ガザ戦争の危機再び2010年1月14日 田中 宇ここ一週間ほど連日、中東ガザのイスラム主義勢力が、イスラエルに対して短距離ミサイルを撃ち込む行為を約1年ぶりに再開している。08年末から09年初めにかけて起きたガザ戦争(Operation Cast Lead)は、同様の短距離ミサイル攻撃が続けられたことに対し、イスラエル軍がガザを空爆したことによって起きている。1年前の戦争が再演される懸念が増している。 (Israel needs to rethink its Gaza strategy before it's too late) 短距離ミサイルは精度が低く、イスラエル側の畑や空き地に着弾し、今のところイスラエル側の被害は少ない。だが、一昨年末も同様の状況でイスラエル国内の世論が激昂して好戦的になり、報復的な空爆に至った。すでにイスラエル軍は、ガザに近い地域の国内住民に対し、戦争を覚悟するよう広報している。 (IDF issues warning to Gazans after mortar barrage on Israel) ミサイルを撃っているのはガザを支配しているハマスではなく、他の中小のイスラム武装組織であり、ハマスは中小組織に攻撃をやめるよう圧力をかけているというが、本気の圧力かどうかわからない。国際世論はイスラエルに不利に、ハマスに有利になる傾向が続き、次にイスラエルがガザを大規模に空爆したら、国際世論におけるハマスの有利が強まる。ハマスが中小組織にロケット攻撃をやらせている可能性もある。 (Hamas Wants Militant Groups to Halt Rocket Fire) 欧州では、英国などの市民団体(Viva Palestina)がガザに人道援助を送ろうとして、エジプトやイスラエルに邪魔された。EU議会やEU各国議員の合計50人の政治家によるガザ訪問の計画も出てきた。EUは、パレスチナ人の願望だがイスラエルの拒否によって実施できていない「エルサレム分割案」(エルサレムを二分し、それぞれをイスラエルとパレスチナ新国家の首都とする案)への支持決議を検討しており、パレスチナ側を支持してイスラエルを非難する姿勢を強めている。 (50 European MPs to visit Gaza) (EU foreign ministers likely to call for division of Jerusalem) 米政府でもパレスチナ和平担当のミッチェル特使が、ヨルダン川西岸地域での入植地建設をやめないイスラエルに業を煮やし、米政府がイスラエルに与えている債務保証を凍結するという経済制裁をするかもしれないと、米テレビのインタビューで表明した。 (Likud MPs Slam US 'Threats') 米国は、イスラエルの仇敵であるイランを許してしまうこともやっている。米政府は昨年秋「年末までにイランが核開発をやめる方向性を示さない場合、来年(2010年)初めにイランを制裁する」と言っていたが、イランがこの警告を無視して何も米側に返答しないまま年明けになると、クリントン国務長官は「イランが回答してこなければ制裁するが、回答の期限は設けない」と方針を修正した。米国は、イランからの回答を無期限に待つと表明したわけで、イランが何も回答しない限り、米国はイランを制裁しないということだ。米国はアフガニスタンを安定させるため、アフガンの隣国であるイランの協力か必要なので、イランを許したという解説が流布している。 (Obama finally forswears tough sanctions on Iran. Jerusalem says nothing) かつては中東有数の親イスラエル国だったトルコの反イスラエル化も続き、年明けにトルコがガザで人権侵害を続けるイスラエルを非難し、イスラエル外務省高官が「トルコに非難する資格などない」とやり返し、トルコ政府がイスラエルとの国交断絶も辞さずと最後通牒を突きつけると、イスラエル側が謝罪するという事件も起きた。トルコへの謝罪は、国際政治におけるイスラエルの弱体化を象徴している。 (Turkey envoy: Israel shamed me more than ever in my career) スウェーデンの新聞(Aftonbladet)は昨年夏、イスラエル軍の医師が遺族に無許可でパレスチナ人の遺体から臓器を抜き取って販売することを黙認されていたと報じた。その後、スウェーデンとイスラエルの政府間で対立が起きたが、これも昨年末、イスラエル側が臓器抜き取りの事実を部分的に認めることで一段落した。イスラエルは「731部隊」的な悪者にもなっている。 (Israeli military admits to organ harvesting) ▼いろいろやっても実らない和平交渉 イスラエルが、自国の不利がひどくなる中でガザに再侵攻したら、世界的なイスラエル非難が強まる。昨年のガザ戦争に対し、国連の人権理事会は、イスラエルが戦争犯罪を犯したとする「ゴールドストーン報告書」を出した。国連では、安保理事会(合法な世界的制裁発動ができる唯一の組織)で、パレスチナ和平を進めないイスラエルへの制裁を決議すべきだという主張が強まったが、米国が拒否権を発動して葬った。今年、イスラエルがまたガザに侵攻したら、米国も国際世論に押され、安保理の拒否権発動ではなく「棄権」に転換し、国連でイスラエル制裁が可決される事態になりうる。イスラエルはハマス以上、サダム・フセイン並みの悪者にされかねない。 (オバマのノーベル受賞とイスラエル) (パレスチナ和平の終わり) イスラエル政府は、昨年初めのガザ戦争をハマスとの停戦合意によって終えた後、事態を改善しようとハマスやパレスチナ自治政府(PA、アッバス大統領)と和平交渉したが、うまくいかなかった。イスラエルとハマスは昨年秋から、ハマスが捕虜にしているイスラエル軍兵士ギルアド・シャリートを釈放する代わりに、イスラエルが拘束している約1000人のパレスチナ人を釈放する交渉を行い、昨年末には「数日内に話がまとまる」と報じられたが、結局まとまらなかった。 (Hamas: Shalit deal won't be sealed in near future) ネタニヤフ首相は、この「1000対1」の相互釈放でハマスとの対立解消を狙ったが、イスラエル政界の右派は、ハマスの譲れない主張である「マルワン・バルグーティ釈放」に反対して交渉を潰した。バルグーティは、ハマス(ガザ)とPA(西岸)を和解させられると期待されている数少ないパレスチナ若手指導者である。 (Lieberman Deputy: I'll Fight Any Shalit Deal That Frees Barghouti) 昨年の秋から年末にかけて、イスラエル、ハマス、PA、サウジアラビア、エジプト、EU、米国などが、各種の和平構想を公式ないし隠密に出したが、どれもうまくいかなかった。そして今年に入り、ガザからイスラエルに再び短距離ミサイルが撃ち込まれ出している。ハアレツ紙によると、イスラエル軍はすでに再戦争の準備をしている。 (Israel's looming war in Gaza: Can Obama stop it before it starts?) エジプトに隣接するガザでは、国境下に掘られた無数の密輸用地下トンネルを通り、エジプトから武器が搬入されてきた。イスラエルとエジプトは、トンネル潰しや国境の隔離壁構築に余念がない。ガザが再戦争になると、エジプト国内ではハマスの兄弟組織であるイスラム同胞団(非合法政党)への支持が強まり、ムバラク親子(父は死期が近く、息子は権威がない)の独裁体制を壊しかねないので、エジプト政府も必死である。 (Israel to build $1.5b fence along Egypt border) 12月には、ハマスを支援しているイランのラリジャニ国会議長がエジプトを訪問した直後、エジプトのムバラク大統領が80歳代の高齢を押して急遽サウジアラビアなどを訪問し、イラン、エジプト、サウジという中東の3大国が新たな中東和平でまとまりそうな気配を見せた。1月7日には、サウジとエジプトがまとめた和平案がホワイトハウスに提示された。しかし、こうした新和平策も、ガザが再び戦争になったら徒労に終わる。 (Mubarak on urgent trip to Gulf about Iran's reconciliation move) (New Egyptian-Saudi peace plan to be presented to Obama Friday) イスラエルには、パレスチナやサウジとだけでなく、仇敵のはずのイランとも和解することで自国の存続を図ろうとする動きもあり、先日はイスラエル軍の核担当者だった元将軍が「イランは核兵器を開発していない」という意味の発言を発した。しかし、こうした政治的な観測気球の打ち上げは、ほとんど無視されて終わっている。 (Israeli Ex-Nuke General: Iran Is No Nuclear Threat) ▼パレスチナ問題は帝国と資本の相克 イスラエル政界では、事態が戦争に近づくほど、好戦的な右派が強くなる。イスラエル右派は上層部が、米国のネオコン(ユダヤ系主体の軍事強硬派)と同様、親イスラエルのふりをして実はイスラエルを潰そうとしている隠れ多極主義者で、イスラエル政界で和平の動きが出てくるたびに、パレスチナ側との敵対を扇動して潰しにかかる。一般に敵対の扇動は、和平の推進よりずっと簡単だ。イスラエルが和平を実現するのは非常に難しい。最近は世界の世論がパレスチナ寄りになり、パレスチナ側も「イスラエルが入植地を撤退しない限り和平には応じない」と断言している。イスラエルでは右派が政府の抑止を無視して入植地を拡大し、和平を阻止している。 (反イスラエルの本性をあらわすアメリカ) 私の推測では、ネオコンやイスラエル右派は実行部隊にすぎず、隠れ多極主義者の黒幕はユダヤ人が多い「ニューヨークの資本家」である。彼らがイスラエルを潰したい本質的な理由は「イスラエル嫌悪(ユダヤの敵はユダヤ)」ではなく「イスラム世界を怒らせることで欧米支配から解放して自立させ、経済成長させ、そこに投資すること」(資本の論理)である。これは、以前の記事に書いた「帝国と資本の相克」の一部である。 (資本の論理と帝国の論理) 欧州が英国発祥の産業革命によって急発展するまで、オスマントルコなどの中東は、欧州に負けない強さを持っていた。それだけに英国主導の欧州は、第一次大戦でトルコを解体した後、中東を恒久的に分断しておく必要を感じ「番犬」としてイスラエルの建国を許した。英国中枢には「帝国支持」(のちの米英中心主義)と「資本の論理支持」(多極主義)の両派があり、帝国派は英国覇権の恒久化を狙ったが、資本派は英覇権を解体して多くの独立国を作り、欧州以外の地域を発展させ、そこに投資して儲けることを画策した。豊富な石油がある中東イスラム諸国は、経済大国になる潜在力を持っている。 帝国派はイスラエル建国を画策し、資本派はイスラエル建国に反対した。イスラエルは建国したが、ニューヨーク資本家の肝いりで作られた国連は、その直後にパレスチナ国家の創設やエルサレム分割を決議し、イスラエルの正当性を制限した。その後、中東イスラム諸国は、冷戦で「ソ連寄り」のレッテルを貼られて発展を阻止され、冷戦後は911後の「テロ戦争」によって「恒久的な悪」にされかけた。 100年の暗闘は帝国の勝利に推移するかに見えたが、帝国派の内部にはネオコンやチェイニー前副大統領といった「帝国派のふりをした資本派のスパイ」(隠れ多極主義者)がおり、彼らはテロ戦争を過剰にやって失敗させ、イスラム世界を激怒させ、団結させて強化し、イスラエルを不利に追い込んでいる。2006年夏、イスラエルを騙してレバノンに侵攻させたのがチェイニーだったことは、中東分析者の間では知られた話である。 (大戦争になる中東(2)) 隠れ多極主義者でないイスラエル中枢の人々は、米中枢にイスラエルを潰そうとする勢力がいることをすでに知っており、米国が画策する中東大戦争(イスラエルとイランの戦争)に引き込まれるのを避けようとしている。だが、イスラエル国内で右派が強いため、最終的に戦争を防ぐ唯一の方法であるパレスチナ和平の道は閉ざされている。 ▼イスラエルが消えると石油が上がる 米国を信頼できなくなったイスラエルは、EUの協力を得たいが、イスラエル右派は「ホロコースト」を使ったドイツ(EUの中心国)に対する脅しと「賠償金」のむしり取りを続けており、イスラエルとEUとの信頼関係は強まらない。1970年代以来、ホロコーストをプロパガンダ的に誇張してきたのはイスラエル右派と米ネオコンである。 (Israel to seek another 1b euros Holocaust in reparations from Germany) (Time for Germany to reassess its relations with Israel) (ホロコーストをめぐる戦い) イスラエルがうまくやれば、今回のガザ危機も、大戦争につなげずに回避もしくは短期で停戦できる。しかし、恒久和平への道が閉ざされている以上、イスラエルは和平と戦争の間の不安定な延命状態を脱せない。その間に、イスラエルの敵であるイランやハマスやヒズボラは国際社会で正当性を認められていき、国連は反イスラエルの傾向を強める。 レバノンなどにいるパレスチナ難民は、イスラエルへの帰還権を放棄せず、すきあらばイスラエルの土地(パレスチナ)を軍事的に奪還しようとする。レバノンやシリアの政府は、パレスチナ難民に自国の市民権を与えないことで、イスラエルに反攻させようとしてきた。難民がいる限り、イスラエルは安定を得られない。以前は仇敵だったレバノンのハリリ政権とシリアが最近和解し、イランからシリアを経由してヒズボラに渡される武器の量が増えている。 (Hariri visit seals a good year for Syria) イスラエルは「レバノンに軍事援助する国を制裁せよ」と世界に呼びかけたが、レバノンに軍事援助する主要国の一つは米国だ。米国は、以前にレバノン政府とヒズボラが対立していた時期に、ヒズボラと戦うレバノン政府を支援する名目で軍事支援を開始したが、レバノン政府がヒズボラと仲良くなった後も、依然としてレバノンを軍事援助している。米国はこの点でも「隠れ親ヒズボラ(隠れ反イスラエル)」である。イスラエルは「米国の支援はヒズボラには渡っていないはずだ」と言っているが、そんな確証はない。 (Israel tries to block military aid to Lebanon) 中東イスラム諸国が団結できれば、すでにかなり欧米から奪回している石油利権を使って、国際政治的な台頭と経済的な発展が可能になる。その分、イスラエルはさらに不利になるが、中東イスラム世界にとっては、新たな発展の時代の始まりとなる。未来は、イスラエルにとって暗いが、中東のイスラム教徒にとっては明るい。イスラエル国家は消滅するかもしれないが、イスラエル人の多くは「帰国」前に住んでいた国(東欧、ロシア、米国など)との二重国籍だ。もともといた国に「投資」と称して家を買ってある人も多い。 イスラエルは米国の政治を牛耳ってきただけに、イスラエルが今後どうなるかは、基軸通貨としてのドルの地位が今後どうなるかという問題と並び、世界の覇権構造にとって大きな話である。イスラエルの力が縮小ないし消滅すれば、サウジアラビアなどペルシャ湾諸国が安全保障を米国に頼る必要が減り、イランとサウジ、イラクが談合して石油利権の非米化に拍車がかかり、石油価格は超高値安定になりそうだ。
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