危ないのはEUや中国よりもドル2012年7月31日 田中 宇今秋、米国、欧州、日本などの中央銀行が連携し、世界的な「量的緩和」が始まるという予測が出回っている。スペインやイタリアの国債市場が急落しているユーロ危機が今後さらにひどくなり、これまでドイツなどEUが禁じ手と定めていた、量的緩和と同等の、救済基金(公金)による国債の買い支え(債券のマネタイゼーション)が、早ければ数週間後に行われると報じられている。 (ECB thinks the unthinkable, action likely weeks away) 米国では、連銀(FRB)が3度目の量的緩和(QE3)を検討していると、以前から報じられている。日本についても、今後の3年間で巨額の償還が予定されている日本国債の借り換えを、日銀が円通貨を大量発行して買い支えるマネタイゼーションを行いそう(ドルを支えるための円安の要因にもなり好都合)だと指摘されている。中国も経済がハードランディングしそうなので、当局による金融緩和で救うしかないという見方がある。米欧日中という、世界の主要な経済地域のすべてが量的緩和を始めるのでないかという話だ。 (Global QE Is Coming: Let the Gold Mania Begin!) 世界的な量的緩和の予想の背景にあるとされているのは、世界的な経済難である。EUのユーロ危機、中国のハードランディング、米国と日本の景気二番底などが合わさって、世界的な経済難になっているという。 (Emergency Central Bank Intervention Coming?) しかし、各地域の経済状況を私なりに見ていくと、実は世界中が経済難なのでないと感じられる。たとえば中国経済がハードランディングするとの予測についてだが、私が見るところ、中国はハードランディングしそうもない。中国経済が減速している理由は、従来の輸出主導型の経済を、国内消費主導型の経済に転換するのに手間取っているからだ。中国当局は、中国の工員らの労賃が引き上げられていくように政策を組み、工員らの生活水準を貧困層から中産階級に引き上げ、それによって起きる消費増を、輸出主導から消費主導への経済システムの転換の起爆剤に使おうとしてきた。 (Americans Don't Quite Understand 'This' About China's Economy) (China's Coming Economic Transformation) 人々が賃上げで得たお金をまず貯金に回すこともあり、内需が予想通りに拡大せず、短期的な経済成長につながっていない。しかし長期的には、いずれ内需の拡大が少しずつ軌道に乗り、中国経済の成長が堅調になっていくだろう。中国経済は、当局が金融緩和しても成長が促進されない。量的緩和は行われないだろう。 (China's Restructuring Is Underway) ▼英国がEUとの関係を国民投票にかける意味 EUはユーロ危機が続いている。米銀行の分析者は、ギリシャがユーロ離脱する確率は90%だなどと、いまだに言っている。ギリシャであれスペインであれ、一カ国でも離脱したら、ユーロは大きく弱体化し、EUは分裂がひどくなり、欧州統合の構想は破綻する。独仏など主要なEU諸国にとって欧州統合は、以前からの国運をかけた長期戦略だ。日本にとっての対米従属に近い。何があっても放棄しないだろう。スペインのユーロ離脱の確率が90%だなどという話は、相場を動かすために発しているプロパガンダ、たわごとである。ユーロ危機を相場から読み解いてはならない。政治的な視点に見るべきである。発言する金融機関のアナリストも、政治的な参加者である。 (Citigroup Sees 90% Chance That Greece Leaves Euro) 重要なのは、そうした騒ぎの背後で、全く逆の、EUがユーロ危機を脱して政治統合を強化することを見据えた動きが起きていることだ。それは英国で起きている。英国は、EU統合の成否が国益に強く影響する。英銀行界は、ユーロ危機を扇動していると思われる。そんな英国で、キャメロン首相が6月末、統合していくEUと今後どのような関係を結んでいくかについて、いずれ国民投票もしくは総選挙で問う必要が出てくると表明した。 (UK's Cameron attempts to woo eurosceptics on referendum) キャメロンが率いる保守党では、今後EU統合が進んで加盟国からより多くの国権が剥奪されそうなので、早くEUから離脱すべきだという主張が強まっている。それがキャメロン発言の背景にある。保守党には、従来のようにEUに加盟しつつ曖昧な態度を続けるべきだという意見もあり、党内が分裂している。対照的に、保守党と連立政権を組んでいる自由民主党は、EU統合への参加を強く推進している。野党の労働党も、党内は統合推進でおおむねまとまっている。 (Will Britain Ever Leave the European Union?) 独仏主導のEUは、加盟諸国の予算編成権や金融監督権といった主要な国権をEUに統合していくしかユーロ危機の解決方法がないと言いつつ、今の危機を奇貨として、どさくさ紛れにEU政治統合を一気に進めている。すでに最近のEUサミットで予算編成権や金融監督権の統合が決まっており、あとはどう実施するかになっている。 (One small step for European mankind) EUが政治統合を決めても、もし今後、ギリシャなどがユーロから離脱を余儀なくされるなら、ユーロとEUが崩壊し弱体化し、EUは英国にとってどうでも良い存在になる。EUとどう関係するか、英政府が民意に問うてまで意志決定する必要はない。英政府は、今のユーロ危機が加盟国の離脱とEUの崩壊につながらず、EUを強化する政治統合へと向かいそうだと予測しているはずだ。そうでなければキャメロンは国民投票を提起しない。国民投票の提起は、EUがいずれユーロ危機を乗り越えていく可能性が高いことを示している。 (I'm a Europhile - but I'm not afraid of an EU referendum) ▼形だけEUに入る戦略はもう使えない 第二次大戦後、世界は米国(米英)が覇権国であり、欧州は米英覇権に従属してきた。だが今後EUが政治統合すると、米国から自立した地域覇権組織になり、米国の単独覇権体制が崩れる。EUが統合して米国から自立しても、米国自身が強いままなら、英国は引き続き米英同盟を維持してEUに負けない強い勢力でいられる。その場合、EUに形だけ入っていれば、独仏の戦略を内側から察知したり妨害したりできて好都合だ。だから英国は従来、EUに形だけ入り、ユーロや政治統合など、経済的に有利な市場以外の統合に参加しなかった。 しかし今後、EUがユーロ危機を乗り越えて統合していくと、英国の曖昧戦略は通用しなくなる。加盟国がEUに形だけ入っていることが許されなくなり、加盟する以上は統合に参加して国権をEUに剥奪されることを許容するか、さもなくばEUから早々に離脱するしかない。1960年代から、EU統合は、当時言われていたような市場統合でとどまるものでなく、政治統合まで到達することが決まっており、EUが、いったん加盟国から剥奪した国権を、後から再交渉で一部返還することはあり得ないと、英国の新聞が指摘している。 (Britain's only EU hope lies hidden in Lisbon) 英国にとって、米国の覇権がしっかりしている限り、EUとの関係は二の次だ。しかし、08年のリーマンショック以来、米国は「もっと大きな次の金融危機」まで延命している状態で、次の危機はリーマン以上の被害となり、ドルが基軸通貨の地位を失い、米国債の利回りも高騰する。世界経済が再び大混乱するだろうが、同時に覇権の多極化が進み、世界システムの形が変わることで、世界は何とか再び安定していくだろう。米国の世界覇権が崩れ、米国はせいぜいアジア太平洋と中南米ぐらいに引き続き影響を及ぼすが、欧州を含む他の地域との関係は、今よりかなり薄くなる。米英同盟は有名無実化する。次の危機が今秋に来ると予測する分析もある。 (17 Reasons To Be EXTREMELY Concerned About The Second Half Of 2012) 今のところ、米国の債券相場は非常に堅調だ。ジャンク債の利回りが史上初めて4%を割る活況だ。しかし、前回の金融危機が始まった07年夏のサブプライム危機の直前まで、債券相場は歴史的な活況だった。米国は、議会の2大政党間の対立が解けないまま、来年1月、劇的な財政緊縮策の開始と増税が始まることが決まっており、これが次の危機の引き金になるかもしれない。構造的には、ユーロや中国よりも米国が危ない。 (`US self-destruction a matter of time') (◆ユーロは強化され来年復活する?) このように米国覇権の先が暗い中で、もはや英国は、米国の覇権体制の一部として発展し続けることができない。長期的に英国には、EUに入るか、孤立した貧乏な島国へと没落するかの二者択一の国家戦略しかない(中国中心の東アジア秩序の中に入るか、鎖国した貧乏な島国になるかの、二者択一のわが日本と似ている。孤立貧乏島国どうしで日英再同盟とか。意味ないか)。 英国の世論は、EU離脱支持が5割だという。与党の保守党がこの世論に乗って英国をEU離脱に持っていくと、それは英国の自滅につながる。私の「隠れ多極主義」の分析は、米英覇権を維持したいナショナリズム的なの勢力と、自国の覇権よりも自国に敵視された貧しい国々の経済成長を解放して世界経済を発展させることを重視する資本家勢力との相克・暗闘のモデルであるが、このモデルの源流は、産業革命直後の英国に、大英帝国の発展を最重視する勢力と、産業革命を世界に広げて儲けたい資本家との暗闘として、すでに存在していたと考えられる。つまり、英国にも隠れ多極主義者がいる。彼らが、米国で右派の共和党内にいるように、英国で右派の保守党内にいても不思議でない。保守党の反EU派が英国を自滅させていくかもしれない。 (資本の論理と帝国の論理) ところで日本だが、日銀もそのうち円を大量発行して国債を買う自滅的なマネタイゼーションをするかもしれない。今のところ、国会と日銀の微妙なバランスの中で、自滅策の拡大は何とか防がれているが、わが国の権力機構はどこまでも対米従属だ。米国経済とドルがもっと崩壊に近づくと、日本もそれに追いつこうとするかのように、円高対策などと称して、円の自滅的な大量発行をするかもしれない。 いずれ起きる最大の危機は、ユーロでも中国でもなく、米国のドルと債券で起きる。ユーロや中国や日本は、小さな危機にすぎない。大危機の前夜かもしれない今の時期に、世界的な量的緩和が語られる意味は、ユーロや中国、日本などが原因でなく、米国のドルと債券を延命させるために、国際的に大規模な量的緩和があればありがたい、と米金融界が考えていることの表れと考えた方が良い。
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