米経済の崩壊、世界の多極化(2)2008年10月8日 田中 宇10月3日、アメリカ政府による7千億ドルの金融救済案が米議会で可決され、実施が決まった。前代未聞の巨額な公金を投入して金融機関を救済する今回の政策は、投資の自己責任原則を無視しているとして一度は議会で否決され、米世論には反対の声も大きいが、これをやらなければ世界の金融システム自体が破綻するとの危機感でブッシュ政権は議会を説得し、議会が望む追加条項をつけて再提出し、ようやく可決した。だが、可決して早々、この金融救済策には大事な要素が抜け落ちているので効果が薄いとの指摘が出てきた。(関連記事) 米金融界が抱える問題は、米住宅市況の下落によって、金融機関の大きな資産である不動産担保債券(債権)の価値が下がり、実体的な債券価格算出が難しいため、各社が持つ債券の価値の下落幅も確定しにくく、金融機関相互が疑心暗鬼となり、不動産関連以外の債権(各種融資債権、デリバティブ)にも下落が感染し、相互の貸付や一般企業への融資も貸し渋って「経済の血液」である金融の流れが止まっていることだ。今回の金融救済策は、米財務省が、金融機関が持つ下落した債券を米国債との交換などによって買い取り、金融機関の資産状況を改善して金融界の相互の疑心暗鬼を解き、金融の機能を蘇生しようというものだ。(関連記事) しかし困ったことに、米不動産市況は下落を続けており、来年末まで底を打ちそうもない。不動産市況が下落し続ける限り、不動産債券やその他の債権の価値も連動して下がり続ける。債券化された金融資産(レバレッジ金融)の総額は10兆ドルある。7千億ドルの公金では、米金融界が持つすべての債券を買うことはできず、米財務省は、金融界の自信再獲得に効果がありそうな部分を狙って買い上げ、弾みをつけて債券取引を蘇生する戦略だが、せっかく買い上げが効果を挙げても、翌月にはまた不動産市況が悪化し、一時的に改善した信用が、再び崩れてしまう。 今回の金融救済策の前に、サブプライム住宅ローン破綻に対する防止策など、不動産相場の下落を抑止する政策が打たれなければ効果がない。有効な不動産の下落抑止策はほとんど採られていないので、金融救済策だけやっても問題は解決せず、税金の無駄遣いとなる。7千億ドルの救済策が発効したとたん、金融界からは「これでは足りない」という政治圧力がかかり始めた。効果が挙がる救済策には、全部で2兆ドル必要だ、いや5兆ドルだ、といった巨額の議論が出ている。債券金融の総額が10兆ドルなのだから、その不良化部分を公金で買い上げるのに、最も非効率なやり方だと総額5兆ドルかかっても不思議ではない。(関連記事その1、その2、その3) 投資家の気持ちが昨夏以前のイケイケ状態をある程度回復し、債券に対する投資が活発化すれば成功だが、そもそもこの目標は、すでに実現不能な過去の状態だ。この20年間、新しいゲームソフトを作るように各種の債券を発明し、新市場を作って業容を急拡大してきた5大投資銀行のうち3行は潰れ、残る2行(ゴールドマンサックスなど)は投資銀行を廃業し、自分たちが昨年まで馬鹿にしていた一般の商業銀行に転身することを決め、連銀に伝えている。投資銀行の全廃は、債券を使ったレバレッジ金融の業界が大幅縮小することを意味する。 米金融界は伝統的な10兆ドル(預金金融。表の金融システム)と、レバレッジ型の10兆ドル(債券金融。影の金融システム)で構成されている。昨夏以来の危機でレバレッジ型が全崩壊して「終わり」が宣言された。金融界は、全力でレバレッジの解消(返済、償還、清算、投資の回収)を進めている。投資銀行の廃業は、その一環である。巨額で強烈な金融収縮が起きているのだから、少なくとも今後何年かは、投資が右肩上がりに戻るとは考えにくいし、貸し渋りが起きて当然だ。担保不動産を投げ売りして投資を清算する金融機関が多く、米英などの不動産市況の悪化に拍車をかけている。(関連記事) 1997年からのアジア金融危機の時もそうだったが、国際金融の世界では、いったん大儲けの新手法が崩壊して「終わり」が宣言されると、その後同じ手法が大々的に復活することはない。金融危機が去っても、レバレッジ型金融の規模は大幅に縮小すると予測される。米では投資銀行だけでなく、大手商業銀行も97年の規制緩和(グラス・スティーガル法改定)以来、レバレッジ金融を急拡大させており、シティグループだけで帳簿外のレバレッジが1兆ドルある。そのうち最優良のもの以外は今後、清算されねばならない。清算過程が続く限り、銀行は塩漬け的な消極姿勢をとり続ける。(関連記事) 米国での不動産融資契約の多くは「ノンリコース型」で、債務者からの返済が滞った場合、債権者は担保の住宅を差し押さえられるだけで、債務者の他の資産を押収できない。住宅市況が悪化し、住宅の価値が借金総額より少なくなったら、ローン債務者は返済を止めて、住宅を差し押さえしてもらった方が損失が少なくなる。そのため、投資目的でローンを組んだ米国民の中には、金に余裕があるのにローン返済を止める人も多い。債権者の金融機関の損失がふくらみ、押収、競売される住宅が増えて住宅市況の悪化も進む。(関連記事) これらの要件が重なり、米住宅市況はしばらく回復の見込みがない。担保価値の底が抜けている状態の中で、米政府が債権を買い取って銀行を救済しようとするのは、底なしの井戸に石を投げ込んで埋めようとするようなもので、とても非効率だ。 ▼金融市場は凍結、株は暴落 米政府の救済策が持つ非効率さを、市場は察知している。救済策が成立した後、株式市場は毎日のように世界的な急落となっている。銀行間の相互不信は全く解消されず、金融システムの中心的な機能だった銀行間融資市場は、世界的にほとんど取引がない凍結状態となっている。銀行間融資市場はもう復活しないとの悲観論さえ出てきた。金融機関が資金調達する唯一の方法は、各国の中央銀行からの融資のみとなっている。 銀行間融資市場の崩壊を受けて、米国以外の国々の金融機関も資金調達ができず、危機に陥った。ドイツ大手のハイポ不動産銀行は、アイルランドにある傘下の不動産専業銀行(Depfa Bank)が資金調達不能になって本体も破綻しかけた。9月末、独政府が国内大手銀行を集めてハイポ救済の融資体制を組もうとしたが、他の銀行は疑心暗鬼でハイポに貸したがらず、救済案は失敗した。この失敗を見た独国民はパニックになり、預金大量流出の取り付け騒ぎが起こりかけた。独政府は「国民の預金は全額補償する」と発表し、政府による新たなハイポ救済策を作り直し、金融破綻の感染拡大を何とか防いだ。(関連記事) イタリアやイギリス、ベルギー、アイスランドなどでも、大手銀行が資金調達に行き詰まり、取り付け騒ぎが拡大したため、政府が緊急支援に乗り出した。アイスランドの大手銀行は、英など他のEU諸国で事業を積極拡大した結果、アイスランド自身のGDPの数倍の資産を持った状態で潰れかけており、アイスランド政府が救済できるかどうかも疑われている。(関連記事) 人口30万人のアイスランドでは、インフレと為替下落、預金取り付け騒ぎなどが起き、大変な状態だ。アイスランド政府は他の欧米諸国政府に緊急融資を求めたが断られ、破綻寸前だ。そこに登場したのがロシア政府で、ロシアがアイスランドに40億ユーロを融資する話が俎上にのぼっている。アイスランドは米英の間、北極圏に近い北大西洋上という戦略的要衝にある島国で、2006年まで米軍(NATO)の空軍基地があり、冷戦時代には米軍が北極圏方面のソ連の動きを監視していた。ロシアは、今回の融資の見返りに、06年に米軍が撤退してから空いている空軍基地にロシア軍を駐留させてくれと要求していると推測される。これが実現すると、米英は自分たちの間にある要衝の島を軍事的にロシアに取られてしまう。(関連記事) ▼ドル建て融資したがらない世界の銀行 EUは域内の自由化の結果、大手金融機関の規模が一国の範囲を超えている。そのため10月4日、EUの主要国である英仏独伊のトップが集まり、EU諸国が一つの金融救済基金を作り、救済に乗り出す案について話し合った。しかし、仏サルコジ大統領が出したこの案は、英独に拒否され、成立しなかった。(関連記事) この直前、10月1日には、英独仏のトップが、米のブッシュ大統領に相次いで電話をかけ、米主導の欧米協調で国際金融の建て直し戦略を開始することを呼びかけた。しかし、米は欧米協調に消極的で、しかたなく欧州諸国だけで共同の金融救済策を作ろうと4日にトップ会議を開いたが、米抜きで欧州諸国が話し合ってもまとまらず、成功しなかった(7日になって、欧州各国が独自に行う金融救済の許容範囲だけ何とか決めた)。西欧諸国は、まだ対米従属の意識が強い。(関連記事) アジアでは、韓国の諸銀行が、貿易決済のためのドル資金を欧米の銀行間金融市場で調達することが難しくなり、10月6日に韓国政府が支援に入った。(関連記事) 原油高で大金持ちのはずのサウジアラビアの金融界も、ドル不足にあえいでいる。サウジの通貨リヤルは、ドルに為替連動(ペッグ)しているが、これから米連銀が利下げするとともに米政府が金融救済で財政赤字を急増させると、近いうちにドルが下がり出し、サウジ当局はペッグの持続が不能になってリヤルの切り上げ(もしくはペッグ解消)せざるを得なくなる懸念がある。そのためサウジの銀行は、下落しそうなドル建てで融資を出すことを嫌い、市場にドルが足りなくなっている。世界的に、ドルは決済通貨としての機能を全うできなくなっている。(関連記事) ▼一般企業のリスクをも背負う米連銀 米国の金融危機は、米以外の世界の金融機関に悪影響を拡大させているだけでなく、同時に、米国内の金融以外の一般の各産業にも、資金調達難というかたちで悪影響を急拡大させている。米連銀は、金融界の次に危険なのは、しだいに資金調達が難しくなっている一般企業と、州市町などの地方政府であると考えている。たとえばカリフォルニア州は、財政破綻直前だと州知事が表明している。(関連記事) 企業の短期資金の調達は、主にCP(手形。コマーシャル・ペーパー)を担保に銀行が金を貸すCP市場で行われてきたが、金融危機による貸し渋りで、CP市場はここ1カ月近くほとんど動きがなく、閉鎖状態だ。CPの満期は30日前後で、毎月借り換えをしないと、企業は運転資金難で倒産する。連銀がいくら米銀行界に緊急融資しても、銀行は貸し倒れを恐れ、企業に対するCP担保貸出を再開してくれない。このままでは今後2週間以内に米企業の大量倒産が起きる。(関連記事その1、その2) このため連銀は10月7日、銀行を介して企業に資金を供給することをあきらめ、連銀自身が企業のCPを担保に資金を融資する前代未聞の施策を開始した。これは、米当局自身が銀行業務を開始したことを意味する。米金融界では、政府が動かす連銀だけが機能し、他の民間銀行は機能不全に陥っている。機能不全は昨年から続き、しだいに拡大し、ここに来て急にひどくなった。今後、何カ月も機能不全が続くと予測される。その間、米当局(連銀と財務省)が唯一の貸し手となり、あらゆる金融リスクを米当局が背負い続けることになる。(関連記事) これで米経済が不況にならなければ、問題は金融界だけですむが、残念ながら、米経済の指標は、9月後半から急速に悪化している。10月3日に発表された9月の雇用統計は、失業者数が予想の10万人を大きく上回る16万人と発表され、失業が急拡大していることが明らかになった。(関連記事) 米経済は、工業生産も急速に減り出し、消費も落ち込んでいる。これらの指標から見て、今後ひどい不況になる恐れが一気に強まった。少なくとも今後半年間は、米経済はマイナス成長になると、ゴールドマンサックスが予測している。(関連記事) 米経済の急速な悪化を受け、連銀が景気対策として近く0・5%程度の利下げを行うことは、ほぼ確実となった。しかし利下げをしても、おそらく効果はほとんどない。利下げは、銀行から一般企業への融資の利回りを下げ、企業が金を借りて設備投資を増やしやすい状況を作り、景気減速を止めるのが目的だが、銀行が機能不全に陥っている米の現状では、利下げしても銀行は企業に金を貸すようにならない。(関連記事その1、その2) 不況によって米企業に倒産が広がると、連銀が米企業への融資の担保として受け取っていたCPが次々と不渡りになる。米経済における最後の貸し手である連銀と財務省が、融資の担保として、民間銀行や一般企業から受け取った膨大な債券やCPの中に占める「紙くず」の割合が、今後の不況と金融危機の拡大とともに、どんどん増える。米政府の不良債権率が高まり、やがて米国債が世界の投資家に敬遠されて売れなくなり、債務不履行(財政破綻)に陥る。今のペースだと、そこまで行き着くのに1年かからないだろう。(関連記事) ▼米利下げでインフレと原油高騰が再燃する 連銀による利下げはむしろ、悪影響の方が大きくなる。その一つはインフレの激化である。金融危機によって、すでにドルの信用は潜在的に大きく失われており、利下げは世界的なインフレを悪化させる。インフレの再燃は、原油や金などの相場の再上昇を招く。米経済が不況になると石油消費が減るので原油安だとの予測も出ているが、私はむしろ、利下げによるインフレから来る原油再高騰の可能性の方が大きいと考える。(関連記事) 利下げはまた、ドル為替の急落の懸念を拡大させる。今は欧州の銀行が潰れているのでユーロ安ドル高だが、この傾向はおそらく長続きしない。中国政府の専門家である巴曙松(Ba Shusong、国務院発展研究中心)は、米政府が利下げしたらドルが急落するかもしれないので、その時に人民元が連動して下落しないよう、中国政府は人民元の為替管理を緩やかにしておくべきだとの主張を、中国の経済専門紙に載せている。(関連記事) 中国人民元は、ドルに対する疑似ペッグを維持しているが、ドルが急落した場合、これを断ち切らざるを得なくなる。中国が疑似ペッグをやめる時は、中国が経済的な対米依存を減らすときでもある。従来の中国は、対米輸出で国内産業を成長させ、その対価として輸出代金で米国債を買い、人民元の対ドル疑似ペッグを続けてきた(中国は米から非難され05年にペッグを形だけやめて疑似ペッグにした)。しかし今、米の消費は減り、中国企業は対米輸出ではなく、内需や、他のBRIC諸国などへの輸出で儲けるようになった。米政府は財政破綻の懸念が増し、巨額の米国債を保有し続けることも危なくなった。 今後ドルが下落したら、中国は人民元の対ドル疑似ペッグをやめて対ドル為替の大幅上昇を容認し、その代わり米国債の買い増しもせず売り逃げを目指し、米の財政破綻を看過するようになる。通貨をドルペッグしているサウジアラビアなど中東アラブ産油国(GCC6カ国)も、中国と同じ方向の動きをするだろう。 米言論界では「米金融界の救済にはあと5000億ドルぐらい必要だが、この分を中国に米国再追加購入させ、出してもらおう」との提案が出ている。もし他の分野、たとえば軍事や政治の分野で、これまで中国を困らせてきた問題について、中国に有利な施策を米政府が採り出すなら、それと交換条件で、中国が米国債を追加購入して米政府を助けるという展開があり得るかもしれない。(関連記事) ▼米を救済しうる中国を激怒させる自滅策 しかし今、米政府が政治軍事分野で行っていることは、むしろ中国を激怒させることである。米政府は10月3日、2001年に米議会で決定されながら7年間も凍結されてきた、台湾への65億ドルの兵器売却(パトリオット迎撃ミサイル、F16戦闘機修理部品など)を実施すると、唐突に発表した。(関連記事) これは米政界内の事情としてみると、同時期に決まったインドへの原子力技術の供与と同様、ブッシュ政権の任期中に兵器や核関連の商談をまとめさせようと軍事産業が米政界に圧力をかけた成果なのだろう。台湾への兵器売却は、中国側に対する若干の配慮もなされ、総額は予定(120億ドル)の半分にとどめられ、台湾側が強く求めていた潜水艦は含まれなかった。(関連記事) しかし中国政府は、この売却決定に激怒し、ここ何年か続けられていた米中の軍事交流(米中間の軍事ホットラインの新設計画など)をキャンセルすると米政府に通告してきた。(関連記事) 米中関係は、ここ数年しだいに好転し、米から台湾への兵器売却についても、今年7月に米軍のキーティング太平洋軍司令官が「台湾海峡で戦争が起きる懸念は非常に低い(ので台湾には兵器を売らなくても良い)」と不売を示唆していた。中国政府はおそらく、米中関係が中国の優勢の中で好転しているので、米が台湾に兵器を売ることもないと考えていただろう。そんな中で、唐突に米政府が台湾への兵器売却を発表したので、中国政府は米政府に対する信頼が一気に崩れた。(関連記事) こんな風に面子を潰されても、まだ中国政府が米政府を助けるため高リスクの米国債を買い増すかどうか。中国の指導者は、表向きは反米的な言動をとらず、露骨に反米的なロシアの指導者とは全く趣が異なるが、中露を中心に作るユーラシアの安保組織「上海協力機構」では、米の単独覇権主義は世界にとって危険なものであり、世界の安定化には、中露などが欧米とは別の地域安定勢力(覇権国)として存在する多極的な国際政治体制が必要だとのコンセンサスがある。(関連記事) おそらく中国政府の中枢では、米政府を助けて従来の米単独覇権体制の維持に協力するか、米を助けずロシアと組んで米覇権崩壊後の多極的な世界体制作りに協力するか、どちらの道を採るか、議論が続けられている(もう結論が出ているのかもしれないが、外からはわからない)。そんな微妙な時期に、唐突な台湾への兵器売却を発表して中国を激怒させるとは、ブッシュ政権のやり方は、いつもながら自滅的であり、隠れ多極主義的である。
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