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米英を内側から崩壊させたい人々

2005年9月27日   田中 宇

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 イギリスのブレア首相は、イラク侵攻からしばらくの間は、アメリカの「単独覇権主義」が、欧米中心の世界体制を維持するための新たな作戦であると思っていたらしい。

 だが、イラクが泥沼化してもブッシュ大統領が単独覇権主義を貫き続けているため、ブッシュ政権は欧米中心の世界体制を維持するふりをして、実は欧米中心の体制を破壊して世界を多極化しようとしているのではないかとブレアは気づいたようだ。そして今年に入って、アメリカをあてにせず、自分が主導して、揺らいでいる欧米中心の世界体制を復活させようと動き出した。(関連記事

 ところが、ブレアが欧米中心体制の復活を本格的に目指し始めた今年7月のスコットランドでのG8会議以降、急にイギリス当局は、次々とおかしな失態を繰り返すようになっている。

 その皮切りはG8会議に合わせて発生した7月7日のロンドンのテロ事件で、アルカイダのしわざだと説明したい英当局の裏をかくように、説明にそぐわない事件関係の事実が次々と出てきて、当局の説明は二転三転した。(関連記事

▼ロンドンの人違い射殺事件

 次いで起きたのが、7月22日、ロンドンの地下鉄駅で、ブラジル人青年が英当局の捜査部隊にテロリストと間違われて射殺された誤認事件だった。この事件は非常に特異なので、長くなるが、以下に詳細な経緯を書く。

 射殺されたジェアン・シャルレス・デメネゼスという名前の27歳の青年は、この日の朝、ロンドンで前日に起きた同時多発テロ未遂事件に関連していた容疑で捜査部隊から尾行を受け、家を出て駅に着いて地下鉄に乗ったところで、尾行してきた捜査隊によって、頭に7発の銃弾を撃ち込まれ、射殺された。

 ロンドン警視庁は当初、次のように説明した。「デメネゼスはテロ組織と関係している疑いがあり、警察が彼の自宅のアパートを監視していた。この日の朝、夏なのにコートを着て自宅を出たので、警察側は、彼が爆弾を身体に巻いて自爆テロをしに行くのではないかという疑いを持ち、尾行した。彼が地下鉄のストックウェル駅に入ったので、制止しようと声をかけたところ逃げ出した。彼は、駅の改札口を飛び越えてホームに入り、やってきた電車に乗ろうとしたため、警察官は車内で自爆テロを実行するつもりに違いないと判断し、追いかけて車内に入り、彼を射殺した」

 捜査隊がデメネゼスを射殺したのは、取り押さえただけだと、その瞬間に体に巻いた爆弾のスイッチを押し、捜査隊もろとも自爆する可能性があるためであり、射殺するのはテロ対策の一環として正当なものであると警察は主張した。

 ところが射殺事件の翌日、ロンドン警視庁は、デメネゼスは前々日のテロとは関係なく、人違いで射殺してしまったと発表した。警視庁によると、デメネゼスは違法にイギリスに入国してきた違法移民で、尾行していた捜査部隊から呼び止められて走って逃げたため、テロリストと間違われて射殺されたのだと説明された。しかしその後、デメネゼスは違法移民ではなく、合法に入国してロンドンで電気工として働いている人物と分かった。

 またデメネゼスはこの日、コートなど着ておらず、デニムのジャケットを着て外出していた。夏なのにコートを着ていたので、その下に自爆用爆弾を巻きつけているのではないかと警察が疑った、という話はウソだと分かった。(関連記事

▼失態を繰り返した英当局

 アパートを監視していた捜査隊は、デメネゼスを「白人」として上部に報告している。ロンドン警視庁が追っているテロリストは「非白人」だったので、この時点でデメネゼスはテロ容疑者ではないことは明らかだった。(関連記事

 しかも、デメネゼスは射殺される直前、捜査隊に追われて逃げてなどいなかったし、改札口を飛び越えることもしていなかった。ストックウェル駅の監視カメラの映像では、彼は改札口に切符を通して普通の速さで歩いて入り、改札口のわきに置いてあったフリーペーパーを1部とり、エスカレーターでゆっくりホームに降り、ちょうど電車が着いたので小走りになって、電車に乗り込み、着席したところで、尾行してきた捜査隊が車内に駆け込んできた。(関連記事

 デメネゼスは、逃げたので射殺されたのではなかった。捜査隊の一人がデメネゼスを座席に座った状態で取り押さえ、別のメンバーが30センチの至近距離から銃弾を撃ち込んだ。(関連記事

 明らかに当局の大失態であると分かった後、イギリス政府内では独立の調査組織を作り、この失態について調査することになったが、ロンドン警視庁は「テロ対策に悪影響が出る」という理由で、調査をしないよう、政府内に働きかけていたことも暴露された。(関連記事

 そもそも、テロ組織の実態を暴き、次のテロを防止するためには、テロ容疑者は射殺せず拘束した方が良いというのが、あらゆる国の当局の基本方針である。爆弾を隠せるコートなどを着ておらず、逃げもせず、すでに拘束されているデメネゼスに対し、頭に7発も銃弾を撃ち込んで殺したのは、常軌を逸していた。

▼悪いのはロンドン警視庁ではなく英軍特殊部隊

 この事件は、単なる当局の過失ではない可能性がある。事件が発生したのは7月22日の午前10時すぎで、その1時間後には、射殺がBBCテレビなどで報道され始め、事件当時に現場の駅にいたマーク・ウィットビー(Mark Whitby)という目撃者の話が放映された。

 目撃談は「射殺された男は、冬物のコートを着て、その下に何かを隠している感じだった」「追われていた男は、駅の改札口を飛び越えてホームに駆け込んできた」「男は(猟師に)追い詰められた兎か狐のように、仰天した表情をしていた」といったもので、その日の警察の説明は、ウィットビーの目撃談を追認するものだった。(関連記事

 ところがすでに書いたように、その後、これらの話はすべて間違いであることが確定している。事件発生直後、ウィットビーの証言が放映され、その内容をイギリス当局が否定しなかったため、その後数日間、射殺された男が怪しい身なりや行動をしていたという間違ったイメージが、英国内と世界に流れ続けることになった。ウイットビーは47歳の配管工で、たまたま事件現場に居合わせたとされているが、実は一般市民のふりをした当局の関係者だったのではないかと疑う指摘がある。(関連記事

 目撃証言が一人歩きする一方で、ロンドン警視庁の最高責任者であるイアン・ブレア警視総監は、事件発生から丸一日の間、射殺されたのが無実の青年であることを知らされていなかったと証言している。警視庁のトップが事態を把握していなかったのは、この射殺には、警視庁とは別に、イギリス陸軍の特殊部隊が関与していたからだった。(関連記事

 射殺されたデメネゼスの自宅を監視していたのは陸軍特殊部隊だったが、監視の担当者は事件当日の朝、デメネゼスが自宅から出てくる瞬間を見逃してしまった。にもかかわらず特殊部隊は、自宅から出てきたデメネゼスを、ロンドンテロの黒幕と目されるフセイン・オスマン(その後イタリアで逮捕された)であると誤認し、警視庁も巻き込んで追跡、射殺する事態となった。(関連記事

 誤認射殺は、ロンドン警視庁ではなく軍の特殊部隊の失敗によって起きたと考えられるが、実際の責任追及は警視庁に対して行われ、軍の特殊部隊については活動実態も不明なままの状態だ。

▼英与党議員「諜報機関は信用できない」

 特殊部隊は、軍の一般の部隊のように戦場で正面切って敵と戦うのではなく、テロ組織を見つけ出して潰したり、敵の内情をスパイしたり、敵を不利にするプロパガンダを世界のマスコミに流したりする不正規戦や諜報戦が任務であり、諜報機関と重なっている。

「アルカイダ」に対する国際的なテロ対策は、アメリカでもイギリスでも、警察ではなく軍の特殊部隊と諜報機関が中心である。アメリカでは従来、軍(国防総省)と諜報機関(CIA)とは分離されていたが、911後は、軍の仕事の中心がテロ退治という諜報機関的なものに変質し、CIAから権限を奪っている。イギリスでは、もともと諜報機関が軍の一部であり、国際部門は軍事情報部第6課(MI6)、英国内部門は軍事情報部第5課(MI5)となっている。

 問題は、諜報機関や特殊部隊がテロ撲滅に励むふりをして、実はテロを利用して政治力を増大させようとする政治家のために、テロ組織を裏の裏から操ってテロを誘発しているのではないか、といった疑惑があちこちから出ていることである。

 この疑惑は以前の記事「アルカイダは諜報機関の作りもの」にも書いたが、最近ではイギリスの与党国会議員が「イギリスの諜報機関は以前からアルカイダとつながっているため、彼らによるロンドンのテロに対する捜査は信頼できない」と指摘する論文をイギリスの新聞に掲載している。(関連記事

▼ネオコンと英諜報機関はぐるだった

 さらに問題を複雑にするのは、諜報機関を使って謀略をやろうとする勢力が、国家の上層部に複数いて、それぞれが諜報機関の一部と結託しつつ相互に対立する、というような事態が、アメリカやイギリスで起きているのではないかと感じられることである。このことは以前の記事「政治の道具としてのテロ戦争」でも触れた。

 ブッシュ政権は、イラク戦争に突入する過程で、イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を開発していると主張する根拠として「イラクは核兵器を作るため、アフリカのニジェールからウランを購入した」と指摘し、その根拠としてニジェールからイラクへのウラン販売の契約書の存在がマスコミに流れた。この契約書は、イギリスの諜報機関が入手したものとされたが、ニジェール側の署名者がすでに退任していた大臣名であるなど、少し詳しい人が見たらニセモノと分かるようなものだった。(関連記事

 ブッシュ政権はこの契約書を本物であると主張してイラク侵攻を挙行し、後になって実はイラクは大量破壊兵器の開発などしていなかったとバレたとき、この契約書もニセモノであることが確定した。アメリカの威信は失墜し、その後イラクが泥沼状態に陥るにつれ、世界的に反米意識が強まり、アメリカは外交力を低下させた。

 ブッシュ政権は、ニジェールの契約書のほか、イラクが購入した大量のアルミニウムパイプについて「核兵器を作る遠心分離器の材料である」と間違った主張をするなど、イラクが大量破壊兵器を開発しているという主張の根拠はすべて間違いだったが、間違いの情報の多くは、もともとイギリスの諜報機関がねつ造し、それをブッシュ政権中枢のネオコンの人々が、ブッシュの御前会議で「確固たる証拠」として上程して政権の方針に組み込んだ。その結果、アメリカは自滅的な覇権の喪失を引き起こした。

 こうした経緯からは、アメリカの中枢だけでなく、イギリスの諜報機関の中にも、アメリカを自滅させようとする勢力が存在すると考えられる。彼らの米英共同作戦によって、アメリカはウソを基盤に戦争を開始し、戦況が泥沼するとともにウソがバレてアメリカは覇権を自滅的に失い、世界は多極化しつつある。

▼ブレアの英米中心主義を破壊する諜報機関

 イギリスは伝統的に、アメリカとヨーロッパの架け橋として存在することが、世界の中で有利な地位を維持するための戦略である。イギリスにとっては、欧米が協調して世界の中心であることが最善であり、アメリカが自滅してロシアや中国が強まり、世界が多極化するのは困る。

 そこでブレア首相は、自らが臨時的に欧米協調体制の中心になり、アメリカと独仏やオーストラリアなどの間を改めて取り持つ動きをしようとした。だが、そのとたんに7月7日のテロ後の混乱や、その後の誤認殺害事件が起こり、ブレアは世界を主導する前に、国内から湧き起こる非難に対処せねばならなくなった。

 すでに書いた誤認殺害事件の分析から分かるように、ブレアが窮地に陥る原因を作ったのは、イギリス軍の諜報機関の中に、過失にしてはひどすぎる失態を行う勢力がいたからである。

 アメリカでは、イラク侵攻はネオコンなど高官たちが間違った情報を信じる過失を犯した結果だという「過失論」が強いが、イギリスでも同様に、誤認殺害事件などの不祥事は、当局者の過失の結果であるというのがマスコミの分析の主流である。しかし私は、過失に見せかけた内部からの破壊行為であり、その目的は英米の大資本家が求める世界多極化なのではないかと疑っている。(世界多極化と資本家の関係についてはこちらを参照)

▼イラクでの英軍の評判を故意に下げた襲撃事件

 誤認殺害事件と同じ構図と思われる事件は、最近イラクでも起きている。

 9月19日、イギリス軍が展開しているイラク南部の都市バスラで、イギリス陸軍の特殊空挺部隊(SAS)の兵士2人が、イラク警察に逮捕された。2人は、アラブ人の服装を着て、自家用車に乗ってイラク警察の警察署の近くで停車していた。偽装した英軍兵士とは知らず、イラク人警察官が不審に思って2人を尋問しようとしたところ、2人が発砲したため銃撃戦となり、結局2人はイラク警察に逮捕され、勾留された。2人が乗っていた自動車からは、爆発物や対戦車砲、探知機類などが見つかった。(関連記事

 同僚2人が逮捕されたと知ったイギリス軍の特殊部隊は、2人が勾留されていると考えられた警察の拘置所と近くの民兵拠点に装甲車を突っ込ませて壁を破壊するなどして襲撃し、2人を救い出した。バスラのイラク当局者は激怒し「今後はイギリス軍に協力しない」と宣言し、裁判所は2人に対する正式な逮捕状をイラク警察に対して発行し、市内では市民の反英デモが繰り返された。(関連記事

 イラク南部では、イラク警察組織の中にシーア派のゲリラが紛れ込み、警察がゲリラを取り締まろうとすると先手を打って脅し、警察をゲリラより弱い状態にしておこうとする動きがあるとされる。イラク警察を強化して自国軍の負担を軽減したいイギリスは、イラク警察とゲリラとの関係を特殊部隊に偵察させているうちに、イラク側に見つかってしまったのが今回の事件ではないかとする分析がある。(関連記事

 しかし理由はどうあれ、これまで米軍に比べて地元民との関係が良かったイギリス軍は、この事件によってイラク側の信頼を一気に失い。イラク側に治安維持を任せてイラクから撤退していこうとするブレア政権の戦略は破綻した。こうした対価を払う行為としては、留置場に対する英軍の襲撃はあまりに稚拙だった。(関連記事

 英政府は、イラク側に拘束された2人の特殊部隊要員は、イランからイラクのゲリラへの武器密輸を監視していたのであり、怪しいことはしていないと発表したが、これはイギリスが今ちょうど核兵器開発疑惑を使ってイランを敵視する戦略をとっているため、それに合致するように話を作った可能性があり、にわかには信用しがたい。(関連記事

 イラク側との信頼関係の維持を重視するなら、英側は政治的な交渉によって2人の引き渡しを実現するべきだった。これもまた、特殊部隊による故意の失敗の結果、イギリスの国益が無駄に損なわれた事件である可能性がある。

 これらの損害を受けた後、ブレア首相は、アメリカの自滅的な単独覇権主義(隠れ多極主義)に逆らわない方が得策だと思い知った可能性がある。ブレアは9月26日、ニューヨークで行われた会議で、地球温暖化を防ぐための京都議定書に対するこれまでの賛成をひるがえし、京都議定書は世界的な合意に達することができないのでやめた方がいいと表明した。(関連記事

 地球温暖化問題は、ブレアが欧米中心の国際秩序を復活するために推進する対象として選んだ国際的なテーマだったが、京都議定書に反対してきたブッシュが全く態度を変えないため、このテーマで攻めることをやめ、ブッシュにすり寄ることにしたようだ。ブレアにとって地球温暖化は、アメリカとの政治的な駆け引きの材料にすぎなかったのである。

▼国家の理論と資本の理論

 以前の記事にも書いたが、欧米中心主義(国際協調主義)は、アングロサクソン人を中心とする欧米人による「人種の理論」、もしくはイギリスやアメリカが世界の中心であり続けることを目指した「国家の理論」である。

これに対し、英米の上層部に存在するもう一つの方針である多極主義(中国やロシア、ブラジルなどを大国にする戦略)は、まだ経済発展していないところに発展をもたらすことによって投資家が儲けるという「資本の理論」である。

 世界の運営方法に関するこの2つの方針の対立は、産業革命によってイギリスが世界の中心になって以来、200年以上にわたり、ずっとイギリス(と、その後世界の中心の座を引き継いだアメリカ)の上層部に存在してきた観がある。

 古くは第一次大戦の前後、世界の植民地に広がった「民族主義」をめぐる問題が、それに関係している。イギリスなど欧州の宗主国の支配から離れて独立したい、と望む民族主義は、自由を重視する欧州の思想を植民地の人々が吸収した結果、自然に強まったものとされている。

 しかし、たとえばイラクでは、1920年に最初にイギリス軍がオスマントルコ帝国から領土を奪ってイラクを建国した後、地元の諸勢力をあまりに弾圧した挙げ句、宗教心が強い地域であるファルージャやナジャフで暴動が起き、イラク民族主義を逆に煽ってしまったという歴史がある。(関連記事

 これはイギリスの「失策」と考えられているが、2003年のイラク占領後、アメリカはファルージャとナジャフで、住民の怒りを扇動するような政策を展開し、80年前のイギリスと同じように、イラク人の反米民族意識を煽る結果になっている。どうも私には、約80年の間をおいて行われた英米の2つの「失策」の繰り返しは、失策ではなく故意にイラク人の民族主義を煽るという、隠れ多極主義者の戦略ではないかと思われる。(関連記事

▼中国を応援する米の多極主義者

 第一次大戦で欧州が自滅的な相互破壊行為を行ったのも、隠れ多極主義者が動いた可能性がある。この戦争について歴史家は、いろいろと曖昧な説明をしているが、長期化した原因がよく分かっていない。大戦後、世界の中心は、疲弊したイギリスから新天地アメリカに移ったが、これは欧米中心主義者による次善の対抗策だったのかもしれない。

 第二次大戦後も、国連安保理の常任理事国の五大国制度は、多極主義のにおいがする半面、その後の冷戦の勃発と持続は国連の力を弱め、代わりに西欧諸国がソ連の脅威に対抗してアメリカの傘下に入らざるを得ないという、アメリカ中心の欧米協調体制を作り出した。

 そして、この冷戦体制に風穴を一つ開けたのが1972年のニクソン大統領の中国訪問だった。その後いったんアメリカの対中政策は冷戦派が奪回したもののの、結局7年後にアメリカと中国は正式に国交を正常化し、それと同時にトウ小平の改革開放政策が始まり、中国が今のように強くなっていく路線が敷かれた。世界多極化の一環である中国の大国化は、アメリカがトウ小平に持ち掛けて実現したもので、その先鞭をつけたのがニクソン訪中だったのではないか、というのが私の読みである。(関連記事

 ニクソンの外交政策を立案したキッシンジャー元補佐官は、今では毎年中国を訪れ、北京の指導者たちにいろいろとアドバイスしている。キッシンジャーはアメリカの大資本家ロックフェラー家の政策大番頭であり、多極主義派の代理人であると考えられる。(関連記事

▼何も知らない日本人

 このように、どうやら世界は英米の中枢における欧米中心主義者と多極主義者のせめぎ合いや化かし合いによって動いている部分が意外と大きいようなのだが、戦後の日本では、こうした世界の仕掛けが全く読み取られておらず、日本人の多くは、欧米中心主義だけが世界を動かす戦略であると今でも勘違いしている。

 米中国交正常化と改革開放が連携して行われていることなどから、中国ではトウ小平ら共産党首脳が世界の仕掛けをある程度把握していると思われる。それに比べ、日本は世界理解のレベルが低い。

(日本が無謀な第二次大戦に突っ込んだのは、世界の中心がイギリスからアメリカに移転したことを、当時の日本の上層部がほとんど気づいていなかったからで、そう考えると、日本人は戦前から世界の仕掛けを知らなかったことになる)

 私自身、アメリカの中枢で多極主義者が動いていると感じ始めたのは、イラクが泥沼化したころからのことでしかないが、今年に入って世界の多極化傾向は、ますます拍車がかかっている。日本にも、この傾向を研究する人が政府や学界の中に増えていかないと、日本人は戦後営々と蓄積した富を、今後短期間のうちに失う結果になりかねない。



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