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文明の衝突を再利用するトルコのエルドアン

2020年7月21日   田中 宇

トルコの権威主義的なエルドアン大統領が7月10日、イスタンブールのアヤソフィア(ハギアソフィア)を、博物館からモスクに転換することを宣言した。イスタンブール(旧コンスタンチノープル)は1453年までキリスト教(正教会)を国教とした東ローマ帝国の首都で、アヤソフィアは4世紀にキリスト教会(今のギリシャ正教会)として建てられた(6世紀に焼失再建)。1453年にイスラム教のオスマントルコ帝国が東ローマ帝国を滅ぼし、コンスタンチノープルをイスタンブールと改称するとともに、アヤソフィアをキリスト教会からイスラム教のモスクに転換した。近代に入り、オスマントルコが第1次世界大戦で負け組に入って英国などに潰された後、「近代トルコの父」アタチュルク将軍が大統領になってトルコを近代的=西欧傀儡的な世俗リベラル国家に転換した。アタチュルクは「近代化(西欧化)」のためイスラム教を遅れた迷信として抑圧し、その一環として1934年、象徴的なモスクだったアヤソフィアを博物館に転換した。 (Turkey: At Cross Purposes

エルドアンは青年期からイスラム主義者で、1994年にイスタンブール市長になった時、アヤソフィアをモスクに戻すことを目標として掲げ、当時のアタチュルク以来の世俗主義の政権から敵視弾圧された。だが、2001年の911事件後に米国がイスラム世界を敵視する「テロ戦争」「文明の衝突」「米単独覇権主義」を扇動・推進するようになった後、トルコなど中東全体で、米国側から売られた喧嘩を買いたがるイスラム主義が強まった。トルコでは2001年、エルドアンが率いるイスラム主義政党AKPが既存の世俗勢力を打ち負かして政権をとり、今に続くエルドアンの独裁的な長期政権が始まった。 (After Hagia Sophia, Erdogan Voices Jerusalem Ambitions

エルドアンは30年近く前からアヤソフィアをモスクに転換すると言っており、彼が独裁的な権力者になってから20年ほど経っているのに、転換はこれまでずっと先送りされてきた。その理由は、トルコ国内で転換に反対する世俗派との権力闘争が長引いたからだけでない。トルコはNATOを通じて米欧(世俗リベラル、キリスト教側の諸国)の重要な同盟国であり、エルドアンが国際影響力を拡大する際、米欧との関係を悪化させない方が良かったからだ。アヤソフィアが何であるかという問題は、キリスト教徒、イスラム教徒、世俗リベラル派(博物館)という3者間の綱引きであり、モスクへの転換は、キリスト教徒で世俗リベラル派でもある米欧・NATOとの関係を悪くする。 (Opening Hagia Sophia for worship: Liberation from Sultan Mehmed the Conqueror’s curse

2001年の911事件で、米国がイスラム世界を敵として何十年も続ける冷戦型の「テロ戦争」を開めた後、最初エルドアンはイスラム側との結束を重視して米国に批判的で、03年のイラク侵攻時に米軍がトルコからイラクに進軍することを拒否した。だがこれで米国との関係が悪化したため、次の11年からのシリア内戦でエルドアンは方向転換し、米国がテロ戦争のやらせ的な敵として育成支援してきたISアルカイダの現場の支援担当になることを買って出た。トルコが米国と組んでいる限りモスクへの転換は良くないことだった。16年になると米国(オバマ)が、負けそうなシリア内戦を放棄してロシアへの丸投げに転換し、はしごを外されたエルドアンのトルコは仕方なくロシアに接近した。ロシアは正教会のキリスト教徒なのでアヤソフィアのキリスト教側と同じで、エルドアンは依然としてモスクへの転換を強行できなかった。 (近現代の終わりとトルコの転換) (ロシア・トルコ・イラン同盟の形成

シリア内戦はロシア側(露イランアサド)の勝利で終わり、トルコはシリアに残るISアルカイダの世話役として関与している。トルコにとってロシアが重要なのは変わりない。だが同時に、米国が退潮して露中イランの覇権が拡大する今後の中東において、ISカイダ同胞団などスンニ派系のイスラム主義のまとめ役が必要だ。その役に最も適当なのはトルコだ(MbSのサウジは対米関係の改善を目指してリベラル風を標榜しイスラム主義者と対立。イランはシーア派でISカイダの仇敵)。エルドアン自身もやる気満々だ。それで、ロシアは正教会キリスト教徒であるが、トルコがイスラム主義のまとめ役として名を挙げていくことを黙認し、ロシアの黙認のもと、エルドアンは今回ようやくアヤソフィアのモスク転換を実現したと考えられる。ロシアでは、正教会のキリスト教上層部がモスク転換を批判したが、プーチンは沈黙を保っている。転換を猛烈に非難しているのは、昔からずっとトルコの敵で正教徒の国であるギリシャだけだ。 (Russia & Greece Slam Turkey For Plans To Turn Hagia Sophia Church Into A Mosque) (ロシアに野望をくじかれたトルコ

エルドアンは今回のモスク転換によって、米国が911後に大展開した「文明の衝突」路線を再利用してトルコの覇権拡大のために使おうとしている。米国の文明の衝突路線は、イスラム世界をことさら敵視して「世俗リベラル・キリスト教世界vsイスラム世界」の敵対の構図を作り、冷戦型(テロ戦争)の米覇権維持を目指した。イスラム側が売られた喧嘩を買ってくれないので、米国側は喧嘩を買ってくれるイスラム主義勢力(ISアルカイダ)を育てて敵に仕立てていた。以前のトルコはその下請けをしていた。米国は、この路線をテロ戦争として過激にやりすぎ、イラクやリビアやシリアで占領の泥沼や国家破壊を繰り返し、覇権を自滅的に低下させた(共和党のネオコンが自滅策を担当)。米国の覇権が低下したので、トルコは下請けから脱却して自立する(自前の小さな覇権を持つ)必要が出てきた。エルドアンは、文明の衝突の構図を再利用し、モスク転換によって世俗リベラル・キリスト教世界に対して改めて喧嘩を売ることで、イスラム世界の盟主として名を挙げようとしている。 (Escobar: Turkey & The Clash Of Civilizations) (欧米からロシアに寝返るトルコ

米国の国務省はトランプ傘下の隠れ多極主義なので、モスク転換をこっそり歓迎しており、おざなりの批判コメントしか出していない。欧州や英国はこの間、多数のイスラム教徒が移民として定住し、自分たちの内部にやっかいな文明の衝突を抱えている。だからEUも英国も、モスク転換にほとんど沈黙している。かつての米国発の文明の衝突は、敵とされたイスラム世界が喧嘩を買いたがらなかったが、今回のトルコ発の文明の衝突は、世俗キリスト教側が喧嘩を買いたがっていない。 (Erdogan Turns Hagia Sophia Into a Mosque: Islamists Rejoice, Trump Is Silent and Turkey’s Opposition Won’t Be Distracted

エルドアン政権はアヤソフィアのモスク転換を発表した後、「次はエルサレムのアルアクサモスクを解放する」とのコメントを発した。これはつまり、本来イスラム教徒のパレスチナ国家の一部であるべき東エルサレムをイスラエルが占領している状態を壊してやるぞ、という宣言だ。これは、イスラエルに対する宣戦布告にも見えるが、現実的にはそうでない。エルドアンのトルコは、パレスチナで最も強い勢力になりつつあるムスリム同胞団系のハマスを支援している(エルドアンの政党AKPは事実上ムスリム同胞団だ)。パレスチナは、イスラム主義のハマス(=同胞団)と、世俗リベラル主義(左翼)のファタハが長く対立し、これまで優勢なファタハがパレスチナ自治政府(PA)を牛耳ってきた。 (Erdogan Turns Hagia Sophia Into a Mosque: Islamists Rejoice, Trump Is Silent and Turkey’s Opposition Won’t Be Distracted) (Ismail Haniyeh: Unified Palestinian position thwarts Israel’s annexation plan

だが、以前はパレスチナ和平(中東和平)の仲介役だった米国が、トランプになって完全にイスラエル寄りになり、和平交渉は破綻した。パレスチナでは、中東和平のために存在していたPAへの支持が失われ、米イスラエルを批判する正論を主張し続けてきたハマスへの人気が高まっている。今後、米国の退潮とともに、中東和平もロシアなど非米側が仲裁する傾向になる。イスラエルも今はまだ、米国の後ろ盾のもとでの西岸併合や、米国をイランとの戦争に引っ張りこんでイランを潰す策を弄しているが、これらは米イスラエル間の駆け引きの産物としての幻影(報道のみ、口だけ)で、実現することはない。イスラエルは今後、米国の中東撤退とともに、ロシアなどの仲裁で中東和平をやらざるを得なくなる(ユダヤ人は現実主義なので自滅する戦争をしない)。その時イスラエルの交渉相手はハマスである。 (Israel Hoping To Start A War With Iran Before US Elections) (Is Israel At War With Iran?

この中東和平の流れと、今回のモスク転換でエルドアンがハマスを含む中東のイスラム主義の諸勢力からの支持を集めようとしたことを並べてみると、見えてくるものがある。エルドアンは、きたるべき非米型の中東和平でパレスチナ側=ハマスの後見役になろうとしている。トルコがハマスの後見役をやる一方、ロシアはイスラエルを説得する。トルコとロシアが話し合って和平交渉のお膳立てを進め、非米型の中東和平が進む。プーチンがアヤソフィアのモスク転換を黙認したのは、外交的に見ると無理がない。 (Jewish umbrella group slams Erdogan for vowing to ‘liberate al-Aqsa’) (Turkey Committed ‘In Principle’ to Activating Russian-Made S-400 Missiles, Erdogan's Spokesman Says

パレスチナだけでなく、シリアやリビアでも、トルコがイスラム主義勢力の後見役になり、ロシアがもう一方の勢力の後見役になって停戦や安定化に向けた交渉を進める構図が行われている。シリアでは、トルコが反政府勢力の敗北後の世話を行い、ロシアがアサド政権を支援しつつ、両者の交渉が続いている。リビアでは、トルコがトリポリ政府(同胞団)を助け、ロシアがハフタ将軍を助けつつ、両者を交渉させようとしている。トルコがイスラム主義を鮮明に出すことは、ロシアと組んで中東各地の対立を解消する策を推進するので、文明を衝突させて混乱させるのとは逆方向の安定化であり、むしろ好ましいとすら言える。 (Sisi's 'Declaration Of War' Puts Egypt & Turkey On War Footing Over Libya) (トルコ・ロシア同盟の出現

トルコとロシアは、イスラム世界の外でもこの構図を使った安定化策を始めている。それはトルコとロシアの間に位置するコーカサス地方での、アゼルバイジャンとアルメニアの紛争だ。両国は7月はじめから久々の戦闘を展開している。ナゴルノカラバフの取り合いに象徴されるこの紛争は、旧ソ連の意図的に複雑に引かれた国境線を利用して、ソ連崩壊で独立した両国を戦わせて米国が仲裁し、コーカサスに対する米国の覇権を維持するために使われてきた。しかし今、米国の世界撤退とともに、コーカサスを安定化する役割も、ロシア、トルコ、イランというコーカサスを取り巻く3つの地域大国に移譲されつつある。 (コーカサス安定化作戦) (Iran says ready to mediate between Azerbaijan and Armenia

アゼルバイジャンはトルコ系の民族であり、トルコは昔からアゼルバイジャンを支持する一方、アルメニアとは仲が悪い。ロシアとトルコは両方と仲が良い。特にアルメニアは経済と軍事でロシアへの依存が強い。イランの最高指導者ハメネイは血筋的にアゼリ人である。久々に起きた戦闘は、コーカサスの仲裁者(覇権)が米国から露トルコイランの3つ巴の合同覇権体制に転換していく流れの始まりになるだろう。 (Azerbaijan-Armenia Clashes Highlight Turkey-Russia Rift) (Turkish defense minister vows to 'avenge' Azerbaijanis killed in Armenian attacks



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