北朝鮮を中国式に考え直す2001年2月5日 田中 宇アメリカで史上最長の好景気を達成したクリントン政権が終わり、共和党のブッシュ政権が始まったとたん、まるで魔法が解けたかのように、アメリカ経済の調子が急に悪くなった。 国民の多くが株式投資をしているアメリカでは、株が上がると人々の消費も活気づく傾向が強く、これまでは株高が景気を引っ張ってきたが、昨年春のハイテク株下落以来、こうした図式が崩れ出していた。その流れの中で、たまたま政権交代時期に景気悪化が表面化したという見方がまっとうかもしれない。 だが、今後の不景気は長引くという予測もあり、そうなるとクリントン時代は好景気、ブッシュ時代は不景気という、はっきりした格差がつきかねない。「株高神話」に基づくアメリカのこれまでの好景気は「土地神話」に基づいていた日本のバブル経済と似ており、バブル崩壊後の不景気も日本同様に長引く、というのが不景気長期説の理由である。 私は先週「金融の元祖ユダヤ人」を執筆したばかりで「ユダヤ人が金融市場を牛耳ったり、中央銀行の決定に影響を与えたりできるのは、歴史的必然である」などと書いた余韻がまだ残っている。 その感覚でみると、史上最もイスラエル寄りだったといわれるクリントン政権から、石油利権の関係で反イスラエルのアラブ産油国と仲良くしそうだとみられているブッシュ政権に交代したとたんに経済が悪化したことは、つい陰謀説の筋書きで読み説きたくなる。 アメリカの政権交代に対して機敏に動いた人々は、ほかにもけっこういる。イラクのサダム・フセイン大統領などもその一人だろう。アメリカの政権交代の直前に、誰が流したのかフセイン死亡説が駆け巡り、世界の人々にフセインの名前を思い出させた後、ブッシュ政権はイラクの反体制派の政府転覆計画に改めてお金を出すと発表した。 フセイン大統領は、お父さんの方のブッシュが大統領だったときに、サウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国を対米依存体質にする目的で、以前は親米だったフセイン大統領がクウェートに侵攻するようしむけた経緯がある。息子のブッシュは、父親が悪の化身に仕立てたフセインを再度持ち出し、すでに政府を転覆できる実力も、イラク国民からの支持もないことが分かっているイラク反体制派に改めて金を渡す作戦を始めており、こちらも何やら陰謀のにおいがする。 ▼経済開放を始めそうな金日正 もう一人、アメリカの政権交代に合わせ、あざやかなパフォーマンスを展開した、陰謀体質の人物がいる。北朝鮮の金正日総書記である。彼はアメリカの政権交代とほぼ同時期に、中国の上海を訪問し、証券取引所やNECなど外国系合弁工場を見て回り、中国式の経済発展を賞賛した。 中国から平壌に戻った金正日は、さらに韓国などにいるコリアウォッチャーを驚かせる行動に出た。それは、テレビ局に命じて自分の上海訪問を40分のテレビ番組として編集させ、全国に放映したことだった。 そこには、金正日が上海の一般家庭を訪問して、電化製品などが満ちあふれていることに驚くシーンなども含まれており、中国に比べて北朝鮮がいかに貧しいかを国民に実感させかねない内容となっていた。新聞もそれに合わせ、中国式の自由主義経済発展をすることが今後の北朝鮮の道なのだと主張する「新思考」という上意下達のキャンペーンを始めた。 また、金正日はこれに先立って、経済や貿易投資関係を担当する政府や党の要人をかなりの規模で交代させた。この動きは昨年10月ごろから始まり、これまでに大蔵大臣、中央銀行総裁、通産大臣、中国大使などが交代した。それらのポストには、これまで社会主義の考え方だけを持った古い世代が就いていたが、代わって起用されたのは、欧米留学経験を持ち自由主義経済のメカニズムを理解している40−50歳代の若手だった。 これら3つの出来事をみると、どうやら金正日は本当に「中国モデル」に沿って経済開放をしていくつもりらしいということが読み取れる。最近の北朝鮮の外交攻勢は、何か裏があるに違いないと懐疑的に見られることが多く、私もその一人であったが、最近の展開は私の懐疑心をかなり取り去ることになった。 ▼友好ムードと懐疑派 北朝鮮は一昨年以来、以前は敵対していた韓国や日本、欧米などと仲直りしたいという姿勢をとり始めた。この戦略の背景には、これらのリッチな国々と友好関係を作り直すことで、自国に投資と経済援助をもたらそうとする意図があったようだ。 しかし、北朝鮮は冷戦終結直後の1990年代前半にもいったん経済開放政策を打ち出したものの、自由化はゴルバチョフのソ連を崩壊させたように、金日成政権を崩壊させるかもしれないという懸念が強まった結果、開放政策は尻すぼみとなり、代わりにミサイル輸出などによって食いつなぐ黒社会国家の道を歩み、国内は飢餓状態にまで貧しくなってしまった。 こうした経緯があったため、韓国の金大中大統領やアメリカのオルブライト国務長官が平壌に招かれるなど、外交面では昨年大きな展開があったが、欧米や日本には、北朝鮮がミサイル開発など黒社会的な行為を明確に止めるまで、金正日がかもし出す友好ムードに乗るべきではないという懐疑的な意見が多かった。 北朝鮮にお金や食料をあげても、それは貧しい一般国民にはほとんど届かず、党や軍の特権階級に消費されて終わってしまうという批判もある。私も懐疑派の一人で、先月には「北朝鮮の人々を救いそうもない南北和解」という記事を書いた。 だが、もし金正日の最近の行動が自分の政権を守るためだけの演技だったなら、テレビで上海市民の豊かな生活を放映することは、国民の批判を高めかねないのでやらないはずだ。成功するかどうかはかなり怪しいが、今後の北朝鮮は経済開放を進めていくと思われる。 ▼クリントン向けに用意されていた? この時期に金正日が開放政策のキャンペーンを始めたのは、クリントン大統領の訪朝が実現しなかったことと関係しているように思われる。もともと金正日は、クリントンが訪朝したら開放政策の開始を高らかに宣言し、一気にアメリカ企業を北朝鮮に呼び込むつもりだったのではないかと推測される。 だが、クリントンは来なかった。昨年10月のオルブライト訪朝は、クリントン訪朝への足掛かりとして実現したが、その後もアメリカ政府には金正日への懐疑心が残ったまま、クリントンの任期切れとなった。そして、北朝鮮に対して寛容な政策を続けてきたクリントンとは対照的に、ブッシュ政権は今のところ厳しい政策をとりそうな状況だ。 新政権の北朝鮮担当者として最近ソウルを訪問したアーミテージ国務副長官は、韓国の政治家に対し「北朝鮮がミサイル計画の概要を明らかにしない限り、アメリカは北朝鮮支援を止める」と表明したうえ、金大中政権が自らの北朝鮮政策を「太陽政策」と呼んでいるのは響きが寛容すぎるので「関与政策」と呼び変えるよう要請している。 こういう状況なので、ブッシュ政権の荒々しい北朝鮮政策を和らげさせるためもあり、金正日はクリントン訪朝後のために用意してあった行動を実行し始めたのではないか、というのが私の推測だ。 ▼実態がついてこない開放政策 ところで、金正日はどんな開放政策をやる気なのだろうか。今のところ分かっているのは、韓国との国境近くの開城市や、中国との国境にある新義州市などに工業団地を作り、そこに韓国や中国、欧米などの企業を誘致して合弁事業を行うという計画だ。しかし、進出を決めたのは韓国の現代グループなど、まだわずかにすぎない。 また北朝鮮はすでに、南北国境近くの金剛山という観光地を現代グループに対して賃貸しており、現代グループが金剛山の観光開発を行って韓国から旅行客を呼び込み、北朝鮮側に土地の賃貸料を支払うというプロジェクトを始めている。ところが客の入りが今一つで、この事業で現代グループはすでに3億ドルの赤字を抱えている。 利益が出ないので、現代側は毎月1200万ドル払っている賃貸料が高すぎるので半額にしてくれと言い出し、今月から半額しか払わなくなった。北朝鮮側は値下げを認めていないが、厳しい態度に出ると現代グループが金剛山開発から総撤退しかねないので、黙認せざるを得ない状況だ。 金正日も黒社会ビジネスをやっていたときは「補償金をくれないなら核兵器を作ってぶっ放すぞ」とアメリカや日本を脅して金を取ることができたが、自由経済となると、そう簡単にはいかないのである。 もう一つの問題は、開放政策を始めたからといって、すぐに経済が立ち直るわけではないので、金正日としては、しばらくは黒社会ビジネス(もしくは「ゆすりたかり外交」)を続けざるを得ないということだ。 北朝鮮はいまだにミサイル開発を明確に止めてはいないし、日米韓で進めている軽水炉建設を妨害して、補償の石油を受け取る期間を長くしようという策略もいまだに続けている。(この経緯は「金正日のしたたかな外交」を参照) また、般国民のための国際援助を軍や党が横取りし、平壌の党幹部だけが良い暮らしをしているという批判が従来からあったが、最近北朝鮮を追放されたドイツ人医師の告発を機に、改めて国際的な関心を呼んでいる。金正日としては「これから急いで経済開発をするから、しばらくは昔流のやり方を並行して続けることに目をつぶってほしい」と言いたいのだろうが、北朝鮮支援より「ミサイル防衛構想」を進めたそうなブッシュ政権が同意するかどうか、かなり怪しい。 ▼農村が弱いので中国式ができない 金正日が進めようとしている中国式の開放政策は、トウ小平が始めたもので「社会主義市場経済」を作るものだ。かつては「社会主義なのに市場経済なんて、言葉自体が矛盾を抱えている」と中国ウォッチャーから馬鹿にされていたが、この政策が成功した今は、誰もそう言わなくなった。この政策は、政治の安定に不可欠な中国共産党による一党独裁を維持したまま、高度経済成長を実現させる方法として考え出されたが、独裁を維持できるという点が金正日にも魅力だったようだ。 だが、中国が開放政策を成功させた経緯を見ると、北朝鮮ではこの政策が実行できないことが分かる。中国ではもともと農村の生産力がけっこうあり、進取の気性が満ちていた。 だから中国革命の後、いったん農地解放が行われたのに、農村では豊かな農民が現われて貧富格差が再び広がりかけたため、毛沢東が人民公社を作って革命が逆戻りしないようにした。トウ小平は逆に、この農村パワーを自由化して豊かな農民を増やすことで、現在の改革開放政策の基礎を作った。 ところが北朝鮮では、土地が豊かでないし気候も寒いため、以前から農業が強くない。むしろ北朝鮮は以前から農業自給が難しく、分断前の日本時代から、北は工業地域で南が農業地域という傾向があった。今の北朝鮮の農業は、日本時代よりも悪い状態だろうから、まず農村を活性化し、それを都市の産業振興につなげるという中国型の経済発展は、北朝鮮で行うことができない。 その代わりに北朝鮮の強みとなりそうなのは、国民の従順さと実直さである。北朝鮮の人々があまり政府に反発しない最大の理由はおそらく、金正日が強権を発動しているからではない。逆に北朝鮮国民の大半は、金正日を支持しているから反発しないのである。 私は1988年に平壌で「世界青年祭典」というのが開かれたとき、取材しに行く機会があったが、そのときに感じたのは、北朝鮮の人々が熱狂して金日成と金正日を支持している姿だった。それはまさに、宗教の熱狂であった。イランの聖都コムで見たスーフィズム的なイスラム信仰に近いものがあった(「イスラム共和国の表と裏」参照)。 無理矢理動員されているのなら、あんな熱狂はできない。幼少時からの洗脳の結果なのだろうが、もし北朝鮮が金正日を教祖とする宗教で、ほとんどの国民がそれを熱烈に信仰しているとしたら、国民は言われたとおりのことを全力でやるだろうから、金正日が打ち出す新政策が間違っていない限り、「エコノミックアニマル」と言われた日本人以上に経済発展に成功しても不思議はないということになる。 問題は、今の北朝鮮には「労働力」以外に売るものがないことだ。労働力だけを売り物にしている国はアジアにもたくさんあり、それだけだと外国企業がわざわざ北朝鮮に進出するメリットがない。人々の従順さや実直さをどのように経済成長に結びつけるか、それが今後の北朝鮮の生死にかかわる重要な政策として問われている。
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