米ミサイル防衛システムの茶番劇2008年9月17日 田中 宇世界の外交軍事の関係者は皆知っているが、一般市民はほとんど知らない話の一つに「米軍が開発しているミサイル防衛システム(ミサイル迎撃ミサイル、Ground-Based Midcourse Defense、GMD)は、実は迎撃能力がほとんどない」という件がある。日本ではまったくマスコミに載らないが、米英ではときたまこの話はマスコミの記事になり、政治分析者のウェブログでも話題になる時がある。私も以前から何回か、この件を記事にしている。(関連記事その1、その2、その3) GMDは、敵国から飛んできた弾道ミサイルに対して迎撃ミサイルを発射して命中させ、着弾前に撃ち落とすシステムである。問題は、弾道ミサイルの多くは、迎撃ミサイルの目をくらますため、飛行中に「おとり」のミサイル状の金属筒を何発も分離して近くに並行して飛ばし、迎撃ミサイルは本物のミサイルではなくおとりの金属筒に当たって終わる確率が高いことだ。米国防総省はこれまでに何千億ドルもかけてミサイル防衛システムを開発してきたが、ロシアは数十億ドルで高性能のおとりシステムを開発し、米が露の100倍の金をかけてもかなわない状況になっている。(関連記事) 米はミサイル防衛システムの開発を50年以上続け、ときどき迎撃実験を実施するが、最近の5回の実験のうち、迎撃に成功したのは2回だけだ。しかも実験の多くは、敵方のミサイルが「おとり」を発射しない前提で行われている。加えて、迎撃ミサイルには、敵方のミサイルがいつどこからどのような軌跡で発射されるかというデータを、あらかじめ入力した上で実験を行っている。本物の戦争では、敵のミサイルがいつどこから飛んでくるかわからず、おとり技術も搭載されているはずだから、米軍の迎撃実験は茶番劇である。 こんな茶番が続いている理由は、米中枢で軍産複合体が幅を利かせ、軍事予算の水増しを画策してきたからである。一般的な新兵器開発は、いつまでにどんな性能の武器をいくら使って開発するかという目標設定がなされているが、ミサイル防衛システムの予算にはこの制限がない。無限に性能を向上させる名目で目標値が設定されないので、予算の妥当性を検討するはずの米議会は、開発が成功しているのかどうか判断できないまま、毎年100億ドル以上の予算を計上している。その何%かは、軍事産業から議員への献金としてキックバックされる。 ミサイル防衛システムの構想が最初に描かれたのは1946年で、当時は「50年後に完成する」とされていた。それから60年たち、ずっと予算が計上されているが、今でもシステムの完成予定は「50年後」だ。軍産複合体にとってこのシステムは「いくら食べても減らないプリン」だと指摘されている。(関連記事) 軍産複合体の一翼を担う米政治家の役目は、ミサイルや核弾頭を作れる敵性諸国の脅威をできるだけ煽り、おいしいプリンの構図を恒久化していくことだ。イラク、イラン、シリア、リビア、北朝鮮、ロシア、中国などが、プリン作戦に協力させられてきた。 ▼パトリオットの無能 北朝鮮のミサイル脅威に対しては、日本でもパトリオット(PAC−3)ベースのミサイル防衛システムを、米から総額5000億円を出して購入する話が進んでおり、すでに首都圏に4基が配備され、迎撃実験も行われた。(関連記事) パトリオットは、複数の種類があるミサイル防衛システムの中でも、比較的飛距離の短いミサイルを迎撃するもので、冒頭に紹介したGMDよりも先行し、すでに日本のほか、ドイツやオランダ、イスラエル、台湾、クウェート、エジプト、ギリシャなどに売られ、配備されている。 パトリオットは、1970年代に開発され、91年の湾岸戦争で初めて実戦使用され、命中率は97%だと当時のパパブッシュ大統領が豪語した。だがその後、米MITとテルアビブ大学の専門家らが、パトリオット発射時のビデオ映像を解析したところ、ほとんど当たっていないことがわかり、彼らは92年に米議会で「命中率は10%以下で、もしかするとゼロかもしれない」と証言した。米議会も、米政府が発表した命中率はウソだと断定する報告書を発表した。(関連記事その1、その2) パトリオットは03年のイラク戦争でも使われ、米政府は「ミサイル迎撃は大成功をおさめた」と発表した。しかし、イラク戦争をめぐるブッシュ政権の発表はウソだらけだから、これも信用できない。そもそもイラクは、90年代から国連(米英)の査察を何度も受け、ミサイルのほとんどを破棄させられている。イラク戦争後、パトリオットは、バグダッドの米軍基地に配備されたが、基地に着陸してくる米英の戦闘機を、敵のミサイルと誤認して迎撃してしまう事故を繰り返している。(関連記事) 以前、東京の外国人記者クラブ(FCCJ)で防衛省の研究員が記者発表した際、日本に配備されるパトリオットの迎撃能力を疑問視する質問が出た。その際、研究員は迎撃能力について直接答えず「実際にどの程度迎撃できるかということより、迎撃システムを持っていることで国民が安心できることが重要だ」という趣旨の回答をした。(関連記事) 私がこの回答から感じた意味は「確かにパトリオットは迎撃能力に疑問がある。しかし、たとえ実際に迎撃できなくても、日本のマスコミはそんなことは書かず、日本国民はパトリオットは迎撃能力を持っていると考えるだろうから、北朝鮮のミサイル攻撃を恐れる日本国民は安心感を持てる。この安心感が重要」ということだった。 実際には、北朝鮮のミサイルは実験時にろくに飛んでいないので、たとえパトリオットに迎撃能力がなくても、かまわないのだろう(北朝鮮は新たなミサイルエンジン開発をしていると報じられているが)。(関連記事) バグダッドの誤射の例から考えて、自衛隊の戦闘機が東京の上空で間違ってパトリオットに迎撃される事故が今後起きるかもしれないが、このリスクも日本国民の「安心感」の対価としては安いと考えられているのかもしれない。日本政府にとっては、北朝鮮のミサイルの脅威より、パトリオットを購入しない場合の米政府の怒りの方が怖い。 米政界の方も、日本は徹頭徹尾の対米従属だから、巨額だが無能なシステムを売りつけても文句は言わないだろうと、馬鹿にしているのだろう。わが祖国ながら、日本はあまりに情けない。米の同盟国の中でも、カナダはすでに2005年に、米のミサイル防衛システムの能力を疑問視し、米との共同開発を断っている。(関連記事) ▼ロシアの拡張主義を助長するポーランド配備 日本をめぐるミサイル防衛システムの茶番劇は、米は日本に売りつける、日本は対米従属を維持するために買う、北朝鮮は米を交渉の場に引っぱり出したいのでミサイル試射をする、という構図になっている。これとは別の種類の茶番劇が展開されているのが、ポーランドをめぐるミサイル防衛システムの話である。 米は911後、単独覇権主義を標榜するようになった02年、東欧にミサイル防衛システム(GMD)を配備する構想を提唱し始めた。公式には「イランなど中東から米国に向けて発射された弾道ミサイルを迎撃する」という名目で、ポーランドに10発の迎撃ミサイル、チェコに精密レーダーを配備する交渉が始まった。ロシアは、イランではなく自国に対する挑発だとして激怒し、照準をポーランドなどに合わせた短距離核ミサイルを配備するなどの対抗手段をとると表明した。(関連記事) ロシアを挑発するリスクの見返りとして、東欧2国側は、米に安全保障の確約などを求め、それを拒否する米側との交渉は平行線だったが、今年8月、ロシアとグルジアの戦争が始まった後、米とポーランドの間の交渉が急に進展し、8月20日、米のGMDをポーランドに配備する協定が調印された。GMDは、ロシアから米に向かって飛ぶ弾道ミサイルを迎撃するシステムであり、ロシアからポーランドに向けて発射される短距離ミサイルは迎撃できない。そのためポーランドは米に、GMDとは別に、短距離ミサイル用のパトリオット迎撃システムをポーランドに配備することを求め、米は了承した。(関連記事) GMDやパトリオットが効果のある迎撃システムなら、米露対立が高まる中でポーランドもミサイル抑止力をつけた、という話になる。だが、迎撃ミサイルには効力がなく、しかも米・ロシア・ポーランドのいずれの関係者も、迎撃ミサイルの無能さを知っていると指摘されている。それを踏まえた上でこの話を分析すると、非常に複雑な、常識と全く異なる、奥の深い話となる。(関連記事) ロシアは、米がミサイル防衛システムを使って敵対的な行動をとっている(露のミサイルは迎撃されるが、米は露に自由にミサイルを撃ち込める)という建前的な状況に対して怒り、対抗的に、米の裏庭・カリブ海岸にあるベネズエラの反米チャベス政権と一緒に、軍事演習を始めたりしている。(関連記事) ロシアは、ポーランドに配備されるGMDが、無能な張り子の虎だと知っている。それでもロシアが怒って対抗手段をとるのは、米のGMD配備が、ロシアにとって「対抗手段」という名目の拡張主義戦略を容認する正当性を与えているからである。つまり米政府はポーランドにGMDを配備することにより、ロシアの拡張主義を煽っている。 露の拡張主義は、米英マスコミでは暴虐な行為と非難されているが、米英日など世界のごく一部の国々以外の国際社会では、米がポーランドにGMDを配備して露への敵対を強めたのだから、露が対抗するのは当然だと見られている。 ▼ロシアの気兼ねを解いてやる米 ロシアは冷戦終結時、米を敵視することをやめる代わりに、米から仲良くしてもらい、G7に入れてもらうなど、米英中心の国際社会から尊重してもらうという見返りを得られるはずだった。レーガンとゴルバチョフの間でそのような約束があったからこそ、ロシアはワルシャワ条約機構(NATOに対抗していたソ連東欧の軍事組織)をすすんで解体した。しかし、米英中枢では、英と軍産複合体がロシア敵視をやめることに抵抗し、ワルシャワ機構が解体されてもNATOは残った。しかもNATOは東欧やバルト3国を取り込み、ロシアに迫ってきた。 クリントンが試みた米英中心の金融覇権体制が97年のアジア通貨危機によって崩壊した後、再び軍産英イスラエル複合体が強くなり、新たな仮想敵になる中東に加え、ロシアが再び仮想敵にされる傾向が強まった。ネオコンがチェチェン独立を煽る組織を作り、97年秋にはグルジア・ウクライナ・アゼルバイジャン・モルドバという、旧ソ連圏で反ロシア的な国々が集まって米英から支援を受けるための組織「GUAM」が作られた。対露包囲網が再び強まったが、ロシアは引き続き冷戦直後からの「米敵視をやめる」という戦略を維持し、米英から意地悪されても反攻しなかった。(関連記事) このような米英に対するロシアの気兼ねは、米がイラク占領に失敗して覇権が陰り出すとともに弱まり、今年8月のグルジア戦争によって完全に消えた。ポーランドに対する米GMDの配備はまさに、ロシアが米に気兼ねしなくなったタイミングを狙って、ロシアの拡張主義を扇動するものとして発せられている。 米は、国際政治上のいくつもの問題に関して、ロシアの助けが必要な状況にある。たとえば、イランの核兵器開発疑惑では、国連安保理常任理事国である露の協力がない限り、米はイランを制裁し続けられない。露は、米主導のイラン制裁にはもう協力しないと表明した。イランの隣国イラクでは、米の傀儡だったはずのマリキ首相が、米のいうことを聞かなくなってきた。米がイランを抑止できないと、イラク占領が失敗して米軍撤退の可能性が強まる。米は、イランとイラク問題で露の協力が必要なときに、露と敵対してしまっている。自滅的である。(関連記事その1、その2) パキスタンでは、軍を統制できた親米のムシャラフ大統領が辞任に追い込まれ、後任には、軍を統制できず、世論の支持も弱く、人気取りのために反米に傾きかねないアシフ・ザルダリ(昨年末に暗殺されたブット元首相の夫。妻の権力を使い、公共事業のキックバックで儲けたことで有名)が大統領になった。ムシャラフが辞めた直後、米軍は、アフガニスタンのタリバンがパキスタンを拠点にアフガンに越境攻撃してくるので退治するとの名目で、初めてパキスタンに米地上軍を侵攻させることを決め、パキスタン世論の反米感情を扇動している。(関連記事) パキスタンは、アフガンに駐留するNATO軍への物資の補給路として機能しており、パキスタンが反米になってアフガンへの物資補給が阻止されると、NATOはアフガン駐留の続行が難しくなる。すでに、パキスタンからアフガンに向かうカイバル峠では、大型トラックがタリバン系ゲリラ(山賊)にしばしば襲撃されている。(関連記事) 今後、NATOがパキスタンを補給路として使えなくなった場合、代わりの補給路として使えるのは、ロシアから中央アジアのウズベキスタンを経由してアフガンに至るルートである。ロシアは今年初め、NATOがこのルートを使うことを許可し、すでにある程度の物資運搬が開始されている。ロシアがNATOに協力する姿勢を見せたのは、それによってNATOがロシア敵視を和らげ、ウクライナやグルジアの加盟を見送ると思ったからだろう。しかし米は、ロシアを怒らせた。しかも米は、同時にパキスタンの反米感情を扇動した。米の言動は、NATOのアフガン占領を失敗させたいかのようである(ブッシュ政権が隠れ多極主義であると前提すると、NATOを潰してロシアやイランを強化するのは納得できるが)。(関連記事) 元ネオコンの米学者フランシス・フクヤマは「失策続きのブッシュ政権は、米の覇権を立て直すため、ロシアの協力を得ることが不可欠だ。しかし実際には、米政府は逆に(今年2月の)コソボ独立の容認、今年8月のポーランドへのGMD配備など、ロシアと協調するための外堀を自ら次々と埋めてしまい、ロシアとの和解を不可能にしている。米の覇権は衰退し、次の米政権は、覇権衰退への対応に追われることになる。これは仮定の話ではなく、現実である」と書いている。(関連記事) (コソボはセルビアから独立した。セルビアは、民族がロシアと同じスラブ人であり、ロシアの支援を受けている)(関連記事) フクヤマの理論を拡張すると、もしブッシュ政権が隠れ多極主義の戦略をとっているなら、ロシアと和解せず、ますます敵対し、結果として、米の覇権衰退と多極化を進めるだろうということになる。 ▼米英で逆方向の「熊回し」 ロシアはこの100年間、米英という覇権国にとって、世界支配のための「敵」もしくはその逆の「パートナー」としての役割を演じさせられ続けている。鈍重だが挑発されると攻撃してくるロシアは、動物の熊に例えられることが多いが、米英は覇権運営の一環として、サーカスの「熊回し」のようなことをやり続けてきた。 ただし、ここで問題なのは、米英中枢で、ロシアに「敵」を演じさせようとする軍産英複合体と、ロシアに「パートナー」を演じさせたい多極主義勢力では、熊回しの方向が全く逆で、米の対露戦略は、両方の熊回しが錯綜する複雑な事態となっていることだ。 冷戦を終わらせたレーガンや、プーチンの台頭、中露結束の上海協力機構に対する容認(軽視)などの裏には多極主義勢力がいる。半面、チェチェンの対露独立戦争を扇動したり、冷戦後オリガルヒー(新興財閥)にロシアのエネルギー資産を私物化させたり、98年のロシア金融危機、そして先日からのロシアの株価暴落などの裏には、軍産英複合体がいると思われる。プーチンやメドベージェフは、特に英を嫌っており、英の石油会社BPをロシアから追い出す意地悪を展開している。軍産複合体の反露戦略の絵を描いているのが英だから、プーチンらは特に英を嫌っているのだろう。 今年起きた、米によるコソボ独立の容認、ポーランドへのGMDの配備、ロシアの反撃を誘発したグルジアの南オセチア侵攻は、いずれも熊を怒らせて「敵」に仕立て、米露間の冷戦構造を復活させようとする軍産英複合体の戦略に合致している。だが、これらの戦略は、間違った時期に発動されており、米は覇権が弱まって露の協力が必要な必要なときに露と対立して自滅を早める結果を生んでいる。その意味で、ブッシュ政権の対露戦略は、軍産イスラエルに牛耳られてやらされたが「やりすぎ」で自滅的に失敗しているイラク侵攻と同様、多極主義的である。 米議会を中心とする米政界では軍産複合体が強く、ホワイトハウス、特に共和党政権(ニクソン・レーガン・ブッシュ)は、多極主義の傾向が強い。ホワイトハウスは、米議会を煙に巻くため、冷戦派のふりをしつつ、やりすぎによって多極化を行う「隠れ多極主義」をやっている。 私は、多極主義者の黒幕はニューヨークの資本家のことだと考えてきたが、実際に世界が多極化しつつある中で、リーマンブラザーズなどNY資本家の象徴とされる投資銀行が次々と破綻している。この現象からは「資本家と多極主義者は別物?」「そもそも多極主義者なんかいない?」といった論議が出てきうる。だが、この40年間の歴代共和党政権が多極主義的な傾向を持っていたことは間違いないし、第一次大戦前からのNY資本家の動きを見ても多極主義的な感じがする。投資銀行が潰れることと多極化との関係は、今後も分析を続ける。(関連記事その1、その2) 最近、ロシア軍はグルジア本土からの撤退を開始したが、それと同時に、グルジアでは無謀な戦争を起こしたサーカシビリ大統領に対する野党からの非難が始まっている。NATO内では、米英が反露だが、独仏伊西といった西欧諸国はロシアとの敵対に強く反対している。西欧からは、サーカシビリが昨秋、野党を弾圧したことから「グルジアは民主政治の面で、NATOに入る資格がない」という議論が出てきた。(関連記事) ウクライナでは、親米派のユーシェンコ大統領と、親露派の野党(ヤヌコビッチ)の対立が激化しているが、ここで第3勢力として漁夫の利を狙う戦略をずっと続けてきたティモシェンコ首相(「ガス利権プリンセス」のあだ名を持つ)が、ロシアの優勢を見て親露派に微妙に味方し、親米派が不利になって9月16日に政権崩壊した。(関連記事) グルジアもウクライナもいずれ、露骨な親米反露路線を取れなくなりそうだ。米に頼ってロシアに対抗しようとしているポーランドも、反露的な姿勢を和らげざるを得なくなるだろう。米が配備するGMDやパトリオットといったミサイル防衛システムが、本当にロシアのミサイルを迎撃してくれるなら、まだ頑張れるかもしれないが、これらのシステムは無能な張り子の虎である。ポーランドは歴史的に何度も経験した、大国に振り回された挙げ句に捨てられる悲劇を、再び味わうことになる。
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