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米英金融革命の終わり

2008年7月8日   田中 宇

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 もう1カ月ほど前の話になるが、6月10日、イギリス最大の銀行であるHSBC(香港上海銀行)の会長で、英銀行協会の会長も務めるスティーブン・グリーンが、銀行協会の年次総会での講演の中で、以下のように述べた。

「(米英の銀行が)この5年間展開してきた、レバレッジを拡大すればするほど儲かる金融ビジネスのモデルは、破綻した。バブル崩壊という循環的な変化ではなく、ビジネスモデル自体の破綻である」「今後は、以前のような利益率の高い時代は終わる」「銀行は(レバレッジの拡大ではなく)顧客との信頼関係や、運用の効率化、急成長しそうな市場への参入といった(昔ながらの)基本的な経営姿勢に戻る必要がある」(関連記事

 アメリカ(ニューヨークの投資銀行)と並んで国際金融界の中心に位置するイギリスの銀行協会の会長が、レバレッジの急拡大で儲ける経営モデルが破綻し、伝統的な経営モデルに戻らざるを得なくなった、と宣言したことは、衝撃的である。

 銀行の伝統的な経営モデルとは、市民から銀行に預金してもらい、その集めた金を投資運用して利益を出すやり方だ。これに対し、レバレッジを使った銀行経営モデルは、ローンや債券、手形(CP)発行などによって投資家から調達した資金を運用する。

 米英では、1980年代の金融自由化以来、アメリカの投資銀行(証券会社)によってレバレッジを使った投資モデルが強化され、伝統的な銀行モデルよりも儲かるので米英の金融界の中心はこのモデルへと移行し、スイスなど欧州大陸の金融界も、このモデルを積極採用した。1999年にはアメリカで投資銀行と商業銀行の区別が廃止され、アメリカの商業銀行も、それまで規制されていたレバレッジ型の投資を急拡大した。

(アメリカでは1929年の金融恐慌後、預金者保護のため、連銀によって経営状態を厳しく監督される商業銀行と、預金を集めず株や債券の取引仲介などを行う投資銀行・証券会社との相互乗り入れが法律で禁じられていた)

▼日本型「失われた10年」が米英にも

 レバレッジ型の金融は、冷戦後の金融グローバリゼーションと重なって、米英で調達された資金がアジアなど高成長の新興市場で運用される国際金融システムを生んだ。この形は1997−98年のアジアやロシアなどでの通貨危機でいったん破綻し、代わりにその後、2002年ごろから、債券の倒産リスクだけを権利として流通させるCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)などのクレジット・デリバティブが急拡大し、アメリカの住宅ローンなどの債権の債券化と相まって、米英の主要銀行は皆、レバレッジを急拡大した。

 しかしその後、昨夏に起きた米住宅ローン債券(サブプライム)の市場崩壊をきっかけにした金融危機は、レバレッジ型金融モデルの基盤にあったリスク評価(債券格付け)の信頼性を破壊し、レバレッジに対するリスクが急騰し、下がらなくなった。CDSなどデリバティブ商品も危機的状態となった。金融危機は昨年7月と11月、今年3月と6月の合計4回、波状的に欧米金融界を襲い、米住宅市況の悪化とインフレ拡大を受け、今後も崩壊局面が続く可能性が高くなっている。

 いずれ金融危機が終われば、再びレバレッジ型の金融が儲かるようになる、と予測する人は多い。しかし今回の英銀行協会のグリーン会長の「レバレッジ終焉宣言」は、楽観的な予測に冷水を浴びせるものだ。

「過剰なレバレッジ」を排斥するグリーンは、レバレッジ全廃を主張しているわけではない。だが、金融危機が進む中、レバレッジ型金融が持つリスクは、昨夏以前に考えられていたよりもずっと大きいということが、国際金融界の常識となりつつあり、今後、レバレッジ型金融の本格的な復活はありそうもない。「レバレッジ終焉宣言」は、1980年代からの米英中心の金融革命の終わりを意味している。

「銀行は基本に戻れ。利益は減るが我慢しろ」という掛け声は、日本人にとっては、すでに経験したことだ。1980年代のアメリカ発の金融自由化は日本にも及び、日本の金融界は80年代後半、関連会社としてノンバンクを無数に作り、不動産関連投融資を急増した。だがそれは90年代に入って不動産バブルの崩壊を招いた。日本の金融当局は銀行に対し、リスクの高い投融資をすべて禁じる指導を行い、日本の銀行界は基本に引き戻され、利益が減って合併による再編を余儀なくされ、日本経済も「失われた10年」を経験した。

 金融自由化後、米英では金融界の儲けが急増し、アメリカでは全産業の総利益に占める金融界の割合が、1980年代初頭の10%から、昨年には40%にまで拡大した。金融業は、英米経済を支える基幹産業となっている。(関連記事

 米英で金融業の儲けが減ることは、米英の経済に深刻な悪影響を与える。日本では製造業が強いが、米英では80年代の金融自由化の前に製造業が衰退してしまっている(だから金融自由化が必要だった)。米英経済は今後、金融界の不振によって日本並みかそれ以上の「失われた10年」を経験することになりそうだ。80年代半ばの米英発の金融革命は、日本では数年後に破綻し、米英では20年あまり続いたものの、昨年から破綻期に入ったということだ。

▼「株と金融の世界的大崩壊が起きる」

 英銀行協会長が講演した6月初旬はちょうど、米英金融危機の第4波が始まる直前の時期である。講演で指摘された「レバレッジ型金融の終焉」は、その後、いくつもの場所で指摘されるようになった。6月27日には、ロイター通信のコラムニストが「(ローン返済や債券償還によって)レバレッジを解除する動きが(米英の)銀行界で始まっている。レバレッジ解消の動きは今後もずっと続き、何年間も経済成長と企業業績に悪影響を及ぼし続ける」とする記事を出した。(関連記事

 昨夏以来の信用不安でレバレッジのコスト(リスク)が上がり、安価な資金調達方法が失われたため、企業の資金調達はコスト高となり、ドル不安に起因するインフレ激化とあいまって、世界的な企業業績の悪化が予測されるようになった。世界的な株価の下落が始まっている。王立スコットランド銀行は6月19日に「今後3カ月以内に、世界的な株と金融市場の大崩壊がおきる。米国株(S&P500)は3割下がる」とする予測を発表した。それから3週間たち、実際に世界的な株価の下落が続いている。(関連記事

 イギリスではバークレイズ投資銀行も6月28日、世界的な金融大危機が来るという予測を、顧客向けに発表した。ひどいインフレで世界の中央銀行は利上げを余儀なくされて世界的な不況が悪化し、アジアの債券の中でもインドなど貿易赤字がある国のものは「売り」だと指摘し、レバレッジ解消の過程が続くので、あと1年間は金融危機が続くと予測している。CDSを発行する米国モノライン保険業界は破綻し、石油と鉄鋼の値上がりで、自動車産業やエンジニアリング業界も業績が悪化するという。(関連記事

▼多極化とロンドン市場の凋落

 英銀行協会長は6月10日の講演で、英米覇権体制の根幹に触れる、以下のような発言もしている。「今後の世界経済では、金融危機の被害に遭っていない(中国やインドなどの)新興市場が最も発展する」「最大の発展地は中国である」「これからは、アジアや中近東で地元の資本調達市場が急発展しそうだ。(その一方で米英は金融破綻なので)今後は、国際金融センターとしてのロンドンの地位は低下するだろう。ロンドン金融界が生き残るには、税制などの面で新たな進化が必要だ」(関連記事その1その2その3

 イギリス経済は1960−70年代にいったん破綻していたが、1980年代半ばからの米英金融革命(金融自由化)でロンドンが国際金融センターとして復活したことで蘇生した。英経済は、今年まで14年間ノンストップの成長を記録し、不況知らずだった。

 私の推察では、アメリカの大資本家(多極主義者)たちが1980年代に金融革命を始めた際、イギリスを誘って共同の発展構想にしたが、その理由は「冷戦」を終わらせるためだった。ソ連や中国を封じ込める冷戦構造の維持は、イギリスがアメリカの軍産複合体に入れ知恵することで成り立っていた。イギリスが反対している限り、冷戦体制は終わりそうもなかった。金融革命によって、米英金融界が資金調達して中国やロシアの経済発展に投資して儲ける仕掛けができ、イギリスは冷戦の終結に反対しなくなった。

(アメリカの大資本家たちが1970年にニクソンを当選させ、米中関係の正常化など冷戦終結の試みに着手した当初は、イギリスは米軍産複合体と結託し、ニクソン追放に手を貸した)

 冷戦終結後、イギリスと米軍産複合体(とイスラエル。軍産英イスラエル複合体)は、ロシアでオリガルヒ(新興財閥)を操って国家経済を私物化させ、ロシアを混迷させたり、人権外交戦略を駆使して天安門事件後の中国に10年の国際制裁を科したりして、引き続き中露を封じ込めようとする戦略をとった。

 だが最終的に、ブッシュ政権は、テロ戦争やイラク戦争など、軍産英イスラエル複合体の戦略を忠実に実現するふりをして、実際には「やりすぎ」によって、財政難や過剰派兵状態、世界的反米感情の高まり、世界的インフレ、金融危機などを誘発し、米英中心の世界体制の行き詰まりと、その反面としての中国やロシアなど非米的なBRICの経済的・政治的な台頭を誘発し、世界体制を多極化の方向に転換している。

「中国や中近東が発展し、独自の金融センターを持つ。ロンドンの金融的な地位は下がる」という英銀行協会長の発言は、今後は米英中心の覇権体制が解体し、世界の多極化が進むという流れを意味しうる点で、意味深長だ。

▼非米ネットワークは「影の内閣」

 私は、昨夏以来の米英の金融危機は「人災」の側面が強いと感じている。たとえば昨年7月、まさに金融危機が始まろうとする状況の中で、アメリカの株式市場を監督する証券監督委員会(SEC)は、株価の下落に歯止めをかけていた株式先物売りに対する規制「アプティック規制」を、1930年代の金融恐慌以来80年ぶりに廃止した。これによって、米株式市場は、以前より下落方向の不安定さが増大することになった。米当局は、株価の暴落を誘発したいのではないかと疑われる。(関連記事その1その2

 米連銀は、今年初め、市場の不安を煽るような急な利下げを行ったり、インフレ懸念について軽視しすぎた挙げ句、強度の世界的なインフレを起こしたりしている。連銀のバーナンキ議長は学界にいたころから、インフレ軽視の政策を好む人だったので、バーナンキは単に自分の理論を信じてインフレを軽視しただけであり、意図的な自滅などではないと言う人もいるだろうが、そもそも2006年の連銀議長の交代期には、すでにインフレと金融危機、景気悪化の懸念が米経済に存在していた。

 当時、グリーンスパンの後任の連銀議長としてインフレ軽視のバーナンキを選んだ時点で、景気が悪化したらバーナンキはインフレを無視して利下げすることが見えていたはずだ。バーナンキを選んだ米中枢の人々の意図を深読みすべきである。

 今後、かなり悪化していきそうな米英の金融危機が、意図的な「人災」なのだとしたら、その狙いは何なのだろうか。今回の金融危機は、1980年代半ば以来の米英金融革命を終わりにしそうだ。また、米英での金融崩壊の進行と、世界経済の成長センターが中国・インド・ロシア・中近東(アラブ産油国)などに多極化していきそうな流れとが、同期している。これらを考えると、米英金融革命とは、米資本家による1970年代からの世界多極化戦略のための一時的な小道具だったのではないかと思える。

 米英金融革命によって、多極化に反対するイギリスを資本家の側に引き寄せ、20年ほどの暫定的な金融主導の米英中心体制を作り、その間にも911後のテロ戦争やイラク侵攻などの暗闘はありつつも、世界を多極化する策動が続けられてきた。すでに世界には、隠然とした形ながら「上海協力機構」や「新セブンシスターズ」など、米英中心の世界体制(G7など)とは全く別の、非米的な政治経済両面の国際ネットワークができている。(関連記事その1その2

 これらの非米的ネットワークは、イギリス式の先進国の政界によくある野党の「影の内閣」と似ている。影の内閣は、その政党が野党である限りは大した意味を持たない組織だが、いったん与野党が交代した後は、そのまま内閣・政府として機能しうる。

 今後、米英の金融崩壊が進行し、欧米とイラン・ロシアなどとの関係性をめぐって欧米間の政治協調が崩れていき(EUはイランやロシアと仲良くしたい)、WTOやIMF、G7などの国際機関も機能不全に陥り(洞爺湖サミットをめぐる国際報道ではG7の機能低下が指摘されている)、間もなく起きるかもしれないイラン・イスラエル戦争などによってイスラム世界と中露(BRIC)の結束が高まっていくのだとしたら、それはまさに、世界の政治体制の中での「与野党交代」である。

 今後、これまで世界を支配してきた米英中心の体制が崩れ、人々が「世界の崩壊」を嘆く中で、静かに「影の内閣」的な非米同盟のネットワークが、主導的な影響力を持ち始めるのではないか。世界のマスコミやアカデミズムの多くは、米英中心体制の傘下にあるので、この転換はまともに報道されず、隠然とした動きになる。非米同盟的なネットワークは緩やかなものなので、既存の欧米諸国のネットワークは、その中に取り込まれていく。EUはすでに、ロシアや中国、イスラム世界などと対等に並ぶ「極」として機能する意志を持っている。

 このように今の世界は、米英中心体制が崩壊した後の世界体制が、影の内閣のように隠然と準備されている状況だ。そして、英銀行協会長が発したレバレッジ型金融の終焉宣言を信じるなら、米英に世界最強の経済力を与えていたレバレッジ型の金融システムは、昨年から崩壊期に入っている。世界体制の多極化が起きつつある。

▼多極化した方が世界は安定する

 米英中心主義の勢力はマスコミを使ったプロパガンダが非常にうまいので、世界の人々の多くは、米英の影響力が低下して中露が台頭すると世界は不安定化し、戦争と抑圧が拡大し、自由な経済成長は阻害され、人類は不幸になると思っている。

 しかし実際には、イギリスがドイツの台頭を抑えるために第一次世界大戦を画策して以来、米英中心の体制は、米英が中心であり続けるために戦争を連続的に起こさざるを得ず、冷戦体制を維持するために親米諸国で独裁体制が奨励され、米中枢の冷戦派と多極派の暗闘でベトナムやイラクの戦争が泥沼化された。

(中国の「チベット弾圧」も、チベットが英領だったインドの北にあり、イギリスが中国を混乱、弱体化させるため、1950年代からチベット人組織を操ってきた。チベットの旗を掲げて欧米の町や東京でデモ行進する人々は、実はイギリスの策略に、知らずに乗せられている)

 経済面でも、第2次大戦後、米英に追従することを嫌がる誇り高い国々の多くが経済制裁され、その分、世界経済の発展が阻害されてきた。冷戦型のマスコミのプロパガンダに目をくらまされず、冷静に考えてみると、世界は多極化した方が安定するし、長期的な経済発展も可能になることがわかる。

 アメリカによる世界を多極化する試みは、第一次大戦の終戦時のベルサイユ会議(ウィルソンの14カ条)に始まったが、アメリカは何度もイギリスの覇権維持の策略に引っかかり、多極化に失敗した。第2次大戦後に作った国連の米英仏ソ中の5極制も、数年後にイギリスが引き起こした冷戦体制によって壊され、1989年まで塩漬けにされていた。(関連記事

 米中枢の人々が、いったん金融革命による米英金融覇権を作って約20年間維持するという回りくどい多極化の方法を採ったのは、イギリスの策略の裏をかくためだったのかもしれない。

▼インフレはドル離れを誘発する

 インフレとレバレッジ解消による不況は、先進国だけでなく、中国やインドなど非米的BRIC諸国にも波及することは間違いない。「世界の工場」たる中国は、世界から集まった部品を組み立て、製品として世界に輸出して経済成長してきたが、エネルギー価格の高騰による運賃の値上がりは、中国企業のもともと薄い利幅をさらに減らし、中国の成長モデルを困難にしている。中国から欧州へのコンテナの運賃は、ここ数年で3倍に跳ね上がった。(関連記事

 とはいえ、世界的インフレの原因はドル不安であり、中国のインフレ激化は、人民元の為替がドルに擬似ペッグ(対ドル為替が少しずつしか上がらない仕掛け)しているために起きている。中国がインフレから離脱する決定的な方法は、人民元の対ドル為替の大幅な上昇を容認することである。中国だけが通貨を切り上げると、輸出競争力が失われてしまうが、今はドルペッグしている他の主要通貨と同時期に、中国がドル離れをするなら、悪影響は少ない。他の主要通貨とは、たとえば中東のペルシャ湾岸産油国(GCC)の通貨である。

 7月に入り、インフレ悪化と通貨のドルペッグ維持との板挟みになっている中東アラブ産油緒国(GCC)の政府内では、再び「インフレ退治のためにドルペッグをやめて、主要諸通貨バスケットに対するペッグに移行すべきだ」という提案が出てきている。バスケットの中に「原油価格」を含むのが良いとの提案も出ている。(関連記事

 GCC6カ国の通貨は2010年に通貨統合してドルペッグをやめて、通貨バスケットに対するペッグに切り替えていく予定だが、その後の国際原油価格をこの統合新通貨建てで表記・販売する動きが予測される。バスケットの中に原油価格を含めようとするのは、その動きの予兆である。

 国際原油がドルではなく、GCC通貨建てで販売されるようになれば、石油を輸入する中国などの世界各国は、現在のようにドルを強く意識する必要が減る。世界的なインフレの決定的な解消方法は、ドルだけが世界の基軸通貨である現状の経済覇権体制を離脱し、ユーロ、円、人民元、GCC通貨を含む形へと、基軸通貨を多極化することである。この体制はすでに2006年のIMFの5極制構想の中に表れている。(関連記事

 米中枢の大資本家は、インフレ軽視のバーナンキを連銀議長に就任させてインフレを激化させることで、政治的には非米傾向を持つくせに、経済利得喪失の懸念から、いつまでもドルに頼ろうとするBRICや中東産油国を困らせ、ドル離れと通貨多極化の方向に誘導しようとしているのではないか、と推察される。



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