戦争のボリュームコントロール2003年8月1日 田中 宇近代国家(国民国家)とは、18−19世紀のヨーロッパの王侯貴族たちが、自分たちの利権を拡大するための戦争に、安上がりな方法で地域の人々に協力させることを目的として作られた、という歴史観(国家戦争装置論)がある。 近代国家になる前の国家では、戦争は傭兵(職業軍人)どうしが行うもので、一般民衆は破壊の被害を受けることはあっても直接の当事者ではなかった。ところがフランス革命などを機に近代の国民国家システムが作られ、人々は「民主主義」という制度のもとに参政権を与えられる半面、国家を愛する義務を負い、税金を払い、戦時には徴兵に応じる「国民」となっていった。 これは王侯貴族など国家の支配者にとっては、国民を自発的に国家に協力させ、傭兵に莫大な金を払わなくても「愛国心」を煽る教育(洗脳)だけで一般国民を献身的な兵士に変える画期的な方法だった。国家はしだいに「国民のもの」という性格を帯びたが、王侯貴族らはうまく政権の中枢を握り続けられるように画策し、上手に政治を動かして「国民主権」をお題目だけのものにし続けた。安上がりに「国民皆兵」を実現した国民国家は、旧来の傭兵システムの封建国家よりも戦争に強かったから、ヨーロッパ諸国はこぞって国民国家制度に移行した。 ところが、そうやって戦争に強くなったヨーロッパ諸国は、相互に破滅的な戦争を繰り広げてしまうことになり、2度の大戦を経験した後、もうヨーロッパでの戦争はやってはいけないということにして、第二次大戦後はヨーロッパの2大ライバルであるフランスとドイツを中核にして統合を進めるEUの計画を進めだした。(イギリスも中核国として誘ったが断られた) ▼大戦争は経済バブル 一方、アメリカにとっては、2度の大戦はヨーロッパとはかなり異なる意味を持っていた。アメリカは2度の大戦の戦場になっておらず、自国の生産施設が無事で、ヨーロッパに大量の兵器を売り込み、戦争景気に湧くことになった。だが、大きな戦争は経済的に見ると巨大なバブルで、戦争が続いている限り景気が良いが、戦争が終わると需要が急にしぼみ、一気に不況になってしまう。第一次大戦が終わった後、アメリカは大恐慌に陥り、ニューディール政策で大規模な公共工事や銀行救済をやって経済をテコ入れしなければならなかった。 この教訓から、第二次大戦が終わったときは、アメリカは戦争景気が終わることへの対策を必要とした。それで考えられたことの一つが、世界中にアメリカ製品を買わせる「自由貿易の拡大」だった。大戦によって生産設備が破壊されており、今や世界中で工業製品を大々的に輸出できるのはアメリカだけだった。 破壊されたヨーロッパや日本、いずれ発展が期待できる中国などに経済支援を行い、豊かになってきたらアメリカの製品を買ってもらおうとする計画も生まれた。アメリカの金儲けをバックアップする国際政治体制として、いくつかの大国が均衡して存在し、新設された国連を舞台に利害を調整する多極主義が用意された。 ところがこの戦略だと、全体としてアメリカ経済を救うことはできるが、戦争景気の受益者だった軍事関連産業にはマイナスだった。また2回の大戦は、それまで地方分権の傾向が強かったアメリカで連邦政府の力を急増させ、中央集権国家に変身させていた。連邦政府の予算は、1929年にはGDPの3%を占めるだけだったが、1946年には30%に上がっていた。 軍事産業や連邦政府の規模を維持したいワシントンの政府としては、自由経済の推進以外の戦略も採る必要があった。その希望に合致するように起きたのが、ソ連との対立激化が永続的な「冷戦」へと発展していく流れだった。 アメリカの政府と軍事産業にとって、経済的バブルになってしまう2度の大戦のような巨大な総力戦は避けるべきことになったが、とろ火で長く続く戦争は好都合だった。冷戦は、キューバ危機などをのぞけば、アジアとヨーロッパというアメリカから遠いところで続く戦争で、アメリカはほぼ無傷で利益を上げられる構造だった。冷戦が始まると、均衡戦略を目指していた米政権内の国連派は「共産主義のシンパ」として攻撃され、ソ連の脅威を叫ぶ冷戦派が強くなった。 第二次大戦後、1947年ぐらいに再びアメリカで大恐慌が起きると予測する学者もいたが、自由貿易と冷戦構造により、それは現実にならなかった。ソ連のスターリンは、戦後急に資金の流れが止まって恐慌になるのを防ぐため、アメリカは大戦後にソ連に経済援助するだろうと予測していた。だが、資金はソ連ではなく日独に行き、スターリンに求められたのはアメリカの敵として対抗的に振る舞うことだった。 冷戦はアメリカが起こしたのではなくソ連の拡張主義が原因だ、という見方もあるが、たとえば朝鮮戦争の直前には米軍が韓国から撤退する姿勢を見せ、金日成に「南を侵攻してもアメリカは反撃してこないだろう」と思わせる作戦が展開されたように、アメリカは冷戦の激化を煽ったふしがある。 ▼上下し続けた戦争装置のボリューム アメリカにとって難しかったのは「とろ火の戦争」の火力調節、戦争装置のボリュームのコントロールを、アメリカ上層部の諸勢力のうち誰の利害に基づいて行うかということだった。それをめぐって確執が続いたのがアメリカの戦後政治史だった。その流れを私なりの解釈で語ると以下のようになる。 米政府の中には、冷戦構造をなるべく大変なものに見せかけようと努力する「軍事産業貢献派」の人々が常にいた。1950年代には、CIAなどが諜報情報をねじ曲げて分析し「ソ連はアメリカが概算しているよりずっと多くのミサイルや戦闘機を持っているに違いない」と主張するようになり、ソ連との「ミサイル・ギャップ」を埋めるためにアメリカは武器を増産しなければならない、というボリュームアップの理論がまかり通った。 最近のイラク戦争で、米英がイラクの脅威を誇張して語っていたことが明らかになっているが、こうした詐欺的な手法は、遅くとも1950年代には、すでにアメリカ当局者のお家芸だったことになる(戦前にはドイツにニセ情報をつかませる作戦などもあった)。1953−61年に大統領だったアイゼンハワーはこの策略を嫌い、冷戦派を「産軍複合体」(軍産複合体)と呼び、警戒するよう次期大統領のケネディに忠告したが聞き入れられず、ケネディはベトナム戦争にのめり込み、エスカレートさせた。 その後始末をしたのが1969年に大統領になったニクソンで、彼はベトナム戦争を終結させ、中国との国交正常化を目指して訪中するなど冷戦の緊張を緩和した上、世界に対するアメリカの軍事負担を減らし、かつて冷戦派に潰された均衡戦略をある程度再生しようとした。冷戦の音量はやや下げられた。 その後、カーター政権時代の1979年に、イランでイスラム革命が起こり、同じ年にはソ連がアフガニスタンに侵攻したことを機に、再びアメリカの戦略は冷戦型に戻り、社会主義だけでなくイスラム原理主義もアメリカの敵として登場した。次のレーガン政権で軍事費の増強され、イラン・コントラ事件に代表される怪しげな諜報作戦が展開された。(その当事者の一部が現在のネオコン)。 ところが1990年ごろ、経済的に疲れ切ったソ連が冷戦のリングを一方的に降りてしまい、アメリカは冷戦型の戦略を採れなくなった。その代わりに、巨大な軍事費を正当化するための理論として出てきたのが、クウェート侵攻したイラクを懲罰する湾岸戦争に象徴される「世界の警察官」としてのアメリカの軍事的役割だった。だが、その後ソマリア、旧ユーゴスラビアなどで行われた平和維持活動としての米軍の介入は、現地の複雑な利害関係の中でアメリカが悪者にされやすく、地上軍が入ると戦況が泥沼化しやすいこともあり、行き詰まった。 一方、第二次大戦直後の繰り返し的な動きとして、戦争ではなく市場の拡大によって冷戦後の軍事バブル崩壊を防ごうとする計画も出てきた。それがクリントン時代の経済グローバリゼーションで、かつて戦争から解放された日本や西欧諸国にアメリカの投資が流入し、日欧の経済発展に支えられた利回りの還流がアメリカ経済を潤したように、冷戦から解放された旧ソ連その他の旧社会主義国にアメリカの投資を入れようという戦略だった。だが、これも1997年のアジア経済危機以後はうまく行かなくなり、結局アメリカは2001年の911事件を機に、戦争装置のボリュームを再び引き上げた。 ▼イラク戦争は予定外? 911とともにアメリカが始めた「テロ戦争」は、人類を破滅させる総力戦ではなく、かといって平和な状態でもないという「とろ火の戦争」(低強度戦争)を、冷戦のように長く続かせることを目的に開始された可能性がある。「アルカイダ」は国家ではないので組織としてとらえどころがなく、イスラム諸国に浸透し、なかなか根絶できないことになっている。テロ組織はどこの国にでも潜伏している可能性があるので、アメリカはテロ戦争の名目で内政干渉し、アメリカに都合のいい政策を行わせることが可能になる。 アメリカは、ベトナム戦争あたりから新しい低強度戦争の相手を探し続け「ベトナムのゲリラ」「中南米の社会主義政権とそのシンパ」「イランが支援するイスラムゲリラ」「麻薬組織」「ならず者国家」など、これまでにいろいろな候補を敵として試してきた。その最も新しい相手がアルカイダだった。 だが911事件の後、実際にアメリカが行った戦争の相手は、国家を超えたテロ組織ではなく、アフガニスタンとイラクという国家の政権だった。こうした予定外の展開になったのは、ブッシュ政権内部のタカ派(ネオコンなど)が、911直後から「フセイン政権を潰す戦争をやるべきだ」と言い続けたからだったと思われる。 当初、アメリカ国務省はアフガニスタンの戦争にも反対で、タリバンの中の「穏健派」だけで新しいアフガン政府を作らせるという外交手法で解決しようと画策していた。だが結局、イラクと戦争をするのだと主張するタカ派を抑えるため、中道派(国務省など)は「戦争するならイラクではなくアフガニスタンを相手にすべきだ」という主張に変え、とりあえずアフガン戦争が行われた。 その後もタカ派による「イラクで戦争を」という主張は続き、結局イラクでの戦争も実現した。911以来「とろ火の戦争」を目指した中道派(かつての主流派)と、戦争装置のボリュームをもっと上げて「悪の枢軸」を次々と潰していく大戦争を展開すべきだというタカ派が、戦争のボリュームコントロールをめぐって対立し続けてきたと考えられる。 タカ派の理論はウォルファウィッツ国防副長官を筆頭とするネオコンが作っているが、彼らがアメリカを大戦争に引きずり込みたかった理由には不透明な点が多い。伝統的なアメリカの戦争装置の観点からすると、大戦争はアメリカを経済的に破局させかねず、良い方策ではない。 イラクの現在を見れば、ネオコンが表向き掲げてきた「独裁国家の民主化」が戦争によって達成できるものではないのは明らかで、これはウソの理由だと感じられる。その他「イラン、シリア、サウジアラビアなどイスラエルにとっての脅威を全部潰すこと(北朝鮮は世界戦争的な色合いをつけるためのお飾り)」「ネオコンはもともと世界革命を目指した左翼のトロツキストが右派に転向したもの。彼らは今でも密かに世界革命を狙っており、手始めにアメリカをわざと自滅させたいのだ」などという見方があるが、いずれも決定打とは感じられない。 ▼今後の3つの可能性 一方、中道派が目指す低強度のテロ戦争も、冷戦に比べると永続的な戦争になりにくいと感じられる。テロ戦争が長続きするには、そもそも組織として存在しているかどうかも怪しいアルカイダしか敵がいない状態では不完全で、アメリカの挑発に乗せられてイスラム世界の多くの人々が反米闘争に決起し、彼ら全体がテロ組織と名指しされ、イスラム対アメリカの「文明の衝突」状態になる必要がある。だが、イスラム世界の人々はアメリカの挑発に乗らず、アメリカの傍若無人な暴力に対する憤りはあるものの、反米ゲリラ(テロ)活動に合流する人は少ない。 今後の展開として、私が今の時点であり得ると思うシナリオは3つある。一つ目は、イラク復興に国連やEUなどが参加することを通じ「テロ戦争」がもともと目指していた「世界を巻き込んだ低強度戦争」の状態に戻っていく可能性。二つ目は、ネオコン的な「悪の枢軸」を潰していく大戦争が続けられる可能性。三つ目は、テロ戦争も大戦争もうまく行かず、ベトナム戦争の後に均衡戦略の方向に少し戻ったように、アメリカは、統合を加速するEUや、中国を中心とするアジアとの世界三極体制を目指すという可能性である。 三つ目の可能性は、今のところ可能性が低そうにも思われるが「静かに進むアジアの統合」、「良きライバルを求めるアメリカの多極主義」など、最近の記事で指摘したように、私は多極主義への隠然とした流れを感じており、イラク復興の行方やアメリカ政界の状況いかんでは、このシナリオもあり得ると思っている。
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