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軍産複合体と闘うオバマ

2016年3月23日   田中 宇

 3月中旬に米国の月刊誌「アトランティック」が、4月号の記事として「オバマ・ドクトリン」と題する記事をネット上で発表した。米国の軍事・国際政治の分野において「ドクトリン」は「世界戦略の基本理念」を意味する。この記事は散漫で、非常に長い(この10年間のアトランティック誌で最も長い)ので基本理念を簡潔に示していないが、記事の最後に全体を要約するかたちでオバマ・ドクトリンとは何かが書いてある。 (The Obama Doctrine) ("The Obama Doctrine": The Atlantic's Exclusive Report on the U.S. President's Hardest Foreign Policy Decisions

「中東は、もはや米国にとって最重要な地域でなくなっている。大きな経済発展が期待される(東)アジアの方が重要だ」「今後、米国が中東に関与し続けても事態を改善できる点は少ない。米国の中東関与は軍事に偏重し、無数の米軍兵士が死に、米国の覇権が浪費されるだけだ」「世界は米国の覇権低下を望んでいない(だから米国は中東への介入を低下させざるを得ない)」「欧州の同盟諸国が中東への軍事介入に協力してくれないのが事態悪化の元凶だ」といった内容だ。要するにオバマ・ドクトリンは「米国は中東に対する関与を低下させていく」という宣言だ。 (Shrinking the use of power: the ‘Obama Doctrine’

 この記事は、米国の中東戦略が好戦的な軍事偏重になっている理由について、サウジアラビアを筆頭とするアラブ諸国が、米国に政治圧力をかけ、米国の戦略を軍事偏重の方向にねじまげているからであり、オバマはこの点でサウジなどアラブ諸国を嫌悪していると書いている。実のところ、米国に圧力をかけて中東戦略を軍事偏重にしている勢力は、アラブよりもイスラエルだ。この記事を書いたジェフリー・ゴールドバーグは、NY生まれだが志願してイスラエル軍で兵士をした経歴を持つ、米国とイスラエルの二重国籍者でシオニストのユダヤ人だ。オバマはゴールドバーグに、何年もかけて自分を取材させている。オバマ・ドクトリンは、アラブ諸国に向けて発せられた宣言のように見せかけているが、実のところ、イスラエルに対して「米国は、もう中東から出て行くよ」と宣言するものになっている。 (How Barack Obama turned his back on Saudi Arabia and its Sunni allies

 オバマドクトリンの記事が発表された直後、ロシアのプーチン大統領が、昨秋からシリアに進出していた露軍の撤退を開始すると発表した。911以来、中東に15年も軍事介入して失敗し続け、中東撤退のドクトリンを発表せざるを得なくなった米国と対照的に、ロシアはわずか半年の軍事介入でシリアを安定化することに成功した。米国は、イラクとアフガニスタンの合計で1・6兆ドル(別の概算では6兆ドル)を費やしたが、ロシアのシリア進出は5億ドルしかかからなかった。両者の差は、3200倍もしくは8000倍だ。 (The True Cost of the Afghanistan War May Surprise You) (Russia's Syria operation cost over $460 million - Putin

 プーチンが異様にうまいのでなく、米国が異様に(未必の故意的に)下手くそだ。ロシアのシリア進出は成功裏に終わりつつあり、今後ロシアはシリア、イラン、イラク、レバノン、エジプトなど中東の広い範囲に対し、長期的に影響力を持つことが確定的になった。中東では、オバマドクトリンで示された米国の関与縮小と、ロシアの関与拡大が同時に起きており、中東での主役が米国からロシアに替わりつつある。 (Obama's Destabilizing Candor on the Middle East) (わざとイスラム国に負ける米軍

 今回の記事を、基本戦略の表明(ドクトリン)として見ると、それは「中東からの米国の撤退」になるが、この記事はもっと別の読み方もできる。それは、オバマが大統領になってからの7年間に、いかに軍産複合体(軍産)と熾烈に格闘(暗闘)してきたか、という部分だ。「軍産複合体」は1961年にアイゼンハワー大統領が退任時の演説で初めて存在を指摘したもので、私が見るところ、米国の軍隊(軍部)と軍事産業だけでなく、軍の関連機関である諜報界、戦争を利用する金融界、戦勝を目的とした歪曲された報道や分析(プロパガンダ)を発するマスコミや学術界や政府広報部門や市民団体、米国に好戦策を採らせて自国の国益を満たす外国の当局筋(特に英国とイスラエル)などが含まれる。オバマは今回の記事の中で「外交専門家」たちが、失策にしかつながらない好戦策ばかりを主張し、大統領である自分にやらせようとするといって怒っているが、この外交専門家たちは皆、軍産複合体の一部である。 (Fatalism taints the Obama doctrine

 あらゆる近代国家は、戦争になると、平時と異なる有事の状態(非常事態)になり、平時に許されないはずの、報道の歪曲、国民への洗脳、政治や経済に関する自由の隠然とした制限・剥奪などが許される。権力層は、有事を理由に制限を取り払い、好き勝手にできる。権力層にとって、戦争は大変だが、有事を理由に勝手をやれるのは素晴らしい。形だけ戦争を継続し、それを口実に有事体制を恒久化できたら良いね、と為政者が夢見るのは自然だ。軍産は、その「夢」を実現する勢力である。米国は、第二次大戦後に軍産が形成されて以来、有事体制が解消されたことがほとんどない。終戦から朝鮮戦争までの約5年間と、冷戦終結から911までの約10年間だけが例外だ。オバマのドクトリンは、911以来のテロ戦争の有事体制を終わらせて平時に戻そうとする試みでもある。 (Five thoughts on the Obama Doctrine) (戦争のボリュームコントロール

 私の見立てだと、軍産複合体を結成したのは英国だ。米国は第二次大戦後、18世紀以来の覇権国だった英国から覇権を移譲されて単独覇権国になったが、米国は国連安保理の5カ国の常任理事会の体制に象徴されるように、自国の単独覇権体制でなく、米国と他の地域覇権国が対等に立ち並ぶ多極型の覇権体制を望んでいた。英国は、表向き米国に覇権を移譲しつつ、英国の在米の代理人たちが米国の外交戦略を牛耳るように仕組むことで、引き続き自国が隠然とした覇権国であり続けようとした。世界が多極型になると、この英国の戦略が機能しなくなる。英国勢は、米国の上層部(軍事産業や金融界)に「夢」の実現を持ちかけ、英チャーチル首相が米国を訪問して発した「鉄のカーテン演説」を皮切りに、米英と、ソ連や中国が恒久的に対立する有事体制である冷戦を開始させた。ソ連や中国の脅威は常に誇張され、脅威の誇張を指摘する者をアカ呼ばわりする体制が作られた。 (多極化の本質を考える

 軍産体制下の米国は、常に「敵」の脅威を誇張する。本物の激しい戦争をすることは、国力を浪費するので望ましくない。敵の脅威を捏造・誇張し、空爆や弾道ミサイル発射や特殊部隊による(幻影的な)敵国潜入ぐらいでとどめ、有事体制を恒久化する。それが軍産の理想の戦略だ。「敵」との和解を提唱する政治家は「容共」「弱腰」と酷評され、悪者にされる。善悪を決める判定者はマスコミや外交専門家、つまり軍産だ。有事体制が続く限り、マスコミつまり軍産は、どんな世論が優勢かという分析も捏造歪曲し放題なので「世論はソ連を許さない」「国民は容共な大統領を弱腰だと思っている」などと書きまくる。当選したい候補者は、軍産を味方につけるしかない。再選されるには、中ソ(中露)の敵視や、軍事費の急増、英国やイスラエルとの同盟関係の維持を叫ぶのが良い。政界も、報道界も、学界も「ウソこそ真実」の逆転的な事態になって久しい。米国だけでなく、日本や欧州などの同盟諸国も同様の事態だ。 (ネオコンの表と裏

 軍産が存在しなかったとしても、もともと政治はウソこそ真実の世界だ。冷戦体制が恒久化しても構わないという考え方もできる。しかし経済面で見ると、冷戦体制は東側の経済停滞を生み、世界の半分しか経済成長できなかった。「第2冷戦」として構築されたテロ戦争の15年間、テロ戦争の戦場(敵)とされた中東諸国は大きく破壊された。軍産が支配する体制を壊さないと、世界経済の長期的な発展が阻害される。軍産による米英単独覇権体制よりも、もともと米国が終戦時に目指していた多極型の覇権体制の方が、世界経済の長期的な発展を実現できる(「経済専門家」の多くも歪曲勢力なので、このように書くと、軽信的な人々から「経済理論的に見て間違いだ」といった反論がくる)。 (ひどくなる経済粉飾

 人類全体の善悪観を操作する権限を保持する軍産に勝つのは容易でない。「脅威や善悪観が歪曲誇張されている」と主張しても馬鹿扱いされて終わる(本当は軽信させられている人類全体の方が馬鹿なのだが)。敵との和解の提唱も、容共や弱腰のレッテルを貼られる。正攻法では、軍産の体制を乗り越えられない。そこで、米国上層部で多極型への移行を試みる勢力が繰り返し挙行してきたのが、軍産による形だけの戦争を過激にやって本当の泥沼のひどい戦争へと悪化させ、米国の世論を厭戦的にして、軍産自身が戦争をやめたいと考えるように仕向け、挙国一致で戦争をやめる策に転じたついでに他の諸大国に地域覇権を移譲して世界を多極型に転換するという、回りくどい策だった。 (ますます好戦的になる米政界

 このやり方は、ベトナム戦争の泥沼化からニクソン訪中への流れ最初に試みられた。ニクソン大統領は、ベトナム戦争が泥沼化した後の1969年、世界に向かって「もうあまり軍事的に米国に頼らないでくれ」と宣言する多極化誘導の「ニクソン・ドクトリン」を発している。その後、同じやり方が、イラク戦争の泥沼化から、今回のオバマドクトリンへの流れで再び試みられている。オバマの中東退却策に「ドクトリン」の名前がつけられたのは、ニクソンのドクトリンを意識した感じだ。ニクソンは、ドクトリンの具体策の一つとして、サウジアラビアと、当時まだ親米国だったイランを中東の2つの地域大国とみなす方針を打ち出している。今回のオバマのドクトリンも、イラクとサウジアラビアがシーアとスンニの対立を乗り越えて「冷たい和平」を構築するよう求めている。 (Iran and Saudi Arabia: From Twin Pillars to Cold Peace?) (Nixon Doctrine - Wikipedia

 さらに、ニクソンやオバマのドクトリンが示した転換策の亜流として存在するのが、世界各地の反共ゲリラ勢力を支援してソ連をアフガニスタンなどで戦争の泥沼に引きずり込んで潰し、冷戦を終わらせてしまう策につながった1980年代のレーガン・ドクトリンだ。このドクトリンに基づいて、米国が支援したアフガニスタンの反共ゲリラが、のちにアルカイダやタリバンといった反米イスラム過激派になり、911を契機に、今度はブッシュ政権の米国を戦争の泥沼に引きずり込む要因になった。 (Reagan Doctrine - Wikipedia) (米露逆転のアフガニスタン

 911後、ブッシュ政権は、先制攻撃による政権転覆や単独覇権主義の強調、軍事を使った世界民主化の理念を盛り込んだ「テロ戦争」の理念として「ブッシュ・ドクトリン」を打ち出した。ブッシュとオバマのドクトリンは表裏一体の関係にあり、オバマのドクトリンはブッシュのドクトリンの終わりを宣言するものとなっている。 (The Bush Doctrine and the U.S. Military

 今回のオバマ・ドクトリンは、ロシアや中国が強くなることが世界の安定のために必要だとも主張しており、中東だけでなく世界的な多極型覇権体制への転換を希求するものになっている。オバマは「中国がこのまま平和台頭するなら、いずれ中国は、国際秩序維持の負担を米国と分け合える存在になる」「同様に、弱いロシアも米国にとって良くない」と述べている。中国と米国が、国際秩序維持の負担、つまり覇権を分け合う存在が望ましいと言っているオバマは、多極主義者である。オバマは「中国政府が自国民を満足させられず、影響圏拡大のみに終始したら、中国と対立関係になるだけでなく、米国が世界の問題を解決するのがより大変なことになる」と述べ、中国が「良い国」になって米中協調できる態勢になることが必須だと言って、一応軍産内のリベラル派の主張を採り入れてみせている。 (The Obama Doctrine

 半面オバマは、英国のキャメロン首相や、フランスのサルコジ前大統領を、口だけ好戦的だが実働面で米国の軍事行動を十分に助けたがらなかったと酷評している。特にリビアへの軍事介入において、オバマは、英仏がもっと軍事行動をするだろうと期待していたが裏切られ、もう英仏に期待できないので米国も軍事策をやめざるを得なくなったと言っている。口だけ好戦的で実働しなかった英仏は、伝統的な軍産として振舞ったわけだが、オバマは「隠れ多極主義」的なネオコンの理論を借りてきて、過激な軍事策についてこない英仏は同盟国として失格だ、と主張している。泥沼から抜けるために中東を撤退せざるを得ないという「現実主義者」(リアリスト)の理論と、英仏は好戦性が足りないので同盟国じゃないという「理想主義者」(ネオコン、ネオリベラル)の理論の両方が混在するオバマは不可解だと評されているが、混在させるのは目くらましの戦法だろう。 (Obama Is Not a Realist) (Realism and the Obama Doctrine

 オバマは好戦派を嫌う姿勢を見せているが、大統領府の側近たちの中に多くの好戦派を入れた人選は、オバマ自身が決定したものだと、今回の記事の中で説明されている。オバマは、好戦派たちを側近に配置して過激な軍事策をやらせ、それらが次々と失敗するたびに、それを契機に現実策に転換し、ロシアやイランに中東の国際秩序の運営を任せる状態に導いている。ニクソン以来、何度も繰り返されてきた歴代米政権の隠れ多極主義的な転換を見ると、オバマのやり方も意図的な戦略に見える。 (米英覇権を自滅させるシリア空爆騒動

 これまでの長い暗闘の歴史から考えて、来年からの米国の次の政権は、誰が大統領になるにせよ、オバマドクトリンの方向性を継承するだろう。トランプが表明している政策は、オバマがドクトリンで打ち出した理念とよく似ている。クリントンが大統領になった場合は、トランプになる場合より軍産に配慮する傾向になりそうだが、現実策から好戦策に逆流していくことは困難で、好戦策を打ち出しては失敗して現実策に転換することが繰り返される(つまりオバマがやったことの繰り返しになる)可能性の方が高い。 (ニクソン、レーガン、そしてトランプ

 軍産の一部(テロ戦争の主導役)だったイスラエルは、オバマドクトリンに対し、現実主義者として対応している。イスラエル軍の制服組のナンバー2である副参謀長(Yair Golan)は最近「米国が好戦策をやめて、明確な脅威に対してのみ軍事策を使う現実策に転換し始めたのだから、イスラエルも同様に(ヒズボラやイラン、シリアなどの)敵の脅威を現実的に分析して対応し、軍事力の行使を急がない策をやるべきだ」「イスラエルは、ヒズボラを潰せる軍事力を持っているからと言って、ヒズボラに戦争を仕掛けるべきでない」「ロシアの上層部は才能があるし賢い。われわれシリア内戦に関して、ロシア軍の上層部と実利的な対話をしている」などと述べ、オバマのドクトリンに同調する姿勢を見せたと報じられている。 (Top Israeli Commander Endorses Obama Doctrine; Gives Kudos to Moscow

 英国やイスラエルは、米国の覇権を牛耳る策ができなくなっている。軍産と英イスラエルの複合体から、英イスラエルが離脱している。これは、軍産複合体の終わりになるのだろうか。それとも、レーガンがやった冷戦終結で英国が軍産と切り離されたあと、イスラエルが軍産との結束を強めて911を誘発し、イスラエルに有利な「第2冷戦」たるテロ戦争につなげたように、軍産は今後、単独で、もしくは英イスラエル以外の誰かと結託し「第3冷戦」的な新たな恒久的なやらせ戦争の体制作りを目論むのか?。 (日本は中国に戦争を仕掛けるか

 目論むとしたら、どんな策なのか。たとえば、日本が対米従属の維持を目的に米国の軍産と結託し、中国と戦争して米国を巻き込む策をやるといったことがあり得るのか?。オバマ・ドクトリンの記事は日本については一言も言及していない。日本が「第3冷戦」の誘導役になる可能性は、今のところ低い。しかし、すでに書いたように、軍産は為政者にとってとても都合の良い道具だ。軍産が、このまますんなり雲散霧消していくとは思えない。これから10年間ぐらいの国際情勢の中心は、軍産の行く末がどうなるかと、そのことの裏側として、多極化がどうなるかになりそうだ。



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