サウジアラビアとアメリカ(下)2002年12月9日 田中 宇この記事は「サウジアラビアとアメリカ(中)」の続きです。 アメリカのテキサス州クロフォードに、ブッシュ大統領一族の私邸と牧場がある。ここはアメリカにとって、いや人類にとって特別な場所である。現在のブッシュ政権になってから、ここに招待されて一族とともにバーベキューを楽しむことができた世界の要人は、イギリスのブレア首相、ロシアのプーチン大統領など、アメリカと特別な関係にある大国の最高指導者だけである。日本の小泉首相も、まだクロフォードには呼ばれていない。 今年10月末、中国の江沢民主席が訪米したが、それに先だって中国側は、ブッシュが江沢民をクロフォードの私邸に呼んでくれるよう、アメリカ側に強く要請し続けた。結局、江沢民は私邸に招待されたものの、中国側が要請した一泊の滞在ではなく、日帰りの日程で4時間だけの滞在だった。 アメリカはブッシュ政権になってから中国を敵視する傾向が強いが、中国側は何とかしてこの敵視政策を取り下げてもらい、クリントン政権の後半のような親密な米中関係に戻したいと思っている。中国側は、江沢民がクロフォードに呼ばれたことで、米中間の親密さを強調できたが、アメリカ側は私邸への宿泊を認めないことで「中国は敵ではないが、親密な同盟国でもない」という状態を示した。台湾の新聞記事は、江沢民がブッシュ家の牧場に滞在する時間が短いことを指摘し、この滞在が米中の急接近を示唆するものではないと分析している。 このように「誰が呼ばれたか、呼ばれなかったか」に国際情勢が象徴されるクロフォードの牧場に、以前からしばしば呼ばれてきた人々がいる。それは、サウジアラビアの王室サウド家の人々である。今年4月には、サウジの執政者であるアブドラ皇太子がクロフォードに呼ばれているし、ブッシュが夏休みをとっていた今年8月には、サウジの駐米大使であるバンダル王子がクロフォードに呼ばれ、バーベキューを楽しんでいる。(関連記事) ブッシュ家とサウド家のつながりは、現ブッシュ大統領(ジョージ・W・ブッシュ)の父親である元大統領(ジョージ・H・ブッシュ)が石油会社を経営していたことに始まっている。1970年代には、すでにブッシュ家はサウド家と親密な関係をスターとさせており、1978年に息子のジョージ・Wがビジネススクールを卒業し、父親の庇護のもとで自分の石油会社「アルブスト・エナジー」をテキサス州に設立した際には、サウド家の大番頭だったビンラディン家から出資を受けている。 ブッシュ家とサウド家のつながりは、サウジアラビアが石油収入の一部を、欧米の石油会社などを経由してアメリカの政界に政治献金として流していたことと関係していた。ブッシュ家は、油田の利権などのかたちでサウジアラビアから間接的な政治献金を受け、これを使って政界での影響力を拡大して大統領を2人も当選させ、サウジアラビアにとってプラスとなるような中東外交を展開するという相互扶助が、両家の親密さにつながり、ひいてはアメリカとサウジアラビアの国家関係の親密さにつながっていた。 ▼「サウド家をアラビアから追い出せ」 ところが昨年の911事件以来、こうした両国間の親密な関係が危機に瀕している。サウド家の大番頭だったビンラディン家の子息であるオサマ・ビンラディンが、911事件の「黒幕」であるとされた上、911のハイジャック実行犯19人のうち15人がサウジアラビア人だったとされているため、サウジは「テロの温床だ」と批判されるようになった。こうした批判は、ウォールストリート・ジャーナルなど、アメリカのタカ派(ネオコン)系のマスコミやシンクタンクで始まり、米マスコミ全体に広がっていった。 今年7月には、アメリカのタカ派系シンクタンク「ランド研究所」の研究員が「サウド家をアラビアから追い出せ」(Taking Saudi Out of Arabia)と題する報告書を作成した。報告書は「イスラム原理主義のテロ組織に資金援助しているサウジアラビアこそ、テロ組織の中枢であり、アメリカにとって最も危険な敵である。米政府は、サウジにテロ支援を止めるよう最後通牒を突きつけ、サウジが従わない場合、資金源を絶つために、サウジの油田や在米資産を没収してしまうべきだ」と主張していた。(関連記事) アメリカがサウジの「油田を没収する」ということは、米軍がサウジに軍事侵攻して油田地帯を占領するということを意味している。箇条書きになっている報告書の末尾には、中東における戦略提案として「(アメリカにとって)イラクは戦術的な要所、サウジは戦略的な要所。そしてエジプトは戦利品である」(Iraq is the tactical pivot. Saudi Arabia the strategic pivot. Egypt the prize)という文言が書かれており、アメリカがイラクのフセイン政権を転覆できたら、次はサウジの「油田没収」に取りかかるべきだ、といった論調になっている。(関連記事) この報告書は、ランド研究所のロラン・ムラウィエ(Laurent Murawiec)という人が書き、国防総省の「国防政策委員会」に対して提出された。この委員会は、政権内のタカ派(ネオコン)の思想的な中核を担っているリチャード・パールが委員長を務めている。(関連記事) 報告書が米政権の内外で大きな物議を醸したため、ランド研究所はその後「報告書はムラウィエが個人的に作ったもので、研究所が組織として認知したわけではない」と釈明した。ムラウィエ自身、それまでほとんど無名だったため、この報告書は形だけランド研究所で作られたことにして、実際はパール委員長らネオコン勢力が、自らの戦略に対するワシントンにおける反応を試す観測気球として、この報告書を世に出したのではないか、と見る向きもある。(関連記事) ▼米中枢への影響力を競ったサウジとイスラエル 今年11月に入ると、サウジアラビア王室が911のハイジャック実行犯の関係者に対して資金援助していたのではないか、とする疑惑が持ち上がるなど、その後もアメリカとサウジの関係を悪化させる方向で事態は進んでいる。 こうした関係の悪化からは、以前にはサウド家と仲良くしていたブッシュ家が、911事件によってサウド家から裏切られた、とみることもできる。だが、最近書いた記事で説明したように、911事件の実行犯らテロリストをアメリカ当局の一部が「養成」してきた可能性を加味して考えると、アメリカ政権内部のタカ派(ネオコン)が、アメリカに対して影響力を持ちすぎているサウド家をおとしめようとして、現在の関係悪化の流れを演出しているのではないか、とも思える。 そう考えられる背景として、サウジアラビアとイスラエルが、アメリカの政権中枢に対する影響力を競ってきた経緯を指摘することができる。 ことの起こりは1970年代末に始まる。1979年にソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、これを撃破するためにアメリカとサウジアラビアがアフガニスタンのイスラム教徒ゲリラ(ムジャヘディン)を支援する体制が始まった。 同じ年にはイランでイスラム革命が起こった。シーア派イスラム教徒の国であるイランは、反米イスラム主義を掲げ、中東各地のシーア派を反米主義のゲリラ闘争に扇動するようになった。 スンニ派の大本山であるサウジアラビアは、これに対抗してスンニ派のイスラム原理主義を広げる動きを開始したが、これはアメリカにとっても「シーア派の反米イスラム主義を、スンニ派の親米イスラム主義と戦わせて弱体化させる」という意味で好都合だった。こうして、ソ連とイランという2種類の反米勢力と戦う、アメリカとサウジアラビアの共闘態勢ができあがった。 一方、1980年に始まったアメリカのレーガン政権に親イスラエルのネオコン勢力が入り込んだ。イスラエルは、米共和党内のキリスト教右派勢力に対して「聖地エルサレムの確保」のためにイスラエルに協力してほしいと売り込んで成功し、米政権内におけるイスラエルの影響力が強まった。 イスラエルには中東各地から移住してきたユダヤ人がおり、彼らが収集・分析する中東情勢の詳細な情報は、アメリカの中東政策に欠かせないものとなった。ユダヤ系の人々は「聖書」以来の民族性で、古くから情報を扱うことが非常に上手で、アメリカでも金融からマスコミ、政治コンサルタント、学界まで、幅広い分野で情報産業にたずさわり、主導的な役割を果たしている。 情報というものは、使い方によっては強力な武器となる。マスコミの論調一つで政治家の権威を失墜させられる。大統領が関与していたキャンダル情報を得ることができれば、それを大統領にうまく突きつけ、アメリカの外交政策を動かすことも不可能ではない。アメリカ中枢で、サウジアラビアが「石油」を武器に影響力を拡大したのに対し、イスラエルは「情報」を武器に影響力を拡大したと考えられる。 ▼切り札だったガス田開発 サウジとイスラエルが同時にアメリカ中枢に影響力を拡大した状態は、1990年の湾岸戦争の後、変質し始めた。湾岸戦争後、ペルシャ湾岸地域におけるアメリカの軍事的な影響力が拡大し、それまで親米だったサウジアラビアのイスラム主義者たちは反米の度合いを強め、サウド王家の内部でも、親米派と反米派の分裂が感知されるようになった。 イスラエルでは、左派労働党政権が1993年に「オスロ合意」に調印し、いったんはパレスチナ人国家の建設を容認し「平和で小さなイスラエル」を目指すことを決めたが、その後、この政策を実行するといずれアラブ諸国が軍事大国化してイスラエルを潰しにかかるに違いないとの懸念の方が強まり、1996年には「戦争で領土を拡大する大きなイスラエル」を志向する右派リクードのネタニヤフ政権ができた。リクード政権は、アメリカ中枢での影響力拡大を画策することで、アメリカ側がイスラエルのオスロ合意つぶしを黙認せざるを得ない状態を作り出した。 1991年に就任したクリントン政権が、経済グローバリゼーションの世界政策を掲げ、中央アジアでも石油開発などを促進しようと動き出したとき、サウジアラビアはパキスタンとともにこれに協力し、中央アジアからインド洋へのパイプラインのルートにあたるアフガニスタンの内戦を終わらせるため、1994年にアフガン難民の武装組織「タリバン」を結成させた。タリバンがアフガニスタンを平定し、アメリカ側が計画するパイプライン構想が実現すれば、サウジアラビアは再び「石油」でアメリカに恩を売ることができるはずだった。 ところが、クリントン政権は1997年後半、タリバンに対する容認を敵視に切り替え、アフガニスタンをめぐる情勢の中心は、石油がらみの親米的なテーマから、人権侵害や国際テロリストという反米的なテーマに塗り替えられていった。アメリカのためにソ連と戦ったサウジアラビア人オサマ・ビンラディンは、アメリカと敵対するテロリスト勢力の中心にいると指摘され始めた。 こうした窮地を挽回すべく、サウジアラビアの最高実力者であるアブドラ皇太子が1998年に訪米し、アメリカの大手7社の石油会社に対し、サウジアラビアとアメリカの関係を改善するのに手を貸してくれれば、サウジにある未開発の天然ガス田の開発を、アメリカの石油会社に任せてもいい、と売り込んだ。 サウジアラビアでは1975年に石油会社を国有化して以来、外国企業による資源開発を許していなかった。その方針を転換することに踏み切るという、アブドラのこの提案は、石油会社の首脳たちを驚かせるものだった。 当時すでに、アメリカ中枢におけるイスラエルの影響力の拡大と歩調を合わせるかのように、アメリカがサウジアラビアから輸入する石油の割合は減少傾向にあった。1991年には、アメリカが輸入する石油の24%がサウジアラビアからのものだったが、1997年にはそれが14%に落ちていた。アメリカは、サウジに代わって南米のベネズエラからの石油輸入を増加させていた。サウジにとって対米外交の武器だった「石油」の影響力が低下しており、それを挽回するためのガス田開発計画だった。(関連記事) ▼せっかく石油を急送したのに・・・ だがこの逆転作戦も、結局うまくいかなった。2001年に就任したブッシュ政権は、当初は父親のブッシュ元大統領がサウジと親密な関係を築いていたことを継承したものの、911事件の発生とともに、関係は悪化の方向に転がり出した。 サウジの天然ガス開発は、3つのプロジェクトのうち2つについて、米エクソンモービルを中心とする企業体が落札し、巨大なガス田を開発し、パイプラインを作り、天然ガス発電所や淡水化施設まで建設する、総額1000億ドル規模のプロジェクトを開始することが2001年6月に決まった。ところが911事件の発生により、最終契約が見送られたままになっている。 911事件発生の翌日、サウジアラビアは自国のタンカーを使い、OPECの減産協定を破り、アメリカへの900万バレルの石油の緊急搬送を開始した。911事件で経済難に陥る可能性が高まったアメリカに対し、少なくともエネルギー供給はサウジが面倒見るから大丈夫ですよ、というメッセージを込めた、恩の売り込み作戦だった。911事件の直前に1バレル30ドル近かった原油相場は、20ドル以下まで下がった。 だがサウジアラビアは、アメリカのマスコミから賞賛されるどころか、オサマ・ビンラディンが王室に近いサウジ人で、実行犯の大半もサウジ人だという理由で、非難の標的にされることになった。 911事件から2週間後、アメリカの右派系の新聞ウォールストリート・ジャーナルは、ブッシュ家と、サウジのビンラディン家がアメリカの軍事産業への投資を通じて親密な関係であることを暴露し、批判する記事を掲載した。 私はこの記事を見て、共和党寄りのウォールストリート・ジャーナルが、共和党政権であるブッシュを批判する記事を出すことを奇怪に感じながらも「批判記事が出たということは、共和党内でもこの問題への批判がかなり出たのだろう」などと書いた。 ところが、その後ブッシュ政権の中枢で、新しくイスラエル寄りの勢力として登場した右派のネオコンと、旧来からのアメリカの金持ち層の利権を代表する中道派とが、世界支配戦略をめぐって対立していることが判明した。そして、ウォールストリート・ジャーナルがネオコン系のメディアであることを加味して当時の記事を再分析すると、別の側面があることが感じられる。それは、サウジアラビアと親密な関係築いてきたブッシュ家を、911事件後の状況を使ってサウド家と決別せざるを得ない状況に追い込むことで、ネオコンが目標とするイスラエルとアメリカの一体化を推進するために、ブッシュ家とビンラディン家の親密さを暴露したのではないか、という読みである。 中道派の中には、ブッシュ(父)政権の国務長官だったジェームス・ベーカーもおり、彼は今夏、ブッシュ(子)政権の大義なきイラク攻撃に反対を表明してネオコンと対決姿勢を示したが、ウォールストリート・ジャーナルの批判記事には、ベーカーもビンラディン一族と親しかった、と書かれている。これはネオコンによる中道派への攻撃の一環だったのだろう。 ▼石油を通じたサウジ外しの世界戦略 サウジが窮地に追い込まれたのは、これらの面からだけではなかった。得意とする「石油」に関しても、反サウジ的な戦略が展開されることになった。その一つはロシアを使ったものだ。ブッシュ大統領は今年5月にモスクワを訪問し、プーチン大統領との間にエネルギー関係の新協定を結んだ。これによって、これまでアメリカにほとんど石油を輸出していなかったロシアは、数年後にはアメリカが輸入する全石油の10%を占める日産100万バレルをアメリカに輸出するという新しい構想をスタートさせることになった。(関連記事) この構想に対しては、ロシアの石油積み出し施設の現状などからみて実現は難しいと指摘する声があるが、この戦略を推進していると思われるネオコンにとっては、数年後に構想が実現できるかどうかということは問題ではない。ロシアからの石油輸入によって、サウジアラビアからの輸入をゼロにしてもアメリカはやっていける、という絵を描いてみせることで、サウジの石油なしにはアメリカ経済は成り立たない、と主張してサウジとの決別に反対するブッシュ政権内の中道派を封じ込めるのが目的だからである。 同じような石油の戦略は、中央アジアや西アフリカでも始まっている。中央アジア(コーカサス)では今年9月、アゼルバイジャンのバクー油田の石油を、トルコのジェイハン港まで送るパイプラインの建設が始まった。 パイプラインは、トルコまで引かず、途中のグルジアで積み出すという方法もあった。わざわざ遠いトルコまで引っ張ったのは、トルコがアメリカとイスラエルにとって重要な同盟国で、破綻に瀕しているトルコ経済を、パイプライン関連の収入によってテコ入れしよう、という意図があるようだ。遠くまで引っ張ったので、建設費は高くつき、石油の国際相場が1バレル20ドル以上の高値にならないと、このパイプラインは赤字になってしまうという。(関連記事) しかし、サウジ以外の石油を開発することが至上命題である米政権内のネオコンにとっては、建設費が高さは問題ではない。また、このパイプラインを建設する企業体は、中道派のベーカー元国務長官がやっている弁護士事務所が代理人をつとめている。中道派の重鎮にも石油利権の分け前をあげることで、ネオコンはスムーズな「サウジ外し」を目指しているのだと思われる。(関連記事) 西アフリカでネオコンのターゲットとなっているのは、ナイジェリアである。イスラエルにあるネオコン系のシンクタンク「先端政治戦略研究所」が今年7月に発表したレポートには「石油業界で湾岸というと、これまではペルシャ湾岸のことだったが、これからは(西アフリカの)ギニア湾岸のことを指す時代がくる」などと書いている。 同研究所の別のレポートでは、ナイジェリアからアメリカへの輸出量を、現在の日産90万バレルから、5年後にはサウジからの輸入量に匹敵する日産180万バレルを送れる態勢を作ることが可能だ、とした上で、ナイジェリアの石油採掘コストはサウジよりかなり高いものの、米国民が1バレルあたり今よりも3−4ドル多く払うだけで、反米テロリストを養成するようなサウジアラビアから石油を買うのをやめることができる、といった主張を展開している。 世界の石油相場は、サウジアラビア主導で決定され、サウジはOPECを通じて他の産油国も動員するかたちで石油価格の決定に非常に重要な役割を果たしている。ネオコンは、ナイジェリアにOPECから脱退するよう圧力をかけるとともに、OPECに入っていない産油国として最大の国であるロシアにも、サウジ主導による石油価格の決定メカニズムを乱すような行動をとるよう求めている。(関連記事) ▼不発に終わったパレスチナ和平攻勢 こうした親イスラエルのネオコン勢力からの攻撃に対抗するかたちで、サウジアラビア側が打って出た作戦の一つは「パレスチナ和平」だった。サウジのアブドラ皇太子は2002年2月に「イスラエルが1967年の第3次中東戦争とその後に占領した地域から 完全に撤退したら、アラブ諸国はイスラエルの存在を容認し、平和な外交関係を結んで やる」という内容のパレスチナ和平案を発表し、3月末にはこの提案に基づき、アラブ諸国をベイルートに集めて会議を開いた。(関連記事) このアブドラ提案が人々を驚かせたのは、サウジアラビアはそれまで一度もパレスチナ和平に関して表立った主導的な役割をとろうとしたことがなく、いつも背後から隠然とした影響力を行使するスタイルで外交を展開してきたからだった。これまでサウジが隠然とやってきた理由は、アメリカの歴代政権がイスラエルを支持せざるを得ない政治環境に置かれていたため、サウジがアラブ諸国を代表してパレスチナ和平に乗り出すと、せっかく築いた米国政権中枢への影響力が失われてしまう恐れがあったからだろう。 その隠然戦略のはずのサウジが、いきなりパレスチナ和平案を出し、和平交渉のイニシアチブを握った背景には、911事件の後、米政権内の親イスラエル勢力によって窮地に追い込まれた状況を打開しようとする戦略転換があったに違いない。中道派であるパウエル国務長官は、サウジ提案に沿ってパレスチナ和平交渉を進めることで、イスラエルと自政権内のネオコンを弱体化させようとした。だが結局、アブドラとパウエルによる巻き返しは成功しなかった。 アブドラ提案の後、イスラエルのシャロン政権は占領地のパレスチナ人に対する軍事弾圧を強め、その反動としてイスラエルでの自爆テロが頻発した。そのため米政権内部では「イスラエルが譲歩するパレスチナ和平より、パレスチナ人に自爆テロを止めさせることが先だ」と主張するラムズフェルド国防長官などネオコンの意見が勝つことになった。 和平案が腰砕けになる中で行われた3月末のベイルート会議には、アメリカから巨額の援助をもらっているエジプトやヨルダンの指導者たちが参加を見合わせ、イスラエルに対してアラブ諸国の結束を見せることもできないまま、提案は流れてしまった。(関連記事) ▼スイスで宮廷クーデター謀議? その後、今年夏には、アブドラ皇太子自身が権力の座から追われかねない事態も起きた。サウジアラビアの元首はファハド国王だが、彼は健康悪化を理由に1995年からアブドラ皇太子に国政の実権を譲っている。アブドラ皇太子がパレスチナ和平の主導権を握ってイスラエル側に対抗しようとした画策が失敗した後の今年5月、ファハド国王が療養を理由にスイスに向かい、国王の兄弟たちもスイスに集合した。(関連記事) 6月にブッシュ政権がイラク大攻撃の方針を確定し、それに対してアブドラ皇太子が、米軍の大攻撃時にサウジ国内基地を使うことを許さない態度をとったところ、7月に入って、エジプトのムバラク大統領やヨルダンのアブドラ国王など、親米派のアラブ諸国首脳も、相次いでスイスのファハド国王のもとを訪れる事態となった。 表向き、これらの訪問は、ファハド国王の健康状態がすぐれないのでお見舞いに行ったことになっているが、実はそうではなくて、アブドラ皇太子が反米の傾向を表明し、イスラエルを批判し、イラクのフセイン大統領を擁護する立場をとりすぎているため、親米のファハド国王が「アブドラ外し」を挙行し、それによってアメリカからの敵視を弱めてもらおうとする工作ではないか、という観測が流れた。(関連記事) サウド王家は初代のアブドルアジズ国王が合計26人の女性と結婚し、それぞれにたくさんの子供を産ませ、ねずみ算的に人数が増えたため、今では傍系まで入れると王族は5000人以上いると言われている。王家の中でも母方の系統の違いによっていくつもの家があり、ファハド国王は「スデイリ分家」(母が地方豪族であるスデイリ家の出身)に属し、ファハド国王のほか、スルタン国防大臣、首都リヤド州のサルマン知事、ナイーフ内相ら7人の兄弟が「スデイリセブン」と呼ばれ、いずれも要職につき、現在の王室内で最も権力を持っている。これに対してアブドラ皇太子は「ラシード分家」の出身で、血筋が違う。 こうした分家間の争いが、親米対反米という外交政策の違いと重なって、宮廷内紛に発展する可能性も指摘された。その後、この内紛については、外部に情報が漏れなくなり、一段落したようだが、アメリカがイラク大攻撃に踏み切ったら、再び問題が再燃する可能性がある。 ▼ブッシュも板挟みになっている サウジの執政者アブドラ皇太子は、ネオコン=イスラエル側からかなり追い詰められた状態にあるが、実は追い詰められている状態はブッシュ大統領も同じである。もともと石油利権を使って政界のトップまで登りつめたブッシュ家は、サウジと縁を切ると政治資金を失い、トップの座を維持できなくなる可能性が大きくなる。 その一方で、11月末には、大統領側近で形成するホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)の作業部会が、ブッシュ大統領に対し「サウジ政府にテロ資金の流れを摘発するよう要求すべきで、90日以内にサウジが適切な対応を取らなければ、米当局がサウジ国内で直接テロ資金関連の容疑者を逮捕する行動に踏み切るべきだ」とする提案を行うなど、ネオコンが大統領に対して「サウジ潰し」を迫る動きも激しくなっている。(関連記事) こうしたネオコンからの突き上げに大統領が抵抗しすぎると、どこからか大統領にまつわるスキャンダルが飛び出てきたり、次の大統領選挙でブッシュが再選されなくなる可能性が大きくなる。米政界には、イスラエル系の圧力団体の要請を拒絶しすぎた大統領は決して再選されない、という経験則がある。ブッシュの父親も、石油利権を大事にしてサウジ側に配慮しすぎるあまり、イスラエル側を軽んじてしまった結果、再選を逃した歴史がある。この苦い教訓を、父親は息子にしっかり伝えていることは間違いない。
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