リーマンの破綻、米金融の崩壊2008年9月15日 田中 宇9月14日、アメリカで4番目に大きな投資銀行であるリーマンブラザーズが破綻した。リーマンは、米の不動産相場の悪化を受けて商業不動産関連投資の損失が拡大し、デリバティブ資産の価値も下落し続けていた。今週末、他の金融機関に買収してもらうことで破綻を回避しようとしたが、失敗した。リーマンの持ち株会社は15日未明(日本時間15日午後)、破産申請することを発表した。(関連記事その1、その2) 14日夜、ニューヨークのリーマン本社ビルからは、社員たちが次々と大きなカバンに書類を詰めて持ち出した。本社前に集まった報道陣から、立ち去る社員たちに対し、カバンの中の大量の書類は何かと質問が浴びせられたが、箝口令がひかれており、誰も答えなかった。会社側の指示で、重要書類(倒産後、法的な問題となりそうな取引の書類?)を家に持ち帰って焼却処分するのかもしれない。リーマンのような投資銀行は、当局の監督をほとんど受けていないので、証拠となる取引書類がなくなれば、不正行為があっても暴露されないまま倒産できる。(関連記事) 15日は、日本と韓国と中国が休日だが、すでに市場が開いているアジア各国の株価は急落している。マスコミや英語ウェブログ界では「9月14−15日は、世界の金融関係者にとって決定的な日となる」といった指摘が相次いでいる。(関連記事その1、その2) ▼救済金を拒んだ米当局 リーマン破綻の懸念は、すでに今年6月ごろから語られていた。私も6月9日に記事を書いた。その後、リーマンは不良債権を、社員が社外に作った新会社に売却し、その新会社の資金はリーマン傘下の別の会社から出させる「飛ばし」をやったりして、何とかしのいでいた。(関連記事その1、その2) その一方でリーマンは、400億ドルの商業不動産債権を売却しようとしたが、買い手がつかなかった。株価が下がったため、海外の投資家に株を買わせて生き延びることも試み、韓国開発銀行や、日本の大手銀行の名前も挙がったが、結局どこも金を出さなかった。9月9日、韓国開発銀行が資本参加しないことを決めたと報じられて破綻懸念が高まり、株価はこの日だけで40%も下落した。(関連記事) そして9月13日からの今週末、ニューヨークの連銀ビルでは、ゴールドマンサックス出身のポールソン財務長官らが仲裁し、米の主要な金融機関の経営者たちが集まって、土日をかけてリーマン救済案について協議した。救済案の一つは、大手の商業銀行(仲介専業の投資銀行と異なり、預金を集めて投資する一般銀行)であるバンクオブアメリカ(バンカメ)と、イギリスの大手銀行バークレイズが、リーマンを買収する案だった。(関連記事) バンカメとバークレイズは、自分たちも金融危機で弱体化しているため、当局が支援融資をしてくれない限り、不良債権を抱えるリーマンを買収できないと主張し、米当局に公金注入を求めた。しかしポールソンは、公金注入は金融の自己責任原則を崩し「モラルハザード(倫理崩壊)」につながるとして断固拒否した。バンカメとバークレイズは14日午後、相次いで買収交渉から離脱した。(関連記事) 今年3月、投資銀行のベアースターンズがJPモルガンチェースによって救済買収された際には、米当局はJPモルガンに300億ドルの救済融資をしている。このとき米政府が救済融資した理由は、ベアスタは巨額のCDS(債券倒産保険)を抱え、そのまま倒産すると62兆ドルのCDS市場がシステム的に全崩壊しかねないからだった。(関連記事) リーマンは、ベアスタよりも巨額のCDSを抱えており、3月の基準を適用するなら、当局の救済融資を受ける資格があった。しかしポールソンは、3月の危機は突然だったが、今回の危機はそれから半年たっており、リーマンには十分な対応期間があったとして、前回同様の救済金の支出を拒否した。 土日のNY連銀ビルでは、バンカメとバークレイズによる買収交渉と並行して、別の救済案も検討された。それは、リーマンから不良債権だけ分離し、残った良い部門をバンカメかバークレイズが買収し、不良債権は米金融界の大手10−15社が資金を出し合って損切り処分(償却)する案だった。米当局が救済資金を出さない以上、金融業界が金を出し合って救済するしかないという案である。(関連記事) リーマンが買収ないし救済されずに破綻すると、CDSなどデリバティブ市場の崩壊、米不動産相場の下落加速など、金融界全体にとって非常に悪い影響が予測される。それならむしろ、米金融界が金を出し合ってリーマンを救済する方が損失が少ないという理屈だった。だが、リーマンが救済されない場合の損失が不確定な以上、金融機関の経営者たちは後で誤判断の責任を問われる懸念があり、話はまとまらなかった。 ▼デリバティブ市場の危機 いずれの救済案もまとまらず、14日午後には、リーマンの破綻が確定した。破綻すると、リーマンが発行ないし保証した債券などが不履行になる。債券の多くには、破綻時の債務保証(債券保険)としてCDSの契約がついている。リーマンの破綻によって、CDS発行者(他の金融機関)は保険金の支払いを迫られるが、発行者の多くは、破綻など想定せずにCDSを発行してきたので、準備金の積み立てがほとんどない。リーマンの破綻によって、多くの金融機関がCDS保険金の支払不能に陥る。連鎖倒産の危険がある。(関連記事) 一方、リーマン自身もこれまで巨額のCDSを発行してきた(発行総額は非公開だが、おそらく市場全体の5%程度)。これらも債務不履行となり、リーマン発行のCDSがかけてあった債券の価値が急落する。CDSには公開市場が存在せず、すべて店頭での相対取引であり、しかも多くのCDSは発行後に転売され、もとの債券債務者とは全く別の投資家が保有していることが多い。CDS市場は総額60兆ドル(保険金総額は400兆ドル)という巨額だが、リーマン破綻後のCDSの混乱は予測がつかない。 リーマンだけでなく、破綻の懸念を持たれているフレディマックとファニーメイ、メリルリンチ、AIG、ワシントンミューチュアルといった金融機関は、いずれもCDSの支払不能の可能性を問題にされている。 そのため14日午後、CDSを管轄する国際スワップ・デリバティブ協会(ISDA)が、NYに店を出す金融機関を集め、リーマン関係のCDSやその他のデリバティブを所有する金融機関どうしが、リーマンを介さずCDSを相殺決済する予防的な仕掛けを作ろうとした。しかし各金融機関は、先行きが不透明な中で保有するCDSの内容を機密解除することに消極的で、相殺決済は一つも成立しなかった。(関連記事) CDSを相殺決済すると、相殺した後の各社の損失がいくらになるか早々に確定してしまい、かえって連鎖破綻の危険が増すとの指摘も出ている。その意味では、予防的な相殺決済の失敗は良いことだったのかもしれない。(関連記事) ▼米政府の自滅策 今後、リーマンの破綻によって、米国発の国際金融危機が悪化することは、ほぼ間違いない。すでにメリルリンチ、モルガンスタンレー、ゴールドマンサックスといった他の投資銀行の先行きが懸念され、この3社の中で最も株価の下落が著しく「リーマンの次に潰れる」と予測されているメリルリンチは、リーマン破綻を受け、急遽バンカメに買収される交渉を開始した。債券発行(レバレッジ)で資金調達してきた投資銀行は、昨夏以来の金融危機(債券危機)を受けて存続できなくなり、預金を集めて資金調達しているバンカメのような商業銀行の傘下に入らざるを得なくなる傾向が強まっている。(関連記事) 今年6月10日、イギリス銀行協会のグリーン会長が「(投資銀行の)レバレッジ金融モデルは破綻した。今後は(預金集めの)伝統的銀行経営に戻らざるを得ない」と宣言し、私は7月にそのことを記事にした。リーマンが破綻し、メリルリンチがバンカメに買収される事態は、まさにグリーンの宣言が当を得ていたことを示している。 米国の金融システムは、預金集めの伝統的システムが10兆ドル、レバレッジを使った投資銀行的な「影の銀行システム」も10兆ドルの、合わせて20兆ドルあまりだ。このうちレバレッジ金融の方が、急速に崩壊している。その崩壊速度は、私が予測していたよりもずっと速い。私は、米当局は10年ぐらいかけてレバレッジ金融を延命させて少しずつ損切りしていき、その間の米金融は、日本の90年代のような「失われた10年」になり、経済の低成長が続くのではないかと書いた。 しかし現実には、投資銀行は延命できず、次々に破綻している。米の事態は、日本が経験した「失われた10年」よりはるかに悪く、突然死に近い。これまで「米当局は、少なくとも大統領選挙までは、金融を延命させるだろう」との予測が日本でも多かったが、それらもはずれである。このまま行くとブッシュの任期中に、米の金融システムは不可逆的に破綻する。金融破綻論で有名になったニューヨーク大学のルービニ教授は、リーマン破綻を見て「影の銀行システムの全崩壊が始まった」と書いている。(関連記事) 今回、リーマンが破綻したのは、米当局が頑強に公金救済を拒否したからだ。米当局が主張する「モラルハザード」論は、それ自体は正論だが、当局はすでに、ベアスタ救済に300億ドル出し、フレディマックとファニーメイには1000億−2000億ドルの公金注入を予定している。米当局は、リーマンを救済しなかったがゆえに、米を中心とする世界の金融システムそのものの破綻を引き起こしている。(関連記事) リーマンを救うには、600億ドル程度が必要だったが、これは米当局が出せない金ではなかった。米当局が、今回だけ「モラルハザード」に最後まで固執したのは、明らかな失策である。米当局の振る舞いは、明らかに自滅的だ。ブッシュ政権は「隠れ多極主義」の戦略に基づき、事態の悪化を招いた観がある。(関連記事) リーマン破綻の直前、グリーンスパン前連銀議長は、リーマンへの公的救済に反対し「破綻する全ての金融機関を救済すると、きりがない。他の銀行も潰れるだろうが、それは必ずしも問題ではない。金融は、勝者と敗者が生まれることで動いている」と述べた。これは、世界の金融システムが崩壊しかけている時の発言として、あまりに頓珍漢だ。(関連記事) グリーンスパンは同時に「今回の金融危機は100年に一度の大きなもの」「これだけの金融危機なので、米経済が不況に突入するのは不思議でない」とも述べており、状況の重大さは把握している。それなのに、リーマンが潰れて金融危機が急拡大してもかまわないと言っている。彼は以前にも、ドルが崩壊しそうなときに、中東産油国に対してドルの為替ペッグを解除した方が良いと、ドル自滅を招くような発言をしており、米覇権の自滅を画策する「隠れ多極主義者」の疑いがあるが、今回ますますその疑いが強くなった。 ▼80年前の逆回し リーマンは、ゴールドマンサックス、ロックフェラー、ロスチャイルドなどと並び、1910年代にニューヨーク連銀を設立した際に、名を連ねている。「連銀所有者」の一員であるリーマンは、米中枢を動かす黒幕資本家集団の一角をなしている。今春、リーマン破綻説が流れ始めたとき「ベアスタは新参者だから、危機になったら買収されてなくなったが、リーマンは連銀所有者なのだから、潰されず救済される」との見方が、伝統的な謀略論に基づく米の分析者の間で強かった。(関連記事) しかし今起きていることは逆に、ベアスタは買収されたが、リーマンは買収すらされずに潰されるという結末である。リーマンの破綻は、米中枢で根本的な構造変革が起きていることを示唆している。もはや、ゴールドマンサックスまでが潰れても不思議ではなくなった。(関連記事) 米は、1913年に連銀制度が作られて金融政策の中央集権化が進み、1917年に第一次世界大戦に参戦し、1930年代の金融大恐慌への対策としてさらに中央集権化が進み、覇権国になるための体制が固められた。それから約80年たち、今起きていることは、1910−30年代の逆回しである。米は、イラクとアフガンの戦争で軍事的な自滅の道を進み、昨年からの金融恐慌で金融的な自滅が起こり、覇権国としての力を急速に喪失している。 連銀のトップに、グリーンスパンやバーナンキといった自滅主義者が選ばれ、連銀を作ったリーマンやゴールドマンは潰れかけている。いずれ、米は財政破綻も引き起こし、米国債は買われなくなり、ドルも危機になる。金融破綻の急速さから考えて、ドル危機に至るまでの時間も、それほど長くはかからないかもしれない。 米の自滅は、世界の覇権の多極化(覇権共有化)につながる。経済力が低下する米(と欧日)に代わり、BRIC(中露印伯)やGCC(アラブ産油国)の経済力が重要になっていく。米の経済力が破綻したら、発展途上国は、人権・民主・環境といった歪曲された価値観に基づく抑圧をしてくる欧米に頼るより、中露を頼った方が話が早いという気持ちを強める。 多くの人々は「米の金融危機の行く末」という事態の表層だけを気にし続けるだろうが、本当に重要なことは、金融危機によって引き起こされる、世界的な覇権体制の大転換の方である。
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