ドル過剰発行の加速2012年9月20日 田中 宇9月13日、米連銀(FRB)が、ドルを増刷し、金融界から債券を買い取る「第3次量的緩和策(QE3)」を、毎月400億ドルの規模で、米経済が回復基調に戻るまで続けると決めた。連銀は、リーマンショック後、08年11月からと、10年11月からの2回にわたってQEを発動しており、昨年7月にQE2が終わった後、QE3がいつ始まるのか、米金融界はずっと待っていた。QEの目的は、建前的にいうと実体経済の回復だが、本質的には不良債権を抱える金融界の救済と、株価の上昇だからだ。 (Quantitative Counterfeiting Forever) この数カ月、米経済の成長を示すGDPなどの指標は、低率ながらも成長傾向を示していた。不況への再突入が見えてきたのでQE3が発動されたのではない。発動の真の理由は、米大統領選挙が8週間後に迫り、表向き「失業対策」で実体が株価上昇であるQE3の発動が、再選を目指すオバマを優勢にするからだ。QE3の発動に対し、オバマが属する米民主党が高く評価し、野党である共和党は酷評しており、発動が政治的な意味を持つことがうかがえる。オバマが再選されれば、バーナンキ連銀総裁の任期が伸びるだろう。 (Fed risks political fallout from QE3) QE3は、1や2と決定的に異なる点がある。1と2は、半年とか8カ月といった期限つきの、リーマンショック後の非常事態に対応した例外的時限策として行われた。だが今回のQE3は無期限だ。米国の経済(雇用)が回復するまでという条件がついているが、米国の分析者たちは、これまでQEの1と2で失業が減らず、むしろ失業増が続いており、QE3も失業減(実体経済の回復)につながらず、連銀はQE3を永久に続けることになると考えている。量的緩和(QE)は、連銀の非常策から平時の策に転換したと指摘されている。 (Fed: Quantitative easing now, quantitative easing tomorrow, quantitative easing forever) (QE Infinity: Fed Buying More Toxic Assets From Banks Will NOT Help Main Street) 一般的に、金融バブル崩壊への対処方法として、政府や中央銀行が、潰れそうな金融機関の不良債権(債券)を買い取ることは異例でない。政府や中銀の信用力を使って金融機関の破綻を防ぎ、危機が去って債券相場が再上昇したら、政府や中銀は買い取った債券を高く売れる。だが、この救済をやりすぎると、不良債権を丸抱えした政府や中銀に対する信用不安が起き、その国の国債や通貨の価値が落ち、金融界の代わりに国家が破綻してしまう。 (Could Fed's QE Spiral Out of Control?) 米国は最近まで世界最強の覇権国であり、いくら不良債権を買い取っても米国自身の信用は揺らがないと考える人がまだ多い。しかし今回、連銀がQE3の発動を発表した直後、金相場が急騰し、他の商品相場も上がり、米国のインフレに対する懸念の大きさを示す指数が上昇した。これは、ドルの価値が下がり、反動として金地金や穀物、原油などの「モノ」が上がり、インフレがひどくなるかもしれないという懸念を示している。 (Inflation expectations jump after Fed' says QE3 is on its way) QE3が発表された直後、米国の債券格付け機関イーガンジョーンズは、米国債を格下げした。同社は昨夏、S&Pが米国債を格下げする前にも、格下げをやっている。ムーディーズも、米議会が今年中に財政赤字の削減で合意できなければ米国債を格下げすると言っている。 (Egan Jones Downgrades US From AA To AA-) (Moody's threat to strip US of top rating) ▼一般投資家は米国債を買っていない 金融界がこの30年間の自由化(債券化)の中で積み上げたすべての金融バブルを、米国の政府や連銀が背負って倒れつつあるという分析は、08年秋のリーマン倒産直後から存在し、私自身、何度もその件で記事を書いた。ドルや米国債は、いつ信用崩壊してもおかしくないが、何とか現在まで延命し、金融界は人々に崩壊の危険を気づかせないように操作を施し、大半の人が危険を知らないままだ。 (全ての不良債権を背負って倒れゆく米政府) (連銀という名のバブル) 米国債は「世界で最も安全な金融資産」と言われている。だが現在、世界の一般の投資家は、安全なはずの米国債をほとんど買っていない。米国債の最大の買い手は米連銀で、5年もの、10年もの、15年ものといった主要な銘柄の50%前後を連銀が買っている。これに、日本やG7諸国の政府や中銀が買っている分を加えると、米国と同盟諸国の公的機関が、米国債のほとんどを買っていることになる。一般の投資家は、ほとんど買っていない。その理由はおそらく、人々が米国債を信頼しなくなったからだ。米国が好んでいるはずの「自由市場原理」に委ねたら、米国債は売れ残って急落する。 (Are there any real-money investors still holding U.S. government debt?) ドルを増刷して無期限に不良債権を買い支えるQE3は、弱まっているドルや米国債に対する世界からの信頼を、さらに弱めてしまう。連銀のバーナンキ総裁がドルを自滅させようとしている、と指摘されている。 (QE3: Helicopter Ben Bernanke Unleashes An All-Out Attack On The U.S. Dollar) 私は1カ月前、8月中旬の段階で、今秋に金融危機が起きそうだと米英の分析者が言っているが実感がない、と書いた。9月に入り、QE3が発動されるだろうが失敗するとの指摘がある、と書いた。共和党大会で金本位制が取り沙汰され、金が再高騰するかもしれないとも書いた。 (◆起きそうもない今秋の米金融危機) これらはいずれも、ネットを通じて私が読んでいる大量の英語の金融財政分析の全体が醸し出す雰囲気を伝えたものであり、私が一人で考えた分析ではない。私自身は、いずれドルや米国債が崩壊して金地金など国際商品が高騰し、米国が覇権を喪失して世界システムが多極型に転換するだろうが、それがいつなのかわからず、間もなくその転換が起きると主張する記事を見ることもあるが、これまで何度もその手の記事を重視しすぎて先走っているので、情報の分析に慎重になっている。 (◆金地金の復権) だが、今回のQE3、金地金急騰、そしてこれから起きるかもしれない金融危機については、私が日々の記事の読みこなしを通じて得ている予測が、かなり近いかたちで現実になるので、意外と正しいかもしれないと感じている。今後、米議会は今年中にやらねばならない財政緊縮をめぐる2大政党間の合意に事実上失敗し(駆け込みで小手先の合意が行われるだろうが)、あらかじめ議会が決めてある強制的な支出削減と減税措置の停止が来年1月に発動されて「財政の断崖」が起きるだろう。その前後にムーディーズが米国債を格下げするかもしれない。それらが、次の金融危機の引き金になる可能性が高まっている。 (根強い金融危機間近の予測) ("Dollar Index Headed for Rapid Collapse" Over Next 3 to 4 Weeks) ▼日米の量的緩和は自滅的だがEUのは強化策 米連銀のQE3と同期して、日本やEUも、中央銀行が債券を買い支える量的緩和を開始すると発表した。日銀は9月19日、円を増刷して金融界の債券を買い支える量的緩和策の規模を70兆円から80兆円へと増やし、QE3によるドルの過剰発行に呼応して円も過剰発行を加速して、円高ドル安を防ぐことにした。欧州中央銀行(ECB)も、債券買い取りを開始すると発表した。 米日欧が相次いで量的緩和を加速する事態は「通貨戦争」と呼ばれている。この「戦争」は逆説的だ。米日欧は、自国の通貨を過剰発行する競争をしており、自国通貨が弱くなるほど「通貨戦争」に勝ったことになる。これは「弱い者が勝つ」戦争である。昨年、この自滅競争を「通貨戦争」と名づけたのはブラジルの財務相だった。通貨戦争には先進諸国だけでなく、輸出に力を入れる新興諸国も参加している。 (Prepare for New `Currency Wars' After QE3: Analyst) 短期的な輸出競争においては、通貨が弱いほど輸出が増えて勝利する逆転の構図だが、長期的な基軸通貨体制(覇権)をめぐる競争においては、弱い通貨が基軸性を失い、強い通貨が基軸性を奪取するという、通常の戦争の構図だ。この覇権転換の構図の中で、米国は自滅しつつある負け組だ。日本は、対米従属をできるだけ続ける国策に基づいて、ドルが弱くなるほど円を弱くする政策を採っている。最終的に米国が破綻すると、日本も破綻する。もしくは、米国が破綻する直前に、日本国内の危機感が高まり、対米従属策をやめる政治決定がなされる。 (◆日本の政治騒乱と尖閣問題) 日本と米国の量的緩和は自滅的だが、EUの量的緩和は逆方向で、おそらくEUを強化する。EUは、米英投機筋からギリシャやスペインなどユーロ圏の周縁諸国の国債相場を急落させられているユーロ危機への対抗措置として、欧州中央銀行(ECB)に無制限の国債買い支えを許可した。これまでユーロ救済に公金を使うことの合法性を審議していたドイツの憲法裁判所が、公金使用を合憲と認めたため、ECBによる買い支えが可能になった。 (Draghi unveils ECB bond-buying plan) (Euro rises after German court decision) 同時にEUは、加盟各国の政府が持つ金融監督権をECBに移譲する「銀行同盟」の政策を開始した。ECBは全欧の6千の銀行を監督する。ECBの監督下に入ると、欧州で営業する銀行は、米英の投機筋の尻馬に乗ってユーロ周縁諸国の国債を先物売りして儲けることができなくなる。 (Barroso unveils European banking union) ECBが全欧の銀行を監督して投機を抑制するとともに、債券買い支えによって投機筋と戦う道具立てを得た結果、一昨春から続くユーロ危機は峠を越えたと指摘されている。EU統合を支持する著名投機筋のジョージ・ソロスは「ドイツが主導してEUの政治統合が進めばユーロは危機から離脱できる」「ドイツがEU統合を主導しないなら、むしろドイツがユーロを離脱し、ユーロの価値を下げて周縁諸国の輸出力を回復すべきだ」と述べている。独憲法裁の決定と、その後のECBの権限拡大は、ドイツがEU統合を主導する意志を見せたことを意味する。 (The Tragedy of the European Union and How to Resolve It George Soros) EUが統合を加速しているのを見て、英国はEUからの離脱を検討している。英国の政界、金融界、学界では、政治統合していくEUに加盟し続けると英国の国権の自立や、英経済の大黒柱であるロンドン金融市場(シティ)の儲けの構造が失われると主張し、EUからの離脱や国民投票の実施を求める声が相次いでいる。 (It starts: first Asian bank mulls British exit from the EU) (`Britain should leave EU for good') (◆危ないのはEUや中国よりもドル) 英国が離脱を本気で考えるほど、EUの統合は進んでいる。米国のQE3は、ドルと米国債を自滅に導く。日銀の量的緩和は、短期的に円高を抑え、対米従属の国是を延命させるが、最終的に米国が財政破綻する時、日本は今よりもっと弱い国になっているだろうから、長期的な国家戦略として劣悪である。これらと対照的に、ECBの量的緩和策は、投機筋とEU当局の戦いであるユーロ危機において当局側を強化し、EU統合を加速し、米国崩壊後の多極型世界においてEUが極(地域覇権勢力)の一つになることに道を開く。
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