現物側が金融側を下克上する2022年3月29日 田中 宇ロシアの国営ガス会社ガスプロムが、非友好諸国(ロシアを経済制裁している米欧日。米国側)に対し、4月1日から天然ガスの販売代金を、これまでのドルやユーロでなくロシアのルーブルで払うよう求めてきた。米国側は、欧日が天然ガスをガスプロムから輸入し続けないと国内でエネルギー不足が起きるため、ガスプロムの銀行部門を経済制裁の対象から外してある。米国側は、ロシアとの経済関係のほとんどを経済制裁したが、天然ガスだけは引き続き欧日がドルやユーロを使ってガスプロムから買えるようにした。これはロシアから見るとずるい策だ。ロシア側は、ガスの代金としてドルやユーロを受け取れるが、そのドルやユーロを使って米国側の商品を買うことができない制裁を受けている。ロシアは、ドルやユーロを受け取っても使えないので、ドルやユーロでなくルーブルでガス代を払えと言っている。 (`Not engaged in charity': Russia won't supply gas to Europe for free, cautions Kremlin) (Russia sets ruble gas payment deadline) 米国側は、ロシア側に頼んで、ガス代金のルーブルを調達せねばならず、ロシア側の誰かが米国側からドルやユーロを受け取ってルーブルを渡す両替が事前に必要になる。ロシア側が受け取ったドルやユーロを使えないのに誰が両替を引き受けるのか??、という問題もある。米国側(G7)は「ガスの決済通貨をルーブルに変えるのは契約違反だ」といって拒否したが、ロシア側は「そもそも米国側がウクライナ紛争を口実にロシアを経済制裁したのが違法行為で、それに対するやむを得ない対応策がルーブル決済だ。悪いのは米国側だ」と言い返している。ドイツ政府は、ロシアからのガスが止まった時のために「寒かったらセーターを重ね着してください」と国民に言っている。 (Germans told to wear a sweater to cope with soaring energy prices) 欧日は、ロシアが契約違反したからといって天然ガスの輸入を止めることができない。欧州は消費するガスの4割をガスプロムから買っており、ロシア以外のガスに切り替えるのに5年はかかる。欧州は、ロシアからのガス輸入を止めたらすぐに経済が大混乱になる。ドイツ人はこれから5年間、セーターを重ね着して暖房なしで真冬をすごさねばならない。日本もサハリンのガスがないと、島などで市民へのガス供給が半減する。東京もガスの1割がサハリン産だ。 (Europe sets 2027 deadline to end reliance on Russian oil and gas) (サハリンIIプロジェクトからのLNG購入に関する基本合意書調印のお知らせ) 欧日は、ロシア政府がどんな条件を出そうが、それに従わないわけにはいかない。今の米国は、政府の戦略としてでなく大統領の気分で「プーチンを辞めさせるべきだ(政権転覆すべきだ)」と言ってしまう国なので、大統領の気分みたいな感じで属国群のG7にルーブル払いの拒否を決めさせた。だが、欧日は現実的にルーブル払いを拒否できない。日本政府は、G7で決めたロシア政府資産の没収をやりたいが国内法がないので残念ながらできません、と言い訳してロシアとの敵対を事実上軽減していく策をとり始めた。自民党と官僚は無能な小役人を演じて、同盟諸国を自滅させようとする国際圧力から国益を守ってくれている。コロナの時も今回も。いつもおつかれさまです。 (Japan reveals a problem with freezing Russian reserves) (Kremlin spokesman says it is not for Biden to decide who will be in power in Russia) 米国側はたくさんの金融のツールや資金作りの技能を持っており、今回それらの利用をロシアに禁じる制裁をやった。だが、ガスや石油、鉱物穀物などコモディティの現物はロシア側が持っている。今回のウクライナ戦争は、世界を米国側と非米側に二分したが、コモディティの現物の多くは非米側にある。プーチンは米国側に現物を売るのを制限している。サウジやカタールはロシアに気兼ねして米国側に石油ガスを追加で売りたがらない。「うちに頼ってもらっても困ります。仲直りしてロシアから買い続けるの良いですよ」と断っている。日欧は、ルーブルだろうが金地金だろうが、ロシアに求められた方法で代金を支払うしかない。 (Petro-Ruble: Why Western States Will End Up Buying Russian Gas for Rubles) 世界の石油利権の大半が、米英の「セブンシスターズ」から、中露ブラジルイランサウジといった非米側の「新セブンシスターズ」にすでに移ってしまっているという記事をFTが出し、私が驚いて紹介したのが2007年のことだ(当時の私はまだ「非米」という言葉を編み出す前で「反米諸国」と呼んでいた)。15年前から、現物コモディティの多くは非米側が持っていた。 (反米諸国に移る石油利権) なぜ米国側は現物コモディティの利権を手放してしまったのか。それは、現物よりも、現物の取引と連動している金融取引の方がはるかに儲けが大きく、取引も巨額になっていたからだ。株や債券、ETF、信用取引、先物、ヘッジ、レバレッジ、デリバティブなど金融の分野である。保管や輸送などの汚れ仕事に手間がかかる現物の事業は儲からない「下位」のものなので新興諸国(非米側)に利権を渡して下請けさせ、スマートな米国側の先進諸国は、金融の技術を使って現物の取引を操る「上位」にいる、というのが最近までの世界的な上下関係だった。製造業でも、最先端の儲かるハイテク技術だけを米国が握り、その下の薄利な現業部門は中国など新興諸国に下請けさせ、現業部門の運営資金を米金融界が供給するという上下関係も作られた。 米英は、冷戦終結前のビッグバン(1985年)から金融技術を覇権戦略の中心に据えていた。冷戦後の米単独覇権の世界の中で、米金融界を頂点とする経済的な世界秩序が形成され、製造業やコモディティを金融で米英が支配し、米英に脅威となりそうな新興諸国は金融危機を起こされて潰されてきた。冷戦後の米国覇権の最大の源泉は軍事でなく金融だった。軍事は派手なので目立つ。金融は本質が隠れているので見えない。 冷戦後のロシアも、コモディティ産出しか能のない新興諸国として過ごし、米英金融筋によって何度も金融危機を起こされてきた。覇権の最上位にいた米英の金融システムは、2008年のリーマン危機で実のところ自滅したが、その後も中銀群のQE策(過剰造幣による相場テコ入れ)によって、あたかも金融システムが蘇生しているかのようなニセの状況が作られてきた。ニセの状況を作ってバブルを維持するのも米国側の金融技能の一つだ。だが昨年来、世界的にインフレがひどくなってQEが終わりに向かっている。 (ロシアは中国と結束して延命し、米欧はQE終了で金融破綻) 今回のウクライナ戦争によって劇的に始まった徹底的な米露対決は、これまで下位にいて米英から虐げられてきた現物コモディティの国だったロシアが、同様に虐げられてきた他の非米諸国(新興諸国、現業諸国、現物コモディティ産出国)を巻き込んで、上位にいた米国側(米欧日、先進諸国)に対する下克上をやり出したことを意味する。現物コモディティの利権を握っている非米諸国は、これまで下位にいたものの、結束すれば世界のコモディティ利権の大半を握っている。今回のように非米側が結束すると、金融で支配してきた上位の米国側と対決して勝ち、米英覇権を転覆して非米側が世界の主になる多極化を成功させられる。 (世界を多極化したプーチン) この世界的な下克上・覇権転覆の試みを決行したプーチンにとって幸いなことに(というか米国の隠れ多極主義者の陰謀どおりに)、バイデンの米政府は、ロシア制裁に参加しない中国やインドなど非米諸国を激しく非難し、中国やインドを「中立」から「ロシア側」に押しやってしまった。おかげでロシアは、米国側が自国のコモディティを買ってくれなくなっても大消費国である中国やインドなどに売れるので困らなくなった。中国もインドも、ウクライナ開戦前からロシアの石油や石炭を前年よりはるかに多く買ってくれており、ロシアは米国側に金融制裁されても金欠にならず、戦費も潤沢だ。 (India bucks global trend of shunning Russian exports) (China Quietly Buying Russian Oil) こうなってみると、金融を支配している米国側より、現物を持っている非米側の方が強い。SWIFTが米国側だけの銀行間送金ツールに成り下がり、非米側は独自の銀行間送金ツールを使って決済し始めた。非米諸国間のコモディティ売買は政府間取引なので、民間取引のような細かい損失回避の金融技能は要らない。ヘッジも先物も原始的なもので良い。資金は中国が持っている。非米側は丸ごと米国側から制裁・除名されても、自分たちの内部だけで勝手にやっていける。非米側が勝手にやっていけるようになった瞬間に、米国側の金融技能は支配力として無意味になり、現物のコモディティを持っている非米側の方が強くなる。コモディティは高騰し続け、米国側から非米側への代金支払いが増え、非米側が豊かに、米国側が貧しくなる。プーチンが画策した、現物側から金融側への下克上が成功する。 (Russia is winning, America is self-destructing… prepare for EXTREME POVERTY) 非米側はこれから発展する人口大国の集団だ。人口大国群が発展して経済力をつけて米英をしのぐ国際政治力を持つと、米英覇権が崩れて多極型覇権に転換する。それを防ぐため、米英の覇権主義勢力は、非米諸国で金融危機を誘発して潰したり、人権侵害の濡れ衣をかけて経済制裁してきた。しかし今、プーチンと米隠れ多極主義者の隠然合作によって非米側と米国側が完全に分離したため、これ以上米国側が非米側の経済発展を邪魔することができなくなり、非米側の何10億人かが、貧困層から中産階級にのし上がって消費力をつけていく道が開けている。非米側は、もう米国側にピンはねされたり成長を阻止されたりせず、自分たちの成長の果実を自分たちで使えるようになる。コモディティと巨大な消費市場の両方を得た非米側が台頭し、金融バブルと覇権の支配力の両方を失う米国側が弱体化しいてく。 ▼世界の半分がドルを棄てた日 リーマン危機の直後、私は「世界がドルを棄てた日」という本を書いた。米英の金融覇権を支えてきた債権金融システムは、リーマン倒産でいったん全面的に凍結・崩壊した。当時、米英中心のG7に代わって多極型のG20が世界経済の意思決定機関になったり、ドルに代わる基軸通貨体制としてIMFのSDRが取り沙汰されたりした。世界がドルを棄てつつある感じがあった。しかしその後、米連銀や日銀がQEの資金で金融相場をテコ入れして相場が再上昇し、まるで金融が蘇生したかのような状態が14年間続いてきた。QEの策略を予測しなかったので私のドル崩壊予測は外れ、ドルは延命した。実際は、民間の需給が自力で蘇生したわけでなく、QEが終われば再び金融崩壊だ。 (世界がドルを棄てた日) (米連銀がQEやめないので実体経済が破綻してるのに株が上がる) プーチンが今回のタイミングで下克上の米国覇権転覆を試みたのは、金融で世界を支配してきた米国の覇権を、リーマン危機による金融崩壊に一本柱で支えてきた米連銀のQEが3月初めで終わるからだった。米連銀はその後もこっそりQEを続けており、私だけでなく米国の分析者ピーター・シフのサイトも、連銀がこっそりQEを続けていることを指摘している(私の妄想でないことが確定した)。しかし英カナダなど他のアングロサクソン諸国はすでにQEをやめてQTに入っている。米連銀がQEをやめるのは時間の問題だ。QEをやめると米国側が金融崩壊し、米国覇権を支えてきた金融技能が無意味になる。 (While Talking About Fighting Inflation, the Fed Continued to Expand Its Balance Sheet) (日銀だけは、まだQEとゼロ金利を続けているので円安が止まらなくなっている。円建ての石油ガス鉱物の価格がどんどん高騰する。円安を止めるには日銀がQEをやめねばならないが、そうなると日本の株が暴落する。日銀は日本の上場株の半分以上をQE資金で買ったETFの形で持っており、これを売ってQEの円を回収することになるので株暴落になる。大幅な円安は輸入インフレを招き、日銀はQE中止と利上げを迫られる。そして株が暴落する) ウクライナ戦争は、米連銀がQEをやめる直前に始まった。戦争開始と同時に米国側が超厳しい対露制裁を発動し、世界が米国側と非米側に分裂し始めた。非米側はドルを使うことをやめていく。私の昔の本の題名のノリでいうと、ウクライナ開戦日は「世界の半分がドルを棄てた日」である。非米側がドルを棄てたということは、世界最大の米国債保有国である中国が、米国債を売っていくということだ。いきなり大量売却したら米国債が暴落(金利高騰)する。どうやってうまいこと売るのかわからないが、とにかく中国は米国債やドルを売って金地金など非米的な資産に替えていく。米国の隠れ多極(隠れ親中)主義者たちは、中国が保有する巨額の米国債など米国の金融商品をある程度売り切るまでQEを続けて金融崩壊を防ぎ、中国に高値で売り抜けさせるつもりかもしれない。 中露など世界の半分(非米側)はドルを棄てた。非米側は同時に、米英が冷戦終結時に作った債券金融システムを国内金融に導入してきたこともやめていく。株や債券のバブル、投機的な先物取引、デリバティブの金融商品、レバレッジを効かせた金融取引など、以前は金融の花形だった部門をぜんぶ棄てる。そもそもこのバブルそのものの金融花形はリーマン以降、世界的に低調になっていたが、それがさらに今後は、非米側で金融バブルの膨張が許されなくなる。中国は習近平の就任以来、国内の株や不動産のバブルを積極的に潰す策をやってきた。金融バブルは、冷戦後の米英経済覇権の象徴だった。非米側は今後、ドルや米国債だけでなく金融バブルを肯定するシステムを棄てていく。代わりに非米側は、石油ガス鉱物穀物や金地金などコモディティの現物を資産として保有していく。非米諸国の通貨は金本位制に近くなる。 (Credit Suisse Strategist Says We're Witnessing Birth of a New World Monetary Order) (金融バブルと闘う習近平) (中国を社会主義に戻す習近平) 露中などが非米側が出ていった後の世界の残りの半分である米欧日など米国側は、今後もドルや米国債、金融バブルやQEに依存していく。非米側は現物のコモディティを保有し、米国側は現物を金融商品化したバブル(泡。幻想物)を保有している。今回、世界のコモディティ現物の大半は非米側に行ってしまっており、米国側にあるのは本物のコモディティでなく、コモディティ関連の金融商品(バブルの産物)である。QEを続けている限り、金融バブルはおおむね保たれ、現物よりもバブルの方が合計金額的にはるかに巨大だ。しかし、いずれインフレの激化を理由にQEを本当にやめねばならなくなると、バブルは崩壊し、価値がほとんどなくなっていく。 (金本位制の基軸通貨をめざす中国) 米国側は燃料などとして、非米側から現物のコモディティを買わねばならないが、その価格はインフレによってどんどん上がっていく。半面、ドルは今後のQE終了によって金融崩壊して通貨としての地位を下げていく。米国側が非米側からコモディティを買う時の代金には、ドルでなく金地金を使わねばならなくなる。金のETFなど紙切れでなく本物の金地金の受け渡しが必要になる。 (金の取り付け騒ぎ) 米国側にあるとされる金地金の多くは、金融的な貸し借りの反復によって何度も重複カウントされている。実際に存在する金地金の何倍もの量が、米連銀や金融界の金庫の中に存在することになっている。実際の地金の量はかなり少ない。世界中が信用重視の債券金融システムで動いていた従来は、本当の金地金の量などどうでも良かった。「ここにこれだけの金地金がありますよ」という文書だけでよかった。しかし今後は違う。ロシアなど非米側は、本物の金地金を持ってこないと石油ガス鉱物を売ってくれなくなる。米国側が持っている本物の金地金は、言われている量よりはるかに少ない。米国側は金地金を意外と持っておらず、非米側からコモディティを買えなくなる。 (金地金の売り切れが起きる?) 今は金地金の価格も、米英金融界がQE資金を使った信用売りによって引き下げている。金相場は一般に、地政学的な大事件や戦争やインフレがあると高騰する。今回のウクライナ戦争はまさに世界大戦級の地政学的な大事件であり戦争だし、インフレも世界的にひどくなっているが、金相場は1オンス2千ドル以下に幽閉され続けている。他のコモディティは高騰しているが、金地金だけ上がっていない。米英金融界が、ドルの究極のライバルである金地金の相場高騰を信用売りによって阻んでいると考えるのが妥当だ。米連銀がQEをやっている限り、金相場は上昇を抑止され続ける。この状態は、金地金をドルに代わる国際決済通貨として使おうとしている非米側にとって都合が悪い。 (操作される金相場) QEが続いている限り、株や債券の相場は上がり続け、金相場は抑止される。QEが終わると、金融崩壊と金高騰の両方が起きる。米連銀は、国内的な政治圧力がなければずっとQEを続けるつもりだろうから、米政界がいつ連銀への圧力を再び強めてQEを本当に終わらせるかが、プーチンによる下克上の全体的な展開の速さを決める。中国が米国債を売り払うまでQEが続くなら展開はゆっくりになる。そうでなければQEは間もなく終わる。 (米連銀はQEやめてない。それでもドル崩壊するのか?)
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