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アメリカ金利上昇の悪夢

2007年6月22日  田中 宇

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 国際政治や、政府の戦略の分野では、アメリカは、中東支配の失敗、世界的な反米意識の高まり、中露など非米諸国の結束を強めてしまったことなど、自滅的な失敗を繰り返し、その結果、世界の政治体制は多極化しつつある。しかし、そんな中でアメリカ(米英)の圧倒的な有利が続いている分野がある。それは、金融産業である。

 米英の金融の強さは、イギリスが18世紀に産業革命を起こし、それを世界に広げていった時代からのものだ。金(資本)を使って工場を作り、製品を作って売ることで金を増やせるという仕掛けを基盤に、投資効率の向上のための企業会計の整備、より多くの資金を集めるための株式や融資、債券などの仕組み、事業リスクを回避するための保険やリースなどの仕組みが、イギリスを中心に発案され、世界で使われるようになった。第一次大戦から第二次大戦にかけての時期に、世界の覇権がイギリスからアメリカに移転した際、金融の中心もロンドンからニューヨークに移り、イギリスの金融ノウハウがアメリカに移植された。

 第二次大戦後、冷戦終結までは、米英の金融ノウハウが活用される地域はアメリカ・西欧・日本と、その関連地域(韓国、台湾、東南アジア、豪州など)に限られていた。だがその後、1980年代にアメリカが中国とインドを取り込んで自由市場化を誘導し、90年代には冷戦終結でソ連・東欧など旧東側陣営が市場経済に転換した結果、米英の金融ノウハウによって経済が動く地域は、ほぼ全世界に拡大された。

 この変化の上に、90年代に世界中で国有企業の民営化、債券発行、株式市場の活性化などが行われる「経済グローバリゼーション」が進んだ。そこで使われる金融ノウハウの多くは米英で培われたものであり、米英の金融機関が最も儲けられる構造だった。(関連記事

▼リスク・プレミアムの低下

 同時期に、アメリカの金融市場では、先物やオプションといった金融派生商品(デリバティブ)が多く作られた。これらはリスク回避のための金融商品であり、デリバティブが多様化し、世界的に活用されるようになった結果、投資家は、投資につきもののリスクをあまり感じずに投資ができるようになった。

 債券では、リスクが高い商品ほど利回りが高く、リスクの高さ(リスク・プレミアム)が金利の高さとなって表れるが、デリバティブの活用などによって、多くの投資家がリスクを感じなくなった結果、リスク・プレミアムはしだいに低くなっている。債券の中でリスクが最も低いとされる米国債と、リスクがかなり高い南米コロンビアの国債との金利差(プレミアム)は、5年前には10%だったが、今では2%しかない。米国債と、経営難の企業の社債(格付けBB以下)との間の金利差も、かつての5%台から、今では2%台へと縮小している。(関連記事

 従来は、企業は経営難に陥ると、資金調達に高い金利を払う必要が生じ、それがますます経営を圧迫して倒産しやすかったが、今のアメリカでは、経営難になってもさほど資金調達の金利が上がらないため、企業倒産が減っている。格付けBB以下のハイリスクの企業の倒産率は、以前は3%台だったが、昨年は0・8%に下がり、今年は倒産が全くない月もある。倒産しにくいので、ますますリスク・プレミアムが低く見積もられる傾向になっている。(関連記事

 このような傾向を受けて、金融アナリストの間からは「投資家がリスクなど気にせずに投資できる時代が来た」という主張が頻出し、永続的な株価の上昇を予測する向きさえある。リスクヘッジをせずに行われる投資も増えている。しかし、市場全体としてのリスクが減少したわけではなく、リスクは回避商品の多用によって見えなくなっているだけなので、アメリカの当局者は、以前から折に触れて「リスクは絶滅したといった考え方は慢心であり、危険だ」と警告しているが、市場の賑わいの中で、ほとんど無視されている。(関連記事

▼世界的な金あまりの3つの源泉

 リスク・プレミアムが低下した理由は、リスク回避のための金融商品が多用されるようになったことだけではない。ほかに、ここ数年の世界的な資金余剰(金あまり)の現象が、プレミアムの低下に貢献している。私の今の推測では、金あまり現象の出所は3つある。(1)02年以来の原油高で収入が急増したサウジアラビア、ロシアなどの「産油国」、(2)人民元の対ドル相場を維持するため為替集中制を採ってドルを貯め込まざるを得ない「中国」、(3)異様なゼロ金利政策を続けることで「円キャリー取引」の拡大を容認している「日本」である。(日本人の金ではなく、日本で低金利の金を借りてアメリカで高利回りの投資をする欧米などのファンドの金)

 先週の記事に書いたが、産油国の一つであるロシアのプーチン大統領は最近、モスクワ(上海、ドバイ?)など、ユーラシア大陸にいくつかの国際的な金融センターを作り、金融の分野における米英の独占を崩すべきだと主張した。産油国の中に多いイスラム諸国も、イスラエルに牛耳られてイスラム教徒に暴力を振るうアメリカには投資したくないと考える傾向がある。しかし現実には、ロシアやイスラム諸国といった産油国は、石油高騰で儲けた資金の目減りを防ぐには、今のところ、高度な金融ノウハウを持っている米英の株式・債券市場や、米英が作った金融商品に投資せざるを得ない。

 産油国、中国、日本という、3つの源からの資金による世界的な金あまりと、90年代からのリスク回避商品の多用が重なった結果、アメリカを中心として世界的にリスク・プレミアムが低下し、米政府が財政赤字を増やしても国債金利が上がらず、国債とハイリスク債券の金利差も縮小している。アメリカでは、企業や個人への融資が積極的に行われ、その結果、米国民の多くが貯金のない「家計の赤字」になっているにもかかわらず、米市場での消費が減退しない状況になっている。借金によって消費が支えられている。最近までの2−3年間、返済能力の低い人々でも容易に住宅ローンを組める状況が続き、それが住宅バブルにつながったが、それもリスク・プレミアムの低下によるものだ。(関連記事

 アメリカでは、金あまりとプレミアムの低下を背景に、企業買収がさかんになっている。買収を目論むファンドは、買収先の企業の資産を担保に金を借りたり債券を発行したりするが、それらはもともとハイリスク、高金利だった。だがプレミアムの低下によって、大した金利差を払わずに資金調達ができるようになり、企業買収が容易になった。世界の企業買収は、1995年には9千件、8500億ドルだったが、昨年には3万3千件、3兆8600億ドルに急増している。(関連記事

 上場企業を買収し、いったん非上場にした上、数年かけて不採算部門を売却して切り捨てたり、経営陣を入れ替えて収益構造を改善させ、再び株式上場させて利益を得る「プライベート・エクイティ・ファンド」(買収ファンド)の活動が喧伝されているが、彼らも買収資金集めが容易になり、活動に拍車がかかっている。買収後の再上場の際に巨額の利益が得られるので、大手の金融機関がこぞって資金を出したがる。最近では、リスクを無視してほとんど担保を取らず、買収ファンドに金を出す「Cov-lite」というやり方が多発されている。(関連記事その1その2

▼金利上昇のショック

 世界的金あまりと、リスク・プレミアムの低下によって、借金をして株を買う人が増えて株価は上昇、消費の活性も続き、今後しばらく米経済は大丈夫だと考えている人が多い。しかし、6月7日、人々の楽観を吹き飛ばす状況が発生した。10年もの米国債の金利が5・05%にまで上昇し、それまで20年間続いてきた金利の低下傾向に終止符が打たれ、上昇傾向に転じたという懸念が広がった。(関連記事

 これまで、米国債の金利は、一時的に上昇しても、そのピークは以前の上昇時のピークより低い状況が続いてきた。だが、今年3月から6月にかけての上昇は、以前のピークより高い水準まで金利を上げている。そのため、その後、米国債金利は再び下がったものの、専門家の間では「金利の下落傾向は終わったのではないか」という懸念が残っている。(関連記事

 今のアメリカの経済と市場は、金あまりとプレミアムの低下を受けた低金利を前提に回っており、金利が上がると、経済のいろいろな部分が破綻してしまう。住宅ローン金利の上昇は、すでにバブル崩壊の様相を深めている米住宅市場を、さらに崩壊させる。借金漬けの米国民が多いので、人々の消費意欲も減退する。低金利での資金調達を前提に買収事業を回している買収ファンドは行き詰まる。企業業績が全般的に悪化し、株が下落する。(関連記事

 借金や社債発行による企業買収(レバレッジド・バイアウト)は、買収した企業が出す事業収益が、借金や社債の支払い金利を上回っていないと破綻する。S&P社の計算によると、3年前には、アメリカの買収事業の平均値は、収益が利払いの3・4倍あったが、昨年はそれが2・4倍に、今年は1・7倍まで低下し、最近では1・3倍というケースもある。買収事業が流行した結果、儲かるケースが少なくなっており、金利が少し上がっただけで事業が破綻しかねない事態になっている。この現象を報じたワシントンポストの記事は、最近の金利上昇傾向は、企業買収ブームを終わらせ、株価の下落がアメリカから世界に拡大する事態を生みかねないと警告している。(関連記事

 ウォールストリート・ジャーナルも6月21日付けで、買収ファンドは買収した企業の収益体質を改善すると宣伝し、高い報酬を取っているが、やっていることは、人材をむやみに解雇したり、長期的な企業の成長に必要な研究開発費を削ったり、本社ビルを売ったりして一時的に利益を増やすだけの近視眼的なものであり、中国の外貨備蓄と日本発の円キャリー取引による金あまりに乗っているだけだと批判している。(関連記事

 6月上旬の米国債の金利上昇は、アジアの取引時間帯に起きている。そのため、中国政府などアジア勢が米国債を売り、その結果金利が上がったのではないかと見られている(確定的な原因は不明)。中国政府の外貨運用は、昨年まで米国債の保有が中心だったが、今年から運用の多様化を目指し、米国債の保有を減らす方向にある。(関連記事その1その2

 しかし同時に、米国債金利の上昇は、日米間の金利差を拡大させる結果となり、日本で低金利の資金を調達し、高金利のアメリカで運用する円キャリー取引に拍車がかかり、円安ドル高になった。アジア全体では、投資のアメリカ離れは起きていない。金利の上昇は、投資リスクが上がっていることの反映であるが、一方で「アメリカは投資先として世界一安全だ」「米国債はリスクがない」という従来の世界的常識が残っている。米国債の金利上昇は「リスクなしに利回りが上がっている」と見られやすく、米国債に対する需要は衰えず、金利上昇は一時的なものに終わっている。

▼日中にドル安圧力をかける米議会

 ブッシュ政権になってからの7年間で、アメリカに投資することの潜在的なリスクは大きく上がった。財政赤字と経常赤字(貿易赤字)という「双子の赤字」のほか、家計の貯蓄がなくてローン残高だけが大きい「家計の赤字」、自動車など主要な製造業の経営難や製造技術のアウトソーシング(海外流出)による産業空洞化、テロ戦争やイラク占領の失敗によって世界的な反米感情を煽った結果の「政治信用力の低下」などが、対米投資のリスクを拡大させている。(関連記事

 財政赤字は日本もひどいが、米国債の場合、外国勢が保有者の4割以上を占めており、外国勢が対米投資を嫌って米国債を売ると、国債金利が上がり、米経済を破壊する。このことは「政治信用力の低下」と関係している。アメリカが、イスラム諸国とロシアなどの産油国や中国を敵視しすぎた結果、これらの成り金諸国が、国家戦略上、これまで続けてきた対米投資を控える可能性は、今後ますます高まりそうである。米国債の金利は、いつ上がってもおかしくない。

 米議会は最近、中国の人民元の対ドル為替が安すぎて、不公正な輸出補助金として機能しているとして、中国政府が人民元を切り上げない限り、中国からの輸入に対抗的な高関税をかけるという法案を、本格的に審議し始めた。この法案は、アメリカの利益になるように見えて、実は米経済を破壊する。アメリカに制裁され、中国が人民元を引き上げねばならなくなったら、中国政府は従来のように人民元の為替を維持するためにドルを中国国内から買い集めて保有し、対米投資する必要がなくなる。アメリカの金利上昇とドル下落につながる。(関連記事その1その2

 米議会では、貿易赤字を減らすためと称して、中国人民元だけでなく、日本の円も、日本政府のゼロ金利政策によって、対ドル相場が意図的に低く抑えられているので制裁すべきだという主張が出ている。日本では、日銀はインフレ対策のために金利を上げていきたいが、首相官邸や財務省は、日米関係を重視して、日銀を黙らせて政治的にゼロ金利を続けている。日本政府は、自国の輸出振興だけでなく、アメリカの株価維持のためもあって円安にしているのに、米議会は「円安をやめろ」と言っている。米議会は、従軍慰安婦問題でも日本批判を再び強めているので、日本国内で反米意識が高まって「アメリカに資金を流して米市場を助けるためにゼロ金利政策を続ける必要はない」という議論を呼ぶかもしれない(議論されても、ゼロ金利状況は変わらないだろうが)。(関連記事その1その2

 世界的な金あまり現象と、世界的に根強い「アメリカが投資先として最も安全だ」という考え方がある限り、今後も一時的な株安や債券安を乗り越えて、アメリカの市場や経済は回っていくかもしれない。しかし同時に、双子の赤字、家計の赤字、政治的信用の失墜、企業買収ファンドの問題など、アメリカが抱えるリスクはしだいに大きくなっている。「アメリカは圧倒的な金融ノウハウを持っているから大丈夫だ」というのは、過去の話になりつつある。(関連記事



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