界で英国が黒幕になることは困難になっていく。世界的な大恐慌の中で、覇権をめぐる暗闘が続くだろう。その末にどんな世界体制が出現するかを見極めることが、今後しばらく(2−3年?)の、私の解読作業の中心となりそうだ。



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