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尖閣問題と日中米の利害

2012年9月27日   田中 宇

 日本が9月11日に尖閣諸島の土地を買い上げて国有化する方針を決めて以来、中国では、日本を非難するデモが各地で行われた。デモでは、毛沢東元主席の肖像画が掲げられることが多かった。「抗日」という文字も目立った。戦前に日本が中国を半植民地化していた時代、毛沢東は、共産党軍を率いて抗日戦争を続け、日本が戦争に負けた後、ライバルの国民党軍を中国大陸から台湾に追い出し、中華人民共和国を建国した。日本を追い出して中国を植民地化から救ったというのが、中国共産党の中国人民に対する政治正統性で、毛沢東や「抗日」の文字はその象徴だ。 (Chairman Mao rears his head in China's anti-Japan protests

 高度経済成長で貧富格差が増して貧困層の共産党に対する信頼が揺らぐ一方、共産党が胡錦涛から習近平への10年に一度の権力の世代交代を進めている今、中国の全土に日本敵視のデモが広がることは、共産党の政治正統性の再確認につながるので、共産党の上層部にとって良い。だから共産党は、中国全土での反日デモを容認ないし計画した。日本政府が、尖閣諸島に関する領土紛争の棚上げという、これまで中国と(暗黙に)合意してきた枠組みを、尖閣の土地国有化によって破り、中国側を怒らせたことは、中国共産党にとって好都合だった。 (Japanese businesses reopen in China

(日本では「日本の領土である尖閣諸島の土地を国有化するのは日本側の自由であり、中国側がそれを非難するのは100%間違っている」という世論が強い。読者からの非難中傷、非国民扱いをおそれずに書くと、この考えは間違いだ。尖閣諸島は、日本が実効支配しているが、中国と台湾が自国領であると主張しており、領有権が国際的に確定していない国際紛争地である。米政府内では、国務省の日本担当者が「尖閣は日米安保の範囲内」として日本の領有権を認める発言をしたが、先日日中を歴訪したパネッタ国防長官は日中どちらの肩も持たず中立の姿勢をとった。尖閣問題について、米国の姿勢はあいまいだ) (U.S. Says Disputed Islands Covered by Japan Defense Treaty) (US 'will not take sides over islands') (尖閣諸島紛争を考える

 しかし同時に、毛沢東の肖像は「左派」のシンボルでもある。共産党の上層部には、トウ小平が敷いた路線に沿って、経済成長を最重視し、貧富格差の増大などの悪影響を看過する傾向が強い中道派(穏健派)と、経済成長重視の政策を批判する左派(急進派)がいる。外交面では、中道派が米国との対決を回避(先送り)する対米協調戦略である半面、左派は米国との対決をいとわず、米国の覇権が弱体化する一方で中国が台頭しているのだから、中国は米国に遠慮する必要などないと考える傾向が強い。外交面で、人民解放軍は左派的で、中国外務省は中道的だ。ここ数年、これまで外務省が決めてきた外交政策の決定過程に、軍の幹部が首を突っ込む傾向が強まっている。日本風に言うなら、中道派が官僚的で、左派は右翼的なナショナリストだ。 (In protests, Mao holds subtle messages for Beijing

 文化大革命後、左派は中国政界の主流から追い出されている。胡錦涛主席や温家宝首相は中道派で、胡錦涛は米国との対立回避を重視した超慎重派だった。温家宝は、左派の突き上げに対抗し、リベラル的な政治改革によって貧富格差や人々の不満を解消しようとした(温家宝は、天安門事件以降、封印されてきたリベラル派の再起を望んだ)。これから主席になる習近平も中道派だ。しかし、高度成長の持続は中国社会にさまざまなゆがみをもたらし、その結果、経済至上主義の中道派を敵視する左派への草の根の支持が広がっている。左派は、胡錦涛から習近平への世代交代を機に、中国政界の主流に返り咲くことを模索している。そして左派の代表だったのが、今春にスキャンダルで失脚させられた重慶市党書記の薄熙来だった。 (劉暁波ノーベル授賞と中国政治改革のゆくえ

 薄熙来は根っからの左派でなく、優勢な左派に接近し、左派的な政策をやって人気を集めて政治力をつけ、共産党の中枢で出世しようとした。薄熙来の策は成功したが、同時に党中央で主流の中道派の人々は薄熙来の存在に脅威を感じ、胡錦涛から習近平への世代交代の政治儀式が始まる今夏より前に、薄熙来をスキャンダルで引っかけて逮捕し、権力を奪った。薄熙来自身は逮捕され失脚したが、薄熙来を担いでいた左派の不満と、党中央の中道派に対する怒りは残った。 (薄熙来の失脚と中国の権力構造

 そして、左派の不満がくすぶっていたところに起きたのが、尖閣問題での日本との対立激化だった。左派の人々は、毛沢東の肖像画を掲げてデモ隊を率いた。表向きは、日本に対する怒りが発露された。しかしその裏に、デモを激化させ、日本への怒りとは別の、貧富格差や役人の腐敗など中国国内の政治社会問題に対する怒りを発露させるところまで進める意図があった。このような政治的手口は中国でよくあるので、中道派はデモ発生の当初からその危険性を知っていただろう。当局は、各地でデモが激化してくると取り締まりを強化し、デモを終わらせた。だが、尖閣問題で日中が対立している限り、中国で反日デモが再発し、それを左派が国内政争の道具に使おうとする動きが続くだろう。 (These Anti-Japan Protests Are Different

 中国では、日本が尖閣の土地国有化に踏み切った背後に米国が黒幕として存在するという見方が強い。米国が、日中対立を扇動しているとの見方だ。今回の尖閣土地国有化の動きの始まりは、今年4月に石原慎太郎・東京都知事が米国ワシントンのヘリテージ財団での講演で、東京都が尖閣の土地を買収する計画を唐突に表明したことだ。米政界のいずれかの筋が、石原に対し、尖閣を買収して日中対立が激化したら、米国は日本を支持し、日米同盟を強化できると入れ知恵(提案)した可能性がある。 (東アジア新秩序の悪役にされる日本

 米国は、南シナ海の南沙群島問題でも、フィリピンやベトナムが領有権の主張を強めるのを後押しし、これまでASEANと中国の間で棚上げ状態にしてあった南沙問題を再燃させた。米国は、比越などを代理にして中国包囲網の戦略を展開し、比越に最新鋭の兵器を売り込んでいる。そして、南沙と同じ構図が尖閣でも起きている。米国は、石原を誘って、日本が尖閣問題で領有権の主張を強めて島を国有化するのを後押しし、これまで日中が棚上げしていた尖閣問題を再燃させ、日本にミサイル防衛関連の新型兵器(レーダーなど)を追加で買わせた。 (南シナ海で中国敵視を煽る米国) (米国が誘導する中国包囲網の虚実

 尖閣問題も、南沙問題と同様、米国がアジア諸国を代理役にして中国との対立を激化させる策になっている。中国側は、背後にいる米国への敵視も強めている。尖閣問題で反日デモが激しくなった9月18日には、北京の米国大使館前で50人の市民が米国大使の車を取り囲み、車を傷つける事件が起きた。 (Beijing demonstrators damage US ambassador's car

 中国は、1989年の天安門事件で米欧に制裁され、当時の経済発展が初期の段階にあった当時、今よりも重要だった投資や貿易、技術移転を何年も制限されて、経済発展に悪影響が出た。その教訓から、中国の経済発展を主導したトウ小平は「経済力が十分につくまで、米欧に挑発されても反撃せず我慢せよ」と命じる遺言(24字箴言)を残している。トウ小平の弟子たちである中国政界の中道派は、この家訓を忠実に守り、米国の中国敵視の挑発に乗らないようにしてきた。 (中国軍を怒らせる米国の戦略

 だが、経済優先の中道派の姿勢に反発し、近年のナショナリズムの強まりに乗って政治力をつけた左派や人民解放軍は「米国の敵視策を見て見ぬふりして我慢する必要などない。米国に売られた喧嘩をかって反撃せよ」「中国は国際的にもっと自信を持った方が良い」「空母など新鋭機の開発、貿易決済の非ドル化や米国債の放出、発展途上諸国を味方につけて国際政治で米国を封じ込めるなど、米国の覇権を崩す策を強めるべきだ」といった主張を強めている。

 中道派は、あと10年ぐらいトウ小平の家訓を守って慎重な外交姿勢を続けようとしているが、左派は、もう十分に経済力がつき、すでにトウ小平の家訓の範疇を過ぎたと考えている。ドルの過剰発行、イラクやアフガニスタンでの失敗など、米国の覇権が経済・政治の両面で失墜していきそうな中、次の10年間に中国が米国の敵視策にどう対応するかをめぐり、政権が胡錦涛から習近平に交代する今の時期に、中国の中枢で議論が戦わされている。 (中国の次の戦略

 習近平政権の外交戦略が定まっていない今の微妙な状況下で、日本が尖閣国有化で中国のナショナリズムをはからずも(背後にいる米国にとっては意図的に)扇動したことは、中国政界で左派を力づけることにつながっている。尖閣や南沙の問題で、米国と同盟諸国が中国敵視を強めるほど、中国のナショナリズムが燃え、習近平の政権は左派に引っ張られ、対米戦略を協調姿勢から対決姿勢へと転換していくだろう。

 日本政府や石原都知事にとって、尖閣問題で日中対立を煽った目的は、日米が共同して中国の脅威に対抗する態勢を強めること、つまり日米同盟の強化だろう。中国の左派が尖閣紛争を逆手にとってナショナリズムを扇動し、中国の日中に対する外交姿勢が協調型から対決型に転換したとしても、米国が今後も盤石な覇権国である限り、中国は米国にかなわないのでいずれ譲歩し、日米に対して協調姿勢に戻り、日米同盟の強化は成功する。しかし、これまで何度も書いてきたように、米国の覇権は経済政治の両面で揺らいでいる。ドルや米国債の下落、米国の財政破綻、国連での米国の主導権喪失が起こりそうだ。半面、中国はロシアなどBRICSや途上諸国との連携を強め、これらの諸国が集団的に米国から覇権を奪う流れが続いている。 (ドル過剰発行の加速

 これまで米国の忠実な同盟国だったオーストラリアは、米国抜きのアジアを容認する外交戦略の白書を作り、近く発表する。「アジアの世紀のオーストラリア」と題する白書は、豪州が今後、中国、日本、韓国、ベトナム、インドネシア、インドとの経済関係を重視する戦略をとるべきだと書いている。米国に言及していない点が重要だ。豪州は米経済の回復に疑問を持ち、米国を軽視していると、WSJ紙が危機感をもって報じている。政治軍事的にも、豪州には、米国のアジア支配に協力すべきでないとする論調がある。豪州には、国家戦略を表だって議論して決める政治風土がある。国家戦略をこっそり決める傾向が強いアジア諸国(東南アジアや韓国など)でも、豪州と似た議論が起きているはずだ。 (Oz Doubts U.S. Staying Power

 この手の議論を、表でも裏でも見かけないのは日本ぐらいだ。今後、財政破綻などで米国の覇権が劇的に弱まると、その後の米国は、国力温存と米国債購入先確保のため、中国敵視をやめて、ベトナム戦争後のように、一転して中国に対して協調姿勢をとる可能性が高い。米国の威を借るかたちで中国敵視を強めた日本は、孤立した状態で取り残されかねない。 (経済覇権としての中国

 中東では今、米国の威を借りてイラン敵視策をやってきたイスラエルが、米国からはしごをはずされている。9月25日、国連総会でのイランのアハマディネジャド大統領のイスラエル批判の演説に対し、席を立ったのはイスラエル代表団だけだった。これまでイラン批判をしてきた米欧はどこも席を立たず、イスラエルの孤立が浮き彫りになった。中東政治における攻守が逆転した瞬間だった。イスラエル同様、米国だけを頼みの綱としている日本人は、この展開を他山の石として注目し、自国の戦略を深く再考する必要がある。だが実際のところ、もちろん日本のマスコミは、この国連総会の出来事をほとんど報じていない。 (US Envoys Stay Seated For Ahmadinejad's UN Speech, Israel Walks Out Alone!

 ここまで、尖閣問題をめぐる日本と中国の姿勢とその意味について書いてきた。日本の上層部は、日米同盟(対米従属)の国是を保持するために尖閣問題を煽った。中国は、左派が国家戦略を乗っ取る目的で、日本から売られた対立強化の喧嘩を積極的に買い、習近平の国際戦略を急進化しようとしている。残るは米国だ。米国はなぜ尖閣や南沙問題を煽って中国包囲網を強化しているのか。 (日本の政治騒乱と尖閣問題

 米国の上層部は一枚岩でないので、複眼的な考察が必要だ。軍産複合体の視点で見ると、尖閣や南沙問題を煽るのは、中国との敵対を煽って恒久化することで、米国と同盟諸国に末永く高価な兵器類を売り続けられる。米政府が財政緊縮に取り組んでも、中国の脅威が大きい限り、軍事費の削減に手をつけにくい。しかし、中国を敵視し続けていると、中国で米国と対決したがる左派が強くなり、すでに揺らいでいる米国の覇権を、経済・外交の両面で崩されてしまう。米国が中国に左派の政策をとらせるのは自滅的な失策だ。 (中国の台頭を誘発する包囲網

 米国には中道的、穏健的な外交戦略を好むリベラル派もいる。だが、マスコミを握る軍産複合体と右派が結託して911以来展開している好戦的な戦略に圧され、リベラル派は弱くなり、好戦的なことを言う「ネオリベラル派」として何とか生き延びているが、ネオリベラルは右派と違いがない。

 米国には、自滅的な失策とわかっている戦略を政府にとらせる勢力がいる。政治面では、軍産複合体と組んでいる右派(タカ派、ネオコン)である。大量破壊兵器がないと事前にわかっていたのに、ネオコンが大量破壊兵器の存在を主張し、開戦に持ち込んだイラク戦争が好例だ。ネオコンなど右派は、過剰に好戦的な外交戦略をとり、米国の覇権を自滅させている。経済面では、公的資金や連銀のドル過剰発行によって、リーマンショック後に大量発生した金融界の不良債権を買い支えたバーナンキ連銀議長やポールソン前財務長官らが、米国覇権を自滅させる政策をあえて進めている。彼らは、政治面で軍産複合体、経済面で金融界と組み、マスコミの論調を決定しているので、自滅策の自滅性を指摘されずに突き進んでいる。 (ウォール街と中国) (リーマンの破綻、米金融の崩壊

 彼らは、なぜ米国の覇権を自滅させる策を続けるのか。私の見立てでは、彼らの上位にいるのはニューヨークの資本家層であり、世界のシステムを米欧中心(米国覇権)から多極型の体制(新世界秩序)に転換し、それによってこれまで米欧から経済発展を阻害されてきた途上諸国の経済成長を引き起こそうとしている。私は数年前から、彼らを「隠れ多極主義者」と呼んでいるが、それについての分析は、これまで何度か書いてきたので、それらを読んでいただきたい。 (資本主義の歴史を再考する) (米中逆転・序章) (隠れ多極主義の歴史) (多極化の本質を考える

 最近の数年間で、BRICSやイランの国際台頭、米国の繁栄を支えていた債券金融システムのリーマンショックによる瓦解、G7からG20への国際意志決定権の移動など、彼らの多極化戦略は着々と成功している。私の「隠れ多極主義」の分析は、大半の人々にいかがわしいものとみられているが、人々がどう考えようが、私が隠れ多極主義の推論を考えた後、世界は多極化の方向にどんどん進んでいる。 (世界経済多極化のゆくえ) (米経済の崩壊、世界の多極化

 米国の中国包囲網は、隠れ多極主義者が軍産複合体を誘って始めた戦略だ。短期的には軍産複合体が儲かるが、長期的には中国の台頭と対米対決姿勢を誘発し、米国の覇権衰退と世界の多極化を早める。日本が米国に誘われて尖閣問題で日中対立を激化する策は、長期的に見ると失敗するだろう。すでに日本政府は、特使を中国に派遣して日中関係の修復を目指すなど、早くも腰が引けている。日本は経済的に、中国との関係を断絶し続けることができないからだ。日本政府は今後、尖閣問題を再び棚上げして中国との敵対を避ける姿勢に戻るかもしれず、腰が引けているがゆえに、大したことにならないかもしれない。 (多極化の進展と中国



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