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コーカサス安定化作戦

2004年4月29日   田中 宇

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 昨年11月、コーカサス地方の黒海沿岸の国グルジアで起きた「バラ革命」と呼ばれる無血クーデターは、奇妙な革命だった。グルジアでは、旧ソ連の外相だったシュワルナゼが約10年間にわたって大統領をしていたが、昨年11月2日の議会選挙で不正が行われたとして野党勢力が反政府運動を展開し、デモ隊が国会議事堂を占拠した。シュワルナゼは非常事態を宣言したが、軍や警察などの幹部が反旗を翻したため逆に孤立し、11月23日に辞任に追い込まれた。  (グルジアの地図

 こうした経緯からは、シュワルナゼはかつてのルーマニアのチャウシェスクのように逮捕・殺害されても不思議はなかったように見えるが、実際の雰囲気はかなり異なっていた。辞任の翌日、シュワルナゼは大統領官邸にひょっこり現れ「私物を取りに来た」と言いながら、集まっていた報道陣と雑談し、ジョークを飛ばしたりして、元気な様子を見せたという。(関連記事

 シュワルナゼ追放後、グルジアでは今年1月に選挙があり、35歳のサーカシビリが大統領になった。サーカシビリはシュワルナゼを倒す無血クーデターを率いていた人で、彼が大統領になるのは、シュワルナゼ政権が転覆された時点で予測されていたことだった。(関連記事

 奇妙なのは、サーカシビリは2001年までシュワルナゼの下で法務大臣をつとめていた「門下生」だったことだ。サーカシビリ大統領の下で首相となったジワニヤ(Zurab Zhvania)、国会議長となったブルジャナゼ(Nino Burdzhanadze)など、新政権の首脳の多くは、90年代にシュワルナゼが若手の後継者として育てた人々だった。(関連記事

 グルジアは役人の腐敗が多い国だと指摘されることが多いが、昨年11月の選挙は特にひどい不正があったわけではない。旧ソ連諸国は、冷戦後に「民主主義」になってまだ10年ほどしか経っておらず、どこの国でも選挙の際にはなにがしかの不正が行われる傾向が強い。2003年には、コーカサス3カ国で相次いで選挙があったが、3月のアルメニア、10月のアゼルバイジャンと比べ、11月のグルジアの選挙が特に不正がひどかったわけではない。

 むしろシュワルナゼは旧ソ連諸国の支配者の中では穏健な方だった。グルジアには強い反政府メッセージを流し続けた「ルスタビ2」というテレビ局があったが、シュワルナゼは言論の自由を守ってこの放送局を潰さず、その結果、政権転覆を許すことになった。中央アジア諸国など旧ソ連の多くの国ではこのようなテレビ局の存在が許されておらず、それに比べるとグルジアは民主的だった。

 それなのに、グルジアだけが選挙不正をきっかけに政権転覆が起きた。しかも、シュワルナゼは「選挙不正」を指摘されて窮した後、やり直し選挙をするという譲歩を行い、自分の政権を保とうと試みると予測されていたのに、いきなり辞任してしまった。(関連記事

▼ソロスの資金で革命を輸入

 こうした異様な展開の背後には、アメリカによる画策があった。シュワルナゼは大統領を辞任する前に「ジョージ・ソロスが過激な反政府運動を支援している」と批判し、追放された後は、ソロスに加え、アメリカ政府にも裏切られたと発言している。(関連記事

 ジョージ・ソロスはハンガリー生まれのユダヤ系アメリカ人で、通貨危機を利用して為替投機を行い、巨万の富を築いた「投機筋」である。彼は儲けた資金の一部を使い、生まれ故郷のハンガリーなど旧ソ連・東欧諸国を、ソ連崩壊後の混乱から救って民主化することを試みる活動を、ここ10年ほど続けてきた。最近では、イラクを民主化するといって殺戮の場にしてしまったブッシュ大統領の再選を阻止すると宣言し、民主党系の諸組織に資金援助して有名になった。(関連記事

 ソロスとグルジアの反政府運動との関係は、欧米の多くのマスコミで指摘されている。特に詳しく書かれていると思われるカナダのグローブ・アンド・メールの記事によると、ソロスが最初にグルジアを訪問したのは2000年のことで、シュワルナゼ大統領の招待を受けての訪問だった。シュワルナゼはグルジアの市民社会を発展させたいと考えてソロスに頼み、ソロスが運営する組織「オープン・ソサエティ財団」のグルジア支部を作ってもらった。

 しかしその後、グルジアのオープン・ソサエティ財団は「自由協会」(Liberty Institute)という反政府系の市民団体に対する支援を開始したため、シュワルナゼは2002年夏にソロスを批判する声明を出した。これに対してソロスは「シュワルナゼ政権は民主的でない。グルジアでは2003年秋の議会選挙は公正に行われないだろう」と反論した。両者の対立が始まった2001年には、シュワルナゼ政権の法務大臣だったサーカシビリが辞任してソロスの側に転向し、その後野党「国民運動」を結成し、政府批判を強めていった。

 昨年2月には、ソロスのオープンソサエティ協会が「自由協会」のボケリア(Giga Bokeria)という指導者をセルビアのベオグラードに招待した。セルビアではコソボ戦争直後の2000年「オトポル」という学生団体などの市民グループが反政府運動を展開してミロシェビッチ大統領を追放することに成功している。ボケリアは「オトポル」の幹部に会い、市民運動が武力を使わずに政権を倒すにはどうすればよいか、という手ほどきを受けた。

 昨年4月には、オープンソサエティ協会は「クマラ」というグルジアの学生運動組織にも50万ドルの資金援助を行い、8月にはオープンソサエティが旅費を出してセルビアの学生団体「オトポル」幹部をグルジアに呼び、クマラの学生メンバー1000人を相手に、平和的な政府転覆のやり方について、3日間かけて講義を行わせた。

 昨年11月にシュワルナゼ政権を倒す市民運動を展開した勢力の中心は自由協会とクマラで、これらの組織をサーカシビリが率いるかたちで政権転覆が実行された。

 クマラは組織のシンボルマークもないようなにわか仕立ての組織だったので、オトポルのシンボルマーク(げんこつ印)と同じものをそのまま使った。セルビアでの政権転覆のノウハウが、そっくりグルジアにコピーされた感がある。グルジアの運動関係者は「民主化運動は良いことなのだから、過去の成功例に学び、外国の人々から知恵をつけてもらうのは悪いことではない」という立場をとっている。(関連記事

▼在グルジア米大使も黒幕か?

 セルビアの「成功例」をグルジアに適用することに助力したのは、ソロスだけではない。セルビアで政権転覆が成功する直前までアメリカのセルビア(ユーゴスラビア)大使をしていたリチャード・マイルズは、現在グルジア大使をしている。

 マイルズは、セルビアの学生組織オトポルを支援し、ミロシェビッチが追放された後のセルビア大統領としてコシュトニツァが適当であると考え、コシュトニツァと話をつけたのも彼だった。こうした経緯から、マイルズはグルジアでシュワルナゼ追い出しに一役買ったのではないかと指摘されている。(関連記事

(コシュトニツァはミロシェビッチ以上のセルビア至上主義の民族主義者だったが、最初に「親米政権になる」という方針をアメリカとの間で決め、あたかもミロシェビッチよりも穏健派であるかのようなイメージで世界に売り込まれている。この売り込みには英米のマスコミも「貢献」した)

 シュワルナゼは辞任直後、BBCのインタビューで「私はずっとアメリカの政策を完全に支持していた。それなのに、アメリカの在グルジア大使であるリチャード・マイルズらは、私の政権を転覆することに手を貸した」とアメリカを批判した。そして「私を追放したクーデターのやり方は、2000年にミロシェビッチ大統領が追放されたクーデターのやり方にとても似ている。誰かがこれを仕掛けたのだ」と語っている。

▼ベーカー元国務長官の引っかけ外交術

 学生を組織して知恵をつけるだけでは、政権転覆は成功しない。シュワルナゼ政権を倒したもう一つの要素は「アメリカの外交術」だった。ソロスが学生運動の組織化を進めていた昨年7月、ブッシュ大統領の名代としてベーカー元国務長官がグルジアを訪問し、シュワルナゼと会談した。シュワルナゼはソ連のゴルバチョフ政権の外務大臣をしていた時代にベーカーと親しく、当時繰り返されたシュワルナゼ・ベーカー対談が、ソ連の崩壊を大惨事にすることを回避したとされる。(関連記事

 ベーカーがグルジアを訪問したのは、11月の議会選挙を公正に成功できるよう、シュワルナゼとサーカシビリら野党の間で話し合いをさせるためだった。ベーカーは「11月の選挙で不正が行われたら、アメリカは貴方を支持しなくなる」とシュワルナゼに申し渡し、シュワルナゼは野党との話し合いを持ち、選挙管理委員会を作ることにした。

 ところが、選挙管理委員の人選をめぐって交渉が紛糾し、野党は「シュワルナゼは信用できない」として、アメリカに選挙監視を依頼した。アメリカ側では民主党系のシンクタンク「国際問題民主研究所」(所長はオルブライト元国務長官)が依頼に応じ、民間調査会社を使って選挙の出口調査を行うことにした。アメリカは超党派でグルジアの選挙に関与する体制を作った。

 11月2日の選挙後、選挙管理委員会が発表した結果は、親シュワルナゼの与党「新しいグルジア」が21%、サーカシビリの「国民運動」は18%の得票だった。(関連記事

 だが、この結果はアメリカの会社が行った出口調査と食い違っていたため、学生らの反政府運動が起こった。出口調査の一部始終は反政府系のテレビ局「ルスタビ2」で放映され続けたが、このテレビ局の大株主はジョージ・ソロスだった。アメリカ政府は「シュワルナゼはベーカーに約束した公正な選挙を行わなかった」と批判し、この後、事態はシュワルナゼに不利になっていった。(関連記事

 シュワルナゼは「少しの不正は許されるだろう」と思ったのかもしれないが、まさにこの点でアメリカに引っかけられた可能性がある。もともと親米的だったシュワルナゼは、アメリカから「用済み」にされたと感じたため、大した抵抗もせずに辞任を決意したのだと思われる。

▼腐敗是正が政権転覆の目的ではない

 ここで疑問になるのが、なぜソロスやアメリカ政府はシュワルナゼを追放する必要があったのか、ということだ。「シュワルナゼが腐敗していたから」という表向きの理由は信用できない。旧ソ連諸国の水準からすると、グルジアは特に独裁的な国ではなかった。

 ソ連時代の官僚だったシュワルナゼは、確かにソ連時代の官僚が引き続き国内の利権を握り続けることに寛容で、後継のサーカシビリ政権は、汚職を理由に旧ソ連時代からの官僚を次々と切っているが、代わりにサーカシビリの側近らがその利権を私物化する傾向が指摘されている。グルジア国内では「若者のマフィアが年寄りのマフィアを駆逐しているだけだ」と言われている。(関連記事その1その2

 グルジアではその後、今年3月に議会選挙のやり直しが行われ、サーカシビリの政党「国民運動」が議席のほとんどを獲得して圧勝したが、グルジアの選挙管理委員会は、なぜかこの選挙の正式な最終結果を1カ月経っても発表していない。これに対してアメリカの当局やソロスの側からは、何の指摘もなされていない。昨年11月の選挙では非常に厳しく不正を監督したのに、である。(関連記事

 アメリカや「国際社会」が、シュワルナゼを腐敗した独裁者と思っていたわけではないことは、その後シュワルナゼに与えられた任務を見れば分かる。4月16日、国連はシュワルナゼに対し、アナン事務総長の顧問になってほしいと要請した。シュワルナゼは、旧ソ連諸国やアフガニスタンの外交関係に関し、国連にアドバイスを行う役割を与えられたと報じられている。(関連記事その1その2

 国連の要請に対し、グルジア国内から強い反発があったため、アナン事務総長はその後「シュワルナゼに要請を行ったのは現場の職員で、国連の正式決定ではない」と、報道を否定した。シュワルナゼが非公式の顧問として機能するのか、それともシュワルナゼに対する要請そのものが現場職員の出すぎた行為だったのか、真相は不明だが、セルビアのミロシェビッチ大統領が国際刑事裁判所で裁かれているのと比べれば、雲泥の差がある。(関連記事

▼石油利権説にも疑問

「石油利権」に基づく説明もあり得る。グルジアは、隣国アゼルバイジャンにあるカスピ海沖のバクー油田の石油をトルコの地中海岸のジェイハン港まで運ぶ「バクー・トビリシ・ジェイハン・パイプライン」(来年春完成予定)のルート上にある。

 ベーカー元国務長官は、このパイプライン計画のコンサルタントをしており、パパブッシュと一緒に石油利権で稼いできた人物である。このため「シュワルナゼは、ロシアに接近しすぎて、パイプラインの建設を妨害したので追放されたのだ」という見方がある。(関連記事

(パイプラインについては「カスピ海石油をめぐる覇権争い」参照)

 だが、シュワルナゼはむしろ欧米に接近することでロシアの影響力を減少させようと努力してきた人で、アメリカがグルジアの要求を聞いてくれない場合はロシアに接近して見たたりしたこともあったが、それはアメリカとの交渉術にすぎなかった。パイプラインから得られる収入(通過料)は、財政難のグルジアにはありがたかったはずで、シュワルナゼがその建設を阻止しようとしていたとは考えにくい。

▼ロシアの影響力排除説もあるが・・・

「アメリカは、グルジアからロシアの影響力を排除したかったのだ」という見 方もあるが、これも現実とは食い違っている。サーカシビリ政権になった当初 は「間もなくグルジアに米軍が駐留するだろう」という予測があったが、実現 していない。(関連記事

 シュワルナゼ追放後に行われた軍事パレードでは、グルジア国歌の前にアメ リカ国歌が吹奏され、グルジアの新政権がアメリカの傀儡であるかのような演 出がなされたが、その後のサーカシビリ政権のやり方を見ると、ロシアとアメ リカの間でバランスを取ろうとする動きが目立っている。(関連記事

 それだけでなく、アメリカ国防省は、グルジア北隣のチェチェンのゲリラを監視し、グルジア軍を訓練するために2002年から派遣していた米軍の顧問団を格下げし、アメリカのセキュリティ専門会社(民間傭兵会社)に下請けさせる態勢に変えてしまった。(関連記事

 その一方で、経済面ではロシアの影響力が拡大している。冷戦後、グルジアの電力会社「テラシ」はAESというアメリカ企業によって買収されたが、社会主義時代の習慣が抜けない多くの国民が電力料金を滞納し続けたため、赤字になった。

 AESは昨年、テラシの持ち株をロシアの国営企業UESに売却し、今ではロシアのプーチン政権が、グルジアの電力料金が滞納されていることを政治交渉の材料にして「ロシアの言うことを聞かないと停電させる」と脅すようになっている。(プーチン政権とUESは、他の旧ソ連諸国に対しても同じことをやっている)(関連記事

 アメリカ側は「ロシアはグルジアに対する支配力を強めている」と批判しているが、米側がグルジアに対するロシアの干渉を防ぎたかったのなら、米企業AESがグルジアでの赤字分を他の部門で埋められるように米国内で規制緩和などをしてやり、AESに売却を思いとどまらせることもできたはずだ。

 むしろ、アメリカがグルジアに対する影響力を強化することを黙認しているのは、以前の記事「ロシアの石油利権をめぐる戦い」「消えた単独覇権主義」で紹介したように、アメリカの国際協調主義者(中道派)が「均衡戦略」に基づいてロシアのプーチン政権を強化したがっている流れの中にあると思える。

▼サーカシビリの目標はグルジアの安定化?

 結局のところ私には、アメリカがグルジアの政権転覆を推進したのは、グルジアを安定させるためだったのではないかと思える。グルジアは小さな国土なのに、国内には「分離独立」を掲げて中央政府の言うことを聞かない地域が3カ所もある。アジャリア、アブハジア、南オセチアで、いずれもグルジアの中央政府の権限が及ばない事実上の自治区になっている。(関連記事地図

 ソ連崩壊後の混乱をおさめるため、シュワルナゼはこの3地域に対して宥和的な態度をとらざるを得なかったが、新任のサーカシビリは就任早々、分離独立地域の一つであるアジャリアに対して強硬策を行うと脅し、3月には一触即発の内戦の危機に陥った。その後、サーカシビリとアジャリアの指導者アバシゼはいったん和解したが、4月下旬になって再びサーカシビリは「アバシゼを追放する」と宣言した。サーカシビリは、何とかしてグルジアの再統一を行いたいのだと思える。(関連記事

 ソ連の独裁者スターリンは、グルジアの地方都市ゴリの出身で、今でもグルジア人の中にはスターリンを「強い指導者」として誇りに思う傾向がある。サーカシビリは、シュワルナゼを倒すときのデモ行進を、ゴリの中心街にあるスターリン像(旧ソ連で唯一残っているスターリン像)の前からスタートしている。この作戦からも、グルジア人の誇りを掻き立て、国の統一感を強めたい方針が感じられる。サーカシビリはグルジアの国旗を中世に使われていたものに変えたが、これも民族意識を掻き立て、サーカシビリの独裁を強化するための政策と思われる。(関連記事その1その2

 サーカシビリは、大統領が議会の決議を拒否したり、議会を解散したりできる権限を自らに付与しようと、憲法改定を画策している。3月の選挙の結果、グルジア議会はサーカシビリの政党(国民運動)がほぼ全議席を占める状態で、サーカシビリの独裁体制ができあがりつつある。これは民主主義の観点から見ると、シュワルナゼの時代より悪化したと言えるが、政治が不安定なグルジアに強い政権ができることは、安定化を実現するためには必要だった。

 ジョージ・ソロスは「グルジアを民主化する」と言いながら、実際は逆に独裁政権を生んでしまっており、この点だけを見るとソロスはとんでもない奴だということになる。だが、ソロスにはグルジアを安定化させるという隠された目的があったのだとすると「バラの革命」は成功だったということになる。(関連記事

▼中東の不安定化とコーカサス

 グルジアを含むコーカサス3カ国は、トルコやイランといった中東とロシアとの間にあり、大国の狭間で不安定な歴史をたどってきた。

 2001年の911事件と昨年のイラク侵攻以来、アメリカ中枢のタカ派はイラク、イランなど中東地域を不安定化させる動きを続けている。タカ派は「イスラム対アメリカ」の「文明の衝突」を永続化するつもりなのかもしれないが、これを放置するとグルジアなどコーカサスやトルコなど、中東の周辺地域まで不安定になり、ロシアや中央アジアまで混乱が広がる可能性がある。これを防ぐため、中道派はグルジアを安定化させる必要があったのではないかと思われる。

 イスラエルがアメリカ政権中枢で強い力を持っていることもあり、イラクやパレスチナの情勢を見ると、中東そのものは、タカ派の戦略に沿って、今後長期にわたって混乱し続ける可能性が日増しに強くなっている。だが、コーカサスなど中東の外側の地域に対するアメリカの外交政策はまだ、安定を重視する中道派の管轄下にあり、だからこそパウエル国務長官は今年初めに「ブッシュ政権は、ロシア、中国、インドを強化する」という宣言を行ったのだと思われる。こうした「ユーラシア安定化策」の一つに、グルジアの政権転覆があったと感じられる。(関連記事

 グルジアの政変を演出することに手を貸したのは、反ブッシュを掲げて民主党に接近するジョージ・ソロスと、共和党の本流にいるベーカー元国務長官という、従来のアメリカの2大政党制の見地からするとライバルどうしの組み合わせだが、いずれもタカ派を嫌う中道派という点では一致している。グルジアの政変が中道派による策略だったということは、ネオコン・タカ派の新聞であるウォールストリート・ジャーナルが、ベーカーとソロスの「やらせ」によってグルジア政変が起きたと暴露する記事を昨年末に出したことからもうかがえる。

▼リビアやトルコでも安定化策

 ネオコン・タカ派が中東が不安定化していくのを尻目に、中道派が中東の外側の周辺地域を安定化し、混乱の拡大を防ごうとする動きは、リビアやイラン、トルコ、キプロスなどでも行われている。それらを行っているのは、アメリカの中道派(国務省など)、国連、EUという、国際協調派連合である。

 リビアはパンナム機爆破事件を「解決」する見返りに欧米と仲直りをさせてもらい、カダフィ大佐がヨーロッパを表敬訪問したが、これは今後サウジアラビアなどのアラブ産油国が「テロ戦争」の中で政権転覆させられた場合に備え、欧米が産油国のリビアから石油を輸入できる態勢を作りたかったのではないかと思われる。(パンナム事件はりビアがやったのではなく、アメリカのレーガン政権がリビアに濡れ衣をかぶせた可能性があるが、この件は別の機会に説明したい)(関連記事

 キプロスの南北統一EU加盟は、キプロスの南半分のギリシャ人地域が反対して失敗したが、この構想はもともと、キプロスの北半分のトルコ人地域をEUに加盟させることで、その先にあるトルコ自身のEU加盟にはずみをつけ、トルコをEUに入れて安定化させる計画の一部だった。(関連記事

 グルジア周辺のコーカサス地域でも、アルメニアとアゼルバイジャンの間で戦われているナゴルノカラバフ紛争に対し、アメリカやEU(ドイツ、フランス、イギリス)が新たな和平交渉を仲介する動きを始めている。(関連記事その1その2その3

 この動きには「アメリカは、アルメニアの軍事基地を使わせてもらえる約束を取り付けた」という話が含まれている。この点を重視すると「米軍はアルメニアの基地を、南隣のイランを攻撃する拠点として使うつもりではないか」という「不安定化」の方向の見方もできるが、アメリカ国防総省は最近、世界のできるだけ多くの国の軍事基地を使わせてもらえるように交渉しており、米軍がアルメニアの基地を使うことがどの程度危険なことなのかは、判断が難しい。(関連記事

▼ソロスの次の標的はウクライナ?

 ジョージ・ソロスは最近「EUは、コーカサスやウクライナ、バルカン半島諸国など、EU周辺の国々が安定して民主化できるよう、支援を強化すべきだ」とする論文を発表している。

 ソロス自身は、グルジアの次はウクライナで市民組織を動員した政権転覆を狙っていると指摘されている。ウクライナでは今年10月に選挙があり、これまで10年間政権の座にあったクチマ大統領は満期で辞任し、後継者として首相のヤヌコビッチを当選させようとしている。これに対し、市民運動が推す若手の改革派ユシチェンコ(元首相)が対抗馬として立候補する予定で、世論調査ではユシチェンコが有利だが、選挙で不正が行われてヤヌコビッチが勝つのではないかと懸念されている。(関連記事

 ソロスは、すでにセルビアとグルジアで成功した不正選挙を逆手に取った政権交代を、ウクライナでも実施しようとしている。グルジアのサーカシビリは、ウクライナのキエフ大学の卒業で、同級生にはウクライナの反政府運動の幹部たちが何人もいる。(関連記事

 ウクライナには、現政権を支持する愛国青年もいるようで、3月末にソロスがキエフを訪問したときは、「ウクライナ万歳。ソロスは出て行け」と叫ぶ若者から、糊のようなべとべとした液体をぶちかけられている。ソロスは、現政権が若者をけしかけてやらせたのではないかと示唆した。(関連記事

 ウクライナでは最近、地方選挙が行われたが、その選挙監視をした欧米のグループが選挙不正があったと訴え、アメリカ政府は「10月の大統領選挙で再び不正が行われないように望む」という声明を発表した。グルジアの政権転覆劇と同じ筋書きが、ウクライナでも始まっている。(関連記事

▼ベラルーシ、アルメニア・・・「革命」を広げるソロス

 同様の動きは、ウクライナの隣国ベラルーシでも起きている。ベラルーシの独裁的なルカシェンコ大統領を批判する学生組織は、昨年11月にグルジアで政権交代が起きた直後、首都ミンスクの市内に「ゴトブジェ」(Gotov Je!)と書いた横断幕を張り出した。これはセルビア語で「あいつはもう終わりだ」という意味で、セルビアの学生運動がミロシェビッチを倒す運動を展開したときに使った標語である。ベラルーシの学生組織は、政府当局者たちがセルビア語を理解しないことをいいことに、ルカシェンコに対して「次はお前だ」と表明したのだった。ベラルーシでは今年10月に議会選挙がある。(関連記事

 アルメニアやアゼルバイジャンでも、グルジアの政権転覆の成功に自信をつけた市民組織が、反政府運動を強めている。ロシアの新聞プラウダは「ソロスはそろそろ政権転覆の準備のためにアルメニアを訪問するのではないか」という観測記事を出している。(関連記事

 中央アジアでは、ウズベキスタンがソロスのオープンソサエティ財団の事務所を閉鎖する命令を出した。アメリカ政府はこれに抗議し、ウズベキスタンはアメリカからの経済援助を削減されそうになっている。(関連記事

 ソロスの財団は旧ソ連15カ国のうち14カ国に事務所を構えている。西欧的な文明の中にあって民主化が進んでいるバルト三国を除き、旧ソ連のどこの国でグルジア型の政権転覆が起きても不思議はない。ルーマニアなど東欧でも、グルジア型の政変が起きる可能性がある。

▼ネオコンとネオセン

 ネオコンが「戦争」によって「中東の強制民主化」を推進したのに対抗するかのように、ソロスは「市民運動」によって「旧ソ連圏の強制民主化」を推進しようとしている。アメリカ国内では、ソロスは民主党勢力を支持しているが、その動きは「新中道派」(ネオ・セントリックス、Neo-centrics)と呼ばれている。「ネオコン」(新保守主義)に対抗する「ネオセン」(新中道主義)である。(関連記事

 ネオコンもネオセンも、彼らの主張を言葉どおりに解釈すると、現実を見誤る。ネオコンは「中東を民主化する」といいながら、実際にやっていることは中東を不安定化することであり、イスラエルのために米軍を中東の泥沼状態に引っ張り込む作戦である。ネオセンは「旧ソ連圏を民主化する」といいながら、実際にやっていることは、より独裁色の強い政権を作ることで、それはネオコンが中東を不安定化することに対抗する安定化策として行われている感がある。

 もう一つ興味深いのは、ネオコンもソロスも、ユダヤ人であるということだ。ソロスは昨年、お金持ちのユダヤ人が集まる協会(Jewish Funders Network)の会合で「ユダヤ人差別が起きるのは、イスラエルとアメリカの政策のせいである」と発言し、ネオコンに代表される親イスラエル的なタカ派の政策を批判している。(関連記事

 ソロスは、幼少期にホロコーストを逃れ、家族に連れられてハンガリーからイギリスに渡った出自を持つ。ネオコンの中にも、ホロコーストから逃れて渡米したユダヤ人の子供が何人もいる。その同じ経験の中から、ネオコンはイスラエルのためにアメリカを戦争に引きずり込む戦略を追求し、ソロスはそれと敵対する戦略を追求している。ユダヤ人どうしが、世界各国の政権を転覆させながら戦っている。



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