英国金利歪曲スキャンダルの意味2012年7月12日 田中 宇英国で定められている世界的な融資金利「ロンドン銀行間出し手金利(LIBOR)」が、金利計算の元となる数字を毎日報告する銀行界によって集団的、隠密的に操作されてきた疑いが指摘され、スキャンダルになっている。LIBORは、ロンドンに拠点を置く英米独スイスなど世界の主要銀行20行(以前は16行)が、毎朝、翌日ものから1年ものまでの、ドルなど各主要通貨建ての融資について、他の銀行から何%の金利で借りているか、11時に英国銀行協会(BBA)に報告し、その平均値がLIBOR金利として世界で使われている。各行が銀行協会に報告した個別金利は、ロイター通信を通じて発表されている。LIBORは世界の主要金利の一つとして、各国の銀行から企業への融資、住宅ローンなどの金利を決める際の基本指標となり、デリバティブを含め総額16兆ドルの資金の金利に影響を与えている。 (LIBOR Scandal Latest Sign of Financial System's Rotten Core) 米国でサブプライム住宅ローン債券危機が起きた07年夏から、08年秋のリーマンブラザーズ倒産の後まで、欧米金融界は債券の下落で経営難が続いた。金融界では、相互不信が強まって貸し借りが急減し、細々と残っていた融資は金利が高くなった。そうした状況下、各銀行が正直にその日の高い借り入れ金利をLIBORとして報告すると、経営難の状態が世間に暴露され、もっと苦しい状況になる。そのため各行は、金利を実態より低めに報告していた。 (The LIBOR scandal will expose more naked bankers) 今回、特に英国のバークレイズ銀行に関して、07-08年に日々のLIBOR金利を実際より低めに報告していたことが、同行の幹部間の当時のメールから発覚し、同行の首脳が相次いで引責辞任し、米英当局に罰金を支払う事態となっている。世間では「バークレイズのスキャンダル」として報じられているが、一つの銀行だけが金利をごまかして報告していたのなら、当時の時点ですぐ業界内やマスコミにばれて、長続きしなかったはずだ。一行の問題でなく、米欧の大手銀行界の全体が、談合して、もしくは暗黙の了解のもとにやったことであり、その中でバークレイズだけが今のところ悪者にされている。 (Barclays Libor Scandal: How Big Will This Get?) 発覚したメールのやりとりを見ると、バークレイズは事件の中心でなく、逆に、犯人群(金融当局と大手銀行界)の中の「小物」である。米国発の金融危機が起きた07-08年の数カ月間、バークレイズが毎朝報告する金利は、他行よりむしろ高めだった。同行の金利が高いことを懸念した英国中央銀行の副総裁(Paul Tucker)が、その件でバークレイズの幹部に連絡してきた。バークレイズ側は、英中銀が自行だけ金利が高いことを懸念し、毎日の金利をもっと低めに、他行の横並びの数値で報告せよと求めてきたと解釈し、金利を低めに報告する傾向を強めた。この操作が、今になって米英当局から不正と見られ、メールが暴露されてスキャンダルになった。 (UK crash 'worsened by Libor misquotes' - Barclays boss's shock email to Mail on Sunday) 英中銀は、バークレイズにウソの金利を報告しろと求めたことはなく、バークレイズが勝手に勘違いしてウソの金利を報告したのだと弁明している。しかし、07-08年の金融危機を放置していたら、英国経済の大黒柱である金融界が再起不能な形で破綻していたと考えられることからして、金融界だけでなく英中銀も、金融界の健全性を粉飾的に示すLIBORの低め誘導を希望していた可能性が高い。バークレイズは勘違いなどしておらず、英中銀の(暗黙の)指導のもと、毎日金利を低めに報告していたのだろう。別の見方では、英中銀のさらに上に英国政府がいて、英政府が中央銀行に、金利を低めに見せて経済界の不安を払拭しろと圧力をかけた結果だという説もある。 (What did Bank of England say to Barclays about Libor?) ▼LIBORは昔から歪曲されていた 金融関係者の間では、金融界がLIBOR用に発表する金利が低めに歪曲されていることが、当時から良く知られていた。ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は08年3月の時点で、市場の需給や投機で決まる市場ベースの金利指標である各銀行のCDS(債券破綻保険)が、銀行界自身の発表で決まる金利指標である発表ベースのLIBORより、最大で0・87%ポイントも高くなっていると報じ、LIBORが低めに歪曲されている疑いを指摘している。WSJの記事によると、米国のシティやJPモルガン、独ウエストLB、英HBOS、スイスのUBSなどが、特に金利の乖離が激しく、LIBORをごまかしている疑いがあった。半面、この記事には、バークレイズの名前が全く出てこない。 (Study Casts Doubt on Key Rate) 金融危機の際、CDSの金利値は、各行の経営状況に応じて大きなばらつきがあった。それが自然な状態であるのに、各行がLIBORで発表する金利はほとんど横並びで、いかにも不自然だった。米国の経済統計の学者は「これは操作された数字にしか見えない」とWSJにコメントしている。一行だけ金利が他の各行と大きく違うと目立つので、市場調査会社にその日の他行の金利動向を尋ね、横並びにするのだとWSJは報じている。半面、銀行界の側は「金融危機で銀行界が相互不信に陥り、銀行相互の貸し借りが少ない中では、報告するLIBORの利回りが実勢値でなく推測値のことが多いので、横並び感が強くなっただけだ。危機なのだから、平時に起きないCDSとLIBORの乖離が起きても不思議でない」と釈明している。 (Libor Demystified) 08年3月にWSJなどがLIBORの歪曲疑惑を問題にしたので、翌月に英銀行協会が疑惑を調査すると発表した。その直後からLIBORが急上昇した。人々は「やはりLIBORは低めに歪曲されていた。銀行協会が調査すると言ったので、各行は正しい金利を発表せざるを得ず、急上昇したのだ」と考えた。 (Libor jumps anew; bank group accelerates review) 米当局は、08年に指摘されたLIBORの歪曲が今も続いていると疑っている。その根拠はEURIBORとLIBORの乖離だ。ユーロ圏の43の銀行が毎朝報告する金利を平均したEURIBORのドル建て3カ月もの金利が0・99%なのに対し、LIBORの同条件の金利は0・46%と半分だ。この乖離を見て、米国の商品先物取引委員会(CFTC)は、LIBORの歪曲が今も続いているのでないかと疑っている。CFTCは、バークレイズを取り締まって罰金を払わせた米当局の担当機関だ。 (US raises fresh concerns over lower Libor) 金融界がLIBORの歪曲を開始した時期について、07年の米サブプライム危機以降だという指摘がある一方、1980年代にLIBORの仕組みが発明された当初から歪曲があり、英当局も歪曲を看過していたという指摘もある。 (Banks have been Manipulating LIBOR for Decades) 有望な産業がなくなった英国では、85年の米英の金融自由化(ビッグバン)以来、金融界が経済の大黒柱である。同時に、米英の圧倒的な金融の強さが、80年代末から08年のリーマンショックまでの、米英の世界支配の力の源泉だった。米英は、世界に金融覇権体制を敷いてきた。LIBORは英国にとって、金融覇権を支える政治的に重要な金利値だ。LIBORを安定的に推移させることが、英国の国際支配力の維持につながってきた。それを考えると、LIBORは当初から政治的に歪曲されていたという説明に、説得力がある。LIBORの歪曲は「過ち」などでなく、自由化された金融システムの「特色」なのだという皮肉な指摘も出ている。 (Lies, Damn Lies and LIBOR) ▼多極化を加速するLIBORスキャンダル LIBORの歪曲は、こっそりやり続けられる場合のみ、英国の金融覇権を強化できる。今回のように歪曲が暴露され、犯罪捜査の対象にされると、LIBORの権威が失墜し、英国の金融支配力も弱まってしまう。すでに米国やEUでは、LIBORに代わる国際的な利回りの指標が必要だと指摘されている。「英国外し」が起きている。 (After Libor - the search for a new benchmark) 注目すべきは、ユーロ危機が一段落し、EUがユーロ危機の対策として政治統合を進め、自らを強化しつつある中で、英国の弱体化や英国外しにつながる今回のLIBORスキャンダルが出てきたというタイミングだ。リーマンショック以来、米英の金融覇権は揺らいでいる。米国の債券金融システムが蘇生したので表向きは好調だが、多くの債券の担保となっている米国の住宅の市場が悪化を続け、金融界は潜在的に脆弱で危険な状態が続いている。米英金融界は、南欧諸国の国債市場を攻撃し、ドルに対抗しうる通貨であるユーロを潰すことで、金融覇権の根幹にあるドルの基軸通貨性を守ろうとしてきた。しかし独仏主導のEUは、ユーロ危機を逆手にとり、危機対策の口実で、かねてから進めたかったEUの政治統合・行政統合を進めている。EUはすでに、加盟各国の予算編成権や金融監督権、景気対策の実行権などを奪取し、EUに統合している。 EU統合加速の中で、英国は、従来の金融覇権を守るため、英金融界(ロンドンのシティ)が統合されたEUの規制を受けず独自性を維持できるようにしたい。英国は、従来の米英覇権を重視するか、もしくはEUとしての覇権を重視するのか、方針を決めかねている部分があるが、英国が従来覇権に固執し、これ以上EU統合に参加しない場合、欧州の金融センターとして独仏のパリやフランクフルトが台頭し、英ロンドンとの競争が激しくなる。この流れの中で今回のLIBORスキャンダルを見ると、それは、英国の従来の米英金融覇権を壊し、英国を不利にしてEUを有利にする動きとなる。EU当局は、LIBORの歪曲を不正とみなし、EU統合によって歪曲ができない体制を作ろうとしている。英国がEU統合に参加すると、LIBORの影響力は弱まり、英国はEU内で小さな存在に成り下がる。 (Brussels to act over Libor scandal) さらに考えると、米国の動きも興味深い。LIBORスキャンダルを犯罪として取り締まろうとしている最大の勢力は、司法省やCFTC、米議会といった米国の機関である。米国には、市場に意図的に間違った価格を注入する行為を犯罪とみなす法律があり、米司法省は今年2月からLIBORの歪曲を捜査している。英政府は、同盟国である米国の政府に引っ張られる形で、LIBORの歪曲を問題にせざるを得なくなった。英国自身として歪曲を問題視しているのではない。 (Exclusive: U.S. conducting criminal Libor probe) 米当局は、今になって初めてLIBORの歪曲に気づいたわけでない。08年当時、ニューヨーク連銀の総裁だったガイトナー(現財務長官)の日程表に「LIBORの調整についての会議」が記録されていたことが明らかになっている。米連銀は、遅くとも07年に、LIBORの歪曲に気づいていた(たぶんもっと前から知っていた)。米当局が今になってLIBORの歪曲を犯罪として捜査するのは、最近それに気づいたからでなく、今のタイミングで犯罪立件することが政治的に良いからと考えられる。 (New York Federal Reserve knew about Libor rate-fixing issues as far back as 2007 and proposed changes but were ignored) LIBORスキャンダルは、今後さらに拡大しそうだ。米当局はバークレイズだけでなく、バンカメ、シティ、UBSといった他の各行も捜査している。LIBORの歪曲を知った上で各行のトレーダーが市場で儲けていたというインサイダー取引の疑いも出ており、米議会も追求を強めている。 (U.S. Libor Probe Includes BofA, Citi, UBS) 米国の中枢には、世界の覇権体制を従来の米英中心型から、米国、EU、中露(BRICS)などが立ち並ぶ多極型に転換しようとする「隠れ多極主義」の画策があると以前から感じられる。そのことと、米国がLIBORの歪曲を犯罪扱いし、それによって英国の金融覇権が崩れてEUが台頭しようとしている現実を重ね合わせて考えると、これはまさに米国による多極化の試みに見える。米当局がLIBORスキャンダルを追求していくと、自国の銀行にも悪影響が出て、金融危機の再燃や、米経済の悪化と不況再燃につながりかねない。だが同時に、このスキャンダルによって米英金融覇権体制が崩れ、多極型覇権体制への転換が加速される。 (Wall Street's link to Libor) 今後、来年にかけて、国際金融界は全体的に混乱を強め、金融市場も乱れる傾向を増すだろう。LIBORスキャンダルは、そうした混乱に拍車をかける性質のものだ。 (17 Reasons To Be EXTREMELY Concerned About The Second Half Of 2012)
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