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東アジアの脅威移転と在日米軍撤収

2012年2月27日   田中 宇

 台湾で1月14日に行われた大統領(総統)選挙で、中国との親交を深める政策を掲げる国民党の馬英九が再選された。台湾と中国はこれまで貿易や観光、投資といった経済分野の協調を先行してきた。今後、馬英九の2期目の4年間に、手つかずだった軍事・安全保障面の協調が始まるのでないかと注目されている。台中間には今のところ、軍事衝突を回避するためのホットラインもないし、軍事演習を行う前に相手方に通告するシステムもない。 (Economic issues come first in Taiwan-China talks: minister

 馬英九は選挙戦で、中国との平和条約の締結を目標にすると表明した。だが台中間の軍事面の緊張緩和は、台湾の後ろ盾となってきた米国のタカ派(主に共和党系)をいらだたせ、米台関係を悪化させかねない。台湾政府は中国との軍事面の協調を進めることに慎重だ。だがその一方で、台中関係の状況と無関係に、米国は、台頭する中国に対して譲歩する姿勢を続けている。台湾の本省人(親日派)が叫んでも、日本政府も台湾のことを無視している。台湾は、中国との協調関係(緊張緩和)を、経済から軍事、政治の面に広げていかざるを得ない。 (Not yet time for Taiwan-China peace agreement: MAC

 台湾政府は、経済面の協調関係を強化していくうちに、自然に軍事面の緊張緩和につながるような策を考えている。入り口は航空会社の相互乗り入れだ。台中は2008年から相互の航空会社が直行便を飛ばせるようにした。だが、相互に相手方から飛んでくる飛行機が戦闘機など敵対的な存在でないことを確認しやすくするため、台中間をつなぐ航空路を一本に絞っている。また、台湾の旅客機が中国を経由して欧州など第三国に飛ぶことが禁じられ、中国の観光客が台湾の空港を経由して米国など第三国に向かうことも制限されている。台湾から欧州に向かう旅客機は、中国上空を通過できないので、シベリア経由の迂回路を通っている。北米に向かう中国人観光客は、台北(桃園)でなく韓国(仁川)で乗り換えている。 (Taiwan airlines target mainland's airspace

 こうした不自由さを改善するには、軍事面の相互不信の解消が必要だ。航空路の利便性の向上という経済面の協調のために、軍事面の緊張緩和を進めるシナリオが、台中間で立てられている。台中間には現在、毎週550便以上の旅客機が飛んでいる。台湾の航空会社は、今年末までに台中間の航空路の改善を実現したいと言っている。今年中に、台中間の軍事面の緊張緩和策が実現するかもしれない。実現したら画期的だ。 (Friends and enemies blur for Taiwanese

▼中国に取り込まれ薄れる台中対立

 台中が軍事面の敵対をやめていくと、東アジア全体の敵味方関係が大転換する。台中対立は、北朝鮮核問題と並び、冷戦後も米軍が日韓など東アジアに駐留し続ける大きな理由となってきた。1996年に台湾で民主的な大統領選挙が初めて行われた時、中国が軍事演習で台湾を威嚇したのに対し、米国が「台湾の民主主義を中国の軍事的脅威から守らねばならない」と言って空母を台湾海峡に派遣したのが、台中対立に米国が介入する冷戦後の構図の始まりだ。

 これを機に、在日米軍が沖縄に駐留せねばならない理由として台中対立(台湾海峡問題)が浮上した。最近の記事に書いたとおり、在日米軍の存在は、日本の権力を握る官僚機構にとって、権力維持のために必要だ。台中が軍事緊張を緩和すると、在日米軍の2大存在意義のうちの一つが失われ、米軍が日本を撤収していく流れが強まるので、日本の官僚機構にとって脅威だ。 (日本の権力構造と在日米軍

 中国側は昨年から、台中関係者が参加するシンポジウムなどの場で、台湾側に「南シナ海(南沙群島)や東シナ海(尖閣諸島)の問題で、台中が連合した立場をとろう」と繰り返し呼びかけている。尖閣諸島問題において、中国の主張は「尖閣(釣魚台)は台湾の一部であり、台湾は中国の一部だから、尖閣は中国の領土だ」という構造だ。南沙群島も、戦前に領有していた日本が、南沙を台湾の一部として扱っていた歴史があり、尖閣と問題の構造が似ている。台湾側は今のところ中国側の提案に乗っていない。だが今後、台中間の協調関係が経済から軍事に拡大していくと、いずれ南沙と尖閣の紛争で、台中が共同歩調をとるようになるだろう。 (Taiwan's beacon on Spratlys may stoke tensions

 尖閣では、以前から台湾の国民党系の市民運動が、中国と同一歩調で日本を非難してきたが、台湾政府は「民間が勝手にやっていること」と言って一線を画していた。今後、台中政府が尖閣で同一歩調をとると、台湾は親日から反日に正式に転じる。もしくはその前に、尖閣で日中対立を扇動して対米従属を続けることが、在日米軍の撤退などによってできなくなり、日中が尖閣問題を再び棚上げすることで合意し、尖閣をめぐる対立そのものが、90年代までのように沈静化する。

 南沙問題は、以前からの東南アジア諸国と中国との対立構造の中に一昨年から米国が「中国包囲網」の一環と称して東南アジアの側に立って介入し、2002年に決まっていた問題の棚上げ合意を崩したものだ。この問題の決着点は、東南アジア経済にしだいに大きな影響を与える中国との関係を悪化させたくない東南アジア諸国が、米国の介入をありがた迷惑に思う傾向を強め、米国の意向を軽視するかたちで、中国と東南アジアが再び南沙問題を棚上げする方向だろう。南沙問題が再棚上げされていく過程で、米国との対立を望まない台湾も、中国と同一歩調をとることに同意するだろう。 (米国が誘導する中国包囲網の虚実

 米国は昨秋から、日韓や東南アジアが米国に望む「中国包囲網」と、米国がアジアでの経済利得を得る「自由貿易圏(TPPや米韓FTA)」を抱き合わせにした「中国の脅威に対抗する米軍の配備を続けてやるから、米企業を儲けさせろ」という戦略を、日韓や東南アジア、豪州などに対してとっている。この戦略に最も明確に乗りたいのは台湾だろう。だが米国は、台湾をTPPに入れず、米台FTAも認めない。米政府は、台湾独立を希求する民進党を冒険主義と非難し、米台FTAが認められないので中国との経済関係を強化する国民党を中国の犬扱いする。 (台湾中国への米国の態度の表と裏

 台湾は、米国が主導する自由貿易圏への参加を認められないのと対照的に、中国との自由貿易圏を急速に強化されている。2010年6月に台中がFTA(両岸経済合作架構協議)に署名した後、台湾は、シンガポール、日本、ニュージーランドといった東アジア経済圏内の国々とも、経済協議や投資協約を交渉ないし締結している。中国は、台湾に対し、将来的に中国主導となるであろう東アジア経済圏の中にいる国々(ASEAN+3+豪NZ)と貿易協定を結ぶことを是認しているようだ。 (Existing cross-strait accords part of 'peace pact': President

 米台・台中・台アジアの全体的な貿易協定の状況を見ると、台湾は、すでに経済面で米国から切り離され、中国主導の東アジア経済圏の中でのみ自由貿易を許される存在になっている。この点については、すでに10年夏に台湾がシンガポールと貿易協定の交渉を始めたときに解説記事を書いた。台湾の状況は、きたるべき多極型世界の状況を先取りしている。まるで、米中が裏で協議し、台湾を米国の傘下から中国の傘下に少しずつ動かしていこうとしているかのような流れだ。このままの流れが続くと、経済の動きがいずれ政治や軍事にも波及し、台湾は中国に取り込まれていくだろう。 (東アジア共同体と中国覇権

▼北朝鮮問題も解決に向かう

 冷戦後、日本にとっての脅威は、北朝鮮と台中対立だった。今、台湾だけでなく、北朝鮮も、日本など周辺国にとっての脅威性が低下している。1989年に米ソが和解して冷戦が終わった後、冷戦に代わる脅威を必要とした米国の軍産複合体は90年代前半、パキスタンを経由して核兵器開発の技術が、エジプトなどを経由して長距離ミサイルの技術が、それぞれ北朝鮮にわたるようにした。北の脅威の拡大は、日本の官僚機構が在日米軍に思いやり予算を渡して駐留継続を実現するためにも役だった。 (中国包囲網と矛盾する米朝対話

 軍産複合体の動きを封じたいクリントン政権は、北朝鮮と、核武装を防ぐための枠組み合意を94年に締結したが、00年からのブッシュ政権は合意を破棄し、北を敵視した。ブッシュ政権には軍産複合体が入り込んでいるようなので、これで米国が再び中露を敵視して日本が対米従属を続けられると日本の官僚たちは喜んだ。だが、実は軍産複合体の中にさらに隠れ多極主義者が入り込む多重構造になっていた。ブッシュ政権は、北朝鮮の世話を中国に押しつけ、朝鮮半島を安定させるための6カ国協議もすべて北京で開かせ、朝鮮半島の主導権を中国に譲渡した。 (北朝鮮問題で始まる東アジアの再編

 中国は北朝鮮に、中国の傘下で中国式の経済改革を進めるよう求め、金正日はこれを了承した。昨年末の金正日の死後、中国式経済改革を進める責任者の張成沢・金敬姫夫妻が、金正恩の摂政役になる新体制となり、北朝鮮は中国の傘下で安定化していく流れが定まった。 (中国の傘下で生き残る北朝鮮

 今年末に行われる韓国大統領選挙と、その後の韓国新政権の就任を待って(もしくはそれと前後して)6カ国協議が再開されるだろう。その後、紆余曲折あるかもしれないが、長期的には、南北対話、米朝和解、北の核廃棄、在韓米軍撤退、6カ国協議機構の東アジア多国間安保機構への昇格、という流れになっていくだろう。「北朝鮮の脅威」は消えていく。東アジアに新たな多国間安保体制ができると、それは日米同盟に代わるものとなる。 (北朝鮮の中国属国化で転換する東アジア安保) (US misreads Sino-North Korean equation

 北朝鮮問題が解決されつつあると書くと「拉致問題はどうなんだ」と尋ねられる。拉致問題は02年の小泉訪朝時に金正日が謝罪したのに対し、遺骨をDNA鑑定しても本人特定できないのに、日本政府が「もらった遺骨をDNA鑑定したらニセモノだった」と言って北朝鮮側を怒らせたところで止まっている。北朝鮮は、拉致問題を解決して日本から援助金をもらうのも良いと思っているだろうが、日本政府は北朝鮮を敵視して対米従属を続けた方が良いので、拉致問題を解決する意志がない。

 今後、6カ国協議で北朝鮮の核問題が解決されていくと、日本だけ拉致問題を口実にしてそっぽを向いているわけにいかなくなる。日朝間で拉致問題を解決しようという政治的な(暗黙の)合意が取り交わされ、北朝鮮側が再び謝罪し、日本側がそれを受けいれて問題が解決したことを認めるという流れで、解決していくと予測される。

▼脅威の消失を受けた米海兵隊の沖縄撤退

 米国の中枢では、遅くとも1940年代から、中国を引っ張り上げ(台頭させ)ようとする(中国に投資して儲けたい隠れ多極主義的な)勢力と、中国を敵視し(封じ込め)ようとする(世界的な脅威を常に求める軍産複合体)勢力が暗闘してきた。多極主義勢力が冷戦を終わらせたが、その後、新たな東アジアの脅威として台中対立と北朝鮮の問題が重視されるようになり、チベットや新疆ウイグルなど中国の内政問題と相まって、軍産複合体好みの新たな中国包囲網が形成されるかと思われた。

 だが同時に、中国が世界経済の中で台頭する動きも続き、米国は台頭する中国を無視できなくなった。米国中枢での、中国を台頭させる動きと敵視する動きの相克は、台頭させる動きの方が優勢となった。中国は、東アジアだけでなく、アフガンなど南アジアや、スーダンなどアフリカ、シリアやイランやイスラエルなど中東でさえ、国際政治を動かすようになり、米政府は内部の相克を超えて、中国の台頭を容認するようになった。 (◆中国とアフリカ) (◆多極化に呼応するイスラエルのガス外交

 米議会上院で昨春、沖縄から米海兵隊を撤退する計画が立てられ、最近になって米政府がそれを実施し始めたことは、台湾と北朝鮮の脅威の消失、中国の台頭といった上記の流れをふまえると、自然な動きであることがわかる。100人で構成される米議会上院は、お飾り的な日本の参議院などより、ずっと大きな政策立案権限を持っている。昨年6月、3人の有力上院議員が超党派で立案した、沖縄からの米海兵隊の撤退計画は、米政府(ホワイトハウス)自身の立案と同程度の権威を持っている。 (日本が忘れた普天間問題に取り組む米議会

 米国側は立案後、半年の猶予を日本側に与えた。その間に日本政府が名護市辺野古に新たな海兵隊基地を作るメドをつけられれば、06年に日米が決めた合意に沿って、普天間基地の辺野古移転が完了するまで海兵隊のグアム撤退を待つが、2011年になっても辺野古の基地建設が進展しなければ、米政府も財政難なので、辺野古移転を待たず先にグアム撤退すると、米国は日本に伝えた。日本側では昨夏、対米従属派の民主党・前原誠司議員らが、辺野古の基地建設を進めようと沖縄に行って圧力をかけたがダメだった。

 今年に入って米国側は、辺野古移転が無理だと最終判断した。日米は、辺野古移転とグアム撤退を切り離し、米軍はグアム移転を先行することになった。グアム側も、8千人も海兵隊を受け入れられないと主張しているので、グアムが受け入れ可能な5千人弱のみをグアムに移転し、残りはハワイ、オーストラリアなどに分散移転することになった。

▼南沙群島問題を使ってフェードアウトする米国

 米国が進めている海兵隊の沖縄撤退は、米国の広範な戦略転換策の一部にすぎない。米国は、台中対立と北朝鮮という、冷戦後の東アジアの2大脅威が消失しつつある状況をふまえて「脅威が薄れているのだから、日本にも韓国にも、米軍の恒久駐留は必要ない」という理屈を展開している。今はまだ台中間も北朝鮮も脅威が残っている印象が人々の中にあり、マスコミだけ見ている人々は「脅威が薄れている」という私の分析に疑問を抱くだろう。だが、すでに書いたように事態は動いており、あと1-2年もしたら、脅威が低下しているという印象の方が人々の常識になるだろう(意外な事態が今後起きた場合、この限りでない)。

 米政府は、脅威の消失をいやがる軍産複合体をなだめるため「代わりの脅威」を用意した。それが、一昨年夏に突然、米政府が「公海上の航行の自由の確保」という口実をつけて介入し始めた南沙群島問題である。昨春、海兵隊の沖縄撤退計画をまとめた上院議員の一人であるジム・ウェッブは、計画書をまとめる際の事情聴取のための旅行で、日本や韓国、グアムと並び、ベトナムを訪問している。「代わりの脅威」について調べに行ったのだろう。 (Senator Jim Webb's East Asia Trip: Record of Activities and Achievements

 台湾や朝鮮半島は、小規模でも戦闘になると百万人単位で人々が被害を受ける人口密集地だ。戦争による経済破壊も巨額になる。対照的に南沙群島は、無人島が点在する大海原で、小規模な戦闘が起きても相互の兵士が死傷するだけで、外部に被害を与えない。しかも、南沙群島問題の落としどころは、中国と東南アジア諸国が資源を共同開発するか、中国がもっと大国になるまで対立を棚上げするかのどちらかだ(尖閣問題と同質)。中国の影響力が拡大し、東南アジア諸国か米国の介入をありがた迷惑がる傾向が強まると、米国は手を引かざるを得ない。当初、米国の介入を喜んでいたベトナムやフィリピンは、しだいに中国を刺激したくない姿勢を強めている。 (Vietnam is ready for a strategic partnership, but doesn't want to upset China

 台湾や北朝鮮の問題が解決されていき、焦点が南沙群島問題に移ると、米軍が駐留すべき地域も、日韓から東南アジア、豪州などへと南下する。東南アジア諸国が米国の介入をありがた迷惑に思うようになると、その駐留すら必要なくなる。南沙群島問題は、米軍が東アジアから「フェードアウト」するための道具立てのように見える(豪州への米海兵隊の駐留は、南沙群島よりもインド洋の海賊退治を見据えたものだろう)。オバマ政権は、アジアを重視すると言い、海軍の太平洋艦隊に対する注目が強まったが、実のところ、太平洋艦隊は船の隻数を削減することが決まっている。 (Obama's Asia strategy gives Navy key role, fewer ships

▼代わりの官僚権力策としての「大震災を忘れるな」

 米国が、日本から遠い南沙群島問題を「代わりの脅威」として用意して在日米軍を撤退し、日本が対米従属を続けられなくなるのなら、日本の官僚機構は自分らの権力を守るため、日米同盟とは別の「代わりの官僚重視体制」「代わりの有事体制」を用意する必要がある。この代わりの体制として用意されたのが、昨年の3月11日の大震災後の「復興支援体制」「(論議の多様化を許さない)『きずな』重視」「間もなく次の大震災が起きる(ので、役所が主導して対策することが必要)」などであるのかもしれない。以前の記事に書いたように、鳩山政権が官僚潰しのために廃止した事務次官会議は、復興支援体制の充実を口実に復活した。 (日本の権力構造と在日米軍

 間もなく3月11日の1周年だ。テレビに出るタレントたちは「震災の教訓を忘れてはならない」と繰り返している。テレビに出続けることが最重要のタレントや芸人は、何を言うことが奨励され、何を言うとテレビに呼ばれなくなるかに関する微妙な風向きの変化にとても敏感だ。

「311」は「911」を連想する。311でマスコミは、津波映像を繰り返し流し、日本人にトラウマを植え付け、官僚主導の復興体制に国民を結集させた。同様に、911でマスコミは、炎上する世界貿易センタービルの映像を繰り返し流し、人々にトラウマを植え付け、テロ戦争の体制に米国民を結集させた。

 戦後の日本では「悲惨な戦争を繰り返してはならない(日本は防衛力を持たず永久に対米従属すべき)」というメッセージの8月の6日や15日が重視されてきたが、今後は8月に代わって3月11日を、官僚権力の維持のため、日本にとって最重要の記念日にしようとしているのかもしれない。こんな風に書くと「お前は被災者の苦しみをどう思っているんだ」と(東北の人でなく東京の人から)非難されるという、言論抑制の機能も、すでに定着している。



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