米司法省が起こしたドイツ銀行の危機2016年10月3日 田中 宇ドイツ最大手のドイツ銀行が、米政府の司法省から法外な賠償金の支払いを要請されている。米司法省は、ドイツ銀の株価総額と同水準の140億ドルの支払いを求めており、要求通り払ったらドイツ銀は経営難が加速して破綻しかねない。9月16日にWSJ紙がこの件を報じて以来、ドイツ銀の株価は30年ぶりの安値まで急落し、ヘッジファンドなど投資家が預けた資金の引き揚げに動くなど、ドイツ銀に対する信用不安が起きている。 (Deutsche Bank Is Asked to Pay $14 Billion to Resolve U.S. Probe Into Mortgage Securities) (A Crashing Deutsche Bank Scrambles To Assure Markets That It Is "Fine") 問題の賠償金は、08年のリーマン倒産の元凶となった、米国の「サブプライム住宅ローン債券」をめぐるものだ。この債券は、返済される確率が(プライム=最優良格の人より)低い、米国の低所得層に貸した住宅ローンの債権を束ねて債券にしたもので、いずれ返済不能者が増えて債券が破綻(額面割れ)すると知りつつ、ドイツ銀行や米国の大手銀行がリーマン前に売りまくっていた。サブプライム債券が連鎖破綻して金融危機に発展した後、ドイツ銀など欧米の大手銀行は、危険な商品と知りつつ売っていたことを認めた。 (Pressure on German bank weighs on its shares and the wider US market) (アメリカ型金融の破綻) (国際金融の信用収縮) とはいえ、今回の140億ドルは、米司法省がドイツ銀に科した「罰金」でない。サブプライム債券の購入者が、ドイツ銀に損害賠償を求めた民事訴訟の和解金だ。民事訴訟なので、米司法省はもともと関係ない。それなのに司法省は、サブプライムで損した原告の投資家の弁護士の役割を(米国の投資家を守る観点から??)勝手に演じ、ドイツ銀に対し、金を払えと要求している。しかも140億ドルは、和解金の原告側の要求額であり、交渉を経て最終的にドイツ銀が支払う和解金は20億-50億ドルと予測されている。すでにドイツ銀は、和解金に使えるよう、62億ドルの準備金を積み立ててある。米欧マスコミのいくつかは、これを「140億ドルの確定的な罰金」であるという感じで報じてしまった。この誤報が市場で真に受けられ「準備金よりはるかに多い額なので、ドイツ銀は払い切れず行き詰まる」「株を売れ」「資金を引き出せ」と騒ぎになった。 (The amazing survival (so far) of Deutsche Bank) (The Run Begins: Deutsche Bank Hedge Fund Clients Withdraw Excess Cash) 米司法省は、この件でドイツ銀だけを狙い撃ちしたわけでない。すでに米国の大手銀行は司法省の要請に応じ、和解金を支払っている。しかも、たとえばバンカメとJPモルガンは、それぞれ200億ドル以上の賠償金を債券の買い手から求められたものの、最終的な和解金はバンカメが167億ドル、JPMは130億ドルで手打ちしている。米司法省は、米国内の大手銀行に和解金を支払わせ、次は欧州だということで、欧州最大手のドイツ銀に支払い請求した。今後、英バークレイズやクレディスイスにも請求する見通しだ。 (Deutsche Bank: What to Know) ▼すでに経営難のドイツ銀にさらに意地悪する米司法省 このように米司法省の行動は、それだけを見ると筋が通っている。だが、なぜ今のタイミングで??、と考えると、米政府は馬鹿じゃないかと思えてくる。ドイツ銀を始めとする欧州の銀行界は、この1年半の欧州中銀によるQE(民間銀行が優良な国債を買えなくなる)とマイナス金利策(利ざやの消失)によって利益が出なくなり、経営難が広がっている。 (Deutsche Bank woes reveal a new financial crisis) (ユーロもQEで自滅への道?) 加えてドイツ銀は、昨年暮れにLIBOR金利不正操作事件で25億ドルの罰金を支払わされてCEOが交代し、今年1月には68億ユーロの損失を計上し、2月にはCEOが全行員に対して「経営は全く問題ないので安心しろ」と呼びかけた(実際は経営難で行員の間に不安が広がっているので、正反対のウソを言う必要があった)。3月には高リスクのデリバティブが520億ユーロあると発表され、6月末にはIMFがドイツ銀を「世界の金融システムを危険に陥らせている最大の要因」と名指しで指摘した。翌日には米連銀が、ドイツ銀が「ストレス試験」に落第したと発表し、その後、株価が半値まで下落した。 (Deutsche Bank From Wikipedia) (英国金利歪曲スキャンダルの意味) このように、ドイツ銀は最近、連続して信用失墜の出来事に見舞われており、何とか存続しているが、息も絶え絶えの状況だ。豪州の新聞は「ドイツ銀が存続しているのは驚きだ」と書いている。こんな苦境なのに、それにわざわざ追い打ちをかけるように、米司法省は、法外な「罰金」をドイツ銀に払わせる(と市場に思わせる)事態を作っている。 (How US regulators may be creating panic around Deutsche Bank) (Deutsche Bank shareholders in for more pain) 10月2日にはAFP通信が「司法省とドイツ銀が交渉した結果、和解金は54億ドルで妥結しそうだ」と報じた。140億ドルよりずっと安い和解金が好感され、ドイツ銀の株価が反騰し、ドイツ銀のせいで世界的に下落していた株価が再上昇した。だが実のところ、ドイツ銀のCEOはこれから訪米して司法省との交渉に入る予定で、まだ妥結などありえない状況だった。AFPの記事は、金曜日に株価を引き上げて週末を迎えたい金融筋が流したウソだった可能性が高い。 (Deutsche Bank close to slashing US fine: source) (Deutsche Bank pressure eases as US fine looks smaller) 米司法省は、米国内の大手銀行に和解金を払わせた際、静かに事を進め、今回のドイツ銀に対してのような大騒ぎを誘発していない。今回の件は、米国からドイツや欧州勢に対する意地悪に見える。意地悪だとしたら、簡単に交渉が終わって安い和解金で決着せず、最終的な和解金は予測の範囲内(50億ドル前後)だとしても、そこに行きつくまでの交渉が長引きそうだ。 (Deutsche Bank, U.S. DOJ Continue to Discuss Mortgage-Securities Settlement) (Some Deutsche Bank Clients Unable To Access Cash Due To "IT Outage") ドイツ銀は2200億ユーロの流動資産を持っている。前出の豪新聞によると豪州の銀行界全体の流動資産総額と同規模だ。ドイツ銀の支払い能力は(今のところ)問題がない。欧州の他の銀行も経営難なので、ドイツ銀から預金を引き出して他の銀行に移す預金者も(今のところ)少ない。株価の下落やヘッジファンドの動きが騒ぎを起こしているだけだ。しかし今後、米司法省との和解金交渉が妥結せず、この騒ぎが何度もぶり返されると、預金者や債権者の間に不安が拡大し、危険な事態が増す。ドイツ銀は格付けもジャンクより少し上でしかない。今後ジャンクに格下げされると、リスク上昇の悪循環が加速する。 ('No reason to worry' even after US asks Deutsche Bank to pay $14 billion) (Deutsche Bank won't go belly up, but it's not out of the woods: Short seller) 米国は、大統領選挙まであと1か月だ。選挙前に株価の下落や経済の悪化が起きると、野党(今の大統領の母体でない方の党)の候補にとって有利になる。今回の選挙ではトランプが野党だ。オバマ政権の司法省が、今のタイミングでドイツ銀に対する懸念を扇動し、銀行株を皮切りに株価を押し下げるほど、オバマの(表向きの)後継者であるクリントン候補が不利になり、オバマが(表向き)嫌っているトランプを優勢にする。司法省がドイツ銀と短期間に和解しない場合「隠れ反軍産のオバマは、軍産傀儡のクリントンでなく、反軍産のトランプをこっそり支援している」という、以前からの私の仮説が現実味を帯びてくる。今回の件が「オクトーバー・サプライズ」になっていくかどうかが注目点だ。 (軍産複合体と闘うオバマ) (“October Surprise”? Sudden Economic Meltdown Could Throw Elections, Decide Next President) (Will Financial Trouble for Deutsche Bank Lead To Another 2008 Type Financial Collapse?) ▼南欧に厳しく言った手前ドイツ銀を救済できないメルケル ドイツ銀の危機が今よりひどくなった場合、ドイツ当局がドイツ銀を救済するのかどうかという問題になる。これまで預金者は「いざとなったら政府の救済が入る」と考えて、経営難のドイツ銀から預金を引き出さないできた。だが今回、米司法省が騒動を起こした後、メルケル首相は、政府がドイツ銀を救済することはないと繰り返し明言し、ドイツ銀にも「政府の救済は必要ない」と言わせている。 (No way Merkel can bail out Deutsche Bank, German media say) (Bailing out Deutsche Bank would be a terrible decision for Angela Merkel) メルケルはこれまで、ギリシャやイタリアなど南欧や東欧の銀行が経営破綻に瀕した時、EUとして緊縮政策を貫き、それらの銀行をEUの公金で救済することを拒否し続ける厳しい態度をとってきた。今回もしメルケルが自国のドイツ銀の危機に対して公金での救済を表明してしまうと、他のEU諸国から「メルケルは他国に厳しいくせに、自国の銀行には甘い」と批判され、EUの結束を壊してしまう。政府による銀行救済(ベイルアウト)は、国内的にも、メルケルの金融政策の失敗として批判の対象になる。ベイルアウトを採用せず、銀行の債権者や大口預金者に損をさせるベイルインの対処方法もあるが、これも独国民の大事な預金を損なったと批判されてしまう。 (The Danger From Deutsche Bank) (Deutsche Bank: Settling for less) ドイツは来夏、総選挙が行われる。すでにメルケルの中道右派政党CDUは、中東からの難民を気前よく受け入れた政策の大失敗から、最近の補選や地方選挙で、難民に厳しい態度をとる極右政党AfDに連続して敗北している。メルケルはこれ以上、国民から批判を受ける政策をやれなくなっている。メルケルは、ベイルアウトもベイルインもやれない。この状態で、ドイツ銀が今より危険になって資金の流出が加速すると、利益が出ている部門の売却、もしくは銀行ごと他の大手銀行に身売りするしかない。 (Deutsche Bank: 5 scenarios for the German bank) (Will the German government let the lights go out on Deutsche Bank?) (Merkel admits she would turn back the clock on refugee policy) ドイツ銀が今後、身売りに至ると、それは08年3月に破綻して超安値でJPモルガンに買収された米投資銀行ベアースターンズの先例に近くなる。銀行破綻の例として、08年9月のリーマンブラザーズの倒産は、信用失墜に加えて債務超過を併発し、倒産しか手がなかったのに対し、ベアスタは信用失墜だけで支払い能力は残っていたので身売りになった。ドイツ銀の破綻はリーマンの再来でなく、ベアスタの再来なので、世界の金融システムへの悪影響がリーマンほどひどくない、という分析が出回っている。 (Deutsche Bank really isn't like Lehman. It's more like Bear Stearns) (Seperating Deutsche Bank Equity Risk From Systemic Risk) だが、もっと広い視野で見ると、リーマンの時は、米欧日の中央銀行がまだ危機回避のための豊富な資金力(造幣力、信用)を持っていた。しかし、それから現在に至るまでの8年間で、米欧日の中銀群は、リーマン危機で凍結状態になった米国中心の債券金融システムを延命させるため、QEやマイナス金利策によって資金力を使い果たしている。以前なら、中銀群が少し力を使うだけで回復できたベアスタ級の金融危機が、今の中銀群にとっては、手に負えない大きな危機になってしまっている懸念がある。 (Deutsche Bank puts CDS market to test) (さよなら先進国) ドイツ銀はかつて、投資銀行業務で利益の大半を出していた。だがQEの長期化とともに、投資銀行業務で儲ける源泉だった民間の金融市場の活性が失われて完全に官製相場と化し、投資銀行業務はどこも儲からない。ドイツ銀行の今の儲けの多くはデリバティブの取引から出ている。デリバティブは、投資銀行よりリスクが大きく、しかも破綻した場合、破綻が連鎖してシステム的な危機になりやすい。ドイツ銀は、世界最大級の75兆ドルのデリバティブ残高を持っている。デリバティブの危機も、リーマンの時は米当局がAIGを救済して最悪のシステム危機の発生を防いだが、今のパワーが低下した中銀群などの当局の状態では、危機を鎮火できるかどうか危うくなっている。 (Could Deutsche Bank Collapse?) (The Elephant In The Room: Deutsche Bank's $75 Trillion In Derivatives Is 20 Times Greater Than German GDP) 米司法省とドイツ銀の交渉が早めに妥結すれば、ここに書いたような危機は起きない。しかし、交渉が難航して長引くほど、金融危機の発生やトランプの勝利が現実のものになっていく。交渉がどうなるかが今後の注目点だ。
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