静かに進むアジアの統合2003年7月18日 田中 宇6月21日、タイのチェンマイで、ASEAN加盟の東南アジア諸国と日本、中国、韓国、インド、パキスタンなどの代表が集まる国際会議「アジア協力対話」が開かれた。この会議では、日本銀行を含むアジアの中央銀行が手持ちのドル(外貨準備)を出し合って「アジア債券基金」(アジア・ボンド・ファンド)を新設し、アジアの企業などが発行したドル建て債券を買う「アジア・ボンド構想」を推進することを決めた。(関連記事) この「アジア協力対話」は昨年、タイのタクシン首相が提唱して始まったが、日本ではあまり大きく報じられていない。アメリカや中国といった大国が提案して始めたことなら注目を集めるだろうが、東南アジアが世界を大きく動かすとは考えにくい、というニュース判断なのかもしれない。また扱っているのが、債券という専門的な金融分野のほか、中小企業育成、環境教育、法制度の整備など、地味なテーマが多いということもある。 ▼アメリカの黙認 ところがこのアジア協力対話は、長期的に見ると、日本や中国を含むアジアの東半分の国際関係を大きく変えいていく可能性がある。これまでのアメリカを中心に動いてきたアジアが、アジア地域内での自主的な関係に転換していく可能性がある。別な言い方をすれば、アジア諸国の統合が進む可能性がある、ということである。 その兆候はすでに「アジア・ボンド構想」の中に表れている。これまで、日本や中国、韓国、東南アジアなど東アジア諸国のほとんどは、アメリカに商品を輸出する代わりに、その代金収入でアメリカの国債などの金融商品を買い、アメリカから受け取った金をアメリカに戻すというかたちで経済を動かしてきた。(関連記事) ところが「アジア・ボンド構想」は、こうしたアジアとアメリカとの間の資金還流を断ち切ってしまう可能性がある。アジア・ボンド構想の背景には、アジアの投資家がアジアの債券を買えるようにする、という「アジア内での資金回転」の推進があるが、これは裏を返せばアジア人がアメリカに投資する額がその分だけ減ることになる。 アメリカは、クリントン時代には財政赤字を減らしたが、ブッシュ政権になってから「テロ戦争」を名目とした軍事費急増や景気の悪化により、再び財政赤字が急増している。財政赤字の増加は、米国債の発行などによって行われる。 今のところ、アジア諸国が十分に米国債を買っていることがブッシュ政権の財政赤字の急増を可能にしているが、アジア諸国が米国債を買わなくなったら、米当局は国債の金利を上昇させて売りさばくしか手がなくなる。国債金利の上昇は、金利全体の上昇につながり、金利が上がると企業がお金を借りにくくなり、ますます不景気が進んでしまう。そう考えるとアジア・ボンドの創設は、アメリカにとって国家存亡の危機を招きかねない動きだといえるが、アメリカ政府からは特に反対が出ていない。 ▼アジア経済統合、構想の歴史 アジア諸国が経済統合しようとする動きは、各種のアメリカ批判の発言で知られるマレーシアのマハティール首相が1990年に「欧州のEUや北米のNAFTAに対抗し、アジアにも経済ブロックを作るべきだ」として「EAEC」(東アジア経済協議体)を提唱したあたりから始まった。だがアメリカはEAEC構想に猛反対し、日本と韓国に対し「マハティールに賛同するな」と圧力をかけて動かし、構想を潰してしまった。 アメリカは、自国はカナダやメキシコとNAFTAを結び、その南の中南米諸国に対しても各国の政権が親米であり続けることを画策し、中南米にヨーロッパやアジアの企業が入ってくることを好まない傾向があるが、その一方でアジア圏のブロック化には反対してきた。 その後、1997年のアジア経済危機に際してIMFが東南アジアや韓国に対してとった救済策が、救済になるどころか人々の貧困や倒産を増やしてしまったと非難され、その議論の中から「アジア版IMF」(アジア通貨基金)の構想が生まれたが、これまたアメリカの反対で実現が見送られた。 1997年からは、ASEANに日本、韓国、中国の3カ国が加わった「ASEAN+3」の首脳会議が毎年開かれ、1999年末の段階で、自由貿易地域(FTA)の構想や、アジア域内の政治経済の協力関係を強化するさまざまな会合が創設され、首脳どうしの交流から、実務的なアジア諸国間の関係強化の動きへと深化した。(関連記事) マレーシアの外務大臣は2000年3月の段階で「EAECの構想は、ASEAN+3という名前で実現されている」と述べている。だがその時点では、ASEAN+3の動きをもって「アジアがEUのような統合に向けて動いている」といえないのではないか、関係強化と統合は違う話だ、という考え方が支配的だった。「日本が積極的に参加しない限りアジアの統合はありえないが、日本はアメリカの意向に逆らうつもりは全くなく、アメリカが反対している限り、アジアの統合は進まない」という意見もあった。(関連記事) ところが2000年から2002年にかけて、アメリカ自体の経済成長が不景気に入り、おぼつかない状態となるのと同時期に、アメリカはアジア統合の動きを黙認する態度に転じた。アジア協力対話の議論では、6年前にアメリカが猛反対したアジア版IMFの構想が復活しているが、アメリカはこの動きに反対していない。また日本と韓国、中国の3カ国で自由貿易協定(FTA)を結ぶ構想も、韓国の盧武鉉大統領らが打ち出している。 アジア・ボンドは、今はアメリカへの気兼ねからかドル建てで運営されているが、将来はドルではなく、日本円や中国人民元、韓国ウォン、タイバーツなど、複数のアジア通貨を加重平均した「アジア通貨バスケット」を作り、その通貨建てで運営する体制を作っていく構想になっている。こうなると、アジアからアメリカへの資金還流が減るばかりでなく、ユーロをスタートさせたヨーロッパと同様、アジアがドルに対抗するかたちの地域通貨を生み出すことにつながりかねない。 ▼アメリカ市場だけでは世界を支えられない 今後、アジアの経済統合がもっと進展したら、ある時点で再びアメリカがそれを潰しにかかるのかもしれないが、そうした可能性とは逆に「アメリカ市場が単独で世界経済を支える従来の構造は間もなく破綻しかねず、ヨーロッパとアジアを市場として強化させる(消費額を増やす)必要がある」という主張もある。アメリカとアジア、ヨーロッパが均等な消費市場となるように世界経済を再編する必要がある、ということだ。(関連記事) アメリカ市場が飽和状態で、今後は従来のようにアジアが作った商品をどんどん輸入して消費できる態勢ではなくなる可能性は大きい。今は米当局が金利を下げ、ローンで商品を買う米国民の傾向に拍車をかけて消費させているが、これは一時的な対策でしかない。「アジアが作った工業製品をアメリカが買う。アメリカが発行した金融商品をアジアが買う」という相互依存は、もうあまり将来性がない。 アメリカは、アジアの経済統合を認める代わりに、アジアがアメリカ市場に頼らなくても経済成長していける(つまりアジア内部の市場を開拓していく)ようにして、その一方で為替を今よりかなりドル安に持っていき、アメリカの製品がアジアやヨーロッパでも売れるような態勢にしてアメリカ経済を救う、というシナリオなのかもしれない。ドルは、すでにユーロに対してはかなり値を下げているが、中国人民元はドルとの為替が固定制(ペッグ)になっている。 最近、アメリカとヨーロッパが結束し、中国人民元や日本円などアジアの通貨が安すぎるとの批判を強めているが、これはアジアを従来のような輸出一辺倒の地域ではなく、輸入もたくさんする地域に変質させようとする新戦略の一環だと思われる。 18世紀のイギリス産業革命以来、世界経済は、世界のどこかが経済成長し、そこに世界からの投資が流入する、というかたちをとり続けないと破綻してしまう。アメリカに期待できないなら、他の地域に期待するしかない。アメリカ人を含む世界の大資本家たちはそれを知っているから、ホワイトハウスを席巻する中国嫌いの単独覇権主義者たちを抑えつけ、中国を中心としたアジア経済の活性化を推進しようとしているように見える。 アメリカはブッシュ政権になってから、数百人(報道によっては数十人)しか勢力がいないフィリピン南部ミンダナオ島のイスラム過激派「アブ・サヤフ」を「手ごわいテロリスト集団」とみなし、米軍を派遣して「テロ戦争」を繰り広げたが、その真の目的は、クリントン時代に基地を閉鎖して撤退したフィリピンに再び米軍の拠点を作り、中国包囲網の一環としたいということだったと思われる。(関連記事) だがイラク戦争が終わった後、マレーシアにミンダナオの和平交渉の仲介をゆだね、問題を話し合いで解決しようとする流れが始まり、アメリカもそれに協力している。このことから、軍事面でも、アメリカはアジアを不安定にする戦略を止めたように見える。(関連記事) 北朝鮮に対するアメリカの戦略については、判断が分かれるところだろうが、私は「アメリカは北朝鮮を対話の席につかせるために脅しているが、本当に先制攻撃することはないのではないか」と考えている。(関連記事) 日本、中国、東南アジアといったアジア諸国はすでに、アメリカへの輸出代金の蓄積がふくれ上がり、世界のドル保有の7割を持つ状態になっている。アメリカの貿易赤字は減っておらず、アメリカがドル札を刷り続けることだけでこの事態に対応し続けると、ある日突然ドルに対する世界からの信頼が失われ、ドルが暴落する破局を招くかもしれない。ドル暴落を防ぐには、欧州のユーロのような広域通貨をアジアにも作り、アジアの資金がアメリカに流入せず、アジア通貨建てで運用されるのが良い。そう考えると、アジア通貨バスケットが作られることは、むしろアメリカにとって望ましいということになる。(関連記事) ▼アジア統合の中心は中国 このように、今やアメリカもアジア統合を望んでいるふしがあるのだが、その際にアメリカが考えているのは「中国を中心とするアジア統合」である。「日本中心」ではない。日本は第2次大戦でアメリカに負けた後、自前の外交(対外覇権の拡大)を行うことを止め、外交や防衛は全部アメリカの意見に従うことにする代わりに、天皇制や官僚制度など戦前からの国家体制を維持することをアメリカに許してもらった。 そのような経緯があるため、戦後の日本に国際的な主導権の発揮を求めることは、もとから無理がある。1980年代以降、日本が世界的な経済大国になったのに、外交の世界ではほとんど主導権を発揮しなかったのは、そのような歴史的な経緯が関係していると思われる。 日本に国際的な主役を任せられない以上、アジア統合の構想は、中国に推進してもらうしかない。10年前には、中国はまだ国内経済の発展が至上課題で、消費市場としても期待できなかった。だが今や中国には、沿岸部の大都市を中心に、それなりの収入を持った中産階級が誕生している。中国は工業製品の質もかなり向上させてきた。日用雑貨や衣料品はすでに世界的に通用するものを作っているし、工業製品の分野でも中国製品は買われ始めている。そして中国は今後もまだ経済成長を続けそうなので、投資先としても魅力がある。 先日、インドの首相が中国を訪問し、チベット問題や国境紛争など両国が対立してきた問題を解消し(インドはチベット人の運動を見捨て)中印間の経済関係を強化する方向に進みだした。これは、中国とインドの企業が相互に製品を相手先に売り込み、相互に投資する関係を強化しようというもので、アジア統合策の一環である。(関連記事) 先週、ミャンマー(ビルマ)に関する記事を書いたが、その件で当初私が考えたのは「インドと中国、東南アジアの3地域の間に位置するミャンマーの安定がアジア統合には不可欠なのに、何でそういうときにミャンマー軍事政権がアウンサン・スーチー女史を拘留するという不安定化の方向の事件が起きたのか。何かわけがあったに違いない」ということだった。(1週間調べたが、結局裏の事情は分からなかった。今後いずれスーチー女史が釈放されたら、分かるかもしれない。書く時期が早すぎた) 「中国がアジアを統合する」と聞くと「いずれアジアの人々はすべて、今の香港市民のように、民主主義的な自由を奪われて絶望させられるのか」「日本人は、南京大虐殺など過去の問題で永遠に中国からいじめられ、土下座させられ続け、市民の神社参拝も軍国主義の発露とみなされて禁止されるかもしれない」といった懸念が湧くかもしれない。日本だけでなく、韓国やベトナム、モンゴル、東南アジア諸国など、中国近隣の諸国は全般に、中国が強大になることに対しては何がしかの不安を抱いている。 このような不安に配慮してか、中国が主導しているふしがある最近のアジア統合の動きは、中国自身が前面に出ないような仕掛けになっている。たとえば「アジア協力対話」はタイのタクシン首相の提案だが、タクシンは雲南系の華人2世で、中国からタイ(華人のビジネスマンが多い)を通ってシンガポール(華人中心の都市国家)にいたる「大中華圏」を構想していると指摘されている。中国は隠然とした外交を好むので、タクシン政権と中国政府がどの程度結託しているかは見えないようになっているが、中国はタクシンの提案を強く支持している。 一方、マレーシアのマハティール首相はマレー系のイスラム教徒であり、マレーシア国内でマレー系の国民を豊かにするために、人口の3割を占める中国系(商人が多い)を、むしろ抑圧してきた感がある。しかし、国内的なそういう顔とは裏腹に、マハティールはEAEC構想を打ち上げて以来、中国が台頭してアメリカのアジア一極支配に楔を打ち込んでくれることを期待しているように見える。(マハティールは1980年代には日本に国際的な主導権発揮を期待していたが、日本が乗り気でないのを見てあきらめた) マハティールは同時に中東などイスラム世界とのパイプも太く、米ドルによるアメリカの支配に対抗するため、イスラム諸国が金本位制に基づく新通貨「ゴールド・ディナール」を決済機能として持つべきだという構想を提唱したりしてきた。中国の方を向いているタクシンと、イスラム世界に強いマハティールが連動している東南アジアは、アジア統合が画策される拠点としてふさわしいともいえる。(関連記事) ▼日中関係と韓国、台湾 最近、東アジアでタイのような「中国に支持された提唱役」を演じ始めているように見えるのが韓国である。韓国の盧武鉉政権は、日本と中国の橋渡しをしようとしていることが感じられる。中国は最近、上海と北京を結ぶ高速鉄道システムに、ドイツのリニア方式ではなく日本の新幹線方式を採用することに傾くなど、日本に気をつかった政策を打ち出している。(関連記事) だが、中国主導のアジア統合に対しては、日本の側に抵抗感が強い。「日本の方が先に経済発展したのに、中国に抜かされる」という抵抗感がある。小泉政権は昨年から、靖国神社の代替施設を建設する構想を持ち出すなど、中国に配慮した政策をとろうとしたが、これに対しても日本国内で世論の反発がある。 日本と中国の2国間関係を好転させるのは従来から難しかったので、韓国を含めた3カ国にすることで打開策を見い出し、韓国のアジア内での立場も強化できる、というのが金大中以来の韓国の対日戦略であるように思われる。中国と韓国が結託し、東南アジアもその仲間になり、アメリカも遠くからそれを静観しているような事態になったら、日本人も考えざるを得ない。「ASEAN+3」の事務局をどこかに置こうという構想が取り沙汰されており、それがソウルに置かれる可能性もある。 アジアの経済統合は、他の点でも「中国の覇権」という色合いを避けている。アメリカ主導の覇権とは異なり、EU型に近い。アジアの共通言語は中国語ではなく英語になっており、この傾向は中国がさらに台頭してくる今後も変わらないだろう。ヨーロッパでも共通言語は英語である。アメリカが自分の国の母語である英語を使って世界覇権を維持しているのとは趣が違う。 アメリカは自国の通貨であるドルをそのまま世界の通貨にしたが、EUは参加各国の通貨をバスケットした新通貨ユーロを作り、時間をかけてそれを単一通貨にしていった。それと同様に、アジアでも基軸通貨は中国人民元でも日本円でもなく、アジア諸通貨をバスケットした「アジア通貨バスケット」が国際決済に使われるようになることを目指している。 アメリカがアジアから引いたら、中国は態度を変えて本性をあらわすのかも知れないという不安もある。だが、今のように中国が前面に出てこず、中国の大国としての威圧感や嫌らしさを日本など他のアジアの人々が感じずにすむ仕掛けがしてある限り、たとえアジア統合の糸を引いているのが中国だとしても、従来のアメリカによるアジア支配に比べ、今後のアジア統合は、日本人にとっても不快なものにはならないのではないかと思える。 むしろ、今後アメリカの一極支配が後退してアジア経済が統合していく中で、日本人が創造性やビジネス感覚を再び発揮し、アジアで新しいビジネスチャンスをつかむにはどうしたらいいかを考えることが重要になってくる。アジア統合の進展速度は、アメリカ中枢やアジア諸国間の政治動向に大きく左右される。アメリカでタカ派の力が再び強まればアジアの統合は阻止されるだろうが、ドルに対する国際信頼が揺らぐような事態になったら、その反動でアジア統合が急進展するかもしれない。これまでのような速度で今後も進むなら、1−2年間で大きく進展することはなく、まだ時間はある。 アジアからアメリカが手を引く傾向が始まり、中国の隠然たる影響力が拡大したとき、国際的に問題になりそうなのは台湾のことである。台湾はすでに民主的な政治体制を持ち、中国の妨害によって国際的に国家として十分認知されていないだけで、すでに立派な民主国家になっている。中国は、台湾の民主主義を損なわないかたちで問題を解決せねばならない。そうしないと、日本を含む周辺諸国の中国に対する懸念が増し、アジアの統合そのものを進めにくくなる。
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