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国際金融の信用収縮

2007年7月31日   田中 宇

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 アメリカの債券市場(公社債市場)で、信用収縮(クレジット・クランチ)が起きている。アメリカの金融市場は昨年来、産油国や中国、日本など世界から巨額の投資資金が流れ込んで「金あまり」の状態で、債券市場でも、高リスク高利回りの商品がよく売れ、高リスク商品でも買い手が多いため価格が上がる(利回りが下がる)傾向にあった。だが、そうした状況は7月25日を境に一転し、高リスク債券は利回りを上げ(価格を下げ)ても売れない状態になってしまった。投資家が、急にリスクに敏感になったからである。(関連記事その1その2

 今回の急転換は、今年に入って顕著になってきたアメリカの住宅金融バブルの崩壊が、企業買収の分野に感染したために起きた。アメリカでは2000年から05年にかけての低金利の時代に、ローン返済能力の低い人々に対する、変動金利型を中心とした住宅ローン(サブプライム・ローン)の貸し付けが拡大したが、05年以来のアメリカの金利上昇の中で、今年に入って返済不能になる人が急増している。アメリカでは、住宅ローンの債権が債券化され、公社債市場で流通している。金融市場をおおう金あまり現象の中、サブプライム・ローンの債権を組み合わせた高リスク・高利回りの債券はよく売れた。(関連記事

 だが、ローン返済不能者が増える中で、それらの債券は不良債権と化し、価値を下落させている。最近、この分野で注目された出来事は、6月末、米大手投資銀行のベアースターンズが昨年から運用していたサブプライム・ローン債権の投資基金(ヘッジファンド)が破綻し、価値がほとんどゼロになってしまったと発表されたことだ。(関連記事その1その2

 ベアースターンズの投資基金の破綻をきっかけに、金融市場では、高リスク高利回りの債券投資に対する投資家のリスク感覚が急に鋭くなった。それまで市場では、リスクに対する感覚が鈍く、リスク・プレミアム(リスクの対価として受け取る利回りの高さ)が低下していた。以前の記事に書いたが、90年代からさまざまなリスク回避の金融商品が出回り、相場も暴落しにくくなり、企業倒産も減り、しかも世界的に投資資金過剰(金あまり)の傾向だったからである。

▼「企業買収のパーティは終わった」

 ベアースターンズの基金の破綻後、リスク・プレミアムは再上昇したが、それは住宅ローン債権の分野だけでなく、高リスク高利回りの金融商品として最近急拡大したもう一つの分野である企業買収(LBO)資金の債権にも波及した。これは、企業転売目的のファンドや、買収後にリストラして収益体質を改善して高値での再上場を狙う「プライベート・エクイティ・ファンド」といった企業買収会社が、買収しようとする企業の株式を買い集めるために必要な資金を金融機関が出し、金融機関はその債権を分割して「債務担保証券」(CDO)として債券化し、投資家に売る仕掛けである。

 6月末にベアースターンズの住宅ローン投資基金の破綻後、リスクが急に重視されるようになり、買収資金債券の売れ行きは悪化した。企業買収債券を何とか売り込もうとする金融機関は、利回りを上げるなど、損を覚悟で値引きしたが、それでも売れなかった。7月に入って、あちこちの企業買収が資金調達できず難航していると報じられるようになった。(関連記事

 そして7月25日、買収ファンドのサーベラス社が、アメリカの自動車メーカーのクライスラーを買収するための資金の債券と、買収ファンドKKR社がイギリスの薬局チェーン店アライアンス・ブーツを買収するための資金の債券が、いずれも売れ残っているため、仲介役の金融機関が債権を抱え続けねばならなくなったと発表された。(関連記事

 翌7月26日には、イギリスの大手菓子類メーカーであるキャドバリー・シュウェップス社が計画していた、アメリカの清涼飲料部門の買収ファンドへの売却を、当分見送ることが発表された。(関連記事

 債券市場でも、米国債など低リスクとされる公債分野は、むしろ「安全性の高い資金の逃避先」とみなされて価格が上がっている。だが高リスク債の分野に関しては、先週末以来、欧米のマスコミには「企業買収のパーティは終わった」「投資家はリスクに目覚めた」「高リスク債券市場は凍結された」といった見出しの記事が続出している。(関連記事

 6月に華々しく上場した買収ファンド「ブラックストーン」の株は、高リスク債市場が崩壊した翌日、19%の大暴落を喫した(この日のニューヨークのダウ平均の下落幅は3%)。資金調達が難しくなったため、今後予定されている企業買収の見送りや、買収ファンドの上場の延期なども予測されている。(関連記事その1その2

▼大損したのは誰か

 住宅ローンや企業買収資金の高リスク債券の下落は、それらの債券を買っていた人々を大損させているが、誰がどの程度の損を被っているのか、まだ分かっていない部分が大きい。

 高リスク債は、以前はヘッジファンドなどが手を出す分野で、リスクをとることに慎重な年金基金などは、手を出さないものと考えられていた。しかし、米シティグループの調査によると、ここ1−2年の世界的なリスク・プレミアムの低下やリスク軽視の風潮の中で、今や高リスク債の40%は、年金基金や銀行などの、いわゆる堅気の金融機関が保有している。(関連記事

 大手銀行の中でも、イギリス系のHSBC(香港上海銀行)は、住宅ローンの高リスク債の分野で不良債権が急増し、この分野で半年間に63億ドルの損失を計上したと発表した。日本では野村證券が、サブプライムのローン債券で損失を出したと発表している。(関連記事その1その2

 輸出の儲けでさかんに海外投資してきた中国の国有企業の中にも、アメリカの金融機関のセールスマンの甘言に乗せられて「中国の不動産市場と同様に、アメリカの不動産もどんどん上がるのだろうと」思い込み、高リスク債を買い込んで今や損をしているところが多いと言われている。高リスク債券の急落は、世界的にかなりの悪影響を与えそうである。(関連記事

▼株価の下落要因に

 高リスク債市場の崩壊は、株式市場にも影響を与えている。企業買収ブームは、株価を押し上げる大きな材料になってきた。最近の米英などの株式市場では、企業買収が行われるごとに株価が上がり、今後買収の対象にされそうな企業の株を買う投資家も多かった。買収が株価をつり上げ、株価が上がるので買収が次々に行われる、という循環になっていた。(関連記事

 この循環を支えていたのが、高リスク高利回りの買収資金債券に対する旺盛な需要であり、その背景にあったのがリスク・プレミアムの低さ、リスク軽視の傾向だった。高リスク債市場の崩壊で、この循環が失われた。

 高リスク債券のプレミアム(金利)上昇が、株式市場に与える悪影響は、買収だけでなくもう一つある。それは「自社株買い」に関するものだ。欧米の企業は、投資家優遇のため、資金に余裕が出ると、株式市場で自社株を買い集め、公開されている株式の総数を減らすことで、一株あたりの利益を上げ、株価を上昇させることを良くやる。

 最近の金あまりの低金利の中で、多くの企業が、債券発行や借入金によって自社株買い(バイバック)を行い、これが企業買収(バイアウト)と並ぶ株価の押し上げ要因になっていた。しかし、高リスク債券の金利上昇によって、多くの企業は自社株買いの資金調達が急に難しくなった。(関連記事

 すでに書いたように、7月25日にクライスラーなど米英2社の企業買収資金の債券が売れ残っていると発表され、高リスク債市場の崩壊が顕著になったが、その直後、7月26日と27日に、ニューヨーク株式市場が急落した。株価の下落は東京やロンドンなどにも及び、世界同時株安となった。

▼株式市場は反応の遅い恐竜?

 しかし、さらにその後、週明け7月30日の株式市場は、ニューヨーク、東京とも上昇に転じた。株式市場は、債券市場の悪化が伝播していない部分がある。アメリカの金融市場全体でみると、まだ世界から資金が大量に供給されて、金あまり状態が続いているためだと思われる。

 株価が下がった7月26−27日には、株を避けて米国債を買う動きが増え、10年もの米国債の価格が上昇したが、いまどき米国債を「資金逃避先」と考えることも正しくない(中国など米国債の大手保有先による売却で急落するおそれが常にある)。資金の一時避難としては現金の方が良いと指摘されている。世界から集まった投資金が、行き場を探して右往左往している感じだ。(関連記事

 金あまり状態のもと、債券市場が崩壊しても、株式市場はそれを無視して上昇する状況が、6月から続いている。

 今回の信用収縮に関しては、6月下旬にベアースターンズの住宅ローン投資基金が破綻した直後の6月28日には、ウォールストリート・ジャーナルが「信用収縮の時がきた」(Credit Crunch Time)という題で、リスクを無視してヘッジファンドに金をつぎ込んだ投資家は、市場原理に則って破綻することになるだろうと示唆する記事を出している。(関連記事

 6月25日には、国際金融の諸問題を調整する機関である国際決済銀行(BIS)が、金あまりを誘発するここ数年の金融政策の結果、世界の金融市場は信用バブルの状態になっており、このバブルが破裂して信用収縮が起きた場合、1930年代のような世界的な大恐慌につながりかねないとの警告を発表している。これらの情報から考えて、6月下旬には、すでに投資家の間で、今回の信用収縮が起きることは予測されていたはずだ。(関連記事

 しかし、にもかかわらず、その後もニューヨークを中心とする世界の株価の上昇傾向は続いた。7月13日には、ダウ平均とS&P500というニューヨーク市場の株価指数が、史上最高値を更新している。(関連記事

 7月17日付けのフィナンシャルタイムスは、株式に投資している人々は、債券市場の崩壊に対し、異様に無関心で、6月中旬の米国債価格の下落も、6月下旬のベアースターンズ基金の破綻も無視して株を買い続け、株価を上げ続けていると指摘している。(関連記事

 最近の状況を見て「株式市場は、体は大きいが頭脳は小さい恐竜だ。尻尾をだれかに噛まれても、頭が痛いと感じるまでに、かなりの時間がかかる」と言っている専門家もいる。(関連記事

▼悪化するアメリカ経済の諸状況

 こうした状況を考えると、株価は今後も大して下落せず、高い価格水準が維持されるかもしれない。世界には、来年まで株価の高値を持たせられるだけの巨額の投資資金が存在しているという指摘もある。(関連記事

 しかし、アメリカ経済の全体をみると、明らかに状況は悪化し続けている。アメリカの住宅バブルの崩壊は、サブプライムの高リスク住宅ローンの分野から、低リスクの一般(プライム)の住宅ローン分野へと波及していると指摘されている。住宅ローンの債務不履行者は急増している。(関連記事その1その2

 ここ数年の米経済は、住宅価格の上昇を受けて、人々が自分の自宅を担保に入れて金を借り、その金で消費し、中国や日本など世界からの輸入品を買い続け、世界経済を回す仕掛けだった。アメリカの住宅バブル崩壊がサブプライムから一般の分野に拡大すると、米経済の消費力が減退し、世界経済に大打撃を与えかねない。上に書いたBISが懸念する「1930年代の大恐慌のような世界不況」である。(関連記事

(今年4−6月の米経済成長率は3・4%と、前期より異様に高かったが、これは一時的な例外で、経済は再び減速すると推測されている)(関連記事その1その2

 さらにタイミングの悪いことに、アメリカではインフレ懸念が強くなっており、不況に備えて金利を下げるべきときに、インフレ対策で金利を上げねばならない事態になっている。石油の国債価格が高騰したほか、全米の精油所で不具合が相次ぎ、ガソリンの供給が足りずに値上がりしていることがインフレの一因だ。また、ドルの下落でアメリカから海外への工業製品の輸出が伸び、この影響で失業率が低下し、米全体での給料の支払い総額が増えていることもインフレにつながっている。(関連記事その1その2

 日本との関係では、最近の円安ドル高の主因となっている「円キャリー取引」が終わりになり、反対売買によって円高ドル安になっていく可能性がある。円キャリー取引は、ほとんどゼロ金利の日本で円建てで資金を調達し、それをドルに転換して高利回りのアメリカの債券や株式を買うやり方だが、高リスク債市場の崩壊は、高利回り投資先が失われることを意味し、円キャリー取引の減少につながる。(関連記事

 ここ数日、円高ドル安の傾向になっているが、これは円キャリー取引の清算で反対売買が行われているからだろう。アメリカの株価が下がらなければ、円キャリー取引は今後も続き、円安ドル高が維持されるだろうが、株価が下がると取引が清算され、円高になる。アジア開発銀行は7月26日に発表した報告書の中で「円キャリー取引が清算される動きが突然に起こるかもしれない」と警告している。(関連記事



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