サウジアラビアとアメリカ(中)2002年11月26日 田中 宇この記事は「サウジアラビアとアメリカ(上)」の続きです。 前回の記事で、サウジアラビア政府が、自国内に駐留している米軍の存在を国民から隠したがっていることの象徴として、米軍が建設・駐留していた「ハリド国王軍事都市」の愛称が、アメリカの物語「オズの魔法使い」に出てくる秘密の町である「エメラルド・シティ」と呼ばれていることを紹介した。 実は、昨年の911事件をめぐり、これと逆のパターンがアメリカに存在する。911事件のハイジャック実行犯と名指しされる19人のうち15人がサウジアラビア人だが、そのうちの4人が、米フロリダ州にある海軍航空隊のペンサコーラ基地に住み、米軍から飛行訓練を受けていた。このことは、911事件発生から6日後の昨年9月17日にワシントンポストが同時に報じたもので、9月15日にはニューズウィークも似た内容の記事を出した。(関連記事) それらによると、実行犯とされる19人のうち、ペンシルバニア州の草原に墜落したUA93便に乗っていたとされるサイード・アルハムジ(Saeed Alghamdi)、世界貿易センター南棟に激突したUA75便に乗っていたとされるアーメド・アルハムジ(Ahmed Alghamdi)ら、サウジアラビア人4人は、1990年代後半にペンサコーラ基地の外国人用宿舎に住んでいたことが、自動車の運転免許証の取得時に登録した住所などから明らかになったという。(関連記事) ペンサコーラ基地は、米海軍航空隊発祥の地といわれる由緒ある基地で、アメリカと親しい関係にある国々の軍隊の戦闘機パイロットらを訓練する施設がある。これまでに訓練を受けた人々の中には、サウジアラビアの空軍パイロットも多く混じっている。 ニューズウィークによると、このほかサウジ人実行犯のなかには、アラバマ州の軍の教育機関で戦略論を学んでいたのが1人と、テキサス州の空軍基地で語学研修に参加したことがある人物が1人いる。また、911事件から3日後の昨年9月14日には、ニューヨークタイムスとナイトリッダー通信社が、事件の主犯格とされるエジプト人モハマド・アッタは以前、アラバマ州の空軍基地にある国際将校学校に在籍していたと報じている。(関連記事) ▼「大事件は発生後の数日間にしか真相が出てこない」 これらの記事に対し米国防総省の広報担当者は「アラブ人には同姓同名がたくさんいる」「米軍基地に住んでいた人物の生年月日と、ハイジャック実行犯の生年月日が食い違っているケースがある」などとして、同姓同名の別人である可能性を強調した。だが当局者は、同姓同名だとしたら米軍基地で訓練を受けていたのはどこの誰だったのかということを明らかにせず、記者に詰め寄られると、実行犯うちの何人かが米軍基地で訓練を受けた経験があることは認めたものの、その他の詳細は発表できないと述べたという。 同時に、911の実行犯が米軍から訓練を受けていたという記事は、事件発生から数日間に集中して流れただけで、その後は消え、ニューズウィークやニューヨークタイムスもこのテーマについては一切沈黙し、自分たちの報道が事実だったのかどうかを検証する報道も行っていない。この件について「大事件というものは、発生後の数日間にしか、真相が出てこないものだ」と書いている記事もある。(関連記事) ただ、ニューズウィークのサイト(MSNBC)には、当時の記事がまだ残っていることから考えて、同社は「事情があってその後、この件に関する報道はできないが、まだ当時の記事の真実性は失われていない」と主張しているようにも思える。 このように米軍は、サウジアラビア人を中心とするアラブ人の「テロリスト」たちに、飛行機の操縦方法などの訓練をほどこした疑いがあるのだが、それについてはきちんとした否定や釈明が行われていない。その意味で、フロリダのペンサコーラ基地は、911事件をめぐる話の「エメラルドの都」だといえる。 ▼FBIに雇われていた1993年のテロ実行犯 米当局が、アラブ人にわざとテロをさせた疑いがあるのは、911事件に始まったことではない。1993年に起きた世界貿易センタービルの爆破事件や、1995年のオクラホマ市の連邦ビルが爆破された事件でも、同様の自作自演的な疑惑が浮上した。 1993年2月26日、ニューヨークの世界貿易センタービルの地下駐車場で、トラックに乗せた爆弾が爆発し、6人が死亡、数百人のけが人が出た。その後の捜査から、ニューヨーク在住のイスラム主義指導者アブドル・ラーマン師(Sheik Omar Abdel Rahman)とその支持者4人が容疑者として逮捕され、2001年の911事件の直後に下された連邦高裁の判決で有罪となった。エンパイヤステートビルやハドソン川のトンネルなど、ニューヨークの他の構築物を標的にした第2・第3の爆破テロも計画されていたことが分かった。 ところが、この爆破テロ事件の首謀者は、ほかにいた可能性が大きい。それは、エマド・サレム(Emad Salem)というエジプト人の元軍人で、彼はFBIに密告者(諜報員)として雇われ、爆破事件の約1年前にラーマン師の支持者組織に潜入し、軍人だった経歴を利用してラーマンの身辺警護を担当するようになった。 その上で、サレムは貿易センタービルなど一連の爆破テロ計画案を自ら立て、ラーマン師やその支持者を誘って実行しようとした。ラーマン師らが「イスラム教は殺人を禁じている」と言って渋っているうちに、サレムは軍人時代の知識を利用して自ら12発の爆弾を作り、テロ当日は自ら爆弾を積んだトラックを運転して貿易センタービルの地下駐車場に止めるところまでやって、爆破事件を起こした。 その後FBIが捜査に入ると、サレムは重要な証人としてラーマン師らを有罪に追い込むとともに、自分はFBIから100万ドル(1億円強)を受け取って姿をくらました。サレムは、姿をくらました後に「消される」ことを恐れてか、自分とFBI側の担当者との電話の会話を約1年にわたって秘密裏に録音しておいた70本あまりのカセットテープを自宅に残し、ラーマン師らの弁護士がこのテープを入手できるような状態にした。 このテープの内容は、ニューヨークタイムスなどマスコミに流れ、FBIがサレムによる爆破計画を容認していたことや、ラーマン師らを犯人に仕立てるためにFBIがサレムに爆破テロを計画させていた可能性が暴露されることになった。(関連記事) FBI側は、サレムは主犯ではなく、密告者として計画を傍観していただけだと主張し、爆弾製造の途中で爆薬をニセモノとすり替えることで、犯人が爆弾をセットしても爆破しないという結果にして、その直後に犯人組織を一網打尽にするつもりだったと主張している。だが、サレムが残したテープには、爆薬をニセモノとすり替える予定だったのに、FBI側がその計画を途中でやめてしまったため、実際に爆破が起こり、事件後にサレムがFBI側の上司をなじっている様子も収録されている。 ▼1995年の爆破事件も・・・ 1995年4月、アメリカ南西部のオクラホマ市で、連邦政府ビルが爆破される事件が起きた。この事件では、ネオナチ系の極右思想を持つティモシー・マクベイという青年による犯行とされ、マクベイは死刑に処せられた。 だが、マクベイはこの事件の実行犯の一人ではあるものの「下っ端」で主犯格ではなく、爆破事件を計画したのは、パキスタン人やイラク人などからなる組織だった可能性が大きい。イラク人とパキスタン人らの組織というと「アルカイダ」のようなイスラム原理主義テロ組織を思い浮かべることができ、サダム・フセイン政権がアメリカでテロを計画したのではないか、との推測も成り立つ。 だが不思議なことに、このオクラホマ爆破事件では、米捜査当局は爆破テロを事前に知りながら防がず、事件当日には連邦ビルに入居していた政府の役所(アルコール・タバコ・火器局)の全職員に、出勤してこないよう連絡が入っていた。事件後の捜査でも、発生から2日後には、いったん拘束された中東系の男たちが釈放され、マクベイによる単独犯行とされるに至った。 この事件の疑惑については、以前の記事「オクラホマ爆破事件と911(1)」と「オクラホマ爆破事件と911(2)」に書いたので、詳しくはそちらをお読みいただきたい。 ▼「文明の衝突」との関係 1993年の世界貿易センタービル爆破事件では、FBIは諜報員エマド・サレムがテロ計画を主導させながら罪を問わず、1995年のオクラホマ爆破事件では、米当局は中東系の男たちが立てた爆破計画を防がず、事件後には「下っ端」のティモシー・マクベイだけを犯人とした。そして2001年に世界貿易センタービルが再び爆破された911事件では、実行犯とされるアラブ人たちに、米軍が事前に飛行訓練を施した。 これらは、いずれも「そういう指摘がある」というだけで、当局はこれらの指摘に対して否定的なコメントをしており、確定的な根拠がある話ではない。だが、米本土で起きた3回の大きなテロ事件のすべてに関して、当局の関与を思わせる似たようなパターンの疑惑が存在しており、こうした体系的な疑惑については、真剣に考えてみた方がいいと思われる。 最大の疑問は、もし米当局が各テロ事件の発生に関与したのなら、その目的は何だったのか、ということだ。これについて、一つ思い当たるのは「米当局の中に、米ソ冷戦に代わる世界対立として、アメリカとイスラム世界との長期間の対立が今後起きることが望ましいと考えている人々がいる」ということである。 イスラム教徒の国際テロリスト集団をアメリカの巨大な敵として登場させて「西欧対イスラム」という「文明の衝突」状態を作り出すこの新冷戦によって、アメリカが軍拡や人権侵害をやることは、やむを得ないことになる。「アメリカに逆らう国はどこであれ、テロ組織と同一視する」と脅すことで、アメリカの世界支配を維持・強化し、エネルギーなど世界のいろいろな利権をアメリカの手中におさめようとする戦略でもある。これについては、以前の記事「イラク攻撃・イスラエルの大逆転」の後半で書いた。 ここで一つ気になるのは、こうした戦略が表面化したのは911事件の後であり、その前に起きた1993年や1995年の爆破事件では、イスラム世界全体との対立構造が特に浮上していない、という点である。特に、1995年のオクラホマ爆破事件では、捜査当局はイラク人やパキスタン人の容疑者の存在を、わざわざ隠してしまう行為を行っている。 この点を突いて「文明の衝突」理論は破綻していると考えることもできるが、そうではなくて「当時のクリントン政権は、軍事より経済によって世界覇権を維持する経済グローバリゼーションの戦略を始めており、権力内の一部の勢力がテロ事件を機に文明の衝突戦略をスタートさせようとしたので、すぐに封じ込めた」と考えることもできる。 その後、1998−2001年にかけて、アジア経済危機などによってグローバリゼーション戦略が破綻した結果文明の衝突戦略を実施したい勢力(新保守主義派など)が増長し、911事件によって一気に文明の衝突戦略が始まったと考えられる。 現在でも、ラムズフェルド国防長官ら軍事重視の新保守主義派と、パウエル国務長官ら外交重視派との対立が続いているように、アメリカの政府上層部では、常にいくつかの勢力が別々の戦略案を実行しようとして対立を続けている。このためアメリカ国内の政治の動きは複雑で、裏読みが不可欠だが、その裏が読みにくい状態となっている。 ▼テロリストの入国ルートだったサウジアラビア イスラム勢力を巨大な敵に仕立てるのがアメリカの新戦略だとしたら、911事件でハイジャックした後の飛行機を操縦した実行犯が、米軍基地で操縦訓練を受けていたのも、意外なことではなくなる。 1993年の世界貿易センタービル爆破に関与したサレムや、95年のオクラホマ爆破事件に関与した中東系の男たちから、911事件の実行犯やアルカイダまでの一連の人々が、アメリカ本土でテロ活動を行えるようにする(もしくはテロの濡れ衣を着せられる状態にする)には、テロリスト予備軍ともいうべきアラブ系やパキスタン人が、自由にアメリカに入国できる体制を作っておくことが必要だった。そして、そのためのルートとして使われたのが、サウジアラビアだった。 前回の記事で述べたが、1979−89年にソ連軍がアフガニスタンに侵攻していた際、サウジアラビアはアメリカの対ソ冷戦につき合って、サウジ国内や他の中東諸国、パキスタンなどで「イスラム聖戦士」を募集し、資金援助もしていた。 このとき、この聖戦士たちに軍事訓練を施したのは、アメリカの軍やCIAだった。サウジアラビア当局は、自国民以外の聖戦士たちにもサウジ旅券を発給し、サウジにあるアメリカの大使館や領事館では、その旅券に渡米用のビザのシールをどんどん貼っていった。渡米した聖戦士は、バージニア州南部にあるCIAの訓練所などで軍事訓練を受けた後、アフガニスタンの戦地に向かった。 1989年にソ連軍が撤退してアフガン聖戦は終わったが、その後も同様の流れが続いた。サウジアラビアのジェッダや、カタールにあるアメリカ大使館や領事館などでは、簡単にビザ発給が行われていた。(関連記事) サウジアラビア側は、こうしたアメリカとの裏の関係を黙認することで、対米関係を良好に保とうとしたのかもしれないが、結局のところ、それは911事件後に、アメリカの右派から「サウジアラビアがテロリストの温床となっている」と指摘されてしまう結果となった。 サウジがアメリカにとって「友好国」から「悪の枢軸候補」に転じた背景には、サウジとイスラエルがアメリカに対する影響力を競っていたことがありそうなのだが、そのあたりは改めて書きたい。
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